店主日記

  • カレースパ 2022年10月31日

     先週の土曜日に、野菜たっぷりの、ニンニクもたっぷりのカレーを作った。その日の夜、1食分食べて8食分小分けして冷凍用の器に入れた。2食分が鍋に残った。計11食分作ったことになる。1600円の買い物でこれだけの量は経済的である。

     

     昨夜、シャワー終えて洗濯干してビール片手にカレーの鍋を温めていた。ほぼ温め終わってご飯を取り出そうと冷凍庫をのぞく。あれ、ない。あると思っていたのに。今から炊けば40分はかかるだろう。待てよ、このカレー、スパゲティーにかけてみようか。初めて食すカレースパ、結構いけた。

  • かあちゃんの詩 2022年10月30日

    岩屋堂 日記、「かあちゃんの詩」を付けだしてから4年余りがたつ。妻が亡くなった4ヶ月目の月命日の日に決意したかあちゃんの詩。明くる日から書きだした。パソコンのワードで付けている。A4のペーパーで、10ページをひと括りにした。それが今日、380ページ目のNO38が終わった。明日からNO39になる。

     

     これを毎日欠かしたことはない。内容は同じようなことばかり。妻に語りかけるように書いている。もう一度会いたい。もう一度一緒に暮らしたい。愛してる。そして、この頃は孫のこと。そしてその母の娘のこと。実に他愛もない文章が毎日続く。

     

     ラインは便利なものである。北京にいる娘と話ができるのだから。昨夜その娘とラインした。孫の写真と動画を送ってくれた。つかまり立ちして、伝い歩きしている。やんちゃぶりが見える。可愛い。そしてつい、笑ってしまう。

     

     写真は先日ドライブで立ち寄った鳥取県八頭郡若狭町の「不動院岩屋堂」

  • 気散じ 2022年10月27日

     私の故郷、奥出雲町に「きさんじ」という方言があった。背中が痒い。でも手が届かない。お、孫の手が!これでかく。「ああ、きさんじ」。そんな使い方をしていた。良からぬと思う人に罰当たり。こんな時にもきさんじと言っていた。ずいぶん大人になって分かった。古典の「気散じ」のことなんだということが。要するに、気をはらして・・・という意味だろう。

    波

     

     昨日の定休日、墓参が終わった朝8時、鳥取市に向かって車を走らせた。目的はない。ただただ、旧国道9号線をひたすら走った。山陰道が開通し、旧国道は車が少ない。スピーカーからは70年代のフォークソングが流れている。鳥取に近づけば日本海。鳥取市街地に着いて、さあどうしよう。戸倉峠に上ってみよう。

     

     兵庫県に入って、中国自動車道を西にしばらく走って米子自動車道に乗り換える。米子道の最後のパーキングエリアに入った時、昨日初冠雪の伯耆大山がくっきりと見えた。いい風景だ。・・・夕方5時に我が家に帰り着いた。トリップメーターは392キロ。久し振りの長距離ドライブだった。

     

    大山

     

     時には海を眺めてみた。戸倉峠の紅葉は美しい。兵庫県に下ったら山陰のとは違う太陽、光が明るい。流れる風景に心は和む。楽しみながら、過去の人生をを反省し、将来に思う。どうしてこうも、ドライブは楽しいものなのだろう。

  • 没頭できること 2022年10月23日

     朝ひとり目玉焼きを作る時、ここにいるとどうも寂しくていけない。娘たちが行ってしまってから1ヶ月半。娘達と暮らした半年余り、すっかり家庭の味の記憶が蘇ってきた。そして今またひとり。だから余計かもしれない。

     

     先日からいろいろ考えていた。寂しさを紛らす何かがないだろうかと。私が好きなことで。・・・ボウリングはもうやめることにした。ドライブだけではこの寂しさは収まらない。歌を歌っても紛れない。作文しようか。そう思ったときである。ひらめいた。

     

     私と交際を始めた時から妻が付けている日誌がある。その日の出来事を事細かに日誌に記録してある。これをもとに、妻と私の30数年間の人生を書いてみよう。小説風にまとめてみよう。何年かかるか分からないけれど、一冊の小説を作ってみよう。

     

    コスモス

     

     こう決意した今朝、営業準備の整った事務所を後にした。上乃木5丁目の角っこを巡る500mの道路がある。松江市道も、島根県道も、国道も歩ける1週500mの道路がある。歩幅を広く颯爽と歩いてみた。久し振りに、歩く筋肉に緊張が来た。

