店主日記
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明るく暮らそうよ
2020年10月31日
鍋用の野菜をきざんだ。きざむと言ってもキャベツは四つに割ったのを半分にするだけ。大雑把に、それでいい。ニンジンは反対に細い千切りにする。シイタケも千切りに近い。シメジは袋にほぐされたのがあるからそれをそのまま使う。その他白ネギ、ニラなど野菜たっぷりだ。そこに数種類の魚とミンチ肉のツクネ。味付けは醤油だけ。隠し味は十分にしてあるからご安心を。これで準備万端。
今日は寒いから、シャワー止めて久し振りに湯船につかる。なんて幸せなのだろう。指の傷口さえ心地よい。風呂から上がって、食卓コンロの鍋に火を付ける。やがて立ち登る湯気を見つめる。この瞬間がいい。ビールがことさらに旨い。出来上がった鍋を口にほおばる。
今日は来たお客さんがすべて気さくな方だった。ある業者の女性、お父さんが私の妻と同じ頃、同じ年で突然に亡くなったと聞いた。彼女の母の暮らしぶりの一片を聞く。人生談議が始まった。そしてもう一人の女性は私の店主日記を読んでいてくれた。今日は朝から明るく暮らせた一日、明るければ来客もある。事務所が、オーラを醸すのだろうか。そうだね、明るく過ごそうよ。
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断捨離
2020年10月29日
昨日、尾道に行った。娘に会った。僅かばかりの時間だったが、近況を聞いて、そして私の気持ちを伝えた。俺、今年中に断捨離終えるな。協力頼む。そして、断捨離の意味が初めて分かったと言った。娘、え、知らなかったの。いやそうじゃない。断捨離の本当の意味が分かった、そう言っているんだ。その意味を帰りの車の中で反芻してみた。運転の技術の心地良さに酔いながら。
「岬めぐり」の歌詞に、「悲しみを胸に沈めたら街に帰る」と言う一節がある。その歌を何回も何回も口ずさんでみた。悲しみの失意から、それを乗り越えて普通の生活に帰る、立ち直ると言うのが街に帰るということなのだろうと思う。私も早くそうなりたいと思った。
部屋の物を少しずつ、少しずつ片付けてきた。そうしては、仏壇の妻に謝っていた。ごめんな、かあちゃんの想いが入った物まで捨てちゃって。その後ろめたさから、仏壇に謝っていた。だが、何十回目かの岬めぐりを歌い終わったその時、ふと気が付いた。いや、そうじゃない。
私の、妻に対する覚悟が足りなかったということに気が付いた。同時に、今まで考えなかった断捨離と言う言葉に思い当たった。私が今していることは片付けなんかじゃない。断捨離だ。断捨離にはその決意と覚悟が要る。そのことに気が付いた。二人といない大切な人だから。思い出の品をなくしても、その確実な人をより確実な人とする決意、そして深い覚悟が必要なんだ。・・・今日から違った気持ちで岬を回れる。2年半を費やしたけど。
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明日は遠足だよ
2020年10月27日
「岬めぐり」が歌えるほどに歌詞も覚えた。山本コータローの早いテンポについて行けるぐらいに覚えた。今更なんでこんな昔の歌をと思われるのかもしれないけど、私にとっては新鮮なのである。悲しみを胸深く沈めて、そして生きていこうとする気力が感じられるから、なのである。
さて明日は定休日だ。天気もよさそうだ。自宅を8時半頃出発して、まず、出雲市に入院中の息子に会いに行こう。その足で、少し遠いけど尾道の娘に会って来よう。少しばかり話して来よう。元気で生きているよって話して来よう。吹っ切れる何かをつかんだよって話して来よう。
サンドイッチ作ろうかな。中身は何にしよう。卵とハムは欠かさないな。ポテトサラダもおもしろいな。もちろんインスタントコーヒーも持って行こう。休憩に、パーキングエリアで読む文庫本も持って行こう。かあちゃん、またふたりで遠足だよ。楽しいよ。
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岬めぐり
2020年10月25日
