店主日記
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コスモス
2025年09月27日
昨日の午前中にふたつのアパート物件の資料の取材に行った。それを今朝の午前中に処理してネットにアップした。バインダーに張り付けた方眼紙に起こした間取り図をパソコンでネット用に仕上げた。写真をパソコンに移し替えて加工する。と言っても水平を出したり、明るさの調節ぐらいで色形を変えるものではない。、ネットにアップし終えたら疲れた。
来週の月曜日、今のウインドーズ10仕様の2台のパソコンを新品に替える。なので現在のパソコンの必要データをUSBメモリーに保存の作業をしていた。それぞれの内容の確認している時、ある写真を見つけた。三瓶フラワーバレーのコスモスが写っていた。そしてこれを写した瞬間を思い出した。ひとりぼっちになった秋の日、息子を見舞った後だったのだろう、三瓶山に向かった。恐らくいつものコースを、妻を思い出して涙を流しながら車で走っていたと思う。三瓶フラワーバレーに行った。まだ早いがコスモスがちらほらと咲いていた。晴れた空の雲の白さを利用して一眼レフのシャッターボタンを押した。今見ても、いい写真だと思う。
そんな作業の時、ある用事で知り合いの女性がやって来た。余談だが、私の店主日記を読んだと言ってこんなことを言ってくれた。悲しむのもいいけれど、もっと元気出しなよって。そして、あなたも苦労して生きてきたんだねって。そう、どこの馬の骨か分からない私と一緒になってくれた社長令嬢、過ぎた女房だった。そして心優しい妻だった。だから余計に忘れられなくって。心の中でそうつぶやいた。
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雨の朝
2025年09月26日
この頃、ある人に一週間に一度、1日2時間程度、仕事を手伝ってもらっている。私の孫と言っていいぐらいの年齢の女性だ。妻のだったパソコンデスクでパソコン操作をしてもらっている。向かいに座って話しかけると、ぱちりと大きな瞳を開いて明るく答えてくれる。怖気る気配もなく、頼もしいなと感じている。
昨夜寒くて夜中に目が覚めた。夏蒲団の上に毛布を掛けたら再び眠れた。そして夢を見た。カメラに電池入れて、ストロボ付けて、現場写真撮影。方眼紙に間取の製図。帰ったらそれはまずは置いといて契約書の作成。今日中に仕上げなきゃあ。そんな長い長い息苦しい夢を見た。
暗いうちに目覚めた。締め切ったガラス戸の向こうに強い雨音がした。夢の気怠さに起き上った。パンで朝食を摂っていると、雨は小降りになった。そして夜が明けた。こんな天気の日は妻が恋しくなる。会いたいなと思ってしまう。ひとりぼっちの寂しさに心が震える。
今、物件取材から帰ってきた。雨上がりに陽が射すと湿気が増す。締め切った部屋での写真撮影。間取の製図。事務所のバックヤードで濡れタオルで汗にまみれた体を拭いた。エアコンの冷たい風の心地良さ。孫たちの、子供たちの、空の上から見守ってくれてる妻のために、自身のためにも頑張らなくちゃあ、と心に誓う。
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彼岸の中日
2025年09月23日
今朝、いつものように出勤前の墓参に向かった。妻の墓石のある駐車場に早くも一台の車があった。水を汲んで、下を通る道路を見たら、次から次とこの公園墓地に車が入って来る。祝日だからだろうか。いやそれだけではなさそうだな。そんな気配を感じた。
妻の墓石に線香を灯す時、はっと気づいた。あ、今日は彼岸の中日。うっかりしていた。見渡せば花のない墓石は妻の墓石だけ。ごめんななぎさ、うっかりしてたよ。花も供えなかった俺を許してな。本当にごめん。でも今日は契約の準備とその実行の日だ。今日はもう来れない。花はないけど許してな、ごめん。ほんとうにごめんな。
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羽付き
2025年09月22日
この頃涼しくなった。事務所にも、エアコンは必要としなくなった。気持ちが良いので、事務所周辺を散歩してみた。裏の小さな林の中でツクツクボウシが一匹泣いていた。もう直ぐ、9月は終わってしまうと言うのにツクツクボーシ ツクツクボーシと鳴いていた。懸命に鳴いていた。
その木の下の藪状になった所に数個の小さな花が咲いていた。熟した物は身を付けて花びらを後ろにそり返していた。見ていたら、昔姉さんたちと付いた羽付きの羽を思い出した。ついでに昔よくした姉さんたちとの「ままごと」を思い出した。そう言えば、時々妻がこう言った。君はアスペルガーだからなと。そうかもしれないねと、私もそう思った。幼少のとき、男の子と遊ぶのは苦痛だった。小学生の時、フォークダンスを人と一緒にすることができなかった。現在でも、歌うのは好きだが人の前では歌えない。つまり、人との交わり方が下手なのだろう。
そんな私がこんなにもおしゃべりになった。不動産の仕事を堂々とするようになった。人って、変れるものなんだなあと思う。ただ、今でも男性との付き合いは苦手だ。どうしたら良いか何を言って良いか分からない時がある。こんなに歌うのが好きなのに今でも人前では歌えない。人間っておかしな生き物だね。それとも私だけ?
