店主日記
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定休日のドライブ
2025年02月26日
定休日には、仕事がよく入る。今朝も9時に出勤して10時までにふたつの仕事を片付けた。さてどうしよう、やっぱり少しは車で走りたいな。八雲町から広瀬町に抜けて、安来市の道の駅「あらえっさ」に寄って、ゲゲゲの鬼太郎を奏でる道を走って八束町から本庄町に出て帰ろうと決めた。
国会中継からスピーカーの音はCDの音楽に替わった。大好きな曲、「かぐや姫」の「神田川」と「赤ちょうちん」を繰り返し聴いた。そして口ずさむ。赤ちょうちんの歌詞の「3帖の下宿」は、夜間高校に通ってた時の3帖の私の借り間を思い出して懐かしい。
赤ちょうちんだ。彼と別れた雨の夜、彼女は公衆電話の箱の中で膝を抱えて泣いた。そしてこう思った。「生きてることはただそれだけで、悲しいことだと知りました。」この部分の歌詞を口ずさむ時、いつも涙で視界がかすむ。妻とふたりでいちばん多く聴いた曲だからだろうか。
さあて、午後2時になった。焼酎とビールを買って帰って、新聞紙括って指定の場所に出して、部屋に掃除機かけた後、一週間分の食料を買って来よう。あのいつもの同郷のレジの女の子とひと言話そ。明日仁多へ行くんだよって。私の仲人してくれた方に線香をあげたくて。入院の日に葬儀だったからまだ行けてなくてって。
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寒いの嫌だな
2025年02月23日
今朝も新雪が出勤の車の屋根を覆っていた。今年の松江市は大雪にはならないがだけどよく降る。もうたくさんだ。こんなことで弱音を吐くと、豪雪地帯の人が物言うのかもしれない。だけど松江は雪への備えがないから。国道や県道の雪かきだって、ほぼしたことがないんだから。家の備えだって、とにかく寒い。病み上がりだからだろうか、寒さが憎い。
先日の入院だ。3日目だったか4日目だったか、松江警察署から電話があった。「景山様の携帯電話ですね。景山様ご自身ですか。新聞が新聞受けに溜まっているからと近所の方が心配なさっていて」と、こうだ。退院して帰って今日の新聞がないと思った。新聞店に電話すると「民生委員の方と相談して」止めたそうだ。
新聞受けは、玄関内側の受けの部分を外して玄関内に落ちるようにしておいた。入院の準備をする時、ショッピングセンターで自治会長に会ったので入院のことを伝えておいた。近所の方の心配は有難いことだ。だけど、どうして私の意思を確認しないで新聞を止める。新聞は私の家族のひとりなのに。一週間ほどの入院なのに。
あの日も早くに目が覚めた。病室から見る風景は、最初の入院の22年前とちっとも変らない。病院の県道の向こうのガソリンスタンドも、あの時2本に見えた通勤の車が走る松江市道も、薄っすらと雪で白くなった民家の町並みも山並みもちっとも変っていなかった。
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また雪が舞ってきた
2025年02月22日
朝晴れ間がのぞいた。だけどそれもつかの間、雪が舞いだした。巷は今日から3連休、せっかくの3連休なのにとそう思っている子供さんたちも多いのではないか。ふと、子供たちと遊んだ昔を思い出した。ホライゾンの、荷台に屋根にキャンプ道具を積んでいる私の姿が見えてきた。
退院してから、むさぼるようによく眠る私なのである。だが、入院中の私は全くと言っていいほど、眠れずにいた。寝床が違うから眠れないのか、環境の違いからだろうか、それとも小心なだけなのか。早朝の3時ごろから意識が途絶えることがなかった。早く朝が来ないかなあと。
東向きの私の病室のカーテンの隙間から薄っすらと陽の明るさが差し込んできた。朝だ、カーテンを開けよう。あ、朝陽だ。もう直ぐ室内の照明が付く。本が読める。事務所にあった読みかけの文庫本と、ずいぶん前に読んだもう一度読みたいのと、2冊持って来た。
辻村深月氏著書の「傲慢と善良」を読み始めた。前半は遅々とした物語が残り3分の1で動く。推理小説か、恋愛小説家かそう言ったジャンルで分類すると恋愛小説だ。若者の心の内面の描写がおもしろかった。そうなんだよ、私もまだまだ恋愛小説が読めるんだよ。
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やっぱり娑婆は良いね
2025年02月20日
一週間前から寒気がして、4日前になったらその悪寒がたまらなくて、夜中に胸がゼイゼイと鳴りだして、よっぽど救急車で病院に行きたくなって、だけど明日の朝に来客予定。あくる日、来客の用事済ませて、祝日だったから救急外来を訪ねた。肺炎のよう、入院ですね。11日のことである。