  • どこへ行く? 2022年10月22日

     まだ学校にも行っていない子供の頃、よく夢を見た。毎夜毎夜夢を見た。草むらに立って、空を飛ぼうとする夢を見た。いざ、飛び立とうとするのだがどうもうまくいかない。何度試みてもうまくいかない。私の体は、草むらの上を滑って終わる。グライダーが着地する時のように草むらを滑って終わる。

     

     おかしいな。おかしいなと思う。はるか上空を、鳥にように旋回した記憶があるのに。風を切って空を飛んだ記憶があるあるのに。我が家の屋根が空から見えた。黄色い道がくねりながら続いている風景が空から見えた。黄金色の田んぼが、眩しく光っているのが空から見えた。そんな記憶があるのに、どうして今日は飛べないのだろう。

     

    舟

     

     白い船が海原を行く。まっ直ぐまっ直ぐ航跡を残し進んでいく。どこへ行くのだろう。あの船に乗ったらどこへ行けるのだろう。ひょっとしたら、あの船に乗ったらなぎさ(妻)の所へ行けるんじゃないか。愛しいなぎさに会えるんじゃないか。じっと写真見ていたら、そんな気持ちになった。彼女はどんな気持ちであの船を見ていたのだろう。どうしてこの写真を写したのだろう。あ、隠岐の島が写ってる。

  • 頬ずり 2022年10月21日

     どうも秋はいかん。寂しくって、もの悲しいのである。半年余り一緒に暮らした娘と孫殿が行ってしまったからだろうか。あれから1ヶ月ともうすぐ半月。もう、ひとり暮らしに慣れてもよさそうなものを。そう思うのだがどうもいかん。

     

     今朝、卵とウインナーを焼こうと思ってガスコンロに火をつけた。間もなくピーと鳴って火が消えた。電池がなくなったのだ。もういいや。パンも食べずに飛び出してしまった。まだ誰もいやしない。思い切って妻の墓石に頬ずりをしてみた。なんと心安らぐことか。公園墓地の上空にはうろこ雲が広がっていた。

     

    うろこ雲

  • 有難うございました。 2022年10月21日

     一昨日の深夜、我が家の近所で火事があった。炎は夜空を焦がし、黒煙が高く昇っていく。爆発音も4度聞こえた。正直怖かった。心が震えた。そんな昨日、心配したよってある女性が電話をくれた。寂しい私の心に潤いをくれた。有難うございました。

  • 美保関編 2022年10月20日

     三瓶山に行った時の写真と、美保関に行った時の写真を同時に彼女はラインで送ってくれた。2日続けてのドライブだったのだろうか。それとも2週連続のドライブだったのだろうか。走る車の助手席からの写真が多い。

     

     母と暮らした時の母の話だ。奥出雲町で農業を営んでいた私の両親、田植えが終わると美保神社に行ったと言う。当時は松江から船での旅行だ。たぶん最低でも1泊はしただろうと思う。参拝し、土産物屋で農業に使う竹細工製品を買って帰ったそうだ。この旅行を泥落としと言ってたとか。以前、竹細工製品をつるした土産物店を見かけたことがある。だが、数多くあった土産物店も今では姿を消した。

     

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     余談だった。私が運転して、彼女が隣に座っているならば、神話や歴史、風習など、そんな話を山ほど聞かせてあげるのに、私ではないのが残念だ。と、思っただけで寂しくなる。どこへ行くにも私はいつもひとりぼっち。昨日の三瓶山、秋は人も多い。私だけひとりぼっち。岬めぐりの歌詞を思う。「幸せそうな人々達と、岬をまわるひとりで僕は」・・「僕はどうして生きてゆこう」

     

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     写真撮影は彼女。上の写真は隠岐行きのフェリー「しらしま」かな?走る車の助手席から撮ったらしい。船の向こうにうっすらと大山の姿。下の写真は美保関灯台。灯台の下から隠岐諸島が見える。その日天気が良くてそれが見えたそうだ。

  • 高原の読書室 2022年10月19日

     曇りの時間が多かったが、時々雲間から太陽がのぞく。たまたまその時間に木漏れ日の美しい三瓶山の道を走った。車のフロントガラスに反射する木漏れ日の光は幻想的な雰囲気を醸し出してくれた。

     