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オムライス
2025年09月20日
昨日は忙しかった。午前中、「あじさいの会」に出席した。この頃、息子のことが心配で、気が病むので、参加者は女性だけだがこの会に参加させてもらっている。今日は息子の今の状態を知ってほしくて話をさせてもらった。参加者が多くて嬉しかった。昼は心の知れ合った少人数で福祉センターのレストランで食事会をした。
帰ったら忙しかった。バタバタと飛び回るほどではないが、細かい仕事が次々とやって来た。遅くに来客もあったりして、片付け終わって事務所を出たら外は真っ暗だった。車に乗った瞬間、疲れがどっと溢れてきた。若くないなとこの頃思ったりしている。今日は晩ご飯を作る気力もないと感じた。
シャワーを終えて缶ビールを飲みながら、電子レンジの出来上がりを待った。チンと音がしたので食器の蓋をはぐった。コンビニサービスのプラスチック製のスプーンでオムライスをすくった。とろとろの卵が美味しそうだった。頬張ったとたん、スプーンの軽さに空しさが口に広がっていって、テーブルに立てかけた妻の写真に涙がこぼれた。

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友達になっちゃったね
2025年09月18日
先ほど、焼香から帰ってきた。亡くなったのは、我が社に一番近い同業者の奥さん。私も何度かはお会いしてお話もさせていただいたことがある奥さんだ。上品なその姿は今でもはっきりと私の記憶に残っている。
今まで、何度も葬儀には参列して来た。お亡くなりになった方は、喪主のご両親の場合が多かった。人は、必ず亡くなっていく。人生を全うされた方々が天国に召されていく。寂しいことだが、これが生命の摂理なのだと思えていた。だから冷静だった。でも今回は違った。悲しかった。
なぜだろうと思った。同業者の奥さんだからだろうか、それとも私と同じ苗字の景山さんだからだろうか。いや違うと思った。ご挨拶のために喪主の方と交わすお悔やみの言葉が見つからなかった。「友達になっちゃったね」と、言ってしまった。私は、妻との思い出をかみしめていたのである。そして、妻との別れの辛さを思い出していたのである。
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ベルト
2025年09月17日
長男が施設に入所して、長女が広島の大学に通うためにアパートを借りてひとり住まいしていたある日、高校生だった末娘がテニスの合宿で益田市に一泊することになった。我が社の休みと重なったので、めったにないこの日に夫婦二人で旅行に行くことにした。目的地は山口県の萩市。
新婚旅行以来のふたり旅、楽しかった。萩市内を散策した。柑橘系の黄色い果物があちらこちらの民家に植わっていて面白いなと思った。夕方、予約しておいたホテル近くに着いた。ちょうどそこに、松下村塾があった。後に、遺影になったこの写真はこの塾の前で私が写したものだ。この原画をトリミングして、事務所の壁に貼ってある。先日ある人がこの写真を見て言った。この洋服も、この鞄もまだ家に置いてあるんだね、と。その日の夕方帰宅して妻の箪笥を開けてみた。みんな懐かしい。見覚えのある洋服ばかり。中に、ベルトが数本並んでいた。ひとつを取り出した。メードインイタリと書いてあった。社長令嬢時代に買ったものだろうと思った。そして、ひょっとしてこれ、私のジーパンに似合うのかも、と思った。
今日は定休日、だけれど仕事がひとつある。洗いざらしのぶかぶかにな った妻とふたりで買ったジーパンを履いた。妻のベルトを取り出して身に付けた。妻が亡くなる前よりも10数キロ痩せた私、少し短いが何とかなる。嬉しかった。まだ俺たちふたりでひとりなんだ。
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パソコンデスク
2025年09月14日
