店主日記
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寅さん
2024年11月28日
出勤の車のフロントガラスになにやら白いものが。あ、霙だ。霙が降ってきた。寒い訳だ。だからだろうか、なかなか布団から抜け出せなくて、急いで朝ごはん食べて、お墓に行って、事務所に着いたのが営業開始時間の9時ちょうど。10時のテナント案内したら体が凍えた。そして昼になった。太陽が顔を出してきた。だけど風が強い。事務所前の県道を落ち葉たちが走っている。事務所前の歩道で落ち葉たちが踊っている。
昨日の朝、財布の中に3万円あったのに、もうすべてが無くなった。定期通院の病院代を支払った。スーパーで一週間分の食品を買った。一週間分の酒を買った。そして今朝、10年間履き古した革靴を新調した。それですべてが無くなった。何もかもが値上がりしたんだねと、さっき、テナントのオーナーと愚痴を言い合ってきた。
先日行った勝山で、寅さんロケ地の石柱を見た。いつも見ているものなのになぜか今回は親しみを感じた。今は亡き渥美清さんが演じたのは風来坊の車寅次郎。私もひとり暮らしになって5年半、風来坊振りが身についた。風来坊振りが身に沁み込んだ。人柄も、寅さんみたいになりたいな。
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時代
2024年11月25日
今はこんなに悲しくて、と始まって、そんな時代もあんな時代もあったね。だけどきっと笑って話せる日が来るわ。喜びと悲しみ繰り返しながら。要するに時が解決するよ、と言うことなのだろう。1975年、中島みゆきさんが作詞作曲して自らが歌った「時代」。私にはそんな日は来ないだろうけど、それにしても、彼女詩人だね。
歌は世につれ世は歌につれ。ひとり暮らしになって、私はよく歌を聴くようになった。それも、楽しい明るい歌ではだめ。悲しい歌がいい。寂しい歌がいい。別れの歌がいい。失恋の歌がいい。ひとりぼっちの歌がいい。だけど艶歌じゃなくて、ポップがいい、フォークがいい。70年代のがいい。そんな歌がかえって心を慰めてくれる。暖簾にしても、寂し気なのに心惹かれる。・・・え、どうして?。今日の空は雲ひとつなく晴れ渡っているのに、どうしてこんな気持ちになったんだろう。
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運動不足解消
2024年11月24日
事務所周辺に散乱した、と言うより降り積もった落ち葉を掃除している。最初は30分間連続で動いたが後は続かない。5分しては10分の休憩。通りがかりの年配の女性、紅葉もいいけど、大変だねと声をかけてくださった。そうですねと答えて、でも体力作りですと粋がってみた。そうか、そう考えればいいんだと笑顔。人間っていいな。あ、雨が降りそう。まだ降らないで、まだ片付いていないから。
勝山町を歩くと、間もなき町はずれという所に写真のようなこんな風景に出会える。一番左の石柱に、出雲街道とある。この道を通って、京、大阪から荷物が運ばれて、反対に出雲から鰻などが運ばれた道なのだろう。そして右の石柱に、左雲伯往来とある。雲は出雲であり、伯は伯耆のことだ。つまり、米子や松江に行ける道なんだよということになる。その昔、私の先祖もこの道を往来したかもしれない。
歩道を先にと掃いていたらまた違った年配の女性、毎日毎日、限がないね。そうですね、でもほおっておけないからと答えたら、良く姿見るからと。そう、ほおっておけないんだよね。この場所で私は生活を支えられているのだから。この場所はほおっておけないよね。・・・風も出てきた。雨雲も広がってきた。もう直ぐに、落ちてくるかもしれない。
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あれあれ
2024年11月23日
昨日は「あじさいの会」(日本自閉症協会島根県支部松江分会)に参加した。特に重要な決め事などではないが、和気あいあいと自分の子の近況報告や雑談の場でもある。そんな会でも、そんな会だからこそ、自閉症という子供を持つ親にとって参考になったり、勇気が湧いたりするのだと思う。その後の食事会も、この頃息子のことで悩んでいる私にとっては気休めのひと時だった。
そして夕方になった。あたりが薄暗くなったと感じた時、何気なく見た茶臼山の上空にカラスの一団を見た。寒くなると、鳥は群れる習性があるらしい。しばらく同じ所で輪を書くように回り続けていた。何かを確認し合う行事なのだろうか。そしてその後、少しずつその数を減らし、やがては見えなくなった。これも、初冬の風物詩でもあるらしい。
写真は暖簾の町、勝山町の暖簾のある風景。AREAREA(アレアレア)。はて、何屋さんだったのだろう。
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ああ、眠たい
2024年11月21日
近くに街路樹として植わっているけやきの木の葉っぱが我が事務所界隈に散乱していた。一昨日の夜の風雨の悪戯らしい。事務所付近だけでもと、掃き清めた。その作業に30分余りを費やした。我が社名として頂いたけやきの名、愛おしくても腹は立たぬ。
それが終わった10時、近所のコンビニに支払いに行った。我が社がオープンして間もなく、店員として勤務されたと記憶している年配?の女性、レジに立たれた。顔を見ると話しかけたくなる人だ。眠たくてしょうがないよ。にこっと笑顔が帰って来る。それにしても、どうして休みの日の昨朝、早くに目覚めただろう。今日はこんなに眠いのに。
