店主日記
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行ってくる
2025年04月24日
とうとう今日になった。なぎさ、じゃあ行ってくる。カテーテルアブレーション治療を受けて、元気になって帰って来る。入院は一週間ほどだと思う。必ず帰って来るから待っててな。元気になって帰ってくるから待っててな。必ず元気になって帰って来るから待っててな。ほら、今年もツツジが咲いてるよ。
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7回目の命日
2025年04月23日
出雲市の息子を見舞った後、立久峡を通って掛合町の国道54号線に出て帰ってきた。車中、7年前のあの時の記憶を思い出しながら缶コーヒーを飲みながら車を飛ばしていた。峠の頂あたりは霧が深くて視界を遮った。そう言えば、あの時も視界を遮っていたなと、感慨深かった。
妻の四十九日の法要が終わって心の平穏を取り戻しかけた時、久し振りのドライブに出かけた。ふたりの思い出が深い、大田市街地から三瓶山北の原に向かった。三瓶ダムを右手に見た時に、もう妻には会えないんだなとそう思った。その時、突然両瞼から涙が溢れてきた。とめどなく溢れてきた。やっと我に帰ったのかもしれない、そう思った。妻が亡くなって以来、初めて流す涙だった。
今日はそんなことを思い出しながらの小ドライブだ。夕方、アパート案内があるからその準備に早く事務所に帰らなきゃあならない。妻が好きだった当時のスーパーマルマン茶山店の寿司を買って家に持って帰っておいた。なぎさ、アパート案内が終わったら一緒に食べような。そして乾杯しような。
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美保神社
2025年04月20日
時々この店主日記に登場する美保神社。私が休みの日に、行く当てがないと向かうのが奥出雲町かここ美保神社だ。ひと昔前までは土産物店やお食事処が営業していて賑わっていた。だがそれらも今は営業をやめて訪れる人も少ない。失礼だが、その方が私にとっては趣があって良い。落ち着くのだ。
先日、車を持たない友達が神社に連れて行ってと言う。お守りが買える神社がいいと言う。出雲大社を考えたが、人が多すぎると思ったから美保神社に行くことにした。いつもの駐車場に車を停めて参拝をした。私は礼も拍手もすることなく、賽銭のみにした。願など叶う訳もなしと、クールな私だ。賽銭は、神社の保存にちょっとでも役立てばとの願いからである。
その後におみくじ売り場に行った。そこで友達はお守りをひとつ買った。そして私に渡してくれた。これをもって入院してと言って。見たら「病気平癒」のお守りだった。神や仏など、信じる私ではないが、だけど有難かった。嬉しかった。手術終わって一週間の点滴入院生活は辛いけど、心を強く持とうと思った。必ず帰って5年計画を果たさねばと思った。
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ツツジ
2025年04月19日
真夏のような暑さがやって来た。今朝来た時には3輪ほどの花びらが昼になったら20輪ほどに増えてきた。夕方までにはもっと多くのつぼみが開くのだろう。事務所のパソコンデスクに座ってこの風景を毎年楽しんでいる。ピンクの中に紫がかったのがあったのでスマホでパチリ。
午後から神社に行こうと思っている。どこの神社かはまだ決まっていない。カテーテルアブレーション治療が成功しますようにと友達の誘いを受けたからだ。神とか仏とか、全く信じたことがない私がその気になった。それも良いかと思ったのはやはり不安?。それとも歳のせい?。
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西洋タンポポ
2025年04月18日
どうもこの頃落ち着かない。先日は北京から帰国する娘のことが気になっていた。一週間前になったら気が気じゃあなくなった。無事帰って来いと。そして今、来週の入院のことが気になっている。その準備は整いそうか、と。ひとり身でする入院は大変だと思う。忘れ物ないかと。うっかりしてはいないかと。
あ、そうだ。治療が終わってのしばらくは寝てるだけ。テレビもいいが読書したいと思った。レターパックに契約書を入れていつものコンビニに行った。ポストに入れたらブックコーナーへ。おもしろそうな500ページ余りの推理物の文庫本があったので買うことにした。値段を見たら1,020円。へえ、物価高はこんな所にも。
