店主日記
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カレー食べようよ
2025年03月30日
妻が亡くなって2年ほど経った頃だろうか、ある人と出会った。今でも、亡くした妻を想うと心苦しいのに、当時の私はそのことで相当に病んでいた。そんな私に、気持ちを強く持って頑張ろうなと言う人はたくさんいた。それよりも、そうだね、寂しいよね。悲しいよね。辛いよねと言ってくれることの方が心安らいだ。彼女はそんな人だったのかもしれない。以来、ほんの時々ドライブに誘っていた。
息子のことで、私自身の病気のことやらでこの頃気持ちが落ち込んでいた。苦しさを打ち明けたいと言うことでもないが、人と話したかった。内容は何でもよかった。とにかく人と話がしたかった。ちょうど、あるアパートのオーナーから頂いたあるカレー店の招待券があったのでそれをネタに昨日彼女を誘ってみた。
さすがにカレー専門店の昼ご飯は程よくスパイスが効いていて美味しかった。その後、夕方までドライブに付き合ってもらうことにした。目的地などありゃしない。60キロ前後のスピードで流れゆく風景は眼に心地よい。そんな車内でふたりの会話は途切れることを知らない。取り留めのない話が永遠に続いて、夕方自宅まで送って行って別れた。
話し続けて疲れたのだろうか、晩酌の焼酎のお湯割りは旨くてその効果が早くに眠気を誘った。そして夢を見た。「今日は話せてよかったよ。リフレッシュできた。沈んだ気持ちが楽になった。明日からまた仕事頑張れる。懸命に働くよ。ありがとうね。」・・・そんなことをひとり呟いていた。彼女心の友達になれるのかもしれない。いやもう心の友達なのかもしれない。
写真は彼女撮影。日乃屋カレー松江店のカレーと米子市内のけやき通り。
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桜
2025年03月28日
今年も公園墓地の入り口の桜並木の桜の花が開花した。どんよりと曇っていたので、スマホのカメラを空にむけるアングルでは写真にならない。やや下向きにしたところ桜の花びらはきれいに写った。しかしただ、バックに現実感が映ってしまった。でもこれはこれで良しにしようか。
この頃よく考える。思いにふけることが多くなった。一昨日のこの店主日記、石見銀山世界遺産センターの木製のベンチに腰掛けた10分間、あれは何だったのだろう。幼時の記憶から始まって、高校生になりフリーターになり結婚生活が始まって時々の出来事が繰り返し、そして現在に至った。たったの10分の間に。10分間もベンチにひとり腰かけたことなどなかったのに。
私にはいろいろあった。だけど、暗いことばかりではない。夜間高校生の時、昼間はある新聞社でカメラマンもどきをしていた。毎日、私が写した写真が紙面をにぎわした。誇らしかった。こんな高校生が日本中私の他にいるだろうかと思った。また、ずぶの素人が不動産業を立ち上げ、20年経営を続けている。痩せても、一国一城の主だものな。来月25日はカテーテルアブレーション治療だ。心臓もリセットできる。まだまだ頑張らなきゃあ。
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一緒にリビングで過ごそ
2025年03月27日
昨夕、いつものスーパーでいつもはのぞかないコーナーに行った。魚の干物を買うためだ。「特大さばみりん干」が500円程であった。シャワーを終えて魚焼きグリルいっぱいに広げた。俺が美味しく焼くからな、と台所に立つ時はいつも妻に話しかけている。だから待ってなよ、とそう言って。
こんがりと焼いたみりん干は旨かった。濃い目にこさえた味噌汁のしょっぱさと、みりんの甘さがぴったりと調和して美味しかった。テーブルには、いつもは仏壇に置いてあるキャビネサイズの妻の遺影がある。夕方帰るといつもそうしている。仏壇に行って、帰ったよと報告する。そして、一緒にリビングに行こうよと誘っている。そして美味しいなと、そう話しかけている。
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春の風が爽やかだった
2025年03月26日
石見銀山世界遺産センター前の駐車場に昼ちょうどについた。大森の町に行くバスの時間を確認した。50分の待ち時間があった。世界遺産に指定された当時、妻と来た時はバスは頻繁にあった筈なのにと思った。どうしよう。とりあえず木製のベンチに腰掛けた。日陰にいると、春の風が爽やかに感じられた。自動販売機で買ったペットボトルの水が美味しかった。
