店主日記
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不思議
2020年07月27日
4連休最後の日、と言っても我が社に連休などない。カレンダー通りに毎週水曜日と第2火曜日に休むだけである。しかし、土日祭日は1時間ほど早くに終了する。昨日も5時に終わって5分で家に帰って3分ほどでシャワーを済ます。
至福の時間だ。大相撲の最後の何番かをテレビ観戦だ。その時飲む缶ビールの味は格別だ。テレビに釘付けになっていてふと気が付いた。テーブルの向こうの方にあったはずのビール缶が手前に移動している。テーブルの上にその足跡がはっきりと残されている。
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久し振りに娘と食事
2020年07月26日
この頃、人と一緒に食事したことがない。男の友達とはそんなことしたくもないし、女性の友達もいるにはいるが食事まで一緒にというのはいない。朝も、昼も、夜もひとりぼっちの食事をしている。近頃はそれにも慣れた。
昨夜、尾道に嫁いだ娘が帰ってきた。3月の三回忌の法要の時会って以来である。夕方着くと言うから寿司と、ビールと、ワインをそろえるために奮発した。早めに帰って久しぶりに風呂にお湯をためた。待つこと1時間、玄関の扉が開いた。
家族の間では、私は寡黙なほうだった。子供たちと妻との会話を聞いているだけ、そんな父親だった。だけど昨夜は違った。よくしゃべった。私って、こんなにも話ができるのかと思うほどよく話した。そんな中、かあちゃんの物も処分しなければと思うんだがって私は言った。でもそれができないんだ、って。そしたら娘、置いときなよ。最後は私が片付けるから。ずうっと置いときなよって言ってくれた。嬉しかった。
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定休日の一日
2020年07月23日
休みでも早くに目が覚める。コーヒーを飲み終わったら焼き卵作ってパンと牛乳で朝食完了。各部屋に掃除機をかけて、仏壇の一週間の埃をふき取る。銀行が開く9時前に出かける。我が家の月末の支払いに通帳の調整をする。自治会会計通帳から支払い分を引き出す。公民館に支払う。
花屋に行って1000円余りの花を買う。墓参を済ます。そしてボウリング場だ。どうやら、難しいレーンに当たったようだ。ストライクが出ない。それでもスペアでつなぐ。4ゲームしてアベレージ170程か。プリント貰うの忘れた。
出雲市の息子の病院に向かう。支払いを済ませ、新しい保険証を提示する。コロナで面会できないのはもどかしい。入所の掛合町へ届け物をするために向かう。そう、息子は重度の自閉症で施設に入所している。途中、須佐神社の隣で割子蕎麦を頂く。買い物済ませて帰ったら午後4時30分。仕事の日より忙しい。
運転する車内は山本潤子の曲が流れている。この瞬間が一番心安らぐ。しっとりと歌う山本潤子の透き通った高音が美しい。女性の優しい声が懐かしい。潤子の声が妻の声とだぶっていく。車内の妻の存在が嬉しい。仲良しだった妻との思い出が嬉しい。妻は私の中に生きているって感覚が嬉しい。
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ヒグラシの初音
2020年07月20日
大相撲が始まった。5時に仕事を終え、5分で帰ってすかさずシャワーを浴びた。リビングのソファーに座って缶ビールを飲みながらテレビの大相撲を見る。この瞬間が一日で一番嬉しい。
最後の一番で隠岐の海が白鵬に負けた。刹那、正面の茶臼山からかすかな鳴き声が聞こえた。テレビのボリュームを絞り、耳を澄ます。ヒグラシだ。ヒグラシの初音だ。2匹ほどだけど、お互いに呼応するように鳴き合っている。
昨年の日記を見た。7月18日にこの初音を聞いている。今年は19日。自然ってすごいな。寸分の狂いもなく回っている。この初音を聞くと、幼かった頃の田舎の我が家を思い出す。
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朝
2020年07月19日
日記付けながらコーヒーを飲んで、youtubeで山本潤子の歌を聴く。少しボリューム上げて「緑の季節」を聞きながら、いつ聞いても声が美しい。玄関に出てみる。開けっぱなしの玄関ドアから、山本潤子の声が聞こえてくる。透き通った美しい高音ががよく聞こえてくる。今8時15分。静かだなあ。
