店主日記
-
見たら分かるだろ
2022年03月31日
娘の体が回復するまでは、家事の手伝いをと奮闘している。午前中の内に買い物済ませて、昼ご飯作って。・・・というところで大失敗。
親子丼作ろうと味付けをした。砂糖を入れて、しょうゆを入れてそして味見。ウワォ、辛い。ペッ!!。どうして??。訳が分からん。鍋の中の具材は台無し。しょうがないからネギチャーハンに変更。
チャーハン食べながら娘に話す。「ほら、調味料入れる小さな引き出しに砂糖って書いてあるだろ。そこへ俺が塩を入れてしまったんだな」。そう話したら「それにしたって、見たら分かる分かるだろ。塩と砂糖の違いぐらい」って言われてしまった。
毎朝、と言ってもまだ5日だが孫と顔を合わす時、お、また成長している。日に日に成長するんだなと思う。赤ちゃんの生命力には驚かされる。
-
奇妙な生活が始まった。
2022年03月28日
まず最初に説明しておこう。娘婿殿の海外への転勤が以前に決まった。その出発日が今度の30日。なので私のもとで出産し、半年間は私と暮らすことになった、と言う訳である。
退院日和となった昨日の午後、車の後部座席にチャイルドシートを取り付けて迎えに行った。すでに娘は孫を胸に抱え、見送りの看護師さんと玄関で待っていた。撮影のシャッターをお願いして飾りの花輪をバックに3人で記念写真に納まった。そしてプロ級の私の運転技術で車は滑るように出発した。
浴槽での入浴はしばらく控えるようにと娘は産科医に言われている。私もそれに合わせてシャワーで治まった。夕ご飯は私が得意とする単品料理のひとつ、親子丼にした。それにジャガイモの味噌汁。これがまた良く合う。皆さんもお試しあれ。
この日、孫と私は初対面。この晩初めて孫を抱っこした。骨がましい私の腕の中では居心地が悪そうだ。懸命のキックを繰り返し、顔はだんだん泣き顔を作っていく。でも可愛いな。どうしてか、こうしていると妻の笑顔が瞼に浮かぶ。・・・かくして3人での我が家の奇妙な生活の始まりなのである。
-
親ばか、それとも爺ばか
2022年03月25日
娘からラインが来た。洗濯物を取りに来てと。写真も送られてきた。「あ、俺だ!」思わず声が出てしまった。静かに眠っている写真だ。妻に似たところもある。
私の母が、私が小さい頃よく言って聞かせてくれた。お前はね、生まれた時、寿老人かと思うほど額が長かったんだよ。なんどもなんどもその話を聞かせてくれた。そして赤ちゃんの頃の写真を見せるのである。なるほど、額が長い。
当時、男の子はみんな坊主頭だった。父親がバリカンで刈ってくれていた。小学校に入る少し前のある日、母が床屋に行こうと言った。え、何のために。そう思った。「お前は可愛いから髪伸ばそうかと思う」と言った。床屋の前まで母と一緒に行ったのだが、断固として拒んだ。そんな思い出が蘇ってきた。
-
ふたりの孫だよ
2022年03月24日
定休日の昨日は早くからひとり自宅で祝杯を挙げた。母子ともに元気で、無事出産を終えた喜びをかみしめながら。そんな夕方動画付きのラインが娘から届いた。大きな声で孫が泣いている。はち切れんばかりの生命力がみなぎっている。さすが我が娘の子供。安酒だって、こんなに旨い。
今朝は早くに目覚めた。早くに出勤していつもより念入りに事務所を磨く。そして定刻になって墓参に向かう。妻の墓石の前で動画を開く。公園墓地に孫の鳴き声が広がっていく。かあちゃん、こんなに元気な孫が生まれたよ。かあちゃんと俺の二人の孫だよ。どこかかあちゃんに似てるよな。元気に育つよう、天国で見守っていてくれな。
-
新しい命
2022年03月23日
昨日の夜遅く、娘に男の子が誕生した。この世に新しい生を授かって娘に新しい家族のひとりが誕生した。海外に転勤で行く夫とはしばらく一緒に暮らせないけれど、娘家族に新しい命が誕生した。めでたいと思う。しばらくは我が家で暮らす娘とその子、婿殿、任せてほしい。私にとっては、妻のDNAを受け継いだ新しい命。妻の生まれ変わりだろうかと、そんなふうに思えるのである。
-
彼岸の中日
2022年03月21日
春分の日の今日は彼岸の中日でもある。お墓や仏壇の掃除、そして供養を行い、それに合わせて自身の日頃の行いを見つめ 直す、そんな日なのだそうだ。・・と、ここまで書いたところで一度ペンを置く。そして私は何が書きたいのだろうと、パソコンから離れて気持ちの整理をする。時々ある私が日記を書くパターンなのだ。
山本コータローが歌った「岬めぐり」の歌詞の中に「岬めぐりのバスは走る。僕はどうして生きていこう」との一節がある。彼女を失った(亡くしたんだと思う)彼は、これから一人で、どんな気持ちで生きていったらいいだろうかと、そう思うからこの歌詞なのだろう。
