店主日記

  • 台風10号 2024年08月30日

     今朝まだ雨が残っていた。だが9時になったらその雨も上がって晴れてきた。台風なんてどこ吹く風なのだろう。そんな出雲地方なのである。昔から、出雲地方は災害の少ない所だ。よく人は言う。出雲は、神々が宿っているからだと。

     

     今の、台風10号もそうなのである。九州の北部を横断した。直進すれば出雲地方を直撃。かと思ったら南下しながら東進する。そして四国を通った後、再び北上しそうな予想コースなのである。ちょうど、出雲地方を避けるみたいに。そりゃあ有難い。台風がそれてくれるのは有難い。だけど、通過した地域の人々を思うと複雑なのである。

  • アマリリス 2024年08月29日

    アマリリス 昨夜、少し暑いかなと思ったけれど、エアコン消して窓を開けて扇風機で寝た。途中目が覚めて、扇風機を消した。今朝の6時半、目覚まし時計の音で目覚めた。空気の涼しいのにびっくりした。耳を澄ませば雨音がした。だからいつもより暗いんだ。

     

     だけど、どこか気怠いな。食欲もなさそうだ。むっくりと起きてタオルケットを畳んだ。新聞のテレビ欄ををちらりと見た。今日は「ケンミンSHOW」の放映日だなと少しうれしくなった。冷蔵庫から昨夜こしらえた野菜サラダを出した。コップに牛乳を注いだ。パンも卵も欲しくない。これが今日の朝食だ。

     

     7時45分、事務所に着いた。涼しい風が事務所の中を通り抜けていく。絶え間なく通り抜けていく。今日はエアコン要らないな。何日振りだろうこんな涼しいのは。だが急な温度の変化は体調が狂う。でもいいな。涼しい方がいいな。アマリリスの葉も、雨水溜めて嬉しそうだ。

  • たまに会う男の子 2024年08月27日

     5年前の3月のある日、妻の一周忌の法事を終えた。その夜、自治会の新役員の集まりが集会所であった。座敷の隣の席に、初めて会う若いお母さんが子供を抱っこして座った。何歳って聞いたら、5ヶ月だと答えた。5ヶ月なんだ、と言って無駄を承知で両手を開いて差し伸べてみた。そしたらどうだ。やって来た。人見知りの激しい小さな子が私に抱っこされにやって来た。嬉しかった。妻のいない寂しさが和らいだ気がした。

     

     それから月に1度か2度、出勤の朝に私の駐車場前で出会っている。その度に、その子と手のひらタッチを繰り返している。そして私が、車で出発するまで見送ってくれている可愛いい坊主だ。今朝も出会った。彼と会う日は、何やらいいことがありそうな気がして、気持ちがほっこりする私なのである。

  • ベタ踏み坂 2024年08月26日

     開店準備整えた後、松江警察署に向かった。事件があった訳じゃあない。警察署の1階に交通安全協会があって、そこでチャイルドシートを貸してくれる。その予約のためだ。そう、来月の17日に一時帰国で孫が帰って来る。東京に住む末娘も都合付けて帰って来る。長女と合わせて3人帰って来る。楽しみだ。

     

     ルンルン気分で松江署に向かっている時、ハンズフリーの電話が鳴った。何だろう。お早うございます。けやき不動産ですと言って、受話器のボタンを押した。聞きなれた声が飛び込んできた。だが内容は、私を奈落の底に突き落とすものだった。今更何を、そんな気持ちになった。

     

    ベタ踏み坂

     

     対処法を考えなければ。こんな時はドライブに尽きる。道の駅「本庄」に向かった。ここのコンビニで冷たい缶コーヒーを買った。その冷たさが、乾いたのどを潤す。ふと、中海を眺めた。波ひとつない中海に「ベタ踏み坂」が浮かんでいた。誰が名付けたかテレビのコマーシャルで有名になった。そのベタ踏み坂が、陽光と中海の湿気とをうまく絡ませて神々しくさえ見せていた。この江島大橋は鳥取県と島根県を結ぶ友好の懸け橋なのかもしれない。そんなことを思いながら、道はあるんだと確かなものを感じた。この朝、私は江島大橋から勇気をもらった。

     

     なぎさ、俺は今ここにいるんだよ。本庄道の駅の駐車場にいるんだよ。空の上から、俺が見えるかい。・・・チャイルドシート予約しておいたよ。来月帰って来るからみんなでドライブ楽しもうな。長男は入院中だけど、久し振りに家族がそろうんだよ。だから、みんなで楽しもうな。楽しみにして待っておこうな。もうすぐだよ。