接客カウンターの接客側にふたつのパソコンデスクが向かい合わせに置いてある。写真の手前側の白いパソコンが私用で、向こうの黒いパソコンが妻用だった。だったという表現は私がひとりもの思う時には使わないが、現実がそうだから寂しいけど使うことにした。でももう少しでウインドウズ10は使えなくなるから黒いパソコンはなくなってしまう。また妻の思い出がひとつ、去って行く。額縁に入れたキャビネサイズの妻の写真がふたつある。仏教でも、位牌のない真宗大谷派だからその一枚は仏壇に置いてある。家に帰れば帰ったよと挨拶してリビングのテーブルの上に立てかける。そしてビールで乾杯だ。朝の出勤の時は仏壇に返しておく。じゃあ、行ってくるよと言って。
もう一枚は常に持ち歩くリュックの中。ドライブ中は助手席に置いておく。今の私の車はもともと妻の愛車。だが、ふたりでのドライブは私が運転手。今もその時のまま。仕事の時は事務所のパソコンデスクに置く。来客に違和感を与えぬよう、隠れた場所にそっと置いてある。疲れた時、困った時、どうしようと囁きかける。寂しい時、会いたいなって囁きかける。どうやら私は、妻無しでは生きていけないらしい、永久に。
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ふと、感じたこと
2025年09月12日
高校を出て、良い大学を親におんぶしてもらって卒業し、社会に出て、背広を着て、ネクタイ締めて胸を張って腕を振って颯爽と街を歩いて来た人達。方や、中学校を卒業して苦学生になり、15歳から自分の食い扶持を探し、社会からも認められず血反吐を吐きながら地にはいつくばってそれでも負けるものかと懸命に生きてきた人間と、こんなにも考え方に違いがあるのだろうか。先日、ある人に「努力しているか」と問われた。一瞬、何のことかと理解に苦しんだ。が、少し考えてその本意を知った。つまり、言葉の意味の示す通りなのだと悟った。背広を着て、ネクタイ締めて胸を張って腕を振って颯爽と街を歩いてきた人たちの考え方なのだと思った。だが、その人たちがみんなそんな人ではないよと心の奥で願いながら。
少し間を置き、冷静になって答えた。僕はね、52歳の時、脳梗塞で倒れた。会社を首になった。 だけど懸命にこの不動産業を立ち上げた。ずぶの素人が、20数年、この店を守って来たんですよ。・・・もしあなたが同じことをしたのなら、2年間も持たなかっただろうね、と思いながらそう答えた。
私の考え方なのだが、努力とは、体力や心に余裕のある人が頑張ってみる。そんな状態を言うのではないか。私はいつも、体の動く限り、心に余裕のある限り、命の続く限り懸命なんだ。必死なんだ。負けてなるものかと、歯を食いしばっているんだ。
その晩、腹立ちが収まらなくて、眠れなくて、あくる日が定休日を良いことに、飲んだ。深夜の2時まで飲んだ。私よりも10も若いだろう小僧に、努力しているかと言われて腹が立って。酔いが回って、それでも冷静になろうとした。そしたら、もうひとりの私が言った。あんなこと、努力してるかなんて人が人に言えるものじゃあない。でも、いいじゃないか、ほっとけよ。あんな奴が、あんな若僧が言うことなんて気にするなよ。・・・そうだよな、俺もちっちゃな人間だったな。反省するよ。そう気付いたら眠くなってきて、昼まで眠り続けた。
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良き友安定剤
2025年09月11日
8日、9日、10日と、雨が降ったりして涼しかった。夜も良く眠れた。昨日の夜は特に涼しかった。だからこの際だと思って、睡眠をむさぼろうと考えた。ちょうど定休日、夕方早くから買い物を済ませた。そう、今日はひとりたこ焼きパーティーをしよう。材料の準備を始めようと冷蔵庫を開けて気が付いた。タコ焼きソースがない。どうしよう、やめようか。今あるのは味付けのないたこ焼きの粉。どうしよう、味付けようか、そうだよ、味付ければいい。どんな味にする?と私、もうひとりの私が、俺に任せとき。
9時半にEテレで京都美人女性が指導する料理番組が終わった。さあて寝ようか。目覚まし時計を7時にセットした。安定剤(入院の時、眠剤と言う看護師さんもいたが説明書には精神を安定させるとある)を飲んだ。さあ、寝るぞ。
写真の花は、先日行った鳥取県の日南町にある「松本清張文学碑」のある一角で見つけた。おや、こんな所に咲いているとパシャリ。山野草を愛でる時はとても心安らかな私なのだが、日常に帰るとどうもいけない。根っからの小心者なのだろうと思う。安定剤、よく眠れた。朝、事務所まわりの掃き掃除を終わっても、いつもの気怠さは消えていた。