年配のカップルたちが目の前を通っていった。談笑しながら歩いていった。気に留めるでもなく眺めていると何故か私の遠い昔が蘇ってきた。その記憶は年代を追ってやがて現在に迫ってきた。そしてついさっき会ってきた入院の息子の顔になった。帰ろう、そう思った。50分の待ち時間は私に帰ろと言っているのかもしれない。
海を眺めながら国道9号線を走った。黄砂が遠くの風景を消していた。砂浜には相も変わらずさざ波が打ち付けていた。釣りもしたいな、と思った。でも今の私にそんな心の余裕はありゃしない。そんなことに心を動かしていたら急に魚が食べたいと思った。それも干物がいいと思った。干物の焼き魚なんてもう何年食べていないのだろう。時々妻が焼いてくれたのを食べていた。思い出すとそれが最後だった。だから今日は魚の干物を買って帰ろう。そう決めた。
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ごめんなさいと言って伏していた
2025年03月24日
昼過ぎになって急に空が暗くなった。そして間もなく雨になった。事務所前で踊っていたクスノキの葉たちも濡れて動かなくなった。今日も夕方ある程度きれいにしようと思っていた。明日の朝が楽だから。だけど濡れて無理かと思っていたらやがて雨は止んで晴れた。
葉たちはおおかた乾いてきた。夕方になったから箒と塵取りで履こうと思った。その瞬間、テレビコマーシャルのある画面を思い出した。「トノサマバッタだけど殿様じゃありません。」クスの葉たちは裃を着て地面に伏しているように見えた。私に、仕事の邪魔してごめんなさいと言って伏していた。
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クスノキの落葉
2025年03月23日
出勤してきたら事務所前に楠木の葉っぱが散乱していた。事務所裏にひと抱えどころか、そんな大木があって春になったら葉を落とす。それが風に流されて事務所前に吹き溜まる。朝30分かけて掃き清めても、1時間もするともう元の木阿弥だ。憎いったらありゃあしない。この状態が後1ヶ月続く。
春の陽気に誘われて葉っぱたちの運動会を眺めていた。風がさっと来て、彼らを巻き上げてつむじを作る。風が去っていくと、着地する時にカサカサカサと乾いた音を立てる。よく見ると、同じ葉っぱはふたつとない。大きさや模様、それぞれに個性がある。樹上では、それぞれにあったんだろうなと、そう思った。今役割を終えてほっとしてるのかもしれない。
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やっと春が来た
2025年03月21日
長い長い冬のトンネルを抜けて待ちに待った暖かい朝がやって来た。だが風が強い。暖かい風が吹きつけている。これを春一番と言うのだろうか。出勤してみればその風に乗ってクスの大木の葉っぱが事務所前に踊っていた。これとの格闘が我が社の春の風物詩だ。やっと、本物の春がやって来た。
この2~3日落ち着かない。心騒いでしょうがない。こんな時にはドライブに限る。ということで、仕事を済ませて銀行に行ったあと宍道湖一周することにした。どうして心騒ぐのかって。そりゃあまあ、私にもいろいろある。人に話せないことだってひとつやふたつ、心に抱えている。
左回りコースで行くことにした。湖面は茶色く濁っていた。南風が宍道湖の怒りを煽っているように見えた。岸壁が打ち付ける波を空に弾いて弾かれた波は勢い余って道路を濡らしていた。やがていつものように道の駅「秋鹿なぎさ公園」に立ち寄った。先日までホットだったのに、無意識に冷たい缶コーヒーのボタンを押していた。
写真は先日、湖東中学校の正門横で見つけた背丈5センチほどの花。名は知らぬがシロツメクサ種らしい?・・私のスマホは接写向きかもしれない。
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君はなんて花
2025年03月20日
先週の12日、暖かな春らしい陽射しが降りそそいでいた。私の誕生日を祝ってあげるって人を湖東中学校の玄関横で待っていた。少し遅れるよってラインが届いた。そんな幸せそうな日には心穏やかになる。そんな時、何気ない草花にも目が留まる。懸命なんだね、君たちも。
ちょうど今時分なのだろうか、私の当時の断片的な記憶は。幼い頃の我が家には板張りの縁側があった。雨戸は全て戸袋に納めてあった。庭一面にはまだ残雪が広がっていた。穏やかな春の日差しを体いっぱいに浴びた私がその縁側にちょこなんと座っていた。どうして私が私の姿を俯瞰しているのだろう。穏やかな記憶ってそんなものなのかもしれないよって、小さな草花が私に囁いていた。