朝の忙しさが一段落した店内、いつもの店員さんに話しかけた。来週ね、心臓の手術というかカテーテルアブレーション治療のために入院するんだよ。わ、怖そう。ううん、朝9時にベッドに乗って、麻酔しますねって言われて気が付いたら夕方の病室の中。もう、4回目だから、慣れてるから大丈夫。事務所裏にひっそりと咲く西洋タンポポも可愛い。
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シロバナタンポポ
2025年04月17日
昨日の定休日に事務所前に降り積もったクスの葉っぱ、今朝大方を片付けた時、つむじ風が舞って元の木阿弥。駐車場より、事務所前よりも先にと歩道に積もった松葉を片付けていたら疲れた。ちょっと休憩。それにしても、この落葉をもたらす楠木と松の木の真の持ち主はどんな気持ちでいるのだろう。通りがかりの人がよっぽど心優しい。
愚痴はよしにして、今朝の墓参終えてふとかたはらの草むらを見たらシロバナタンポポの花が2輪。あ、こんな所にシロバナタンポポが咲いている。そおっと近寄ってスマホで撮影した。外総苞片が反り返っていないから在来種だろうと思った。松江市街地ではまれにしか見ないシロバナタンポポ。心が和んだ。
さてと、残りの落ち葉、昼までには奇麗にしようか。今日は暖かいから事務所内でもワイシャツ姿でちょうどいいくらい。落ち葉履いたら汗かくかもしれない。まてまて、もう少し休ませろと爺さんが言ってるよ。
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カテーテルアブレーション治療
2025年04月15日
今朝気怠く目覚めた。軽い吐き気がした。朝ごはん摂りたくないなと思った。水だけ飲んで出勤することにした。激しい雨が降っていたので墓参は後にすることにした。出勤してもまだ吐き気が続く。昨日病院での造影剤の副作用だと思った。小降りになったので墓参に向かうことにした。
コーヒーカップ2杯分ぐらいが入る保温ポットにインスタントコーヒーを入れた。墓参を終えて左回りで宍道湖一周をすることにした。ハンドルを握ると吐き気は収まった。今月25日のカテーテルアブレーション治療の入院が終わって退院するまで、なんとなく落ち着かない気持ちである。
墓参に出発する時、なんとなく車の走行距離メーターに目が向いた。その数字,133333キロを示していた。おもしろいと思った。駐車してる時こんな数字を目にするなんて。そう言えば、私は運転免許を取ってから、何キロ走って来たのだろう。1年間で12,000キロは走っている。でも先日、交通安全協会に入会したら、40年間無事故無違反表彰をして頂いた。ついでに全日本交通安全協会の表彰状と記念品も頂いた。
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朝は晴れていたのに
2025年04月14日
8時20分に病院に着いた。受付を済ませて3階処置室に行った。処置を済ませてレントゲン室へ。造影X線検査を受けるために。撮影終わって処置室に帰った。狭いベッドの上で結果を待つこと2時間。眠れるほどの強心臓でもなし、いろいろなことを考えた。仕事のこと。息子のこと。娘達のこと。孫のこと。亡くなった妻のこと。
やっと先生がやって来て、午後の検査はしなくても大丈夫の言葉を聞いてほっとした。病院を出たら冷たい雨が降っていた。車に乗ったら疲れがいちどにふきだした気がした。事務所に帰ってインスタントコーヒーを淹れた時、小さな食器棚の中のコップに二人の歯ブラシが並んでいるのが見えた。なぎさ、会いたいな、とつぶやいた。雨と、疲れが寂しさを誘ったんだと思った。
写真は広瀬町布部の交流館で撮った雛人形だ。人形の大きさを表現しようと私の左手を添えた。スマホの画面を見て、結婚指輪が写っていることに気が付いた。大好きだった妻との指輪、今後の人生、一生つけるつもりだ。はずしはしない。後10日で7回目の妻の命日がやって来る。
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さあ頑張るぞ
2025年04月12日
今朝起きてすぐにコップ2杯の水を飲んだ。出勤して開業準備を終えてまたコップ4杯の水を飲んだ。この頃喉が渇くとは思うけど、今日は特別、異状。昨日の疲れが残っているのだろうか。いや、あんなことで疲れる私じゃあない。鳥取往復したぐらいで疲れる私じゃあない、よね?
