店主日記

  • すぐ死ぬんだからⅢ 2021年11月29日

     死んだハナの夫に隠し子がいた。物語は意外な方向へと進んでいく。死んでからでも、そんなことが分かると辛いだろうな。だけどふんぎりは付くよな。もう、悲しまなくてもいいんだものな。そんな心持の中、ハナは悟る。偽善者で居続けるなら、その人は善者である、と。ばあさんだけど、若く繕っているのが本当の私なんだ、と。

     

     昨日の風呂上り、と言ってもシャワーだけだけれど久し振りに体重を計ってみた。え、嘘。52キロを超えている。50キロ前後をうろうろしていた私なのに。たくさん食べたわけじゃないのに。・・・よく眠れるのと、手の二の腕や足の太ももに筋肉が付いたからだろうか。・・・そうなんだ、体は、いくつになっても若返るんだ。

     

     妻がが亡くなったショックですっかりやつれ切った体がもとに帰りつつある。永かった。3年半余りも経ってやっと。若い、二人の新しい友達ができたからかもしれない。

  • すぐ死ぬんだからⅡ 2021年11月27日

     すぐすぐ

     合間に少しずつ読み進める文庫本。「すぐ死ぬんだから」の主人公、ハナの主人が亡くなった。倒れてから意識も回復せぬままその日の内に。半年前なら、もうこの本は読まないって捨ててしまったかもしれない。妻のあの日が蘇るから。だが今は違う。最後まで読み切るつもりだ。妻が、強く生きようねって言ってるのが聞こえてるから。

     

     この頃、体力作りに気を使っている。それこそ合間に、木刀の素振り、スクワット、反復横跳び、そして最近四股を取り入れた。ちょっとした合間に少しずつ実行している。足の太ももに付いた筋肉。逆三角形の上半身。鏡を見ては、やはり私はナルシスト。

     

     顔を除く見た感じ、若者には負けたくない。心の若さでも、若者には負けたくない。そして介護なんぞで娘達には迷惑かけたくない。どうせいつかは死ぬんだから、死ぬまでは凛として動いていたい。死ぬまでは、いつも青春していたい。いつも誰かに恋していたい。

  • 人っていいな 2021年11月26日

     昨日の店主日記、その読者。そして事務所前を通り過ぎる人の反応が強い。車がないねって。みんなが寂しいと言ってくれる。それだけあの黄緑色の車がある事務所前の風景はインパクトがあったのだろうか。でも、決断したんだから・・・

     

     先日の寒波の時の強風でまた松葉が散乱した。事務所前と交差点わきの歩道だけはきれいにしておきたい。取り掛かること1時間30分。なんとか片付いた。駐車場は後日にしよう。歩道を掃き清めていると、通りすがりの人が挨拶してくれる。人っていいな。店主日記付けながら、茶臼山の頂を見てしまう。かあちゃん、見てるかい。

     

    茶臼山

    写真は、私のパソコンデスクから見える風景。私はあの山の麓に住んでいる。

  • 喜びと、そして寂しさと 2021年11月25日

     この店主日記の読者のひとり、Wさんと一昨日の勤労感謝の日に奥出雲町に行った。彼女の娘さんと三人のミニ旅行である。横田の稲田神社の社務所で営業する蕎麦店の「ゆかり庵」。待つこと数十分。待った甲斐あったと喜ぶ娘さん。美味しいねってその母。

    ゆかり庵

     松江に帰って来て「しんじ湖ボウル」に。祭日とあって子供連れのお客であふれている。レーンが空いてさあ行くぞと、2ゲーム終了。まるで爺さんと、娘と、孫の家族連れ。孤独な中に、一瞬だったけど喜び有難う。またたまには付き合ってくださいね。

     

     迷っていた。散々迷った末、車検が近づいた営業車のマーチを廃車にすることにした。妻がいたから2台の車が必要だったのに、ひとりの今は1台でいいだろう。9年間慣れ親しんだ黄緑色のマーチ。日産に持って行って帰る時、歩きはスポーツ感覚。でも目にはうっすらと涙が浮かぶ。昨日のことである。

  • すぐ死ぬんだから 2021年11月20日

     この冬は雪が多そうな予感。昨夜のテレビの天気予報で23日は山沿いで雪。その日の勤労感謝の日は我が勤労に感謝して、休暇取って奥出雲町に行く予定だ。なので島根日産に電話したら、タイヤ交換は予約がいっぱいで23日には間に合わぬと言う。ならば自分で替えよう。

     

     20年前にはホンダのホライゾン(いすゞのビッグホーン)に乗っていた。スタッドレスへのタイヤ交換など、ディラーに頼んだことなどなかった。あの大きなタイヤを自分で交換していた。だが、20年の日々の経過を甘く見た。お陰で、四股を踏むどころではない大きなトレーニングになった、かな。

     

     先日、コンビニで内館牧子の文庫本を買ってきた。「すぐ死ぬんだから」と題して、だから若さを楽しもうって小説だ。主人公の彼女78歳。言うセリフにことごとく納得している。