さわやかな秋晴れ。昨日の強風で駐車場や歩道に松葉が散乱している。1時間かけて掃除した。歩道もさわやか。掃除終わって背中にやさしい太陽の光を浴びる時、子供たちが小さかった頃の記憶が蘇ってきた。
ジープ系の大きな普通車、ホライゾンの横に私がいる。脚立に上がり、ルーフキャリアに荷物を積んで、落ちぬようネットをかけている。当時の我が家の、土曜日の朝によく見る光景だ。やがて家族と共に車は出発する。目的地はキャンプ場。
話しは飛び回るがこの頃、山本コータローが歌う「岬めぐり」をよく聞いている。1974年にリリースされた曲だから年配の人しか知らないかもしれない。でも流行った曲だからみんな一度は耳にしたことがあるかもしれない。現実を離れて、私をこの曲の中に置き換えたら。たぶん、まだしばらくは岬めぐりのバスの中。
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うん、そだね
2020年10月24日
そだねって二人でよく真似た。ところで、長女の婿殿は鳥取県出身である。彼の父上から梨を頂いた。鳥取県の代表的な果物のひとつ、二十世紀梨である。冷蔵庫に冷やし、かじると、甘い独特の水分が口中に広がっていく。夏の暑さの残る初秋にはたまらない美味しさだ。毎日ひとつずつ食べて、なくなってずいぶん経つ。
長野県の戸隠そば、岩手県のわんこそば、そして出雲そばが日本の三大そばである。婿殿の父上に出雲そばを贈ることにした。そう決めた瞬間、「ウッチャンにもね」って妻の声が聞こえた。うん、そだね。ウッチャンはかあちゃんが大好きな、かあちゃんの妹だものな。・・・そばも新そばになったかもしれない。今日実行した。
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ふたり暮らし
2020年10月22日
昨日の定休日、午前中出雲市の息子に会いに行った。昼食に、夏に残った一束の素麺を湯がいた。瓶入りの麵つゆもちょうど空になった。遅いけど、あらためて夏の終わりの寂しさを感じてしまう。こんなところにももの想う私、ロマンチストだと自ら思う。
午後、ボウリングにも行かず部屋の片付けをした。ひとり暮らしになった今、不用品ばかり。子供たちや妻を撮った写真のアルバムが山ほどある。これは大事。45キロの燃えるゴミ袋がすぐにまんぱんになる。この作業があと何カ月続くだろうか。
寝室のカレンダーは2018年4月のまま。明日は二年半目となる妻の月命日。今でも、いち日に何度か瞼を濡らす。そんな私でも、やっとこの頃片付けなくてはと思えるようになってきた。ひとり暮らしのために。そして私が死んだとき、子供たちにかける迷惑が少ないように。実質ひとり暮らし、心は妻とのふたり暮らし。
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家賃支援給付金制度
2020年10月19日
コロナ禍で多くの商売は不況が続いている。そんな中、家賃支援制度があることは有難いことだ。その申請のため、我が社を訪れ、証明を依頼してくる人がある。「賃貸借契約等証明書」だ。車庫証明書やその類の書類を書く場合、わずかばかりの事務手数料を頂くのが一般的だが、困っている人からそんなこともできるわけがない。
それはさておき、その書類の書き方だ。どうしても、2020年3月31日が含まれていないといけないらしい。だが、定期借家でない場合、1年後や2年後に自動更新する場合がある。その更新後に、更新後の契約期間が記されていない契約書がある。その場合には、契約期間の定めのない契約期間となる。つまり、始期の記入はできるのだが、終期の記入ができないのだ。そう付記して提出する。それが通らないのである。どうしても、2020年3月31日が含まれた日付の記入をと再度提出の請求があるらしい。そんなバカなと思う。困っているから申請してるのに。急いでいるのに。・・・契約書を見たら解るだろうに???。
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連休を満喫
2020年10月15日