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旅の実行
2020年07月16日
14日、墓参を終えて9時出発。西に向かって走ることにした。どんよりと、いつ泣き出すのだろう空模様である。ところが、出雲市を過ぎたあたりから晴れ間も見えてきた。快調に走って江津市についた。町の様子が見たくて旧国道9号線を走る。江の川を渡る時、濁流を見た。すさまじい流木の数。赤茶く濁った水は海をはるか向こうまで染めている。
津和野に着いた。今日はここで泊まろう。ビジネスホテルを予約し、車を預けて歩くことにした。また降りそうな空模様。傘を持つ。駅前ホテルからはるか遠いところに森鴎外記念館がある。旧宅を見た。裏庭に、桔梗と女郎花。記念館は私一人。受付の女性と少しばかり話す。
15日、朝早くに太鼓谷稲荷神社を訪れた。霧雨で、赤い鳥居と赤い社殿が映えている。町並みがかすんでいる。こんな風景もまたおつなもの。8時、帰途につく。日原の道の駅でお土産のビスケットを買う。行きはよいよい帰りは空しい。旅って、何のためにするのだろう。明日の英気を宿すため? いやいや、寂しさの再確認のため。でもまた旅しよう。
妻のいない悲しさに耐えきれず、車で江津に走って渡部陽一氏の写真展を観た。江の川の氾濫を見た。あれからちょうど2年。えぐられるほどの痛い悲しみは今はない。だがそれは、深く大きなって静かに私を泣かす。
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旅
2020年07月12日
旅と旅行の意味はどう違うのだろうと、20年前に買った集英社の国語辞典で引いてみた。
旅=家を離れてある期間、ほかの土地へ出かけること
旅行=旅、旅すること
とある。何だ、一緒じゃないか。だけど、私は旅という言葉が好きだ。旅と言えば、さすらうような意味を感じてしまう。旅行と言えば、計画を立てたものを言うような気がする。だから私は旅と言う表現がが好きなのである。
今度の14日と15日は月に一回の我が社の連休の日だ。朝早くから、車に乗って出かけようと思っている。狙いは西。ただそれだけ。走れるところまで走ってみようと思う。宿泊は、泊まりたくなった町で宿をとる。風呂と、わずかばかりの夕食と、そして酒。できうれば、話好きな亭主が居れば。
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七夕
2020年07月07日
子供の頃、旧暦の7月7日だったかもしれない。竹を切って来て、兄弟仲良く短冊に願い事を書いて吊るした。それを家の前の川に持って行って立てたものだった。そんな、生きていく切なさを知らない無邪気な頃が懐かしい。
野生でひとりで生きていけない、親からはぐれた子供や傷ついた動物をを保護する施設がある。成長したら野生に返すのだが、その子たちに野生の中で再会するテレビ番組があった。その子たちは、当時なついていた保護士を覚えている。どんなに大きくなっても、何年も会わなかったのに覚えていてる。そして甘えていた。もし人と人なら、一層のこと会いたいと思うだろう。いや、会いたい。年に一度でいい、織姫と彦星のように。そして抱きしめたい。
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涙
2020年07月03日
昨夜、久し振りに池江璃花子さんがプールで泳ぐ姿をテレビで見た。白血病で抗がん剤の辛い副作用に耐え抜いて、そして病を克服した。また強くなったと彼女は言う。笑顔が可愛い。そんな経験をした彼女だから、あの笑顔が生まれるのだろう。見ていて、嬉しくて、涙が出てきてしまった。
涙と言えば、私はよく涙する。始業前にする墓参が私の日課になった。事務所から車で6~7分の所に妻が眠る公園墓地がある。出勤して、掃除して、電気をつけて、毎日つける日記「かあちゃんの詩」つけて、そして車に乗って墓参に向かう。
走る車の中、次から次と在りし日の妻の思い出が心の中をめぐっていく。在りし日の妻の姿が懐かしい。在りし日の妻の笑い声が懐かしい。喧嘩したあの日までもが懐かしい。何もかもすべてが懐かしい。もうすぐ着くよって妻に語りかける時、もういちど会いたいなって思った時、涙のしずくが頬をつたって落ちていく。