  • ヘクソカズラ 2024年08月24日

    ヘクソカズラ 皆さんはヘクソカズラという野草をご存じだろうか。山野草好きな私は、知らない花を見るととりあえず写真に写して、山野草図鑑で調べることにしていたので、割と多くの山野草の名は知っている。ヘクソカズラの花は直径数ミリほどの小さな花。でも、どこか可愛いところがあって、私の好む花のひとつなのだ。それにヘクソカズラ、漢字で書くと「屁糞葛」。葉をつぶすと悪臭がするからこの名がついたらしい。不名誉な名だが、どこか私に似たところがあって面白い。

     

     一ヶ月余り前に帯状疱疹を発病した。発疹は黒ずんで、その皮下の痛さもだいぶ和らいできた。だが、困ったことにエアコンの冷気がこの痛さを刺激する。じりじりと痛む痛さに耐えきれず、暖かい所に行きたくなる。無線の電話受話器を持って事務所を一周してみた。ふと目にしたヘクソカズラ。プロパンガス配管パイプに巻き付いていた。やあ、やっと出会えたね。

     

     しかし、小さな事務所を一周したほどで汗ばんでくる。今日も最高気温は33度を超えるという。そして台風も近づいている。どうにか、全国民が平穏に過ごせるよう、そう願う。

  • 日記「かあちゃんの詩」 2024年08月23日

     以前にも書いたけど、違う形でまた書いてみる。妻が亡くなって4ヶ月後の月命日の夜、仏壇の前に胡坐をかいた。焼酎のお湯割りを飲みながら妻に話しかけた。なあ、なぎさ。俺たちはいつも一緒だよな。ずうっと一緒に暮らすんだよな。でも君はもういない。だから、俺が日記付けるから、昔してたように文通しよう。遠距離恋愛時代のように、手紙書こう。俺からの手紙は明日から付けるかあちゃんの詩日記だよ。それを書きながら、俺の心に浮かぶ君の思い出が君からの手紙だよ。

     

     あれから早いものでまる6年が経った。今朝6年目のかあちゃんの詩日記書き上げた。だから6年間続けたことになる。・・・朝の日課の墓参の時、桶に水を汲んで妻の墓石に向かう。まず墓石に頬ずりする。雨に濡れてたって、真冬に冷たく凍ってたって、夏の太陽に熱く焼けついてたって構やしない、頬ずりする。そしてお水あげてロウソクに火をつけて線香を灯す。墓石に額ずきながらしばしの会話が始まる。その会話で、今日のかあちゃんの詩日記は完成する。

     

    なぎさ公園

     今日は忙しかった。まず仕事A。朝9時に現場で待ち合わせをした。店舗の完成度を確認しながら1時間の打ち合わせ。外国籍の人だから言葉の真意が伝わるか心配しながら。そして午後の仕事B。訪問するが、建築物の検査済証が見つからない。市役所に向かった。台帳記載事項証明書の取得の手続きのために。

     

     市役所を後にした。ああ、疲れたなあ。この暑さのせいだろうか。昨日の最高気温は38度を越した。今日の昼にはすでに37度に達していた。夜は当たり前のようにエアコンの中。エアコンの涼しさにはどうもなじめない私。寝不足が続いている。こんな時は妻の顔が浮かんでくる。妻と同じ名の秋鹿なぎさ公園。この駐車場に車を停めると、なぜか心が落ち着いてくる。異常気象のためだろうか、宍道湖に波が立って強い日差しを弾いていた。

  • 定休日 2024年08月21日

     午後2時半に来客の予定。そのことが気になる小心な私、昨夜夢を見た。いつもこう、夢を見るのである。そのことと、暑いためにエアコンの中。エアコン嫌いな私。そのことが相まって、眠りが浅かった。帯状疱疹の具合がまた悪化しそうだ。黒ずんだ発疹の跡の皮下の神経が強く痛む。

     

    海

     

    ミソハギ 朝、出雲市に向かった。入院の息子を訪ねるためだ。久し振りな気がした。一ヶ月前に来てるはずなのに、ずいぶん久し振りな気がした。部屋に入った瞬間は機嫌が悪そうだったのに、私の顔を見ると笑ってくれた。にっこりと笑ってくれた。嬉しかった。あんな顔を見ると嬉しくて涙が出そうになる。

     

     病院を後にして、まだ時間が早いと思った。道の駅、キララ多伎へ行った。海は波ひとつなく、穏やかに凪いでいた。曇り空が風景のコントラストをなくしていた。海岸道路を走って、出雲大社の参門前を通ってみた。まだ夏休みなんだ、そう思った。多くの観光客で賑わっていた。

     

     湖北の道路を帰ることにした。途中、宍道湖グリンパークに寄った。建物までの散策路の池に、ミソハギが咲いていた。2階の展望室から見える宍道湖に、白鳥が4羽浮かんでいた。湖面に並べて建てられた杭の上のそれぞれに、何やら黒い鳥が体を休めていた。展望室の何組かのテーブルに、親子連れがいた。楽しそうだなと感じた。遠い過去の記憶が蘇ってきた。

