店主日記
-
春が来た
2024年03月29日
昨夜、なぜか寝付けなかった。しょうがない、もう一杯焼酎のお湯割りを。飲み終わったら深夜の1時前。と言う訳で、今朝は開業時間のぎりぎりまで出勤時間を伸ばした。でないと、万が一酒気帯び運転などになったら仕事ができなくなってしまう。宅建免許がなくなってしまう。
明後日朝、貸店舗の鍵渡しがある。その店舗に3か所設置してある鍵の作動の確認にお昼過ぎに向かった。案の定、1ヶ所の鍵が開かなくなっていた。持参のオイルで開錠も快適になった。これで準備OK。4月1日の鍵渡し、安心して行える。
それにしても今日は暖かだ。そんな陽気が私を誘った。ちょいと足を延ばしてみたい、そんな気持ちになった。意宇川の流れの水の乱れが陽光を弾いてきらきらと光っていた。その上の桜の大木がわずかの数だが花びらを開いていた。わずかでも、この木の開花宣言には文句はないと思った。やっと、本物の春がやって来たんだ。そんな無言の言葉が心を巡っていった。
-
オオイヌノフグリ
2024年03月28日
昨日は定休日、入院中の息子への面会日だった。遅い朝食を終え、墓参を終えて出雲市に向かった。空は晴れ渡っていた。西に向かう私の車の後部座席に太陽の光が差し込んでいた。直接にそれを浴びるのではないが、暖かかった。久し振り見る、晴れ渡った空だった。
いつもより、息子は元気そうだった。顔にも明るさがうかがえた。こんな息子を見るのは嬉しい。元気のない、鬱屈した息子の顔を見るのは辛い。だけどこの日の息子は明るかった。良かった、良かったと胸をなでおろした。じゃあ来月また来るからな。
息子と別れて、回り道して帰ることにした。立久恵峡を通る時、木漏れ日がフロントガラスに差し込んできていた。次から次とフロントガラスから差し込んできた。私は今、どこを走っているのだろう。走馬灯の中を走っているのだろうか。そんな錯覚を覚えたほど、それは幻想的だった。
長いトンネルを抜けると掛合町に入った。すれ違う車もない。なんて静かな道なんだろう。道路わきの草むらに、オオイヌノフグリの花が群がっていた。あちらこちらに群れをつくっていた。上着を脱いだシャツ姿でスマホをもって車を降りて行った。昨日まであんなに寒かったのに、寒くなかった。むしろ、太陽の光を背中に受けて暖かかった。温かくて気持ち良かった。
-
今日も雨、便りを書こう
2024年03月26日
今日も朝から雨が降っている。気温は春の柔らかさになってきた。天気が良いのは気持ちも晴れるが、私にとっては雨模様もまんざらではない。なぜなら、乾燥肌に少し、潤いができるからだ。気温が低くて、晴れた日に、エアコンの中にいる時ががいちばん苦痛なのである。
先日、そんな私の元に同窓会の誘いの便りが来た。高校生時代の、当時の担任の先生の米寿の祝いだと記載されていた。コロナ禍の中、しばらく途絶えていた同窓会。何年振りなのだろう、懐かしい。先生の顔、友の顔が次から次と巡っていく。あいつにも会いたいな。
でも、今回は行くのよそう。まだまだ私には楽しめそうにないから。幸せそうな人たちと、語らうのは苦痛。そんな気持ちが続いている。妻が逝ってしまってから、もう6年の月日が過ぎ去ったのに、楽しく笑う心を忘れてしまった。懐かしい顔が見れないのは寂しいけれど、今日は不参加の便りを出そう。
-
七回忌を終えた心の中
2024年03月20日
昨日の正午発の東京行きの飛行機で、長女と孫と末娘が帰って行った。見送り終えて事務所に帰ったら、孫と遊んだ疲れがどっと出てきてしまった。孫の有り余るエネルギーのすごさを感じた。長女は来月広島へ、友達の結婚式出席のために帰って来る。だからまた会えるから寂しさは半減していた。
今朝目が覚めて、疲れの気怠さがなくなったと感じた。体の気怠さがなくなると、心の動きは逆に活発になるらしい。娘達のこと、孫のこと、そして亡くなった妻のこと、それらが心の中に沸き起こって来た。いろいろな思いが次から次と心の中を駆け巡って行った。そして、それぞれの思いが私の過去の人生とこれからの人生のそれぞれに絡んでいった。