多分この花イヌフグリの一種だと思う。普通、イヌフグリは集団で咲くものなのだろうが、なぜか一株だけがここに咲いていた。だから私が写真に撮って店主日記にアップしてあげる。ひとりでも、多くの人の目に触れさせてあげる。
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人生って、なん
2025年03月19日
安価なスマホの写真の解像力は、15年前に買ったデジタル一眼レフカメラに比べたらはるかに劣る。接写だとそうは思わないが、風景写真になるとその結果は歴然とする。今日は定期通院の日、時間が早かったのでぶらっと宍道湖畔に立ち寄ってみた。春の彼岸だと言うのに、遠くの山には白く雪がかぶさっていた。
湖面に、数十羽の鴨が浮かんでいた。一様に波の揺らぎに体を任せて漂っていた。何気なくその姿を見ていてふと思った。幸せかいって。彼たちは何思うのだろう。そして何を悩むのだろう。それにしても、人の一生って悩みが多すぎる。なぜ、こんな人生を生きていかなきゃあならないのだろう。
夕食はお好み焼きにすることにした。入浴を早くに済ませた。ネタを、28センチのフライパンいっぱいに広げた。表裏とも30分ずつ。テレビの相撲中継が終わったら大リーガーが始まった。今日特別奮発して買ったアサヒのスーパードライが旨かった。酒は、何もかも忘れさせてくれる。え、まるで美空ひばりのセリフだね。でも、悲しい酒じゃないよ、楽しくなるために飲むんだよ。
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四股を踏む
2025年03月17日
キャノンのデジタルの一眼レフにワイドレンズを取り付ける。それに純正の外付けの散光フィルターのあるストロボを取り付ける。これが私の物件撮影の機材だ。洗面所を写す時、困ったなあと思っていたことがある。良いアングルを探す時、私の体が鏡に映ってしまう。だがすぐに開き直った。かえって愛嬌があって良いのでは。
今朝早く、レターパックを買いにいつもの近所のコンビニに行った。他にレジを待つ人もなく、いつものように話しかけた。「この間ね、久し振りに体重を計ったよ。そしたら48.5キロ」そしたら女店員さん「ええ!・・もっと食べなきゃあ駄目ですよ。」
やせの大食いとは言わないが、結構食べている。仕事の合間に踏む四股がいいのかもしれない。片足上げてすとんと落とす。両足地面に着いたら腰割。そしてまた反対の足をあげる。これを片足10回ずつをいちにち3セット。この頃ヒップアップして歩く姿が軽やかにカッコいい。
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せめて心安らげ店主日記
2025年03月14日
店主日記を書いていると心安らぐ。毎日書くのが「かあちゃんの詩」。これは、天国にいる妻に話しかけるように書いている。もう6年半書き続けている。一生書き続けるつもりだ。そしてこの店主日記、私のこころの揺れ具合をそのまま綴っている。時には社会に話しかけたい時もある。沈黙してるより増しなのかもしれない。そう思うとせめて心安らぐ。
午前中、早めに出勤してきて息子に会いに行った。月に2度は会ってやりたい。入院してもう7年目がやって来る。半年前から自傷行為を防ぐために、身体をロープでベッドに固定されている。こんな悲惨な人生があっていいものだろうか。腹が立つ。そうせざるを得ない病院にではない。絵空ごとの憲法第25条にだ。絵空ごとにさせているその行政にだ。
先日の風呂上り、久し振りに体重計に乗った。なんと、針は48.5キログラムを差していた。成人してから初めてかもしれない、50キログラムを切ったのは。先日の1週間ばかりの入院のせいなのか。それとも毎日踏む四股のダイエット効果なのか。四股まではいかなくても、四股を踏む準備の体の動きの腰割だけでもいいらしい。体幹を鍛えるとか。
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生涯現役でいたい
2025年03月13日
喉の渇きで目が覚めた。台所に立って、コップで水を3杯続けて飲んだ。冷たい水が、味もしないのに美味しいと思った。そしてよく寝たと思った。時計を見ればまだ6時半。鏡に映った髪の毛はぐちゃぐちゃに崩れていた。9時にはもう寝たんだから、9時間半も眠り続けたことになる。
パンを牛乳で流し込んで、8時前には出勤して来た。早く出勤して来たのはずいぶん久し振りだなと思った。妻が亡くなってからは眠れなくて、朝早く目覚めて、暗いうちから出勤していた。茶臼山に昇る朝日を事務所のガラス戸越しに見つめていた。妻はどこで私を見ているのだろう、そう思いながら。・・・そんな日々を思い出しながら、落ち着いたものだと思った。やっと、妻の死を受け入れたのかもしれない。この頃はよく眠る。