待ちに待った連休だ。13日、朝一番で定期通院。γ―gtpの値がちょっと高い。寂しさにも少し慣れて来たし、お酒の量を3分の2に抑えようと決意。10時半に終了したのでその後ボウリングに行く。1ゲーム目、ウォーミングアップで左手で投球(私は右利き)。さすがに1投目はガータ。だけど写真をご覧あれ。
二日目、サンドイッチを作ってポットにインスタントのコーヒーを入れ、8時半に出発。私の一番の趣味、ドライブだ。安来市に入ったところで雨になってきた。「シェルブールの雨傘」のスクリーンが目に浮かぶ。目的は岡山県の勝山の町散策だが、勝山町に入ってもまだ雨。それならば新見市方面に方向転換だ。地図帳も見ず、カーナビも見ず、スマホも見ず、道路標識だけの判断で目的路線を選ぶ。分かれ道、とっさの判断がおもしろい。これもまた、ドライブ旅行の醍醐味だ。
回り回って我が故郷、奥出雲町に着く。おろち道の駅で休憩中、思い付いた。あの娘に、美味しくて有名な奥出雲町の生どら焼きをお土産にしよう。3時半、松江市に帰ってきた。いつもの花屋さんに行く。はいお土産の声に、にっこりと、笑顔が可愛い。かあちゃん楽しかったなって、墓参を終えた。連休を満喫した満足感が嬉しい。
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な、かあちゃん
2020年10月11日
今日の弁当は具沢山のオムレツにした。いつもはそのまま出勤するけど今日は自治会の掃除日だ。8時半に終わって汗拭いて着替えてお墓に向かう。花の水換えて蠟燭を灯す。線香に火を付けながらふと思う。家の宗派は何だっけ。大谷派ってことは知っているけど、大谷派ってなんだろう。無関心でごめんなかあちゃん、俺これから勉強するよ。
地図で確認してみた。家からお墓までの距離、お墓から事務所までの距離、そして事務所から家までの距離。直線で結んでいずれも2キロ余りでほぼ正三角形。不思議だな、この距離感覚は。当たり前だけど、いずれもが正三角形の頂点にある。俺たち二人の縁は不思議が多かったものな、かあちゃん。
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観音院
2020年10月07日
観音院は鳥取市の上町にある。池泉鑑賞式庭園で、縁側でお茶を頂きながら拝観できるシステムになっている。抹茶代も含めての拝観料は500円だからお手ごろだ。幹線道路から少し奥に入ったところの住宅地にあるから騒音も聞こえない。ひとりで無の境地を楽しめる。今日は思い出に浸りたかった。
だがその日、絵柄にもなるその寺で結婚式の前撮りをやっていた。少し待てば静かになるだろうと思っていたが、だんだんにぎやかになってきた。これから結婚する人を囲んでの撮影だからテンションも上がるだろう。めでたいことだ。だけど、思い出に浸る気分にはなれなかった。今度また来よう。11月になって、紅葉がきれいになってからまた来よう。
車の中は、21曲が収まった山本潤子のCDが朝から流れている。ハイファイセット時代に歌った「フィーリング」の、響く高音が殊に美しい。何度目かの、「ただ一度だけの」で始まる歌詞にふと心が動いた。これを私たちの結婚生活に置き換えたら。人生別れは必ずあると知っていたのに、愛し合ってしまった。フィーリングだったんだろうか。
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古い写真
2020年10月02日
先日からやっと部屋にあるものの整理ができる気持ちになった。妻の思い出として保管しておくもの。そうじゃなくて処分するものとを分ける。その作業をしていたら懐かしい写真が見つかった。まだ恋人時代の写真が見つかった。几帳面だった妻が整理していたものを嫁入りに持って来たのだろう。
今それを、毎晩毎晩焼酎のお湯割りのコップを片手に見ている。そして記憶をたどっている。記憶をたどれるほど、私の心は落ち着いてきたのかもしれない。二人の写真は、倉敷に行った時のもの。抹茶茶碗の写真は鳥取の観音院で頂いたお茶の器の文字。これはお互いの茶碗にお互いの干支が書いてあった。「ほら、あなたの干支よ。それ私のだ」と言ったなぎさの言葉が聞こえてる。偶然の出来事だがこの偶然から、二人は結ばれるであろう確信を得た。