-
一夜明けて
2024年03月18日
昨日、七回忌を無事に終えた。お寺が終わって、三々五々、お食事処の皆美館に向かった。足の弱い人は私の車で、達者な人は寺町から歩いて向かった。途中、山陰合同銀行の本店の14階、最上階にある展望所に立ち寄った。参加者は、県外の人ばかりで、宍道湖が高い所から見れるなんてと、感動していた。白潟公園で催しがあるらしい。人々が豆粒のように見えていた。
七回忌は、それまでの一回忌や三回忌とは違った趣を感じた。三回忌までは、夢を見ているのではないか。またいつか、ひょっこりとどこかでなぎさが顔をだすんじゃないか。そんな思いが心にあった。いや、そうであって欲しい。その願望だったのかもしれない。
だが、七回忌を終えた今、そんな甘い気持ちはない。なぎさの死は、現実なんだ。もう、二度と会うことなんかないんだ。そう思うようになった。足が地に着いたのだろうか。ひとりで生きていかなくちゃあ。私ひとりで頑張らなくちゃあ。・・・決意なのかもしれない。
-
微笑んで草むらに
2024年03月16日
暖かい朝を迎えた。東向きの我が事務所は、朝日が射しこんでいて暖かい。エアコンのスイッチも入れないまま、この店主日記を付けている。少し前、陽気に誘われてカメラを持って隣の草むらに行ってみた。名前は定かではないが「ホトケノザ」だろうか、私を見て微笑んでくれた。
いよいよ明日は妻の七回忌だ。一昨日の夕方、長女が孫を連れて出雲空港に着いた。孫は、私を見るなり怖気づいたようにそっぽを向いてしまった。だが、我が家に着いたら思い出したように、ほっとした表情を見せた。そして抱っこも許してくれた。
そして今夕、姉と同じ時間の飛行機で末娘が帰って来る。孫を連れて迎えに行くことになっている。会うのが楽しみだ。そして明日の午前10時半、お寺に行くことになっている。妻の弟夫婦、妹親子、そして従弟がやって来ることになっている。妻も待ち遠しがっているに違いない。
そしてこの七回忌、四十九日にも、一回忌にも、三回忌にもなかった感情が湧いてきた。妻が恋しくてしょうがないこの気持ち、会いたくてたまらないこの気持ち。どうしてこんな気持ちになってしまうのだろう。心が乱れている。すごく気持ちが乱れてしまっている。なぎさって、何度も何度も呼び掛けている。
-
移動パン屋さん
2024年03月14日
3週間ほど前から木曜日の昼前の一週間に1回、移動パン屋さんがやって来るようになった。パンの種類は豊富だし、そして美味しい。私の昼ご飯はしばらく前からパン食になっていた。だから大助かり。余分に買っておいて、夕方のおやつにもいい。今夕方の5時前、てりやきチーズバーガーが美味しかった。
夕方、出雲空港に長女が孫を連れて帰って来る。朝、松江警察署内にある交通安全協会に、予約しておいたチャイルドシートを借りに行った。それ以降、時間の経つのが遅い。孫に早く会いたいのに。後1時間したら、出雲空港に向かって出発だ。長女がどんな顔して下りてくるやら。孫はどんなに大きくなっているやら。楽しみだな。
-
イズモコバイモ
2024年03月13日
春の妖精、「イズモコバイモ」が川本町の谷戸地区で今見頃らしい。島根県のみに自生する希少植物で絶滅危惧種らしい。何もなかったら見に行くのだが、明日の夕方には七回忌に合わせて長女が帰って来る。部屋の掃除やら、お墓の掃除やらで忙しいので行けそうにもない。この写真は2年前に行った時に写して、店主日記に使った写真だ。
何やかにやどうやら片付けて、ドライブに向かうことにした。ぐるりと中海を回ってみよう。米子空港のあのミュウジック道路を通ってみよう。ゲゲゲの鬼太郎のテーマソングをあの道路に聞こう。そう思って走り出した。エンジン音は今日も快調そうだ。