記憶は昨日の昼間に遡っていた。この頃行ったこともない焼き肉店だ。久し振りで食べる焼き肉は美味しかった。乾いたひとり暮らしの心に潤いを与えてくれた。旨いものにはビールが良く似合った。もっと話したかったが、相手は忙しいらしい。午後一の予定があるらしい。車で自宅付近まで送ってもらった。
ある程度、酒が入るのを予想していたので掃除などは朝のうちに片付けておいた。品切れていた酒も買って来ておいた。水曜日の、私が行く酒のディスカウントショップは特売日だ。開店直後に行ったら年寄りの姿が目立った。これが唯一の楽しみの人もいるかもしれないなどと思えた。だけど私は一生現役でいたい。死ぬまで働き続けたい。働くのを生き甲斐としたい。そう強く思った。
よし、今日はとことん飲もう。飲みながら考えてみよう。そう思った。誕生日と、快気祝いだと言ってごちそうしてくれた相手の分身が言った。何歳ですか、と。75歳、後期高齢者だよと答えた。若いですねと褒めてくれた。生涯現役と考える私の考えていることと、相手方の人生が一致するのだろうか。可能性を見出してみたい。そんな悩みの尽きない私なのである。だけど悩める幸せがある私なのである。
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本当の春が
2025年03月10日
今朝遅く目覚めた時、曇り日かなと思った。しばらく布団の中で本当の起床時間を待っていたらカーテンの隙間に陽射しを感じた。カーテンを開けてみたら外は霧。それが薄くなりかけた所から太陽がのぞきかけていた。しばらくしたら春の陽光がいっぱいになった。
今月3日のテレビニュースだ。大田市の石見銀山の大森の町のあちらこちらに雛人形が飾ってあると言っていた。期間は3月3日から4月3
日まで?だったかな。雛祭りの日が誕生日の私は行ってみたいと思った。雛人形は私のスマホのラインのアバターだ。チャンスは26日の水曜日のいち日だけ。必ず行く。
晩御飯は数少ない私の楽しみのひとつだ。昨夜はよく作る鶏のもも肉のステーキにした。焼むらをを防ぐために肉の所々に包丁を入れる。味付けは塩コショウのみ。それを豪快に28センチのフライパンに広げる。周辺に包丁の腹でつぶしたニンニクたっぷり。キッチンペーパーで油を丁寧に拭きとる。さあできた。ニンニクは私にとっては野菜の一種。これにサラダを添えた。
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カキドオシ
2025年03月09日
朝は放射冷却で寒かった。だがやがて春の太陽が照り付けて暖かくなった。その陽気に誘われて事務所周辺を散策した。カキドオシの群れの葉の中にピンク色の花を咲かそうとしているのを見つけた。確実に春に向かっている。まだ一株だったが花を咲かそうとしていた。
入院の反省に、もう一杯飲みたいのを我慢することにした。従って睡眠時間が増えた。が、よく夢を見る。毎夜のように、病院のベッドに身体拘束された息子の顔が夢に出てくる。可哀そうで胸が苦しくてうなされる。そして汗をかいて目が覚める。現実の夢を見るようになった。
そんな苦しさをひとりで悩むのは辛い。事務所には、私の机にキャビネサイズの妻の遺影を置いている。先日から妻の遺影を私の正面に向けることにした。ひとりの事務所だが、椅子を置いた4っつの机があって、時々移動する。妻もその度に移動する。そうしだして感じた。安心だなと。妻が私を励ましている。
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チャーハン
2025年03月08日
時々夕ご飯に焼き飯を作る。とっても手っ取り早くできて、しかも美味しい。また作るのも楽しい。ひとり暮らしにしては大きな28センチのフライパンを振って、米粒が空中に舞うのを見ると何とも言えない快感がある。その昔、誰かが私に言った。フリーターをやめて堅気の職に着いた時、あの腕、もったいないよ、と。
ひとり暮らしの女性の学生さんが借家人賠償責任保険の更新に来た。だけどこの20日に退去して実家に帰るらしい。でも、10日余りまだあるからと。そうだね、安心は僅かの日にちでも必要だからね。何が起こるか分からないからね。そう言って解約返戻金受取の書類を渡した。
そして、ひとり暮らしは楽しかった、と聞いてみた。楽しかったです。実家に帰るの少し気が重いな、とも。そうだよね、私の娘も、私とふたりで暮らすのが嫌なこともあって東京に行っちゃった。でも、夢があったみたいだから、その夢は叶えてやりたかったな。あれから6年が経つんだよ。