24日からの入院には、見舞いに来るなと長女に言っておいた。だからかもしれない。10日に鳥取の婿殿の実家から娘一人16時44分着の列車で松江駅に帰ってきた。迎えに行った帰り、今はホックだけど元マルマン茶山店で寿司を買った。この寿司、妻のお気に入りだった。何かお祝い事があると、我が家ではこの寿司を食べることが定着していた。
娘とふたりで食べる寿司とビールの味は格別だった。積もる話は山ほどあった。北京での暮らし。これからの東京での暮らし。入院中の息子の話。末娘の近況。私の入院治療のこと、話は尽きなかったが明日の朝がある。じゃあ休もうやと言って、それからトイレにも起きず朝7時までぐっすりと眠った。
11日の朝は8時に家を出た。墓参を終え、事務所を開け、電気を付けて出発した。山陰道をすっ飛ばした。10時に鳥取市に到着した。早く孫の顔が見たかった。両手を広げておいでと言ったら抱っこさせてくれた。でも少しの間だけ。でも抱っこさせてくれた。大きくなって、気遣いもできるらしい。
婿殿、娘、孫と私と4人でスタバはないけど砂場はあるよと言うスナバコーヒー店で食事した。にぎやかな食事は楽しかった。そして別れて一般道の国道9号線で帰路についた。なぎさ、またひとりになっちゃった。何言ってんのよ。娘も帰国して来たじゃない。東京で暮らしても日本だよ。それに、あなたには私がついているんだから。
写真は、この日に帰国して来る娘のことで落ち着かなくて、車で広島県をさ迷って立ち寄った備後落合駅。ここが木次線の終点で芸備線の始まりなのである。
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娘が帰国した
2025年04月09日
昨夜の8時頃だったか、今羽田に着いた、やれやれ、と娘が知らせてくれた。3年あまり前、婿殿が電話してきた。仕事で北京に行けるけど、そうしてもいいかと言って。あなたの娘と一緒に北京に行ってもいいかと言って。そりゃあチャンスだよ、行け行け。私はそう答えた。
婿殿の転勤と娘の出産が重なった。我が家に里帰りし、出産することになった。孫との生活が始まって半年が経った。東京行きの飛行機で北京に向かう娘と孫を出雲空港の展望デッキで見送った。離陸して、間もなく視界から機体の姿は消えようとした時、人前もはばからずに両瞼から涙がこぼれてきて途切れることなく頬を伝った。
あれから2年半余り、孫も3歳になった。何度かは里帰りし、会っている。会ってはいるが異国で暮らす娘達、帰国が近づくにつれて心配の度合いは増していった。1週間も前になったら気が気ではなくなった。後何日、後何日と指折り数えた。ご苦労だった。異国での生活は疲れたろ。もう大丈夫だ。今日は出雲市の息子を見舞った。帰り出雲大社の鳥居前を通った。大社の山は山桜が笑うように咲き誇っていた。
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走行距離280キロ
2025年04月08日
8時過ぎに出発した。まず、奥出雲町に行こうと決めた。先祖のお墓に行こう。墓参を終えて三成駅に行った。下りのホームにピンク色の桜だろう咲き誇っていた。だが、ソメイヨシノはまだ2~3分咲き。松江の桜はもう花吹雪になろうとしているのに。
横田を通って道の駅「おろちループ」に向かった。桜はまだ開花どころか固い蕾。道の駅を後にして広島県の県境を目指した。トンネルを抜けた三井野原の分水嶺に標高が表示してあった。727メートルと。桜も咲かぬ訳だと悟った。道の駅の支配人らしい女性に聞いたところ、あのあたりの満開は4月末頃だとか。
広島県をさ迷った。どこへ行こうかと、心が定まらなかった。いつか知らぬ間に、三次市に着いていた。国道54号線を探した。もう帰ろう。もう十分じゃあないか、そう思った。最後の休憩地、道の駅「掛合の里」でCDを交換した。グレープの精霊流しが聴きたくなって。
心のコントロールが効かなくなってどうしようもない時、車で走ることにしている。すると、流れゆく風景が安定剤のような効果をもたらしてくれる。十分薬が効いた頃、戦闘モードを取り返すことができる。これから5年間が私の人生の集大成の期間だ。ある人と約束をした5ヵ年計画、完成させなければと決意に変わる。
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川柳