18曲入りのCD12枚が順番にひとりの車内のムードを潤す。しばらくすると、かぐや姫が歌う「赤ちょうちん」の順番がやって来た。聴いていると、「生きてることはただそれだけで、悲しいことだと知りました」、と歌った。いつもこの歌詞を聞くと、ここで胸が詰まってしまう。
そう言えば、妻とふたり車の中で一番多く聞いた曲はこの赤ちょうちんなのである。私がこの歌が好きだったから、もう一度聴こうよと言って繰り返すのだった。だから他の曲と比べたら、倍以上の回数をふたりで聴いたのかもしれない。今日も、何度も何度も繰り返し聴いていた。そして隣の助手席に妻がいるような、そんな錯覚が嬉しかった。
-
日誌
2024年03月11日
七回忌法要が六日後に迫ってきたからだろうか、仕事が手に着かない。ふたりの娘が帰って来るからだろうか、それとも孫に会えるからだろうか。妻の魂により深く触れ合える、そんな気がする法要が近づくからだろうか。なんだか私自身でも分からないが落ち着かなくて、そして仕事が手に着かないでいる。
妻が生前最後の日まで付けていた日誌風メモ帳がある。それが、私が事務所に持って来た末娘が使っていた小さなステレオの、その本体の横に立てかけてある。妻が恋しくなった時、時々開いて見ている。懐かしい。几帳面な、その反面、大きく崩した文字が懐かしい。
最後の文字に「あーすけが事ム所へ」とある。あーすけとは、私が長女の名前の頭文字のあを取って「あー助」と呼んだのが始まりだ。普段、妻は「あ・・・ちゃん」と呼んでいたのだが、メモにはこんなふうに書いていた。長女が何かをコピーしに事務所にやって来たんだと思う。
この日記の、早いページあたりに月別のカレンダーがあって、そこに予定を書き込むようになっている。この写真は、3月3日、私の誕生日なのである。「OTO」とあるのは、「お父」という意味であるが、自分を含め、家族全員の誕生日に、それぞれの名前と共に、このように書き込んでいた。どんなに家族思いな、どんなに家族を愛した、妻だったのだろう。
-
来週の日曜日
2024年03月10日
今度の日曜日は妻の七回忌の法要を執り行う。私が喪主として行うのはこれが最後の法要になるのかもしれない。そう思って一期一会の覚悟でするつもりだ。・・・ここまで書いて、はっと思った。そうなのか。だから違うんだ、三回忌の時の気持ちとは。
その日の休業の、事務所への貼り紙用の原稿をパソコンでこしらえた。妻の七回忌の法要のために、と正直に書いた。来店のお客様にも納得いただけるだろう。そして日付は17日(日)と18日(月)と連休にした。せっかく遠方から帰って来るんだから。その二人の娘との関係を確かめ合おう。月曜日はその日に当てよう。罰は当たりはしないだろう。
写真は、鳥取市の白兎神社の参道だ。妻とのデートの思い出の場所の一か所だ。でも、あの時とは雰囲気が全く違う気がする。だから、これも冥途への土産話になるのかもしれない。樗谿公園がそうであるように。賀露港の市場やレストランや、そして海がそうであるように。
-
雪が降る
2024年03月09日
3月の半ばに入ろうとしているのに、出勤の車のフロントガラスに薄っすらと雪が載っていた。ワイパー動かしたら右側のピラーにいっぽんの棒になって張り付いた。事務所に到着したら粉雪が降ってきた。それもほどなく降り止んだ。
午後、予約があった貸店舗の案内に行った。ちらほらと、時々雪が落ちてきていた。雪は空から降りてきて、地上すれすれで風に舞って姿を消していった。寒い。厚手の防寒コート着てきたのに寒い。お客さんは薄着なのに平気な顔。私には、身がないからだろうか。
事務所に帰ってパソコンのキイボードをたたいた。両手には、赤切れのひびが4本の指にある。そのひびが、何かに当たると悲鳴を上げる。だからキーを打つ指が痛い。そのひびは、傷跡を残して一週間あまりで治っていく。その頃には、また違う箇所がひび割れていく。もう何ヶ月、このひび割れと戦っているのだろう。通勤リュックのポッケには、常にカットバンが入っている。