先ほども書いたのだが、自身の日頃の行いを見つめ直すのが彼岸であるらしい。私は毎朝の墓参の時、わずかな時間なのだけれど、どうして生きていこうかと妻に問うている。そんな心になるのが墓参らしい。けれど、先が暗いからではない。昨日の反省を含め、見出した明かりに今日はどうして近づこうかと問うているのである。いつまでも、いつまでも妻と一緒に歩みたいのである。
-
本当の春が来た
2022年03月17日
久し振りに仕事のない昨日の定休日だ。まだ陣痛の気配のない娘を連れて妻への墓参の後、奥出雲町に向かうことにした。月に一度は行く奥出雲町なのだが冬は雪の危険があるので昨年の暮れから3ヶ月振りだ。
国道314号線から三沢の町の方向にそれる。ここが三沢の中心だ。あそこの丘の上に私が通った中学校があった。今は小学校に建て変わっている。ここの公民館が以前は小学校だったんだ。中学校は今統合されて仁多中学校になっている。などと説明の後、しばらく走ったら我が生家の近くに来た。そうだ、先祖のお墓に行こうな。
横田に行った。一風庵でわりご蕎麦を3枚ずつ食べた。近くの松葉屋で生どら焼きをひとつずつ買った。それを持って道の駅「おろちループ」に行った。誰もいない、人っ子一人いないそこの駐車場で生どら焼きを食べた。娘「うん、美味しいね」 残雪の山肌をバックに、まだ葉のない木が、春の日差しに輝いて見えた。若葉を宿そうとする力強さをみなぎらせて。そして、まだ見ぬ孫の顔が脳裏に浮かんだ。
-
Sさん、昨夜のライン心に響いたよ
2022年03月13日
昨日は娘の出産予定日だった。仕事終わって帰った夕方のこと、いつもだったら冷蔵庫を開けて缶ビールを飲む。昨夕はそれに替えてインスタントコーヒーを飲んでいた。テーブルの向かいに座った娘が言う。プレッシャーだわって。まだかと、あちらこちらからメールが届くらしい。だからと、私に言う。お父もお酒飲んだっていいよ。いつものように飲んで。
良かれと思って禁酒した。素面の私がいるから安心だろうと。だけど、真実はそうじゃないらしい。いつものように、いつもの通りの周囲であって欲しいらしい。どうやらそれが娘にとっては一番心安らぐらしい。・・・今日はビールと焼酎を買って帰ろう。危うく、知らぬ間に、私は偽善者になるところだった。
-
3年間酒に溺れて
2022年03月11日
先日の夜の話だ。私がこしらえた晩御飯がまずい。そこで娘に「味がしないんだよな」 どうしてって言う娘に、「味覚障害だろうか」 娘、「それともコロナ?」
「甘いもの食べてごらん、甘いって味がしたら正常じゃないの」って娘。「そうだね、甘いよ。甘い味がするよ。さっき味がしなかったのは酒飲まない禁断症状かなあ」って私が言ったら、娘、「飲みなよ、お酒飲みなよ。産気づいたらタクシーで病院に行くから。大丈夫だよ、私タクシーで行くから大丈夫だよ」「じゃあ、一杯だけ飲んでみるな。あ、味がするよ。ちゃんとお酒の味がするよ」・・・そして、昨夜も禁酒する私だった。
-
霧の朝
2022年03月10日
今朝は霧。風景を霧が覆ってる。何もかもが霧の中。公園墓地で、霧に埋もれた梅の木を写してみたのだがどうだろう。霧が写っているだろうか?・・・今日は契約書を作って発送しなければならない。頑張らねば。
-
一期一会
2022年03月09日
テーブルの上に紅茶とケーキが置いてあっても、面と向かって二人で話すのは遠慮がちなものだ。その点、運転席と助手席の二人が話すのは気ままである。流れゆく風景に半分心奪われる気楽さからだろうか。目と目を合わせずとも、小声で聞こえる程度に体の位置が近いせいだからだろうか。腹を割って話せる瞬間でもある。だから私は、心許せる人をドライブに誘うのが好きなのである。
昨日は娘を連れて三瓶山に行った。三瓶が好きだった妻との思い出を話して聞かせながら車を走らせた。北の原に着いた時、ここで、ふたりで三瓶バーガーを食べたんだ。今日それを食べようなって店を見ればCLOSEDの看板。・・・両サイドにうず高く寄せられた雪の塊の中の道を走って頓原道の駅のレストランで遅い昼食を摂った。
今まで、二人との会話の中には妻がいた。それぞれの心の通訳に妻がいた。それで良かったのだけれど今は違う。今まで話せなかったこと。これからも話せないだろうこと。だから今話すんだ。私の気持ち、娘の思い。今しかないんだからって、そんな心で車を走らせた。
-
十津川警部
2022年03月07日
