店主日記
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あ、宇宙人
2025年01月31日
美保関の青石畳通りの石畳は、晴れて乾いている時には青いと感じない。だが雨が降って濡れると青い光を放つ。私は、雨が上がって空が比較的明るくなって間もなく晴れるんじゃあないかという、その瞬間の色合いが気に入っている。だから雨上がりに好んで訪れている。
久し振りに時々太陽が顔を出してくれる穏やかな朝になった。チャンスとばかりに事務所前の歩道と駐車場の掃き掃除をした。落葉はほとんど松葉だ。これが結構掃きにくい。それでも何とか掃き清めた時間は1時間30分。足腰が悲鳴を上げた。お昼まで休憩しよう。
でも今日はなにやら良い日の予感。朝一番でメールを開いた。どこの誰だろう、「お元気ですか。お孫さん可愛いでしょうね。」そして掃き掃除の時、ある人に声かけて頂いた。「私も一人暮らしになって16年。お互い元気で暮らしましょう。」なんだか旧知の友に会ったみたい。
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もち花祭り
2025年01月30日
新幹線のお医者さん「ドクターイエロー」のラストランが昨日あった。撮り鉄の一人が今朝のテレビでインタビューに答えていた。「あの姿を妻に見せたかった」と、そして3年前に亡くなった奥さんの写真をテレビカメラに向けた。その男性の姿には、哀愁が漂っているのが私にはよく分かった。
昨日、美保関の青石畳を歩いていた。美保関町の旧正月行事に「もち花祭り」がある。クロモジの木の枝に餅をつけて邪気をはらったり五穀豊穣を願うのだそうだ。ある商家に、そのもち花が飾ってあった。入り口が少し開いていたので中の女性に声をかけてみた。お邪魔してよろしいですか。
彼女、陶芸が趣味だそうだ。でも、茶碗や湯呑を作っても・・・だから縄文土器を作るのだとか。1万年も続いた縄文時代には争いや戦いが無かったんだそうだ。そんな話から話は弾んでいった。そして年齢が気になったので間接的に誘いかけてみた。私よりほんの少し年上なんだとか。だから彼女のために私の年齢も伏せておきたい。
店には手作りの縄文土器が並べられていた。グループごとに値段が付けてあった。私は店のカウンターに置きたいからと500円のをひとつ頂いた。この店には、日本全国から人が訪れるとか。それぞれに話が聞けて面白いのだとか。そうだろうね、それは夢があるからだと思う。私にも私なりの夢があるから彼女との話が弾んだのだと思う。また訪ねたいと思った。
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美保神社行き
2025年01月29日
なぎさ、やっと今日は行けるよ美保神社に。墓石の前でそうつぶやいた。妻も私も信心はなかったけれど、今の私にもないけれど何やら思い出多い美保神社だ。年が明けたら行こうと思っていたが息子のことやらもあって、そのチャンスがやっと今日訪れた。
中海大橋を渡って車は右手に日本海を見て走っていた。釣り人の姿が数人目に付いた。心に余裕のある人たちなのだろうなと思ったりした。好きだけど、今の私にはできないなと思った。そしていつもの美保神社参拝用の駐車場に車を停めた。目の前の漁船の向こうに3羽の鴨が泳いでいた。どうしてここに居るの、海水だよここは。何かあったんだろうか、不思議な気がした。
この後、青石畳通りを歩いてみた。そこで、面白い人に出会った。また後日、アップすることにする。
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食については心配するな
2025年01月28日
一昨日の夜はたっぷりの豚の小間切れに、タマネギ1個、キャベツ8分の1個、ニンジン、ピーマン、それにシメジを足して炒めて焼き肉のたれで味付けしたものを食べた。どお、野菜たっぷりだろ。栄養満点だろ。
昨夜はニンニク5粒を粗みじんにして、冷凍のご飯1食分じゃあ足りないから焼きそばの袋入りを半分にして小さく刻んだのを足した。具は長ネギ1本。これで大盛りガーリックネギ焼きそばチャーハンの出来上がりだ。パラパラによく焼いたから美味しかった。