  • 四股を踏む 2021年11月19日

     今朝パン食べ終わってテレビ見ていたらラインが来た。今日もいちにち頑張ってと。友達っていいなって思って、今日も頑張るよって返事返していたらテレビではもうすぐMVP決定だと言っていた。

     

     昨日、イチローはいつMVP取ったっけってネット見ていたらこんなことが分かった。彼は現役時代、トレーニングのひとつに四股を取り入れていたとか。そして今度は四股の効果について調べてみる。1.姿勢がよくなる。2.ヒップアップにつながる。3.基礎代謝が上がる。4.ケガが防げる。

     

     よし、私もやってみようと片足上げてみた。え、こんなにも難しいことなのか、ふらついてどうしようもない。でも、毎日やれば・・・

  • 神在祭 2021年11月17日

     一週間一回の掃除機もかけず、パン食が終わったら家を飛び出した。出雲市で息子に会った。同じく松江に貸家を持つ大家さんと会って確認事項の点検。そこで話すこと1時間余り。私より1歳年下の女性の方だが一人暮らし。話したくてしょうがないって感じ。その気持ちは良く分かる。

     

     それが終わると久し振りに出雲大社に行ってみたくなった。参道入り口の前を車で走る。お、なんて人がいっぱいなんだ。無料駐車場には空き待ちの車があふれている。そうなんだ。今日は神在祭の真っただ中。あきらめて帰ることにした。

     

     妻のお墓の花生け替えた。その足で1週間分の食品の買い出し。そして今事務所に来て午後3時前。間もなくお客様の来店がある。賃貸アパート契約の重要事項の説明だ。なんて今日は忙しいのだろう。定休日なのに、充実しているいちにちである。

  • 雑草のように 2021年11月16日

     建物を解体し、真砂土を入れてもらって10日ばかりが経つ。今日は境界確認の立ち合いがあったので午後一で向かった。朝は寒かったものの、やがて日が射してきて暖かくなってきた。早めに行って時刻を待っていると、おや。

     

    雑草

     

     草が伸びている。10日ばかりで、こんなにも伸びるのだろうか。その背丈10センチ余り。「雑草のように」。今は死語になったのかもしれないけどそんな言葉が胸をかすめていった。それに比べ、なんて私は弱い男なんだろう。

  • どう思う 2021年11月13日

     9時ちょうどに事務所に着いた。起きたのが8時10分。なぜかこの頃よく眠る。疲れているからだろうか。でもそれはないと思う。もしかしてかあちゃんのいない生活を、それが当たり前だという意識に変わってきたからだろうか。だから落ち着いてよく眠れるのだろうか。そうかもしれないね。かあちゃんは天国に行ってしまったんだって、僕の心がそう思い始めた。そう言ったら、そう思ったらかあちゃんは寂しく感じるかい。それともその方が天国で落ち着くのかな。どっちだろう。

     

     毎日書く日記「かあちゃんの詩」に今日はそう書いた。

  • 2021年11月12日

    虹

     

     いつもの朝の時間、墓参を終えて何気なく空を見た。おや、虹がかかっている。しかも二重に。何かいいことあるのかなって再び妻に話しかける。虹と言えば、ハワイにこんなことわざがあるそうだ。「No Rain No Rainbow」「雨のない所に、虹はない」ってことだという。「今は落ち込んだり、辛いかもしれないけど、必ず幸せはある」ということなのだそうだ。明けない夜はないってことなんだ。

     

     コロナ禍・・・もうマスク生活に疲れた。長いこと、息子に会えなかった。長いこと、娘達にも会っていない。不況も長く続いている。また、第6波が来るかもしれないけど、ワクチン接種は順調に進んでいる。来年こそは何もかも良くなってほしい。

  • 寒くなった 2021年11月10日

     自動車の自動エアコンがうなりをあげて温風を噴き出している。この音を聞くのは今季今日が初めて。寒いと感じるようになってきた。昨夜も降り続けた雨。今朝になっても降っている。陽が射しているのにまだ降っている。これ、狐の嫁入りって、昔言ってたな。

     

     昨夕、電話が鳴ってアパートの空室確認依頼。定休日だけど今事務所に出てきた。確認終えて昼になったら電話することになっている。事務所に着く前にガソリン入れた。セルフスタンドなのにℓ158円。高くなった。ドライブ好きな私にとって、ああ、心身ともに冷えていく。心の中をカメムシが飛んでいる。あ、また狐の嫁入りだ。

  • フォース 2021年11月09日

     先週、ある女性と約束だったボウリングをした。この頃、ほとんどボウリングしていなかったということもあるかもしれないがあまりにも不格好。美しい女性の前で、だからかもしれないがあまりにも不甲斐ない。

     

     と言う訳で、今日練習に行ってきた。そうなんだ、握り方が良くないんだ。だから落ちてしまうんだボールが、ってことに気が付いた。改良して久し振りのターキー、そしてフォース。もう一度一緒に行くことになっているので、今度こそ。