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     今年になってから何回目だろう。三瓶山のドライブは。49日の法要を終え、妻との思い出深い三瓶山に来た。泣きじゃくりながら走った北の原への道。あれから妙に三瓶山に行きたくなってしまう。今日もまた来てしまった。

     

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     北の原から西の原に向かう。いつもの駐車場でサンドイッチかじりながらコーヒーを飲む。そして読書。読書と言っても、推理小説だ。今日は東野圭吾の「流星の絆」・・・下の写真が三瓶山を見渡せる私の特設の高原の読書室だ。私だけの至福の時間と空間だ。ここに座って縁石に足を預けると具合が良い。

     

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     あの人が行ったという東三瓶フラワーバレーにも行ってみた。もうほとんどの秋桜は刈り取られていたが、大きな畑一面だけに遅蒔きのが咲いていた。新聞で読んだが、種蒔きの時期を変えているらしい。少しでも長く楽しめるようにと。粋な計らいだ。

     

    花

    今日はすべて私の写真。あの人編は、明日再開する。

  • コスモス 2022年10月18日

     今朝は眼覚時計が鳴っても起きれなかった。後5分、後5分と10分遅れで布団からやっと脱出。新聞も読めずに出勤してしまった。よく眠れるのは涼しくなったからなのか。それとも、大部に心が落ち着いてきたからだろうか。

     

    コスモス

     コスモス2

     三瓶山西の原を後にして彼女は国道54号線方面に向かった。途中、三瓶フラワーバレーに行くためだ。そこには6万本のコスモスの花が植えられている。花好きな人にはたまらない風景が広がっている。

     

     長生きしたくないねって、彼女と話したことがある。そのことは昨日も書いた。私の場合、人生に変化が多すぎた。夜間高校に通って昼間働いてひとりで生きた青春時代。やっと結婚して、3人の子宝に恵まれた。長男は重度の自閉症という障害を持って生まれた。それでも幸せを感じ始めたその直後、病に倒れた。職を失って、懸命に不動産業を立ち上げた。軌道に乗って、さあこれからが人生だと思った刹那、妻がひとり天国に旅立って行った。・・・もういい。時々ふと、そう感じることがある。

     

     彼女を誘っていちにちドライブをしたことがある。彼女との会話は途切れることがない。ふたりはよく話す。そして分かったのは、彼女は真面目だということだ。懸命に生きようとしている。正義感も強い。そのあたりに、長生きしたくないって思うところがあるのだろうと思う。それはさておき、一緒にいて楽しい人だ。笑いを忘れた私を笑顔にしてくれる。

  • 至福の時間 2022年10月17日

     このごろ、目覚まし時計で目が覚める。そりゃあそうだろうと思われるかもしれないけど、目覚ましが鳴るまで眠れるようになったということだ。妻が亡くなって、眠れなくなった日々が続いた。そして今やっとぐっすりと眠っている。だが、妻に対しての、懐かしむ思いはより強くなったのはどうしてだろう。

     

    西

     

     晴れてたら、木漏れ日の美しいあの道を通って西の原に着いた彼女、いったんここで車を停めたらしい。そしてやがて再度走り出した。ほんの少し走ったところに牛が放牧してあるのに目が留まった。これから秋桜畑に向かうのだろう。

     

    牛

     

     私が彼女と知り合って話すようになってから3年近くになる。極たまに、落ち着いて話し合うことがある。二人に共通する所は、長生きしたくないねってことだ。決して死にたいってことではないが、足腰立たぬまで、そこまで生きたくないねってことだろう。私の人生を振り返る時、変化が多すぎたって、そう思う。生きることって、辛いねってそう思う。今、彼女は何を思って生きてるのだろうか。

     

     明後日の定休日、私も三瓶山に行ってみようと思う。49日の法要の後に泣きながら走った北の原に向かう上り坂。妻との思い出を胸に走ろうと思う。西の原に車を停め、コーヒー飲みながらサンドイッチかじって文庫本を読もうと思う。今の私にとっては至福の時間だ。

  • 三瓶山 2022年10月16日

     仕事でも、プライベートでも行くことのある事務所であの女性は働いている。ドライブ好きな私は、四季折々の風景の見どころをよく知っているのでその情報を時々彼女に伝えている。今、三瓶山の麓は秋桜の見ごろだよって先日教えてあげた。

     

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     そして彼女、私のブログ、店主日記の愛読者でもある。ブログに使いたいからって写真送ってねとお願いしてあるので時々、ラインに添えて送ってくれる。今日はどこそこに行ってきたよってラインをくれる。その写真をテーマにして私が日常感じていることをブログに入れる。

