店主日記

  • ツツジ 2024年04月28日

     ある年の暮れの12月4日、この事務所の開業に至った。年が明けて5月の連休になった。その年は連休も休まず、事務所を開けて営業した。連休には誰も訪れるはずもないのだが、営業を続けた。事務所前の県道の、車道と歩道の間の植え込みに植えられたツツジの花が満開になっていた。

    ツツジ

     

     温暖化により、開花時期は早くなっていった。今年は少しずれこんで満開になった。20年前より少し早く、例年より少し遅く満開になった。よく見ると、ミツバチらしい動物が花の蜜を吸っている。こんな所にも、生命の躍動が。そう思うと、ここで頑張った20年が愛おしくなってきた。

     

     20年の月日は、我が家の生活もすっかり変えてしまった。6年前に妻がひとり旅立って行った。5年前、二人の娘がそれぞれの人生に向かって羽ばたいていった。家に残ったのは私ひとりになった。この頃思う。私は妻とふたりで生きているんだと。私の心に、私の身体に妻は宿っている。だからいつもふたりなんだよって、そう思うようになった。

  • 大型連休 2024年04月27日

     巷は今日から大型連休に突入した。さて、我が社はどうしようか。家に価値タスというあの「カチタス」から頂いた月めくりの大型カレンダーの5月のページを開いた。まず、水曜日のすべての日に赤のマジックペンで数字を丸で囲んだ。そして、第2水曜日。はて、後はどうしようか。

     

     しばし悩む。3・4・5・6と赤い字が続いている。それを見ていたら、不意にもうひとりの私がつぶやいた。休んでどうする?。どこへ行く。何をする?。どこへ行っても連休は賑わってるよ。そうゆうの、お前嫌いなんだろ。

     

     だよな、でも、少しは休みたいしな。よし、決めた。4日と5日だけ休もう。二日だけ連休にしよう。な、それでいいよな。これに、もうひとりの私が答えた。・・・いいよ、いいよ、それでいいよ・・・。よし、じゃあ決まりだ。

  • 漁港の風景 2024年04月25日

     昨日の定休日、息子の見舞いに出雲市に向かった。息子に会えて一安心して、さあどうしよう。西に向かって走ってみるか。大田市の国道9号線で、ある案内板に気持ちが引かれた。通り過ぎて少し行った所でUターン。案内板の下を左折して漁港の方に向かった。

     

     漁港の船着き場の広場にたくさんに網が重ねて広げてあった。色とりどりの大きな網が無造作に重ねて広がっていた。こんな荒い網目でどんな大きな魚を捕るのだろう。大きめのサメ、それよりもっと大きな獲物を狙うのだろうか。海の男たちの働きが想像できて楽しかった。どんよりと空は曇っていたが、この網もまた絵になると思った。

     

    網

     

     ぼおっとして海を眺めていた。何のためにそうするのか分からないが、時々私にはそんな時がある。帰りの車の中で、今晩何を食おうかと考えた。あれでもない、これでもない。時間はたっぷりあるし、久し振りに一杯やりながらお好み焼きを作ろう。28cmのフライパンいっぱいの大きなお好み焼きを作ってみよう。よし、そうしよう。

  • 命日 2024年04月23日

     なぎさ、娘と孫は昨日の朝の飛行機で帰って行った。会えて楽しかった。嬉しかった。一週間、家で過ごしたから楽しい時間が長くて良かった。そのせいか、今朝は心地良い疲れを感じている。孫と一緒に遊んだ心地良い余韻がある。リフレッシュできたからまた仕事頑張れる。

     

     ところでなぎさ、今日は君の命日だ。6年目の命日だ。俺たちにとっては特別な日だ。だから今晩は、一緒に飲もうな。仕事も早めに切り上げて帰るから、思い出話しながら一緒に飲もうな。積もる話も山ほどある。明日定休日だから朝はゆっくりできる。だからとことん飲もうな。楽しみにしている。

