店主日記

  • 放浪人生 2025年05月29日

     定休日には仕事がよく入る。朝一番で玉湯町のアパート案内を終えた。カメラを積んで事務所を出発したのが9時50分。安来市の道の駅「あらえっさ」を目指した。そこに併設してある売店「なかうみ菜彩館」でキャベツを買う目的だ。農家直送で、その玉太りに惚れている。

     

     車は米子市を南下した。日南町に向かったが、途中、気が変わって奥出雲町の横田にハンドルを切った。ラジオの電波が届かなくなったのでCDの音楽に替えた。つづら折れの山道でペドロ&カプリシャスからグレープの声に変わった。「精霊流し」「無縁坂」「縁切寺」が連続する。何度も何度も繰り返し聴いた。なぜかこの曲を聴くと、知らぬ間に涙がこぼれてくる。だから聴きたいのかもしれない。

     

    横田駅 横田駅に着いた。5年前の記憶にたどり着いた。子供たちが家を出て初めての一人暮らしの正月がやって来た。2020年の正月元旦だ。朝のトーストパンを食べ終えて車に乗った。どこに向かおうかと迷ったが、奥出雲町に向かい始めた。仁多を通り、横田に入った。人の姿など、見当たらない。どの家も、所狭しと車が並んでいた。里帰りした家族とそろっての正月の団らんが見えそうだった。

     

     いつの間にか、横田駅に着いていた。駅のホームに佇んだ。列車も見えないが遠くの山々が薄っすらと雪をかぶって寒そうだった。夜行列車、急行「ちどり」で夜中にこの駅を列車で通過して広島市をさ迷った高校生時代の放浪癖を思い出した。なぎさ、誕生日おめでとう。俺はこれから放浪人生を送るよ。山々を見ながら、そうつぶやいた記憶が蘇ってきた。

  • 夕日 2025年05月26日

    夕日 松江生協病院の4階東病棟の病室からは朝日が見える。夕日は見えない。だが、夕日は斜め前にある茶色いマンションを黄金に染める。それを見ていると、以前何度も見た宍道湖に沈む夕日の記憶が蘇ってくる。いつか店主日記に使おうと金色に輝くマンションをスマホに収めておいた。

     

     時々、娘が孫の成長を記録した写真をラインで送ってくれる。それをスマホの写真庫に納めている。仕事の合間や、夜酒を飲んでくつろいでいる時眺めている。孫って可愛いものだと思う。その内の3枚をA3のコピーペーパーに写して事務所の壁面に張り付けた。来客が、「お孫さん?可愛いねえ、おじいちゃんに似てるね」と言ってくれる。その一言が嬉しい。

     

     てな訳で写真庫を時々覗く。孫の写真と私が写したものが交互に現れる。そう言えば、この頃夕日の宍道湖見に行かないなと思った。あんなに足繁く通っていたのにあの風景にもう飽いたのだろうか。いやいやそんなことはない。日本の風景100選なんだよ。松江の誇りだよ。10月になって、秋の澄み渡った空気の水平線に沈む夕日は格別だよ。

  • 春眠暁を覚えず 2025年05月24日

     昨夕、帰り道のコンビニで数種類の缶ビールを買って帰った。発泡酒は冷蔵庫に置いてあるけれど、今日のこの日は良いビールを飲もうと思った。シャワーを終え、仏壇の遺影を食卓に置いた。ふたりのコップにビールを注いだ。祥月命日に落ち着かなかったから月命日の今日乾杯しようね。向き合って話そ。そう言って乾杯した。

     

    雛人形 ふたりの出会いの日のこと。何通の手紙が行き来したのだろう、文通時代のこと。鳥取駅の改札口で待ち合わせたこと。観音院で抹茶を頂いたこと。お父さんに挨拶に行って最初は断られたこと。結婚式のこと。子供たちと遊んだキャンプ場。プールや海。喧嘩しながらした仕事。新婚旅行以来初めて行ったふたりだけの萩旅行。それぞれの懐かしさが走馬灯のように流れていった。

     