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有難うございました
2025年03月06日
私が入院している日に、私たちの仲人だった人が亡くなったという知らせが届いた。入院中に、葬儀は執り行われた。私たちの仲人は、私の中学生時代の英語の先生だった。退院して雪の心配もなくなったある日、奥出雲町の先生の自宅を訪れた。留守だった。玄関にメモと一緒に香典を置いてきた。
先日、留守をしていて申しわけなかったと、息子さんから連絡を頂いた。息子さん、私たちのことを良く知っていてくださっていた。実のところ、私は息子さんとは面識がない。だが、あれだけ私たちのことを知っていらっしゃっるとは思ってもいなかった。先生は、それだけ私たちのこと、気にかけて頂いていたのだと思った。私たちのこと、家庭で良く話題になさっていたのだと分かった。有難いと思った。感謝の気持ちが胸にあふれてきた。
写真は先日のテレビニュースでの一場面だ。出雲市と岡山市を結ぶ「やくも号」、段階的に新型車に替わった。こうして、新旧同時にその姿を見るのはこれが最後だとか。大の鉄道フアン、将棋の藤井聡太七冠が出雲市にやって来たらしい。若い頃、岡山からの仕事帰りにやくも号に良く乗った。食堂車で飲んだ酒の味が懐かしく思い出された。
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誕生日
2025年03月03日
今日の3月3日は私の誕生日だ。私より、10歳若かった妻が7年前に亡くなったから、私は妻より17年間も長生きしていることになる。今朝も雨の中で墓石に話しかけた。なぎさ、今日は俺の誕生日だよ。これからも、君の分まで長生きするよ。そして、君はいつまでも俺の心に生きているんだよ。だからこれからもふたりの人生だよ。
昨年の秋に、宅地建物取引士の免許更新をした。暮れに、不動産業の県知事免許の更新を終えた。これで後5年間は営業できる。そして先日、自動車運転免許の更新を終えた。今日、新しい私の誕生日を迎えた。何もかもリセット完了。新しい気持ちで生きていく。
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プロの味
2025年03月02日
昨日はあんなに穏やかで暖かだったのに、今朝目が覚めたら雨が降っていた。予報では、昨夜の早くから降ると言っていたので一晩中降っていたのかもしれない。出勤コースの途中に風景はぼやけていた。水蒸気は遠くの山の風景を消していた。
昨夜、焼きそばを作った。肉と野菜と麺をフライパンに入れて炒めてソースをかければ出来上がるのだろうが、私は少し違う。焼きそばと言うからには、そばを焼く。こんがりときつね色になるまで焼き上げる。そうすると食する時、焼きそばのそば感覚が何ともたまらないのだ。
昨夜もそうして食べた。最初は旨いと思った。が、半分食べ終わったところでそうでもない気がしだしてきた。その時、同級生と昼に食べた「ふじな亭」の食事を思い出した。昼はパンひとつの私に食べきれるだろうかと思うほど、品々は豊富で量も多かった。
ところがである。私の席に置かれたその品々は見る見るうちに減っていった。お腹いっぱいと言う、その感じすらない。もちろん途中で味変するなどもない。美味しく美味しく米ひと粒も残さずに平らげた。夜焼きそばを食べながら思った。あれが本当のプロの味なんだ、と。
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シンメトリー
2025年03月01日
集合場所は松江の老舗、皆美の支店の「ふじな亭」。米子市のメンバー二人が今日の主人公だ。その助っ人に松江市の4人が加わって6人の集まり。今度の7月7日に行われる同窓会の打ち合わせだ。担任の先生の米寿のお祝いのこともあって、念入りの打ち合わせだった。
1時間半ほどで打ち合わせは終わった。ほっとした気持ちで背面にあった宍道湖を振り返った。波ひとつない湖面に浮かぶ幾本かの竹の杭。同じ形が反対向きに湖面に写されていた。シンメトリーと言う言葉が妙に心を揺さぶった。人と人の心にシンメトリーなんかありゃしないのに、とふとため息をついた。
昨日のお客さんも、知的障害を持つ子との暮らしに悩んでいた。先日の一週間の入院生活で我が家に溜まった新聞受け、それを見た人たちで大騒ぎになったとか。同じ子のことでも、でもどこかが違う。たかが新聞で、本当は心配なんかしていないのに、思いの何かが違う。人と人の心はシンメトリーなんかになりゃしない。だから、傷つけ合って生きていくんだね。