     

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     先日も三瓶山に行ったよってラインをくれた。良かったら使ってねって数枚の写真もくれた。どうやら、この道は、三瓶山北の原から西の原に向かう天気が良ければ木漏れ日の美しいあの道だ。だが、その日は曇っていたようだ。

     

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     ドライブは、同じ道を走っていてもいつも違った風景を見せてくれる。晴れの日もあれば曇り日もある。雨の日だってまんざらではない。それがドライブの醍醐味だ。雨の日のワイパーの音は、青春に見たフランス映画を思い出す。そして苦しかったあの頃の日々の記憶が今になったら懐かしい。・・・彼女の物語は明日に続く

  • 2022年10月14日

     追加コロナワクチン接種の案内の封書が届いた。早い方がいいだろうと思い、今朝、やるべき仕事を終えてから出雲市の息子が入院中の病院に届けるために車で向かった。島根大学病院の前を通った時、落ち葉が風に吹かれて目の前の路上を走っている。トライアスロンのスイムを俯瞰するような、そんな様子で落ち葉の集団が路上を走っている。ああ、そうか。秋なんだ。だからなのか。

     

    雲

     

     昨夜、前日に仕込んでおいた鍋料理を食べ終わって焼酎のお湯割りをちびりちびりと楽しんでいた。テレビのケンミンショーが終わる頃、なぜか涙がこぼれてくる。なぜ???なぜなんだ。そして、だんだん悲しく寂しくなってきた。悲しみを包んだ心を開いてみてもいないのに。10時過ぎたけど、たまらなくなってラインを送った。ごめんね、今君だけだ。寂しいよって言えるのは。

  • 勝山 2022年10月11日

     岡山県の真庭市に勝山という町がある。藩政時代の出雲街道の通り道だ。松江市から勝山町に車で向かう時、いたるところに出雲街道の看板を見る。なにやら身近に感じれるのはそのせいかもしれない。

     

    のれん1

     

     この城下町?宿場町と言った方がその雰囲気に似合っている「のれん」の町だ。以前、何気なくのぞいた店で聞いてみた。なぜのれんなんですかって。偶然にも、この店のおかみさんが作って玄関にかけたのが始まりらしい。次々と広まって、町並み保存地区を形成している商店や、民家の玄関に潤いを与えている。(参照・昨年3月3日に訪れて4日の日記にアップしている)

    のれん2

  • 秋桜 2022年10月10日

     なんとなく、もの寂しくて保存の写真を楽しんでいた。楽しかった昔を懐かしんでいた。妻がいて、3人の子供たちがいて、それぞれに違った笑顔があって、楽しそうな雰囲気が伝わってくる。それを時代順に見ていたら、ふと秋桜の写真に心奪われた。何年か前の、季節的にはちょうど今頃写したものだろう。

     

    コスモス

     

     三瓶山にはよく行った。歩き始めた長男を連れてピクニックした西の原。自閉症協会の人たちと、息子と二人の妹を連れて行った北の原キャンプ場。マウンテンバイクで山を下った東の原スキー場。そして妻とふたりで行った東三瓶フラワーバレー。そこ一面に咲いた秋桜の花。その時私が写した写真だ。

     

     さだまさし作詞作曲の「秋桜」がある。山口百恵が歌って大ヒットした。秋になると、今でも時々ラジオで聴く。明日嫁ぐ娘、荷物を整理する母と娘の情景が描写されている。あの歌を聴くと、いつも思う。妻にもあんな気持ちにさせてやりたかった。娘にも、あの経験をさせてやりたかった。娘の結婚も、孫の誕生も知らずに逝ってしまった妻の声が聞こえてくる・・・

  • 紅葉の気配 2022年10月06日

     この頃やけに寂しい。日が短くなって、気温が低くなった秋。秋という季節感も手伝ってそんな気持ちにさせるのだろうが、だけどやけに寂しい。娘と孫殿との半年間の生活が、家庭の味を思い出させてしまったのだろうか。妻との楽しかった30数年間の記憶が、すっかり蘇ってきたせいだろうか。だけど今ひとり。そのことを、思い知らされているせいだろうか。

     

     昨日の定休日、それでも8時まで眠れた。起きて目玉焼きを作る時、じわっと寂しさが蘇ってくる。台所に立つ時、いつもそんな気持ちになる。だけど今日は強烈だ。どうしよう。寂しいな。人恋しいな。でも友達もいやしない。