     安心したのだろうか、昨夜はよく寝た。今朝も7時半に目覚まし時計が鳴った。時計の頭のスイッチをポンと押す。5分後に再び鳴り出す。またポンと押す。何回繰り返したのだろう、よく眠った。時間が無くなって、サラダとミルクだけの朝ごはん。春眠と言うには時期が遅すぎるかなと、そんなことを思った心安らかな朝だった。

     

    写真は広瀬町布部交流館に展示してあったもの。

  • 月命日 2025年05月23日

     先月の今日の朝、公園墓地で妻の墓石のすぐ近くにご主人の墓石を持つ女性と出会った。お久し振りですねとの挨拶から、今日は妻の命日でねって話してみた。「祥月命日ですか?」との質問。え、祥月って何ですって言って恥ずかしくなった。恐らく私が言おうとしている年1回の命日のことだろう。そう、私は本当に無知なのである。

     

    朝日 この頃、妻のことを深く強く思ってしまう。どうしてだろうと先日から考えていた。そして今日その理由が分かった気がした。あの日、命日の気分にとっぷりと浸りたかったのにそれができなかった。あくる日の朝からの入院のことが気になっていた。妻と落ち着いて向き合えていなかった。だから今日の月命日の夜、命日の気分にとっぷりと浸ろうと思う。先日、仕事の賞品で頂いたQUOカードを使って美味しい酒を買って帰ろうと思っている。な、なぎさ、ふたりで乾杯だよ。

     

     写真は、松江生協病院の4階の私の病室から日の出前の風景を写したものだ。歳を重ねる度に気持ちは繊細になって?・・・1週間の入院中、眠れなくて、夜明けが待ち遠しくて、朝焼けに染まろうとしているのが嬉しくて。ついついスマホでパシャリ。

  • 花の命  2025年05月22日

    花の命 アマリリスの花が咲きそろった。3鉢のうちの2鉢の花が咲きそろった。深紅の艶やかさにひかれて立ち止まる人もいる。咲いたねって、声をかけてくれる人もいる。咲く花を見て、微笑む人はいても怒る人はいないのかもしれない。花は、そんな力を秘めているのかもしれない。

     

     昨日の墓地の墓石のまわりに、小さな花が咲きそろった花園を見つけた。昨日来の大雨のせいかその花たちの姿は今日はなかった。いちどは閉じて、天気が回復すればまた花園は復活するのかもしれない。花の命は短くて、苦しきことのみ多いのかもしれない。人の命もかくの如しとはよく言ったものだと思う。

  • 定休日に 2025年05月21日

     定休日なので遅くまで寝た。新聞紙をくるんで出し、ビールの空き缶をリサイクルボックスに入れてきた。はたきをかけて掃除機も終えた。さあこれからが朝食だ。遅いので昼食を兼ねる。食器洗いながら今日のドライブはどこにしようかと、つい、妻に話しかける。返事がないのは分かっていながらつい話しかけてしまう。そして、いないんだと再確認すると急に寂しくなる。

     

     どうして今朝はこんなにも寂しいんだろう。昨日、あんな店主日記書いたからだろうか。昨夜、焼酎のお湯割りを飲みながら、何度も何度もスマホで読み返した。読み返す度に涙がこぼれた。妻の笑顔が浮かんできた。その余韻があるらしい。「あんたロマンチストやなあ」と、そう言った妻の声が聞こえてきた。昨日なかったのに、墓石のまわりに小さな花園ができていた。

     

    b

     

     道の駅、安来市の「あらえっさ」でキャベツとトマトとキュウリを買った。境港市から「ベタ踏み坂」を下って中海を半周するコース、道の駅「本庄」に止まった。ビールのお供にとソラマメを買った。ドライブをしながら、道の駅の売店で掘り出し物を探す僅かな贅沢が心の栄養ドリンクでもあるらしい。

  • アマリリスが咲いた。 2025年05月20日

    アマリリス アマリリスの花が咲いたよ。今年もあのアマリリスが咲いたよ。俺たちの半生を、俺たちの事務所の歴史のすべてを知っているあのアマリリスの花が咲いたよ。今年もあの深紅の花を咲かせたよ。嬉しい。嬉しい気持ちが胸いっぱいに広がって来る。心がほんわかとしてくる。

     