  • 秋桜 2021年11月06日

     朝よく眠った。目が覚めても、布団から出る気がしない。足元の電気アンカが暖かくて気持ちいい。有難うなかあちゃん。嫁入り道具にもって来てくれて。お陰で暖かだよ。

     

     なので今日は弁当がない。事務所にほど近いいつものスーパーマーケットに行くことにした。稲荷寿司が三つ入った小さな弁当箱。これで十分。食パンと牛乳も仕入れた。ついでに焼酎とビールも買っておこう。レジはいつものあの人。手を振って別れた。

     

     昼ごはん終わってパソコンで「秋桜」を聞く。今ではパソコンで秋桜が変換できる。昭和52年に山口百恵が歌った秋桜、作詞作曲のさだまさしがこの字を当てた。それ以降に秋桜と書くようになったとか。小春日和のこんな穏やかな土曜日の午後は、この歌は良く似合う。

  • 昭和25年生まれ 2021年11月05日

     昭和25年生まれの伯母が亡くなったって昨日の夜、友達から聞いた。景山さんと同い年だねって言う。土曜日に葬儀があるから行かなくちゃあと言っていた。

     

     この頃新聞を見る時、まず一番裏にあるテレビ欄を見て、次に目が行くのが訃報蘭だ。誰か知った人が載っていないだろうか。人って何歳ぐらいで死ぬんだろうか。私より若いのに亡くなっている。病気だったのだろうか。それとも事故なのだろうかって。

     

    紅葉

     

     どうもいかぬ。同い年の人の死は。事務所にいたら無性に妻に会いたくなって出かけた。途中の運動公園をカメラ持ってぶらぶらしてみた。所々の木々が紅葉を始めている。真っ赤に燃え盛る並木を発見した。美しさに少し心安らいだ。妻の分まで生きなきゃあ。

  • この頃よく眠る 2021年11月04日

     この頃朝よく眠る。妻の嫁入り道具の電気アンカが気持ちいいからだろうか。それとも疲れているからだろうか。出勤したのが8時半。のぼり旗立てて急ぎお墓に向かう。かあちゃん、今南高の前、もう少しで会えるからね、待っててな。

     

     昨日、約束していたある女性とボウリングをした。20も年が違うと若さの違いを感じてしまう。自分では若いと思っているのに、こうも年の差があるのだろうか。そんなことはどうでもいい、楽しかったのだから。その後、40分余りのドライブを楽しんで、今度奥出雲町に蕎麦食べに行こうねって約束して別れた。

     

     先日電車の中で男が刃物を持って暴れた。車に乗ってる時、こんなことがある。片側2車線の道路、右車線からいきなり直前に割り込んできた。かと思ったら、左にあるコンビニへと入っていく。あまりにも身勝手な。今日、ある交差点でおかしな状況を見た。何がおかしいのだろう。写真をご覧あれ。

    交差点

     

  • 魂の経験 2021年11月02日

     昨日、幸福の科学グループの方達の来店があった。以前、賃貸不動産を紹介したことのある方達だ。苦難から脱出した人の経験談を薄い冊子にしたのを数種類。そして「秘密の法」という贈呈用の一冊の分厚い本を置いて帰られた。

     

     私は特定の宗教にのめり込むタイプではない。だが、面白いことは面白いと思うし、いいなって思うことは素直にいいねって納得する。頂いた小冊子と分厚いけど一冊の本も読んでみようと思う。

     

     一冊のパンフレットにこう書いてある。「私たちは“学び”のためにあの世(天国)からこの世に生まれ変わる存在です。様々な時代や場所、性別を変えて何度も生まれ変わり、魂の経験をしています」と

     

     どうやら、いくら辛いことでも、それは魂の経験だよってことになるらしい。たくさんの辛いことを味わえば味わうほど、魂は育つのだよってことらしい。・・・今朝、コロナ禍で会えなかった入院中の息子に久し振りで会ってきた。久し振り過ぎて言葉にならず。これも経験だと思えば。

  • 会いたい時に会える人 2021年11月01日

     先日のことだ。ある友達が今から実家に行くって言うのでこんなことを言ってしまった。「いいね、会える人がいて」・・・そう言った瞬間、みじめになってしまった。お前、何僻んでんだと、もう一人の私にたしなめられてしまった。

     

     20ちょっとの時、突然父を失った。30そこそこで一緒に暮らしていた母を失った。そして次々と、叔父、叔母が亡くなっていった。6年前、大好きだった最後の伯母が亡くなった。4年前、長兄が亡くなった。そして3年半前に最愛の妻を失った。私は、何のために生きているのだろう。別れを経験するため?・・・時々、そんなふうに考えてしまうことがある。そんな心の波が時々、訪れてくる。

     

     昨日、コロナ禍のために、面会ができなかった病院から電話があった。だいぶ収まって来たから面会OKだよって。やっと、会いたい時に会える家族がいる。そんな気持ちになった。明日息子に会いに行こう。今日は鍵渡しがあるから行けないけど、明日は行こうと思っている。

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