朝はトーストパン、卵とウインナーを焼いたの、牛乳をコップ1杯飲んでいる。それにプラスサラダだ。サラダはキャベツの千切りをメインに、味変彩にタマネギ、ニンジン、ピーマンをスライスして少しずつ混ぜている。サラダの量は丼1杯ほど。それに市販のドレッシング。夜作って水にさらしてザルにあげて冷蔵庫の野菜室に入れておく。シャキッとして旨い。なかなかまめだろ。だからなぎさ、ちいっとも心配しなくていいんだよ。
今朝は雪が降って少しだけど積もった。今お昼前、陽が照っている。・・・そして昼になった。ほら、開業当時からのメモノートの「不動産日記」、NO76になった。今日はもう、メモがノート片面の3分の2が埋まった。君が居た時のようにはいかないが、仕事もぼちぼちいけている。
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西日の雨上がり
2025年01月24日
営業時間は後1時間ほどになった。先ほどまで降っていたにわか雨は止んだ。西日が射してきて向かいの3階建ての事務所の白い壁を黄色く染めている。何回この風景を見て来たんだろう。雨上がりに白壁を染めた西日の風景には人々を包み込んでくれる優しさがある。優しい色がある。何か懐かしい気がした。ここに事務所を構えて21年目、そのうち13年間は二人して見ていたんだなと、懐かしさが疲れた体を癒してくれる。
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え、不思議だなあ
2025年01月22日
9時まで寝た。パンを切らしていた。ならばと、チンした冷凍ご飯に卵を乗せた。削りカツオを乗せて刺身醤油をかけてお腹へとかき込んだ。顔を洗って服を着替えて9時30分出発。お墓経由で出雲市の息子を見舞った。入院費用の支払い済ませて病院の駐車場の車に戻った。さあ、どうしよう。
行き先に迷った時、故郷の風景が頭に浮かぶ。やはり奥出雲に行こうと心に決めた。道選びはハンドル任せ、立久恵峡を走っていた。やがて佐田町から掛合町の国道54号線に抜ける峠にさしかかった。トンネルの手前の駐車スペースに車を停めた。俯瞰できる風景に心奪われた。黄砂の影響だろうか、景色がかすんでいた。
54号線から吉田町に。ここから奥出雲町に抜けようと思った。すれ違う車もないまま、奥出雲町阿井地区に出た。そのまま三成、亀嵩、広瀬に出て安来市から帰ってきた。早く家に帰ってきたので2週間ぶりの掃除機かけた。そう、男やもめにウジが湧くとはこのことだろうね。
早い夕食になった。あ、そうだ、日本酒を燗して飲んでみよう。何年振りだろうな燗した日本酒飲むのは。楽しみだった。だけど、えっと思った。受け付けない。燗した日本酒はもう体が受け付けてくれない。どうしてだろう、あんなに好きだった燗酒が飲めないなんて。不思議だなあ。
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ついに180円台
2025年01月21日
1年中で一番寒い時期なのに、なんでこうも温かいのだろう。そんな日には体も正直でよく動いてくれる。事務仕事を片付けておきたい。その事務仕事で手書きする部分が出てきた。しかも用紙のスペース上、小さな字で書かなければいけない。ところが手が震える。この頃、夜のアルコールが朝になって抜けると、時々そんな日がやって来る。
それはさて置いて、よく働いた。よく働くと、いろいろなところに気が付く。A3と,A4のコピーペーパーの在庫が少なくなった。仕入れてこねば。そして明日は定休日、ついでにガソリン入れておこう。いつものセルフのガソリンスタンドに寄った。掲示に,1リットル181円とある。や、ついに180円を越したんだ。
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息子よ
2025年01月20日
特に病気ということでもないが、余儀なくて自閉症という障がいを持つ息子が入院生活になって6年半になる。そのストレスのせいか、息子は自傷行為をするようになった。命に係わるからと、今手足と胴体をベルトで固定されている。会ってやりたいので、会いに行くのだが顔を見るのが辛い。
息子が入院する6年半前のその日の前日、妻は突然倒れた。すぐに病院に運んだが助からないという医師の判断だった。血圧が上がってましたから。だから・・・。あくる日の早朝、呼吸が弱くなった。そして間もなく、静かに、静かに息を引き取って行った。辛すぎて、私は涙も出なかった。泣けるほどの余裕が出来たのは、49日が終わって、三瓶山に向かって車で走っている時だった。ハンドルを握りながら涙がこぼれてきて、頬を伝って服を濡らしていった。