  • じゃあ、またな 2024年04月22日

     あんなに楽しかった一週間が終わった。今朝、早い飛行機で娘と孫は出雲空港から飛び立って行った。今回の別れは、以前の別れより、より寂しかった。なぜだろう。孫が成長して、より可愛くなったからだろうか、それとも、私の心が老いて行くからだろうか。

     

     より寂しくなりそうで、飛行機が飛び立つのを待たずに空港を後にした。涙がさえぎって、時々視界がかすんでいった。グレープが歌う「精霊流し」を聴いた。「無縁坂」を聴いた。「縁切り寺」を聴いた。ステレオのボリュームいっぱいにして聴いた。そうでもしなきゃあ・・・

     

    宍道湖

     

     その足で、松江警察署に向かった。署内にある、交通安全協会へチャイルドシートを返すために。受付の女性にひと言話した。にぎやかだったのに、またひとりになっちゃった。帰られるとさみしくなりますよねえ、と慰めてくれた。「悲しみこらえて微笑むよりも、涙かれるまで泣くほうがいい」海援隊が歌う「贈る言葉」が、心の中を横切っていった。宍道湖は、雲をかぶってモノトーンの水墨画のように見えた。

  • 大山まきばみるくの里 2024年04月18日

     一昨日、娘と孫が帰ってきた。そして昨日、天気が良いし、暖かだし孫をどこか連れて行ってやりたいな、と娘に相談した。結果、大山の「ミルクの里」がいいと話はまとまった。自家用車のフロントガラスは昨夜の黄砂交じりの雨で汚れていた。かまうもんか。さあ、出発だ。

     

    大山

    律人 

     大山は黄砂に覆われて目に映る風景は霞んでいた。それでも、頂あたりの残雪は山肌のくぼんだ部分を埋めているのが確認できた。平地で20℃を越していた気温も、みるくの里では3℃ほど下がっていて風が冷たいと感じた。草原を歩くには、その冷たさが心地良かった。

     

     夕ご飯は娘がこしらえてくれた。久し振りに家族の料理を頂いて、その温かさと美味しさがひとり暮らしの私の心に染みた。いいもんだな。いいもんだなと、何回も何回も、私自身の心に呟いてみた。ほんとにいいもんだなって、そう思った。

     

     近況など話し合っていたら突然娘がこう言った。「お父さん、再婚したいの」って。会話の時々に女性が登場するからだろうか、そう思った。「いや、再婚はしない。俺の心にはなぎさがいる。なぎさは俺の永遠の妻だ。だから再婚はしない」。そして、ずうっと愛してるから、そう確認した。

  • キンポウゲ 2024年04月15日

     先日のいつだったか、松江市交通安全協会から40年優良運転者表彰の申請手続きの案内のはハガキが届いた。チャイルドシート借りるついでにと、受賞の手続きをして来た。この前、30年表彰を頂いたのが平成20年だから、もっと早くに表彰していただくことができたのだが、・・・そう思ったら安全運転していたものだと我ながら感心した。

     

     明日、早朝から尾道に向かって出発する予定だ。友人の結婚式で帰って来ていた長女と落ち合うためだ。だからチャイルドシートを借りに行った。先月会ったばかりなのに、すごく楽しみである。早く孫の顔が見たいものだ。また成長したんだろうな。私はその孫に、おじいちゃんとは呼ばせない。カゲちゃんと呼ばしてる。

     

    キンポウゲ

     

     ずいぶん昔のことである。母と暮らしていて、末っ子の私が母を天国に見送った。山野草が好きだった母。しばらくは寂しくて、母が好きだった山野草の写真を撮り歩くことでそれを紛らしていた。以来、私も山野草が好きになった。今、カメラ精度の高いスマホがある。ふと目に着いた道端の花を写している。

  • 2024年04月13日

    花 先月、妻の七回忌で会ったのに孫にもうすぐまた会える。娘からラインがあった。再び日本に上陸と。友達の結婚式が広島であるので帰って来たそうだ。先日行ったばかりの尾道に迎えに行かなくてはならない。松江警察署内の交通安全協会に、先月チャイルドシートのレンタルの予約をしておいた。