     先に天国に逝ってしまった君は、花園とやらの中で楽しく暮らしているのだろうか。君よりもっと先に逝った君のお父さんやお母さんと一緒に暮らしているのだろうか。ひょっとしたらおじいちゃんもおばあちゃんも、そのまたお父さんもお母さんも一緒に暮らしているのだろうか。そしてたまに外出してくるよと言って、あの大空を吹きわたって私のことや子供たちのことを心配しているのだろうか。

     

     そんな暮らししていたらいいな。俺は毎日毎日君のことを想い続けている。朝は台所で涙し、昼は事務所でなぎさって何度も何度も呼びかけて、夜は洗濯干しながら君に囁きかける。地上の苦労は任せとき。息子のことも任せとき。アマリリスもきっと、励ましてくれるから。

  • カエルの歌が聞こえた。 2025年05月17日

     昨日の朝、早く目が覚めて以降眠れなくなった。疲れているのだから眠らせてと、心の中で悲痛な声を上げる。が、虚しさに変わった。今朝も何度か早く目が覚めた。だがもう一度目をつむったら眠れた。疲れすぎると眠れない。徐々に回復して眠れるようになる、そんなことを悟った。悟るそんな歳になったのだろう。

     

    シャガ 晴れるのかなあと定時に朝の事務所に着いた。のぼり旗立てようとしたらザアッと降ってきた。その雨につられて1匹のカエルがツツジの植え込みの中で鳴いた。どうしてこんな所に、と不思議に思った。でも生きている。しっかりと鳴き声立てて。この頃思う。生命に付いてよく考える。

     

     先日、安来市の清水寺を散策していて境内の傍らにシャガの花を見つけた。昨年だったか一昨年だったか、八雲町に咲くシャガの花の写真をこの店主日記に掲載した。この花は中国原産の帰化植物らしい。でも山野草に間違いない。私が、園芸種よりもひっそり咲く山野草に興味を持つのは、どうやら母の影響らしい。

  • 中国やまなみ街道 2025年05月16日

     昨日、お客様との打ち合わせのために広島県に向かった。いつもの出勤時間の1時間余り前に事務所を出発した。三刀屋町で尾道松江線に合流し、後は一直線だ。平日の朝とあって、行き交う車は少ない。スピードメーターの誤差を考えて、スピード違反で取り締まれぬほどの制限時速を多少オーバーしたスピードで走った。車の進行は快調だった。

     

     約束の時間の30分前に指示された尾道市の道の駅「クロスロードみつき」に着いた。おや、ここは以前1回ほど訪れたことがある。はて、いつだったか。だれか隣の助手席に座っていた記憶があった。尾道に住んでいた娘ではない。もっとそれ以前の記憶だ。それ以前の記憶と言ったら。

     

     あの時だ。まだ尾道松江線が全線開通していない時、妻とふたりで尾道観光にやって来たんだ。帰り、道の駅があるよ、寄ってみようよということになった。そうだ、あの時の記憶だ。あの時の記憶が蘇ってきた。尾道の港町で尾道ラーメンを妻とふたりで食べたんだ。その時を回想しながらひとり道の駅に佇んでいた。しばらくして駐車場に入ってきた車の中で中年の男性が手を振っていた。

     

     尾道市から四国の今治に向かう有料道路を「しまなみ海道」という。尾道松江線を「やまなみ街道」という。打ち合わせ終わってやまなみ街道を帰路に着いた。道の駅「高尾」を過ぎたあたりから急に疲れを感じた。出張して今日は何日目なんだだろう、疲れはそんな錯覚をもたらした。いやいや、今朝出発したんだろ。

     

     遊びの時は疲れなど感じない。帰りはいつも満足感に浸るのだが今日は違った。家に帰ってシャワーを浴びるのがやっとだった。夕ご飯を食べるのがやっとだった。焼酎のお湯割りが身にも心にも染みた。仕事に緊張するか、あるいは楽しむかによって、体や心に受ける影響は全く別のものらしい。

  • 清水寺 2025年05月13日

    アジサイ 今日の火曜日と明日の水曜日は月一回の連休だ。昨夜の天気予報で今日は午前中家にいようと決めた。目が覚めると爽やかに晴れ渡っていた。早速布団を天日干しした。シーツを洗濯機で洗った。久し振りにこんな作業をする。衛生的にも良くないと思うのだが、男やもめにウジが湧く。