     

     やっとさっき、来客との交渉が終わった。まだまだ解決しそうにない。これが、不動産業者の仕事なのだと改めて思った。難しいがやりがいがある。今日は定休日、今からスーパーマーケットで買い物をしよう。今夜は何食べようか。酒に合うのがいいな。・・・飲めば、面影がまたグラスに浮かぶ。

  • 季節の移ろい 2024年08月17日

    斐川の空 昨夜早いうちにエアコンを消した。しばらくは残った冷気の中。気温が上がりかけた時に窓を開けた。涼しくはないが、この気温なら何とか過ごせそう。扇風機の風でしばらくは暑さをしのいだ。寝る前になると涼しくなった。窓を全開にして眠りについた。

     

     立秋を過ぎて一週間余りが経った。昼間は依然暑い。異常な暑さが続いている。だが、日差しを見ると秋の気配。あの真夏のギラギラした目にいたいような光線はない。間違いなく、季節は移ろおうとしている。宍道湖の上空にも、斐川平野の空にも真夏の雲はもう見えなかった。

  • 盆休み 2024年08月15日

     13日の迎え盆の日から15日の送り盆迄休むことにした。13日、計画の先祖の墓参りをすることにした。だから目的地は奥出雲町。たまには違った道を走って行こうかと、安来市の荒島から広瀬へと行った。広瀬から比田を通って亀嵩に入った。道路わきに「うさぎはいないよかめだけよ」とあるから安全運転してね、ということらしい。

     

    雲 いつもの酒蔵交流館で「ドブロック」を買った。そして墓参完了、さてどこに行こうか。おろちループ橋を通って広島県に抜けた.T字路に突き当たって今日は右、三次方面に向かって走った。三次から国道54号線を北進、松江市への帰路に着く。

     

     あてもなく、車の少ない道路を選んで走った。エアコンがフル活動。道路わきの温度計が33度を超していた。暑い訳だ。まだしばらくはこの暑さが続きそう。だけど、空に夏の雲はなくなっていた。確実に秋に向かってるのは確かなこと。季節は順番をたがえることはない。その点、人の運命はと、つい考えてしまう。

  • どこがいい? 2024年08月12日

    ナデシコ 暑さと共に、帯状疱疹を発症した。今まで経験のない、猛烈な暑さの夏がやって来た。二重苦、三重苦の暮らし。だが、その暑さもどうやら峠を越した。昨日一昨日の夜、窓を全開にして扇風機を付けてエアコン消して眠った。気持ち良かった。盆を過ぎれば涼風がたつ。それを信じて盆を暮らす。

     

     昨日の夕方、墓掃除をして花を生けた。明日は迎え盆、妻が帰って来る。なぎさ、一年振りの里帰りだねって、そんなこと言わないよ。なぎさはいつも俺と一緒だものな。何をするにも、いつもいつも傍に居てくれてるものな。盆に限ったことじゃないものな。明日から3連休、どうして過ごそうか。一日は、超ロングドライブ楽しもうな。どこへ行きたい?。なぎさの好きなところへ走ってあげる。

  • 間もなくお盆がやって来る 2024年08月11日

     盆とは、先祖様を自宅に迎えて供養する行事だ。家族との別れを知らない子供の頃には純粋だった。母への手伝いが、13日の夕方玄関先で姉とふたりして迎え火を焚くことだった。この明かりで帰ってこらっしゃい(帰ってきてください)と言って火を焚いた。顔も知らない先祖が帰って来る。本当に帰って来るんだとそう信じていた。

     

     いつの頃からだろう、そんなことなどあるはずもない、そう思う私に変わっていた。20歳過ぎの頃、父が旅立って行った。もう、会えないんだなと思うと、泣かない私に涙が出てきた。30歳過ぎ、母が逝ってしまった。一緒に暮らしていたので、ひどく悲しかった。母の死は、私を読書の鬼にした。死って何だろう。それを深く探ってみたかった。

     

    何て花 妻が逝ってしまった。神や仏の存在など無視していた私が人並みに墓をこしらえた。死んでしまったら、何も残りゃしない、無になってしまうんだとそう思っていた私が毎朝墓参するようになった。そして妻に話しかけるようになった。娘が結婚したよ。孫ができたよと、報告するようになった。

     

     そして今年も盆が近づいてきた。その前が3連休とあって、公園墓地は賑わうようになった。朝から人が訪れている。いつも静かな公園墓地に、朝からひっきりなしに車が出入りしている。私ひとりの墓地じゃないから我が儘は言えないが、静かな公園墓地の朝が欲しい。妻と、二人っきりで静かに話したい。いつもの日常であって欲しい。