救急外来の医師が心配するのをよそに、入院用品の買い出しに行った。洗濯する人がいないから多めの下着。入院衣の上に着る防寒の上着。などなどを仕入れて午後1時30分入院棟へ。そして治療を受けること7日間。18日の火曜日の午前中に退院してきた。
18日と19日は自宅でゆっくりと休んだ。そして今日出勤。だがまだ病み上がり、思うように仕事ができる訳もなし、ぶらっと宍道湖を眺めてこよう。宍道湖の風景は霞んでいた。嫁ヶ島以外に見える風景もない。まるで私の心のよう。でもやっぱ娑婆はいいな。
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今季最強寒波は終わりそう
2025年02月09日
出勤する車の屋根には20センチほどの雪が積もっていた。私の駐車場は吹き溜まりになっているから実際の積雪量はもう少し少ないだろう。昨日から寒気がして、どうも今日は体がだるい。ならば積雪でお客様もないだろうから、のんびりと事務所で過ごそうと思った。
YouTuveでSayaさんが歌う歌を順繰り順繰りと聴いていた。「秋桜」が回ってきた。どうもこの歌を聴くと心がしんみりとしてしまう。母親と、そして明日嫁ぐ娘の話だから。私の娘が嫁ぐ時、母はもうこの世に居なかった。だから二人ともあの秋桜の気持ちは味わえなかった。あの曲を聴くたびに、二人にあの気持ちを味あわせてやりたかったとそう思う。そして、心がしんみりとする。だけど、いい歌だね。
今午後の3時半。歩道にはまだ雪が残っているが、車道の雪はすっかり消えていった。最強の寒波はもう終わったのだろう。
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雪が降る
2025年02月07日
朝の9時過ぎから雪が降りだした。一時は事務所の近くの道路の案内看板の字が読めなくなるぐらい視界を遮った。それも昼前には小降りになって、やがては止んだ。歩道に5センチ程の積雪を残して。
子供の頃の雪の思い出は山ほどある。竹スキーを作って山で滑ったこと。屋根の雪下ろしを手伝ったこと。家の前の坂道の一部をてかてかに光らせて夜帰ってくる親父を転ばせて叱られたこと。兄貴に素っ裸にされて雪の庭に放り出されたこと。
よく人に聞かせてあげることがある。私の小学校の通学路は4キロ程あった。よく積もった夜の明けの日の登校だ。近所の子ども達と懸命に雪をかき分けて、早めに出かけたのにそれでも10時頃に学校に着いただろうか。玄関に入ると用務員さんが出てきて言う。「今日は大雪で臨時休校だよ。」・・・電話も有線放送もない時代の滑稽な話である。
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宍道湖は荒れていた
2025年02月05日
朝起きて、外を見たら雪が舞っていた。出雲市の息子を見舞ってやりたいんだが断念した。もし、大雪になって道路が寸断されたらと思うと心が怯んだ。少々のことなら克服できた若さじゃあないんだから、慎重に慎重に。だが、宍道湖一周ぐらいなら大丈夫だろう。
千鳥町の宍道湖畔の駐車場に車を停めた。吹く風に向かって車を停めた。力いっぱい押さないとドアが開かない。それほど、強風だ。湖畔に佇むと、体が吹っ飛びそうだった。風に揺れながらカメラを構えた。いかん、水平がだせない。その強風に宍道湖がもがいていた。苦しんでいるように見えた。再び車に乗った。人間だって、そんな時もあるんだ。もがいていた昔の日々が脳裏に蘇ってきた。そして何とかなるもんなんだとそう思った。
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寒波襲来
2025年02月04日
今季最強の寒波がやって来た。今朝起きてリビングのカーテンを開けたら雪が降っていた。路上にはなさそうだが、瓦屋根は白くなっていた。早めに出勤して事務所のある上乃木に着いたら晴れてきた。雪そのものが降ったその形跡すらなかった。いつも思うのだが上乃木という地はなんて平和なんだろう。
先日の穏やかな日和に、接客カウンターの上に縄文の土器を置いてみた。柔らかい朝日が射してきて土器の凹凸のコントラストが強調されて美しかった。縄文の時代にこのカウンターの上の白さはなかっただろうに、だけど良く似合うと思った。土や木の葉の上が良く似合うのだろうに真っ白な平面の上も似合っていた。そして何故かこの土器は、連綿と続く生命を考えさせてくれた。日本人は皆何らかの形で同じDNAを持っているのかもしれないねと、そんなことを思わせてくれた。