     

    モミジ 3時間半、昼になって布団は取り込んだ。どこかに行ってみよう。明るい昼間は心も現実的だ。我が家は、妻の思い出が多すぎる。思い出が強すぎる。思い出が深すぎる。だから寂しくなる。と、いたたまれないから昼間は外出することにしている。夜になると心も別の動きをするらしい。とばりがそうさせるのかもしれない。我が家は安らぎの場所に変わる。

     

     そんな訳で安来市の清水寺に行くことにした。信心がある訳ではないが、あの雰囲気が好きなのだ。だから神社仏閣には好んで行く。駐車場からほんの少し歩いたところにアジサイの木が数本あった。後いくつ日にちを重ねたら花になるのだろう。精進料理店の建物の前に新緑のモミジが青空に映えて美しかった。参道ですれ違う年配の女性が会釈をくれた。

  • ただただまいったまいった美保関 2025年05月11日

     昨日の強風で事務所周辺が荒れた。今朝出勤してきてひどいと思った。クスノキの葉っぱと、松の茶色い雄花が散らばっていた。交差点の歩道までも汚していた。早くきれいにしたいと思った。9時から始めて、休み休みだったのでその作業は午前中を要した。

     

    美保 こんな非日常的なことをする時には妻の顔が浮かんでくる。妻の声が聞こえてくる。「ええ加減でええんちゃう」と言っている妻の声が聞こえてくる。そしてふと、現実の我に帰って考え込んでしまう。どうして私はこんな運命なんだろう。楽しかったのに、これから良い人生がとそう思った矢先だった。どうして私はこんなに寂しいのだろう。

     

     だが懸命に耐えようとしていた。頑張ろうとしていた。負けちゃあいけない、そう思って生きてきた。そんな私が今朝の作業で思ったことがある。そうだよな、「ええ加減でええんちゃう」だよな。今からは、愁いをぷんぷんさせて生きていく。堂々と、愁いをぷんぷん匂わせて生きていく。もう、頑張ろうと思わない。

  • 結婚記念日 2025年05月08日

    水道完成記念 美保関には新婚当時、妻とふたりで良く訪れた。美保神社参拝用の無料駐車場に車を停めると、海の向こうに大山の雄姿が神々しく見えていた。その姿に同じ風景を見ることはない。それぞれの日に、何かしら新しい発見をさせてくれて感動したものだ。車のドアを開けるのをしばし待ちながら、その雄姿に二人して見惚れるのが常だった。

     

     昨夜、刺身など食べる習慣がない私が奮発して醤油の小瓶とチュウブ入りの山葵とマグロのブロックを買ってきた。魚を切り分けて大きめの皿に乗せた。ひとりでは多すぎると思いながら、でも平らげた。どうして刺身を買う気になったのだろう。どうして今日はあんなにも寂しかったのだろう、その原因を突き止めたかった。

     

     焼酎のお湯割りをひとり楽しむのはもう慣れた。巨人阪神戦のテレビ中継が始まった。スポーツ好きな私がなぜか今夜はプロ野球に熱中する気にもなれなかった。そんな折、ふと思った。忘れてる。結婚記念日を忘れている。だから今朝急ぎ出勤して来た。そして妻の日記を見た。やはり今日だった。母に贈るんだと言って妻が選んだ母の日の日曜日、あの日は今日のように良く晴れた5月8日の日曜日だった。

  • こいのぼり 2025年05月07日

     大型連休は仕事した。今日の水曜日の定休日は休むことにした。いつものようにぶらっとドライブだ。来週は息子の見舞いに出雲市に行きたいので今日は反対の東に向かうことにした。橋北の同業者に届け物を終え、さあ出発だ。まずは道の駅「本庄」を目指すことにした。

     

    こいのぼり 道の駅に併設されたコンビニで冷たい缶コーヒーを買った。再び車に乗ろうとすると、駐車場からいつものように中海の向こうに、車のテレビコマーシャルで有名になったベタ踏み坂が見えた。この橋と、道の駅に立てられたこいのぼりとのコントラストは面白いのかもしれない。望遠系のズームレンズで切り取ってみた。

     