その頃から、妻の死は息子の入院に原因があると思うようになった。私はどうしてもっと、息子の入院を阻止する努力をしなかったのだろう。妻の死の責任は、私にも・・・そう思うようになった。大好きだった母に息子はもう会えない。そうしたのは私のせいなのかもしれない。息子に申し訳ないと思った。今不自由な生活をさせている私は何て無力なんだろう、そう思うようになった。
今朝、発達障害支援センターの心理スタッフの方に会った。息子の状況を説明した。妻が月一のお便りを作っていた自閉症協会の松江分会に数か月前に久しぶりに顔を出してみた。息子のことを話して、そして紹介されたのが発達支援センターだった。市の、県の障がい者支援課でも、得るものはなかった。だけどなぎさ、必ず、必ず、息子が良い入所施設に入れるよう、努力する。息子が、平穏に暮らせるよう努力する。そして君の心も安らぐように。
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エテガレイの干物
2025年01月17日
男の料理なんて大雑把なものだ。だけど一品でたいていの栄養は整う。昨夜は野菜たっぷりの玉子丼を作って食べた。食後はテレビを見ながら焼酎のお湯割りを楽しむのが私の常である。そんなしばらくの後、小腹が空いているのに気が付いた。何かないだろうか。あ、あるある。昨日、五十猛の帰りに買ったエテガレイの干物が。
冷凍物を、そのままガスコンロの魚焼きグリルにほおり込んだ。焼きあがってテーブルの上に置いた。身をほぐして一口頬張った。旨いと思った。そしてふた口目を食べようとした瞬間、涙でテレビの画面がかすんできた。あれ、どうしてだろう・・・。テーブルの上に焼いたアジの干物があって、その向こうになぎさの顔が見えていた。
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五十猛にグロ
2025年01月15日
先日のテレビニュースで、大田市の五十猛にグロができてるよと言っていた。グロというのは丸太で組んだ骨組みに、昔からの方法で壁と屋根を取り付けた小屋だ(五十猛のグロで検索)。その中で、餅を焼いて食べると1年間の息災が叶うらしい。要するに、五十猛のとんど行事なのだろう。
10年、いやもっと前かな、妻とふたりで行ったことがある。定休日の今日、一仕事あって朝から出勤した。仕事片付けて一息ついた。そしたら急に、五十猛に行きたくなった。山陰道が無かったあの時のように、国道9号線で行くことにした。なあなぎさ、あの時のままだよ。懐かしいな。
たどった記憶は正しかった。迷うことなく五十猛に着いた。だが、グロはなかった。その名残らしいものが燃やされていた。今朝壊したのだろうか。まだ炎が立ち上がっていた。なぎさ、どうやらもう終わったようだよ。でも、あの時の記憶はいつまでも忘れないから。な、今日は良かったな。楽しかったな。
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成人の日
2025年01月13日
朝、ある管理物件の報告書の作成をしていないことに気が付いた。正月ボケなのだろうか。急いでこしらえて近くのロウソンに設置してあるポストに入れた。ふたりの女店員さんがおはようの声。そこで、「あれ、成人式には行かないの」と私。遠にその時期は過ぎているふたり、だけどまんざらでもなさそうな。
晩御飯が4日もおでんが続いていた昨日、ステーキを焼くことにした。と言っても牛や豚ではない。鶏肉だ。部位はももだろうか、スーパーの安売りの日に買ってきた。値段500円。菜食主義の私なのだが時々は動物性たんぱく質も摂らなきゃあと、月一ぐらいでこしらえている。
味付けは塩を控えめにコショウたっぷり。これだけ。28センチのフライパンに皮目を下にどさっと入れる。包丁の腹でつぶしたニンニクを10粒その縁に置く。アルミホイールを鍋蓋代わりにして半分水を入れたヤカンを重石に置く。弱めの中火で6分間。ひっくり返して8分間。さあこれで高級ステーキの出来上がりだ。
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僕は電車の運転手
2025年01月11日