     

     墓参終わって車で走ることにした。よし、今日はひたすら走ってやろう。まず奥出雲町を目指す。おろちループ道の駅の駐車場でサンドイッチをかじる。そのまま広島県に抜けて米子市方面の看板に従う。ひたすら走って安来市の道の駅、あらえっさでトイレ休憩。これまで走った時間、6時間。後45分。

     

    紅葉の気配

     

     山の中をひたすら走った。山本潤子のCDを聴きながら、ボリュームいっぱいに聴きながらひたすら走った。時々雨が降る。時々霧が混んでくる。その寂し気な風景が私の心に融け込んでくる。所々に、紅葉の気配が漂っていた。

  • 虚無感 2022年10月04日

     孫昼休みを利用して熊野大社に行ってきた。駐車場に車を停め、参道を歩く。その入り口に、日本の国家で歌う君が代のさざれ石が置いてある。小さな石がひっ付き合って巌をなしている。説明を読むけど、頭に入る訳なし。

     

     その次に池がある。以前はこの池に錦鯉が放たれていた気がするが勘違いだろうか。今は何もいない。いや、いたいた小さなメダカの群れが。流れに向かって懸命に泳いでいる。流されたり懸命に逆らってみたり、しばし同じ場所を泳いでいる。無駄なことをしてるなって思って見ていたら彼らもそれに気づいたらしい。姿が消えてしまった。

     

     拝殿の前に佇む。私はなぜ、ここに来たのだろう。何を思ってここへやって来たのだろう。願い事なんかありゃしないのに。願って叶うなんて思ってもいないのに。そう言えば賽銭の小銭入れさえ車の中。願って叶うものなら孫殿に会いたいな。

     写真は娘が北京で写したもの

  • 我が愛車 2022年10月02日

     朝、まず墓参に向かう。日曜日だというのに、人っ子ひとりいやしない。蝋燭灯し、線香を立てる。そしてしばし話す。昨日の出来事とか、今日の予定とかを話す。会社で言う朝礼のようなものである。妻と私ふたりだけの朝礼だ。ただ違うのは、最後に愛してるよって言う言葉ぐらい なものかもしれない。

     

     手を振って、また明日なってお墓を後にする。歩きながら他の墓石の間に見え隠れする妻のお墓に向かっては手を振る。その動作を2~3回で駐車場に着く。一台だけ、私の愛車が停まっている。私ひとり乗り込む愛車が停まっている。妻との思い出の愛車、もう二人で乗ることもない愛車。虹の光が2本、ふたりの思い出をかばうように差し込んでいる。

     

    愛車

     

     妙に人恋しくなってきた。友達に、今日は忙しいかいってメールを打ってみた。今日は多忙だよって返事が返ってきた。アントニオ猪木が亡くなった。三遊亭円楽が亡くなった。ふたりとも大好きだったのに。

  • 我が志を述べよ 2022年10月01日

     我が家の近くに、歩いて行っても苦でない所にコンビニエンスストアーがあった。度々行くわけじゃないけど、缶ビールが無くなった時とかに重宝していた。それが半年前に閉店した。

     

     昨夕、今晩はコンビニ弁当で済まそうと、帰り道にあるコンビニに寄ろうと思っていた。近づいてみると、車の大渋滞。金曜日の夕方だからだろうか。あきらめてパスタにしようと思って通り過ぎた。ナポリタンスパゲティにしよう。

     

     帰ってみて、その麺がないことに気が付いた。あら、どうしよう。近くのコンビニは無くなったし、困ったなあ。冷凍庫を覗くもご飯もない。面倒くさいけど、ご飯炊こう。カボチャの残ったのをバーベキュー風にスライスした。それをプライパンで蒸し焼き。氷温庫の一昨日の残りのカツオのたたきにニンニクを載せた。そして玉子ご飯。デザートには、先日頂いた鳥取の二十世紀梨。余りもの作戦だが、ごちそうになった。

     

    我が志

     

     今朝は久し振りに目覚まし時計で起きた。7時30分までぐっすりと眠った。やっとひとり暮らしの生活に心が落ち着いてきたのかもしれない。・・・X女子が写した観音院の部屋の写真の額縁に、「我が志を述べよ」と書いてある。shyだけど、そうしているつもりだけれど。頑張ってるつもりだけれど言葉が心に刺さる。

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