     その後、美保関の無料駐車場に車を停めた。霞みがかった大山を眺めた。そうしていると、寂しくてしょうがない気がした。そんな自分に気が付いた。なぜ今日はこんなにも寂しいのだろう。不思議な気がした。妻が亡くなってもう7年余りが経つのに妻のいない寂しさが込み上げてきた。青石畳通りを散策するが両足に歩く力が湧いてこない。どうしてだろ。体力がまだ完全に復活しないから?。それともステレオから妻に似た山本潤子氏の歌声が聞こえていたからか?。

     

     その後当てもなく妻の車は走り続けた。来生というものがあるのなら、もし生まれ変われる何かがあるのなら。・・・そんなある人との先日の会話を思い出していた。私はもう二度と生まれ変わることなんかしたくない。もし、又こんな悲しくて寂しくて辛い人生が来るという可能性がちょっぴりでもあるのなら、私は二度と生きたいなんて思わない。生命なんか二度とほしとは思わない。そう思いながら車を走らせた。そう思うことで少しだけど、心の辛さがが和らいだ気がした。

  • 2025年05月04日

     ずいぶん昔読んだ渡辺淳一氏の小説にこんな一節があった。「寝るのも体力だ」と。先日の入院では眠るのに苦しんだ。夜の消灯の9時半に眠りに着こうとするのだが眠れなかった。やっとうとうとしたと思って、そして気が付けば夜中の12時。後は悶々とした気持ちで朝を待つ。朝日が出て、カーテンを開けたら本が読める。ほっとしたものだった。

     

    朝日 1日の日に退院して、その日我が家で良く寝た。もう一日寝たらほぼ回復するだろうと、友達に連絡をした。ドライブに付き合ってくれないかと。土曜日の午後なら空いてるよと返事があった。人と話したかった。8日間の入院生活は私に会話の飢えをもたらした。孤独って、こんなに辛いものかと思い知った。そう感じるのも年齢のせいかもしれない。体力のせいなのかもしれない。

     

     昨日の土曜日、車に乗って事務所を出た。目的地は決まってはいないが、ハンドルは奥出雲町に向かっていた。何でもいい、取り留めのない話を繰り返す。それが私の今日の目的だ。八雲町から広瀬町に出て比田を通って奥出雲町に入った。故郷に着くと何故か心がほっとする。暖かさを感じさせてくれるのが故郷なのかもしれない。

     

     道の駅に立ち寄るのが私のドライブスタイルだ。「酒蔵 奥出雲交流館」に行った。さすがに連休の初日だ。駐車場がいっぱいでそこはスルーすることにした。遠回りして「おろちの里」に行った。売店に入ったら米糠がセットされた筍が売れていた。もうとおに旬は過ぎている。が、作ってみたくなった。病も癒えたことだし、久し振りにこの筍を調理しよういう気持ちになった。

     

     当たり前だが、退院して少しの間は 禁酒だ。それをあえて犯す禁じられた遊びは心が複雑だ。コップ片手に時々筍の鍋を覗く。リビングからラインの着信音が聞こえた。幼なじみのように、景ちゃんと呼ぶよ。そうだね、じゃあこれからはコトちゃんと呼ぶよ。幼なじみ。竹馬の友。そう言えば今筍煮てるんだ。

  • 今帰った 2025年05月01日

    お見舞い 今帰った。カテーテルアブレーション治療終わって今事務所に帰ってきた。生協病院から歩いてトンネルを抜けて帰ってきた。心配かけたな、でも無事に帰ってきた。心臓の鼓動も力強くなってきた。もう心配ない、大丈夫だよ。・・・飛行機代がもったいないから、それにちょっとの時間だけ会えば余計に寂しくなるから帰って来るなって言っておいた長女が東京から帰ってきた。そして面会に来た。なんでって思ったけど本当はすごく嬉しかった。

     

     今日は仕事なんてできそうにない。だけど、店番する。けやき不動産は生きてるよと、のぼり旗立てる。事務所の電気付ける。元気で頑張るよとそう言って。だけど早仕舞いするな。おいしそうな寿司があったら買って帰る。ふたりで乾杯しよう。ビールで快気祝いの乾杯しような。早くシャワー浴びたい。

最近の記事

カテゴリ

ページトップ