我が社のカウンターの片隅にブックコーナーがある。これが目に付いて、どうしてって聞かれる来客にはこう答えている。「もしよかったら読んでみませんか。推理小説が多いんですけれど、これでよかったら。返却は無用です」
私が地図を広げながら読む本がある。今は、ネットの地図が便利になった。列車の旅シリーズって言うか、十津川警部シリーズなのである。推理を楽しみながら、家にいながら旅が楽しめる、このシリーズが私は好きだ。そして、カウンターのブックコーナーで一番早くなくなっていくのがこのシリーズだ。その作家の西村京太郎さんが、先日亡くなった。有難うございました。心より、ご冥福をお祈りいたします。
-
思い
2022年03月06日
ひとり暮らしになって約3年、酒を欠いた日はいち日もない。毎夜、浴びていた。娘が帰って暮らすようになり、だけど酒量は減らなかった。そんな一昨日、買い置きの酒が無くなりかけた。その日その少しを飲んだ。また半分を名残惜しむように、そして恋うように昨夜飲み干した。
この頃、私にはふたりの女性の友達ができた。ふたりとも身内のように、孫の誕生を喜んでくれる。そして励ましてくれる。そんな力もあっての私の気持ちだ。もう誕生も間近い。その日まで、好きな酒を断とうと思う。
写真は、その友達の一人がもうすぐだねって、贈ってくれた数枚の内の一枚だ。恐らくは、八雲町から広瀬町へ抜ける山の頂の国境、いや、市境の国道脇の駐車スペースから撮ったものだろう。黄砂で霞んではいるが、私もよく知る夢が広がる風景だ
-
強い風が吹く
2022年03月05日
出勤の車のエンジンをかけた時、強風注意報だとドライブレコーダーが注意を促す。お墓では、風を手で覆いながら蝋燭立てに灯を灯す。そのまま線香に無事点火。事務所前の空きスペースの落ち葉を掃こうとするがこれも風に舞う。追っかけながら、待ち構えながらなんとか掃き清めた。車で走る街かどの風景は霞んで見える。メガネの曇りではないらしい。どうやら黄砂現象。そして30分ほどの外出の間、帰ってみれば元の木阿弥。事務所前は落ち葉たちの運動場。今日のこの風を、気象庁は「春一番」と言うのだろうか。
リトラスリボンの製作者、すっかりドライブにはまったらしい。ここは、月山富田城跡だろう。
-
梅の花
2022年03月04日
昨日の午後から体のあちらこちらに痛みやら、違和感のような症状が出てきた。夜遅くなると、疲労感でしょうがない。これが、昨日打ったコロナワクチン接種の副作用なのだろうか。効果を優先した交互接種の影響なのだろうか。仕方なく、昨夜はいつもより1時間早く床に入った。
いろいろな夢を見た。次から次へとその夢は入れ替わっていく。幼いころの夢。仕事の夢。新型コロナウイルスの夢。妻らしい人物もちらっと顔をのぞかせた。目が覚めるたび、時計を見る。まだ10分しか経っていない。また夢を見て、そして夜が明けた。
カーテンを開けると太陽の光が眩しい。肩の痛みも和らいでいる。体の違和感もなさそうだ。よし、回復だ。特に変化はないかと娘に声をかけ、パンをかじって出勤の途に。公園墓地の片隅に、梅の花が咲いている。そうなんだ。本当の春になったんだ。
-
今日は私の誕生日
2022年03月03日
先日の定休日の午後、松江市立病院のがんセンターでコロナワクチンの3回目の接種を受けた。初めの2回はファイザー社の。今回はモデルナ社のワクチンの接種をした。違うのの方がより効果が高いかどうかは知らないが、だけどそんな気がして。
事務所には、消毒用の噴霧器も準備した。手をかざすだけで消毒液が出る、そんな器具も用意した。もちろんプッシュ式のも2種類ある。飛沫防止カーテンの上部の枠に、ウイルス対策実施中の札をかけた。その両サイドには、シトラスリボンが揺れている。
今年の私は年男。今日6回目の誕生日。今朝の布団の中である。スマホから、ラインが届く音がした。おめでとうって祝ってくれて、2枚の可愛いスタンプが張り付けてあった。送り主は、このシトラスリボンの製作者。
-
アマリリス
2022年03月01日
軒下に冬眠させておいたアマリリスの鉢植えを事務所の玄関前に出した。今日は雨、水分を得た喜びで目を覚ますのかもしれない。私の末娘と同じぐらいの年月を共に生きてきたアマリリスだ。今年も立派に花を咲かせてほしい。
3月になった。気温も春らしくなってきた。有難い。明日の2日の午後はコロナワクチンの3度めの摂取日。明後日は私の何回目だったか誕生日なのである。子供の頃、女の子みたいだとずいぶんからかわれた3月3日の誕生日、今はかえって気に入っている。そして中ごろには孫の誕生だ。コロナが終息していい年になるよう願いたいものである。