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秋桜
2025年09月09日
3回目の事業承継支援センターで話し合いがあった。計画は、確実なものにしようと先延ばしすることになった。それがいいと思った。車に乗って会議所の駐車場を後にした。月一の2連休の今日は初日。明日も休み、今日は夕方まで走ろうと思った。米子市から日南町を通って奥出雲町を通って帰ることにした。
ステレオのボリュームを上げた。聴くでもない音楽の音が車内に広がっていた。今朝の話し合いを反芻してみた。私にとって、ステレオのボリュームは気にならない。むしろ心の安定剤でもある。今朝の、ふたりの親子の顔が見えてきた。よく似てるなあと思った。そうだよ、親子なんだもの。
私の命はあと何年だろう、そんなことも頭をちらついた。幸せになってほしい。あの娘さんに、幸せになってほしいと思った。社会に対して、何の役にも立たなかった私、私の存在が、せめて彼女に役立ってほしい。それが私の、せめてもの罪滅ぼしかもしれない。そう思った。写真は、鳥取県の日南町を通った時、なんとなくもう一度立ち寄ってみようと思った松本清張氏の文学碑、そこのコンクリートブロックの脇に一株のコスモスが咲いていた。1枚のCDに納められた山口百恵さんが歌う「秋桜」、5回目が回ってきた時、事務所に着いた。なんて、温かな歌なんだろう。
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時々、ね
2025年09月05日
毎日毎日、24時間エアコンの中。もう、こんな状態が2ヶ月続いている。歳のせいか、それとも体質のせいかエアコンの中では熟睡できない。 かなりの疲れが蓄積してきた。それでも昨夜、ふと涼しさを感じて10時にエアコン消した。よく眠れた。半分の、蓄積した疲れが回復したのかもしれない。
この頃トンボが増えた。スーイスイ、スーイスイとリズミカルに空中に舞っている。草むらにはコオロギの鳴き声がする。コーロコロコロ、コーロコロコロと美しい音色。こんなに暑いのに、間違いなく秋は訪れてきている。午後、銀行に行った。用件片付けて駐車場に出たら土砂降りの雨。ひと雨ごとに、涼しくなっていくのだろうか。
トンボで思い出した。NHKラジオの子供科学相談だ。ある少女の質問だ。蚊って、必要な生き物なんですか?。答えは、蚊がいなくなると、それを餌とするトンボが生きていけなくなるんだ。蚊がいるために、食物連鎖がどんどん大きくなって、植物の成長などにも及んでいく。だから蚊も必要なんだ。分かったかい。・・・私の存在感は、蚊より劣るのだろうか、などとふと思う時がある。
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今日はなんだか嬉しいな
2025年09月01日
遠回りして帰ろうと思った。さっきの話し合いを、妻とふたりでもう一度反芻したいと思った。宍道湖の北側を車で走っている時、息子を介した妻の思い出が次から次と次と巡っていった。風景が涙で霞んだ。思い出の中でも、会えて嬉しいなと思った。そんな折、先日の盆に娘が言った一言を思い出した。「再婚しなよ」って。
友達は欲しいけど、再婚はしないよ。俺にはさ、心の中になぎさがいるから再婚はしない。なぎさは今でも俺の女房だから。そしたら娘、「はいはい」と、一言応えてその会話は終わった。でも嬉しかった。私たちに気を使わないで好きなように生きろ、そういうことなんだと娘の気遣いが嬉しかった。いい娘達だと思った。
玉湯町の入所施設で、施設の人と、島根県東部発達障害者支援センターの人と、私との3者で話し合った。病院で、身体拘束された息子の将来に灯りが見えた気がした。妻を失い、同じ日に息子が入院し、ひとりで悩み苦しんだ孤独な7年間。闇の中に、ポツンとちっちゃな灯火を見た。人生、まんざら捨てたものじゃあない。

写真は今日の風景ではない。いつだったか、出雲市の道の駅「キララ多伎」の展望ホールから眺めた風景だ。風景は、いろんな顔を見せてくれる。同じ顔など、二度とありゃしない。