     写真は、名も知らない真夏の木に咲く地味な花。

  • 試練なのか 2024年08月10日

     帯状疱疹による右肩の痛みで早く目が覚めた。昨日、根をつめて契約書の作成をしたから、その疲れからかもしれないと思った。窓を少し開けてみた。案外涼しい。エアコンを消し窓を全開にして扇風機をかけた。なんて気持ちいいんだろう。自然の風の中で朝食摂るなんて何日振りなんだろう。

     

     ずいぶん早く、開店準備が整った。早朝の目覚めで気も晴れないから少し車で走ろうか。国道9号線から右回りで宍道湖一周することにした。肩の痛みが気持ちを塞ぐ。塞ぐ気持ちが家族を思う。会いたいなと思ってしまう。でも、今年の盆もひとりぼっち。

     

    街路樹 肩の痛みが過去の私の人生を呼び戻す。52歳、大病をして職場を失った。懸命に不動産を立ち上げた。やっと軌道に乗ったと思った時、妻がひとり旅立って行った。どうして私はこんなに不幸なんだろう。そう思った時、秋鹿なぎさ公園に着いた。また来たよ。

     

     しばらくして駐車場を後にした。以前、この近くの幼稚園に勤めていた長女の顔が浮かんできた。そしてお父さんと言った。その時思った。そうだよ、これは試練なんだ。運命が私に与えてくれた試練なんだ。強く生きて、立派な人間に育つんだ。妻も認める立派な人間に育つんだ。・・・松江駅前の街路樹が、朝日を弾いて光っていた。

  • 広島原爆の日 2024年08月07日

     昨日の朝、出勤途中でラジオのスイッチを入れた。そして間もなく始まったのが、広島の原爆の日の式典だった。79年前の昨日の朝8時15分、晴れ渡った広島の市街地に原爆は投下された。子供の時の当時、ラジオで玉音放送を聞いたという被爆女性、「なんでもう少し早く、これを言ってくれなかったの。そしたら、母も姉も死なずに済んだのに」。

     

    テレビ

     夜遅くになって、NHKテレビを見た。原爆の日の特集をしていた。室内が原爆でめちゃめちゃになった広島赤十字病院。ここに多くの被爆者が集まった。水をくれと言うから、だけど水の調達もできないから、ウジの湧いてる水をくんで飲ませた。美味しい、ありがとうと言って亡くなっていった。広島赤十字病院、「原爆 いのちの塔」と名付けられた。

     

     父を、母を、兄を、そして妻まで失って初めて気付いた命の尊さ、テレビを見ていて涙が溢れた。

     写真は、昨夜のNHKテレビ放送を写したもの。

  • 松江の湖上花火 2024年08月04日

    桔梗 昨日の夕方、JR松江駅の前を車で走ってみた。やけに混雑してると思った。浴衣姿の人も見かけた。ああ、そうだ、今日は花火がある日なんだ。そんな行事ごとに、この頃とんと無関心になっている私に気が付いた。ふと、世捨て人という言葉が頭をよぎった。

     

     夜になった。ちゃんちゃん焼きをほおばりながら焼酎のお湯割りを飲んでいた。外はもう暗くなっていた。宍道湖からかなり距離がある我が家に、花火の音が聞こえてきた。最初、ドーンと一発鳴った。そしてまた一発。その音の間隔はだんだん短くなっていった。湖面に映る大輪の花火が目に浮かんだ。

     

     それにしても、昨夜は音がよく聞こえた。いつもの年より、花火の音は大きく聞こえた。音はあの時の記憶を蘇らせるのに十分な効果があった。息子がいた。そして妻がいた。違う年のこの日には、二人の娘もいた。思い出は、昨日のことのように鮮やかに蘇った。そして、懐かしくもあり、切なくもあり。そう思った。

  • 猛暑は続く 2024年08月02日

     昨日は帯状疱疹の後遺症か、右肩が痛かった。肩の骨が何かに圧迫されてるよう。そして首筋を伝った様にその先端の頭の表皮も痛かった。皮膚科の病院に2度行ったけれど車がいっぱい。あきらめた。あきらめて仕事終えてから帰ってビールを飲んだら収まった。案外この痛み、半分は気のせいなのかもしれない。

     

     今日も痛みは続いている。どうもエアコンの冷気が影響してるような気がする。午前中、アパートの鍵渡しがあったり、他のお客様と打ち合わせがあったりで病院に行けそうもない。明日は土曜日、明後日は日曜日、病院あきらめて痛みをこらえようか。気力で頑張ろうか。

     

     そんな今日、午前中1時間。午後1時間半、同じ人とある事務所に行って打ち合わせをした。打ち合わせの時は痛さを忘れる。今午後4時、事務所に帰ってきた。アイスコーヒーを一杯作った瞬間、痛さがぶり返した。今日も5時で帰ろう。そして一杯やろう。一時間の早退だが、誰も許してくれるだろう。

ページトップ