2025年04月06日
「妻に口答え お返しは朝昼晩のカップ麺」・・・先日、安来市広瀬町の布部交流センターに行った。目的は雛人形を見るためだ。公民館にしては広すぎるホールいっぱいに、それぞれの特徴を持った雛人形が展示してあった。時間をかけて一つ一つ拝見させていただいた。
そろそろ帰ろうかと思った時、隣の部屋に川柳の展示を見つけた。おもしろいなと思った。聞けば、80歳くらいの男性が作ったものらしい。作者ご本人と、奥様との関係性をユーモア―たっぷりに仕上げられたものだ。お二人は、川柳の文面とは逆にとっても仲がいいのだろうと思った。
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満開の桜
2025年04月04日
妻は7年前の今月に亡くなった。その年の夏、松江市が管理するこの公園墓地を墓所と定めた。以来、訪れることが不可能な日以外は毎日の墓参を続けている。今では花も生けなくなったけど、毎日の墓参は欠かさない。蝋燭と線香を灯し、数分だけどふたりで会話する。
インドアな妻を、アウトドア派にしたのは私だろう。キャンプもしたし、休みの日はどこか車で連れ歩いていた。妻もそれを喜んだ。晩年は、今度の休みどこに行くって話しかけたのは妻からだった。サザンが好きだった妻、70年代のフォークソングはふたりの会話の潤滑油だったのかもしれない。
妻亡き後、狂ったように車で走り回った。ドライブは、妻の笑顔と寄り添うのに向いていた。春は、あちらこちらに桜の花を見た。あれも、妻とふたりで見た桜だなと思っても愛でる気にはなれなかった。そんな心の余裕など今の私にはありゃしない。だが、ここの桜だけは違う。妻とふたりで愛でている。この坂道を少し上った左手に妻の墓所はある。
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たこ焼きパーティー
2025年04月03日
先日の定休日、妻の墓石の掃除をした。何ヶ月振りだろう、そのせいか泥まみれになっていた。めったに掃除してあげられなくてごめんなとつぶやいた。花も生けてあげられなくてごめんとも思った。その後ぶらっと車を走らせた。なぜか、妻の面影が次から次と心の中を通り過ぎて行った。懐かしかったが寂しくもあった。
あ、そうだ、今晩はたこ焼きパーティーをしようよ。俺が焼くから、そうしようよ。妻の顔がにっこりと笑った。夕方5時からビールを飲みながら焼き始めた。焼き方上手いもんだろ、素人にしちゃあ。私好みにこんがりと濃い狐色に22個を焼いた。明日さあ、安来市の布部交流センターで雛人形の展示があるんだよ。行ってみようか。俺この頃、雛人形にとても興味があるんだ。
米子市から国道181号線だろうか、岡山に向かう街道沿いに有限会社岡田商店宗像店がある。販売商品は格安の野菜がいっぱいだ。先日行ってきた。友達は何種類かのを買い物袋いっぱいに買った。毎朝のサラダが欠かせない私は大きなキャベツを一個だけ買った。今朝もそのキャベツを食べた。写真は岡田商店。友達撮影。
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今日から4月
2025年04月01日
4月になった。新年度になったからって特別な気持ちは私にはない。年度替わりに何か体制に変化があるのなら・・・そう言えば子供たちが小さい頃のこの時期は楽しかった。新一年生だったり進級したりで我が家は賑やかだった。ただ今の私は、この月になったら心は騒ぐ。妻の命日がやってくるから。
この店主日記を辿ってみた。昨年の命日の23日はふたりで飲もうと書いている。23年にはポケットサイズの小さな遺影を握りしめてふたりが出会った出雲大社の参道を歩いている。22年21年はデートの思い出を辿って鳥取市の観音院に行っている。
今年はどうしようかな。23日は水曜日の定休日、午前中、出雲市の息子に合いに行こう。その足で三瓶山に行って石見ワイナリーでワインを一本買ってこようかな。そして夜はふたりで乾杯だ。長女も帰国したよ、もう安心だねと言ってふたりで乾杯しよう。
写真は先日、助手席から友達が写したもの。運転も熟練すると、より楽しくなる(無事故無違反の全日本交通安全協会表彰状取得)。ひとつには、目線が遠くに行く余裕ができるからだろう。残雪の伯耆富士が美しい。大山がよく見える。