店主日記

  • アマリリス 2019年05月28日

     昼の弁当をかごの中に入れた。明日の朝の牛乳と今晩作ろうと思っているチャーハンの具、ニンジンと卵をかごの中に。酒のつまみにもろきゅうのキュウリを一袋、レジに行った。合計1000円ジャスト。え、こんなことってあるのってレジ係に聞いたら珍しいそうだ。今日は良いことがあるのかな。

    アマリリス

     

     いえいえもうあったんですって。今朝の山陰中央新報の「こだま」欄に私の投稿文が載った。40代から始めたこの投稿、何十回掲載されたのだろう。その時期時期によってテーマが定まっている私の投稿、振り返れば私の人生の一部と言ってもいいのかもしれない。何のための投稿かって聞かれれば、さて何のためなんだろう。自己満足???

     

     

     事務所前のアマリリスが咲きかけている。20年前、勤め先に来客が置いていった小鉢が私とこのアマリリスの出会いであり付き合いの始まりだった。いつの間にか鉢は四つに増えている。ここを開業するときから見守ってくれている愛おしいアマリリスだ。

     

     

     

  • 5月というのに夏日 2019年05月24日

     暑い、と言った方がうなづける天気になった。最高気温29℃、もうちょっとで真夏日だ。年齢を経たのと、慣れない暑さに体は悲鳴。真夏になったらどうしよう。今からうんざりだ。

     

     娘の同級生のお父さんIさんが事務所にやって来た。娘たちは小学校中学校と同じチームでバスケットボールをしていた仲である。したがってその子のお父さんと私は15年来の付き合いということになる。お互いに似た業種なのであいさつに来たと言う。

     

     今まで聞いたことがなかった彼の郷里を聞いてみた。もしやと思ったところがあったからである。言葉遣いや顔の作りからそうではないかと以前から思っていた。案の定やっぱりそうだった。10歳年下の彼は私と同郷なのである。しばし故郷の話が弾む。

  • 尾道 2019年05月23日

     先日娘が嫁いだ尾道に行った。家に置いてある娘の車を取りに帰りたいということから迎えに行った。出雲の息子を見舞った後、予定通り11時過ぎ、車は待ち合わせ場所の尾道駅に着いた。写真は何年か前、妻と二人で観光したときのものだ。

    尾道

     

     尾道と言えば私の記憶に第一に浮かんでくるのが志賀直哉だ。ここには彼が住まった家が今でも存在している。娘の夫が転勤になるまでは、ちょくちょく来ようと思っている。直哉の旧居見学はこの次にしたい。

     

     私が結婚してしばらくのこと、妻の父親から城崎への誘いがあった。義父が常宿にしている三木屋に泊まるというので私は喜んだ。志賀直哉が自らの事故の後、しばらくの間養生したのがこの旅館だったからだ。

     

     私は、「暗夜行路」を読み直した。「城崎にて」も読み直した。そして松江から養父市に妻と一緒に向かった。義父の家に寄り、合計五人で城崎に向かってワゴン車は出発したのである。

     

     志賀直哉の暗夜行路を読んでみると、彼が旅した順路が分かって面白い。尾道、東京、京都、城崎、鳥取、米子を経由して松江に来た。彼は松江でもしばらく逗留している。「濠端の住まい」は松江で暮らしたそのものなのだ。

  • ヤマボウシ 2019年05月20日

     自宅近くの湖東中学校のグランドのフェンスの前の街路樹のヤマボウシの花が咲いてきた。地味な花だが白くて清楚な感じが私は好きだ。秋になったら赤い実がなってそれがとても美味しい。おやつなんてなかった時代の山の恵みである。

     

     末っ子が生まれていたであろうそんな時のことである。私たち家族の楽しみのひとつだったキャンプを頓原のバンガローで楽しんでいた。夕方近くになって家族そろって散歩することにした。公園内の所々にヤマボウシの赤い実が熟していた。

     

     これ美味いんだぞって子供たちに勧めるけれど誰も食べようとはしない。私一人が昔の味を楽しんで食べた。子供たちはみなきょとんとしていた。妻も食べようとはしない。「あれ、こんなにおいしいのに」・・・今となってはそれもみな、過去になってしまった。懐かしすぎる思い出になってしまった。