     

     孫は可愛いよと、みんなが言う。我が子よりも可愛いと言うけれど、本当かいなと思っていた。可愛いにしたって我が子より可愛い訳ないだろうと、そう思っていた。だがみんなが言う通り、やっぱり孫は可愛い。生まれて半年我が家で育ち、北京に行って一度離れて再会した時本当にそう思った。妻の生まれ変わり、私がそう思うから余計に可愛いのかもしれない。

  • 尾道行 2024年04月11日

     先日の定休日、ある人と朝の8時過ぎに待ち合わせして尾道に向かって出発した。その人は同業ではないが、私とどこか似たような仕事をする女性で、定休日も私と同じ水曜日なのである。歳は、無理すれば私の子供と言ってもおかしくない。夕方仕事があるというので早めの出発となった。

     

    桜ござ

     

     いつものように千光寺公園駐車場に車を停めた。もう散ってしまったのだろうなと、そう思って来たのだが桜の花もまだ咲き誇っていた。それでも散った花びらが路面を華やかにして観光地としての味わいに役立っていた。私は志賀直哉が住まっていた寓居なるものを見たいと、そこへ行きたい願望があったので彼女はそれに協力をしてくれた。だが、坂道を下るときには見つけることができなかった。

     

    寓居 ひとまず、商店街で尾道ラーメンを食べようよ。というので目の前にあったラーメン店に飛び込んだ。私はコピーを取り出して、志賀直哉の「暗夜行路」の尾道のところの一節を彼女に読んで聞かせた。特に、夕方千光寺で鐘をつくところの描写が気に入っている。「ごーんとなるとごーんと反響がひとつ、またひとつ、・・・」

     

     この頃、採算が合わないということで観光地図にも載せていない時任謙作(志賀直哉の旧居)の寓居、彼女がスマホでその場所を探してくれた。それを辿って坂道の階段を上っていく。ついに見つけた。これが見たかったんだよ。久し振りに見る時任謙作が住んだ寓居、感動した。

     

     あとは帰るだけ。旧居から千光寺公園まではまだまだ上り坂。10歩石段を上っては休み、また上っては休みの繰り返し。やっと駐車場に着いたら長蛇の空車待ちの車にびっくりした。いい時間にやって来たもんだねと、朝の早立ちの約束に感謝するのだった。

     

     それにしても、どうしてこうも私は尾道にはまってしまったのだろう。ラーメンの味は、山陰の人には濃い過ぎる気がする。だけど、食べなければ気が済まない。一時娘が住まってたところだからだろうか。それとも妻との思い出が深いからだろうか。恐らく風景といい、すべてが私の好みとうまく絡まっているのだと思う。

  • タンポポの花 2024年04月07日

     陽光の暖かさにつられて事務所近くを散歩した。タンポポの花が地面にへばり付くように茎をのばさずに咲いていた。3個の花をつけたその株はコンクリートの隙間から葉を伸ばしていた。よりによってこんな場所に咲かなくてもいいだろうに。と思って見たが、彼らは咲く場所を選べないんだということに気が付いた。咲く場所も風任せなのだ。

     

    タンポポ

     ふとある日の「NHK子供科学電話相談」を思い出した。草花は、あんな所でも案外順調に育つそうだ。根を伸ばしたコンクリートの下には土がある。そして水分も栄養も豊富だとか。だから心配しなくていんだよと、電話の相談の子供に相談員はラジオで答えていた。そうなんだねと私もこの年齢になってやっと分かった。

     

     人も、生まれる場所の選択なんかできないじゃないかと、そう思った。生きていくうちにも様々な出来事に遭遇する。そんなことが相まって、大金持ちもいればそうでない人たちもいる。幸福そうな人もいればひとりぼっちの人もいる。だけど、土壌は同じだよ。土があって、水分も養分もいっぱいいっぱいあるんだよ。そう我が身に思い聞かせた。