どうやら寒波は去って行った。午後には太陽が眩しいくらいの光を届けてくれた。それにしても、なんて軟弱な体になったのだろう。今年は寒さが骨身に染みる。我慢できないほどに寒いと思ってしまう。それでも湯船につからない。毎夕シャワーで済ませてる。ぶるぶる震えながらシャワーで済ませている。
出雲大社の一畑電鉄の駅に、もう使われない電車が一両置いてある。それが見物できるように観光客などに開放してある。先日娘達と孫を連れて出雲大社に行った。神門通りを歩いている時、その電車に乗ってみた。孫は一直線に運転席に座った。僕は運転手だよとでも言いたそうに。
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おでん
2025年01月09日
昨日の定休日、午前中はお客様に会った。午後は事務所に帰って「かあちゃんの詩」日記を付けて酒屋に行って一週間分の焼酎と発泡酒を買って帰り、資源ごみの新聞紙を紐でくるんで空き缶を所定の場所に出して部屋に掃除機かけた。ああ、気持ち良くなった。さあ、後は買い物に行くだけ。
おでんを作ることにした。一週間に一度しかスパーマーケットには行かないが、ある時、あるレジ係の女性になぜか親しみを覚えた。私の娘と言っていい年頃だろう、話しかけたいと思った。何をネタに話しかけようか、あ、いい物があったと持っていた奥出雲酒蔵がこしらえた買い物袋を見せてみた。「これ、酒造りで余る米ぬかで作ったらしいよ」。
そしたらどうだ。「私も奥出雲町出身です」。あ、そうか、だから親しみがあったんだ。懐かしさがあったんだ。以降、その女性の打つレジに並ぶことにしている。時々彼女の口から出る奥出雲弁が懐かしい。あのイントネーションが懐かしい。どうやらひとり暮らしの寂しさは、懐かしさを恋うるものらしい。
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有難うな
2025年01月05日
昨日仕事始め。今日は朝から天気が良かった。正月のうちに木の葉っぱなどが降り積もった事務所周辺の掃除をした。バケツ何杯もの落ち葉を片付けたら1時間余り要した。私にとっては重労働、体のあちこちの節々が悲鳴を上げている。椅子に座るのにも「どっこいしょ」。
元旦に娘達と別れて、またひとり暮らしになって3日が過ぎた。今、寂しさのピークが襲ってきている。妻の写真を見る。なぎさ、優しい娘達を有難うな。ひとりぼっちの生活でも、あんな楽しい正月があったんだよ。これからも、あんな楽しい時間が何度も何度もやって来るんだよ。なぎさ、有難うな。
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今日も走ろ
2025年01月02日
天気が良さそうだから今日も走ろう。車で思いっきり走ってこよう。あんなに賑やかだったのに、だから走ろう。
墓参を終えて公園墓地を出た所のコンビニで缶コーヒーを買った。小学生だったのかもしれない。あるいはもう中学生だったのかもしれない。西田佐知子が歌う「コーヒールンバ」を聞いて以来、コーヒーにあこがれてコーヒーをこよなく愛する私なった。だからコーヒーはドライブの親友なのである。
米子市に入った。日南町を通った。山を越えて奥出雲町を走った。停まるのは、トイレ休憩の時だけ、ラジオからは箱根駅伝中継が聞こえていた。単距離ランナーだった私にはどうも長距離はなじめないが、だが頑張っている姿には心が奪われる。峠を越える時、雪の風景が視界に広がる。ああ、懐かしい。懐かしいなあ。
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寂しい、けど
2025年01月01日
あんなに賑やかだったのに、元旦早々、娘達を出雲空港に送って行った。3人とも、昼の飛行機で羽田へ帰って行った。轟音をあげて飛び立って行くジェット機を駐車場から見送った。律、また会おうな。娘達も元気で暮らせ。なぎさだって見守ってくれてるから。
強がってみてもやっぱり寂しい。だけど、もう負けない。この寂しさに負けない。そう心に誓って好きなドライブをすることにした。いつものように三瓶山の北の原に向かって車は走る。山ひだにうっすらと雪を残して、今日の三瓶山は堂々として見えた。君はいい顔してるな。俺も見習うわ。寂しいけど。寂しくたって。
なぎさ、今日は君の誕生日だよ。ワイン買って帰るから今日はお祝いだ。ふたりで乾杯しような。