  • 2019年05月17日

     今朝起きて、と言っても私の朝は早い。気になっていたことがあったのでコヒーも沸かさないうちからパソコンを開いた。メールも確認しておこうとクリックしたらなんと、私の店主日記の読者から励ましのお言葉。有難いことである。こんなつたない私の日記を読んでくれている人がいるなんて。本当に有難いことだ。生きていく勇気が湧いてくる。

     

     昨日我が社の駐車場の近くでひき逃げがあった。女子高生の自転車がひかれたみたいだ。けがは大したことはないが、情報提供の立て看板が立ったり、おまわりさんの聞き込みが始まっている。

     

     滋賀県だったか、幼い子供二人が事故に巻き込まれて亡くなった。保育士にも、もちろん本人たちにも何の責任もないのに。ちょっとした不注意が人の命を奪ってしまう。尊い、本当に尊い命だったのに。これからいろいろな経験があって、楽しいこともいっぱいあっただろうに。

  • 明日は結婚式 2019年05月11日

     まだ先の話だと思っていたが明日になってしまった。明日は長女の結婚式だ。松江で披露宴して広島県に嫁いでいく。めでたい話だ。人と人が出会って結ばれて新しい生命が誕生する。めでたい話だが、父親にとってはまた寂しい出来事ではある。

     

     私と妻との結婚を思い出した。出雲大社で出会って、写真を撮って、その写真が送られてきて、文通が始まった。妻は兵庫県の北部に住み、私は松江市に住んでいた。たまのデートは中間の鳥取市が多かった。妻が好きだった野口五郎の私鉄沿線の歌詞みたいに鳥取駅の改札口で待つ私だった。

     

     ある日、観音院に行った。玄関から入って座敷に上がってお茶を頂きながら庭園を鑑賞する仕組みである。作法など知らない私たちは恐る恐るその抹茶の茶碗を飲み干した。そして茶碗の底を見ると不思議である。妻の茶碗には干支の寅の文字。私の茶碗には同じく干支の子の文字。相手の干支がお互いの茶碗に表れたのである。こんな私たちをみてある人が先日私に言った。「こんな大恋愛ほんとうにあるんだねって当時思った」と。

  • 巷は連休最終日 2019年05月06日

     3日は奥出雲町から雲南市の吉田へ行って鉄の歴史を学んだ。学んだと言っても断片を聞きかじったに過ぎない。鉄の村で88歳だという奥出雲町出身の女性に巡り合った。懐かしい話をしたりで楽しかった。

     

     4日は昼から飲んだ。時にうつらうつらと居眠りもした。骨休めってこんな状態をいうのかもしれない。墓参を除いて一日中ぐうたらするのは何年振りだろうか。何年振りっていうのはちょっとばかりオーバーな表現だったかな。じっとしているのが苦手なのだ。

     

     5日は3日にできなかった奥出雲で八重垣神社の鏡の池を探しに行った。早朝出発して、地元の方に道を聞いて、あったよ、鏡ガ池が。写真撮影成功だ。後日、奥出雲町陰ながら応援団にアップしようと思う。

     

     その後、目的も決めず、心の赴く、というより鉛筆倒して答案するような感じで道順を決定。広島県の山中を走ったり高速道路に乗ったり走りたいから走ってる、そんな感じで一日終えた。

     

     今日は奥出雲町陰ながら応援団を更新して、さて、これからどうしようか。 

  • 連休の日に 2019年05月02日

     私の趣味というと、おそらくは多い方だと思う。一番のそれはドライブ。愛車は高級車ではないけれど居室の広さと運転する技術を楽しむのには十分だ。あとはボウリング、山歩き、キャンプ、ウォーキング、写真撮影、料理、読書、そして作文というところだろう。

     

     10連休の後半になる明日から我が社も連休に入る。どこへ行こうかの目的が決定しているのではないけれど、ドライブを楽しもうと思っている。今朝から洗車して室内に掃除機かけて準備万端だ。

     

     さて、どこへ行こうかと思案する。連休中はどこへ行ってもどこの道路も混雑しているから遠くへは行きたくない。近場で静かなところがいいな。デジタル一眼レフ積んで山笑う風景を撮るのもいいかもしれない。西村京太郎の推理小説も積んでいこう。のんびりした駐車場でゆっくり読むのもいいかもしれない。私の故郷奥出雲町にでも行こうかな。

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