  • タイヤ交換 2024年04月05日

     島根日産にタイヤ交換の予約をしておいたので午後、行ってきた。音の大きく出るスタッドレスタイヤとの乗り心地の確認がしたくて、熊野大社まで試運転に行った。やはり違う。静かだ。路面の凹凸やらをくまなく拾うのが分かる。夏用タイヤは、やっぱりいいな。大社の参道横の大木が、桜の花を満開にして誇らしげだった。

     

    熊野大社

     

     来週の定休日、10日の水曜日は松江も広島も天気が良いらしい。予定していた尾道行きも快適になりそうだ。千光寺公園から坂道を下って行こう。志賀直哉が住まっていた寓居も見てみよう。猫の細道も歩いてみよう。町に下ったら、娘が連れて行ってくれた店で尾道ラーメン食べてこよう。

  • 心のゆらぎ 2024年04月04日

     昨日、定期診察日だったのでいつもの病院に出かけた。受付を終えたら処置室で採血をしてもらう。時には同じ看護師さんの場合もあるが、行く度にその顔触れは違っている。昨日は年配の女性だった。名を呼ばれた瞬間、なんとなくこの人なら、そんな心の温もりを感じた。

     

     椅子に座って腕をまくった。その腕を見て看護師さん、「荒れているね」。肌のことである。「うん、乾燥肌でね、痒くてかきむしったもんだから」。「そうなんだ。体も?」。「うん、全身。ひとり暮らしだから心が乾燥する。すると体も乾燥するらしい」。そんな冗談を言ってみた。

     

     「え、奥さんは?」。左手の薬指の指輪をを見たという。「先日、七回忌を終えたんだよ。二人の娘も出て行っちゃって今はひとり暮らし。それに息子は入院してる。どうして僕はこんな人生なんだろうね」。「でも、もっと寂しい人はいるから。それに、いろんなこと乗り越えた人は強くなる。あなたは優しそうだし、きっと幸せになるわ」。

     

     今朝起きて、アスファルトを打つ雨音を聞いていたら、無性に寂しくなってき。本当なら今この時間は、テーブルに向かい合って二人で朝食摂りながら談笑してるのに。そう思ったら一層寂しくなってやりきれなくなってきた。だから、昨日の看護師さんとの会話を思いだそうとした。そうだよな、幸せにならなくちゃあな。乗り越えなくちゃあな。

  • 2024年04月02日

     暖かい朝日を浴びて桜の花も嬉しそうだ。大庭町の公園墓地の桜も微笑みながら私を迎えてくれた。やあお早う、今日は暖かいねとそう呼び掛けて微笑んでいた。ここの桜と顔見知りになってもう6年が経ってしまった。早い月日の流れを感じてしまう今日この頃なのである。

     

    公園の桜

     

     妻が亡くなったのは、2018年4月23日の早朝だった。妻の妹親子、娘たちふたり、そして私が見守る中、静かに静かに息を引き取っていった。お父さん、今からあっちへ行くね、そう言ったように私には聞こえた。そうか、今から行くんだね、本当に行ってしまうんだね。そう思った。

     

     その夏、ここの公園墓地の一角を松江市から借り受けた。そして納骨を無事終えた。その時には桜の木があることさえ分からなかった。明くる年の春、桜の花が咲くことに気が付いた。ああ、ここにはたくさんの桜が咲くんだとその時初めて知った。以来ここの桜は、春になるたびに私の心を和らげてくれている。そして妻が亡くなったあの日の記憶が懐かしく蘇ってくる。

     

     もう直ぐ命日がやって来る。私の寝室には妻の仏壇が置いてあり、亡くなったあの時のカレンダーが壁にそのまま掛けてある。掛け時計は、妻が亡くなったその時間を差して止まっている。ふたりの部屋だったこの部屋は、ふたりの思い出がいっぱい詰まっている。

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