-
あと13日
2024年03月04日
昨日は私の誕生日だった。3月3日の雛祭りの日、子供の頃にはよくからかわれた。誕生日を人に聞かれるのが嫌だった。「女の子みたい」。必ずと言っていいほど、その言葉が返ってきた。だけど今では、自慢げにしゃべる。俺の誕生日は雛祭りなんだよって。昨夜のために買っておいた北条ワインのコルクを抜いた。好きな鳥取県、ワインも美味かった。
後13日で妻の七回忌がやって来る。心騒ぐから、それまでにやっておくことは済ましておこうと考えた。昨日仕上げた確定申告書、午前中に税務署に提出してきた。法要の花と、果物の注文を終えてきた。礼服のネクタイと、白いワイシャツも新調した。
そんなんで頑張ったせいか、頭痛がしてきたので心鎮めるために中海を眺めることにした。いつもの駐車場に車を停めた。黄砂のせいか、対岸が霞んでいた。若い釣り人がひとりいた。釣れますかって聞いたら「何にもつれません」。狙いは何ですかって聞いたら「スズキです」。じゃあ頑張ってください、そう声をかけてそこを後にした。
-
なんとなくなんとなく
2024年03月02日
昨夜、7時に目覚まし時計をセットして寝た。早朝の5時にいち度目が覚めた。再び目をつむったらすぐに眠れた。鳴った目覚まし時計を止めてもう少しと、そう思って目が覚めたら8時になっていた。なぜだろう、この頃よく眠る。慌てて家を飛び出したら雪がちらついてきた。寒いなあ、もう3月なのに。
先日の定休日、安来市の道の駅「あらえっさ」で葉つきのダイコンの大きいのを一本買ってきた。そして夕食は肉団子の鍋料理。その鍋の中にダイコンの葉を入れてみた。おや、いける。それに、フライパンでこんがりと焼いた肉団子とダイコンは相性がいい。
先日のある日のこと、ある人と鳥取に向かった。道の駅「西いなば気楽里」で日替わり定食を食べた。いつもはカレーパンひとつとか、そんな質素な昼食の私だ。突然、こんなごちそう食べるものだから胃袋もさぞびっくりしたことだろう。ちなみに、このハンバーグ旨かったし、値段も手ごろだ。
この道の駅を少し南に行った所に鹿野町がある。古代、鹿が沢山いたのだろう。だがそこに、尼子氏の武将「我に七難八苦を与えたまえ」と尼子氏再興を願って奮闘した「山中鹿之助」の墓がある。岡山県のを分骨したそうだ。鹿野町、鹿之助、偶然だろうな。
-
鳥取の白兎神社
2024年03月01日
大きな袋肩にかけ 大黒様が来かかると ここに因幡の白うさぎ 皮をむかれて赤裸
大黒さまはあわれがり きれいな水に身を洗い 蒲の穂綿にくるまれと よくよく教えてやりました
大黒さまの言う通り きれいな水に身を洗い 蒲の穂綿にくるまれば うさぎは元の白うさぎ
大黒さまは誰だろう 大国主命とて 国を開きて世の中を 助けなされた神様よ
この童謡「大黒さま」小さい頃よく歌った。小学校に入る前から母とふたりで歌っていた。まだあの時には、人前で歌う羞恥心なんかかけれもなかった時代だ。それが今、人の前では歌えない。カラオケ行っても歌えない。ひとりの車の中ではではあんなに歌うのに。
大国主命は出雲大社の祭神。信心のない私が、カメラ持って出雲大社を歩いていた。旅に来た三人娘がすぐ近くにいた。自撮りなんかできないあの頃のフィルムカメラ。「シャッター押してくれませんか」。そんな出会いがあって、一人の娘が私の妻になった。
昨年の今頃、新聞投稿した。思い出の出雲大社の参道を妻の面影と歩きたかった。人が多すぎてあきらめた。家に帰って、海鮮お好み焼きを焼いた。旨かった。妻がいたらどんなに楽しいだろうと。そう書いた投稿が採用された。今まで採用された中で、最高傑作だと思っている。夜に、焼酎飲みながら、時々切り抜きを読んでいる。今月は、妻の七回忌、心が騒ぐ。だからこんなこと、書いてみた。