写真は勝山町のある風景。
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グレープ
2024年11月20日
休みだからゆっくり寝たかったのに、6時前に目が覚めた。もう少し寝ようと思うのだが眠れない。それでも8時まで耐えた。そして限界を感じて起きた。昨夜、息子に会いに行こうと決意したからだろうか。そうかもしれない。そのことを重荷に感じていたからかもしれない。
公園墓地から、山陰道の側道を少しかすめて国道9号線に出た。玉造温泉入り口の交差点を過ぎると宍道湖が視界に飛び込んでくる。湖面は静かで、いち面に朝の光を浴びていた。鴨たちが、気持ちよさそうに等間隔で浮かんでいた。あの鳥たちにも、悩みのひとつやふたつあるのだろうか。そう思うのは、私のひがみなのかもしれないと思った。
病院に着いた。まだ息子は身体拘束されていた。そんな息子を見るのは辛い。心が苦しい。だが、拘束をとく練習を少しずつだがしているとか。それを聞いて、ちょっぴり心安らいだ。眠っている息子を起こさずに少し見守ったが、やがて病院を後にした。26日に再びやって来るからなと言って。
いつものコースで三瓶山に行くことにした。9号線から見る日本海も波静かだった。大田市から北の原に向かった。49日が終わって、緊張の糸が切れたようにこの道を走りながら涙を流した。妻のことを想いながら涙がいっぱい流れて来た。以降、泣かなかった私が涙もろい男になってしまった。このことも、もう思い出に変わろうとしている。
三瓶山は通り過ぎただけで頓原から国道54号線に出た。いつもより強く、今日は妻の思い出に浸ってしまっていた。ちょうど、音楽はグレープが歌う「精霊流し」に変った。妻を想う時、グレープが歌う声はよく似合う。「無縁坂」、「縁切寺」の3曲を繰り返し繰り返し聴いた。
写真は本文とは無関係だが、先日行った私の好きな町、岡山県真庭市の勝山町の一角を切り取ったものだ。雛祭りの3月3日前の一週間、この町のいたるところに雛人形が飾られる。3月3日生まれの私と、何か縁がありそうで。
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昨夜夢を見た。
2024年11月19日
昨夜夢を見た。家族の夢を見た。子供たちはまだ小さくて、妻がいた。家族全員がみんなそろっていた。ところが、何をしている時の夢なのか分からなかった。それぞれが何かをしていて、それぞれが違った動きをしていた。それを私が眺めていたような記憶がある。
でも、どうしてだろう。私の家族だと言うことはしっかりと理解できるのに、それぞれの顔かたちがはっきりとしない。顔の輪郭さへも分からない。どうしていつもそうなのだろう、ほんのたまにしか夢に登場しないのにいつもそう。いつも顔がはっきりと分からない。妻の顔をもう一度見たいのに。会いたいなあと思うのにいつも顔がぼやけてる。
写真は私が写した紅葉の写真だ。一眼レフって、なんでこうもすごいのだろう。なんで解像力がこんなにもあるのだろうもう、十数年前に買ったキャノン製のEOS Kiissx4なのに。
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K女子の写真展最終日
2024年11月17日
今朝6時半に起きた。朝食も摂らずに出勤して来た。事務所近くにある1棟に2店舗ある貸店舗の周辺の掃除のためである。店舗が開店すると駐車場に車が来て掃除しにくくなるから、朝早くの作業だ。草もかなりの量があった。隣がコンビニとあって、コーヒーの空き缶などが散らばっていた。2時間かけて奇麗にした。駐車場もかなり広い。だから疲れた。今日は30分早く仕事終わろ。
今、Sayaさんが歌う「秋桜」を聴いている。この曲を聴くと、しんみりしてしまう。この歌の中の母の気持ちを、私の妻にも経験させてやりたかった。娘にも、これを歌う娘の気持ちにさせてやりたかった。ふたりとも、きっとこの歌の気持ちになっただろうな。あいつら、気は強かったけれど、優しいところがあったからな。
おいしいカレーを食べて、カフェエルプラスさんを後にした。車で走り出した瞬間、しまったなと思った。聞くことを忘れた。このあたりはカメムシをなんて言うんですかって。恐らく、ハットウジと言うんだろうと思う。三次市でも、岡山県真庭市の勝山町でもハットウジとそう言うんだから。私の育った田舎もハットウジと言ってたからこだわりがある。
車は鳥取県に入った。道の駅「にちなん日野川の郷」で一服した。イチョウ見物のシャトルバスを待つ人々で賑わっていた。そして車は緑水湖を右に見た。湖岸に公園があって、東屋の上のもみじが赤く紅葉していて美しかった。米子市を通って帰ってきたのは4時半。彼女を実家まで送って行った。実家がある人って、いいなとそう思った。
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ああ、あったかだなあ
2024年11月15日
昨夜も眠りが浅かった。途中何かで目が覚めて、そしたら息子の顔が浮かんできて、その姿を思い出したら眠れなくなって・・・。そして朝目覚まし時計が鳴って、でも気怠くて起きれなくて、結局ぎりぎりまで布団から出られなくて、やっとのことで仕事に間に合って、でも、眼が暖房の中でしょぼしょぼしている。
朝のうちに通帳の調整をした。事務所の通帳からいくらかの金額を引き出した。それを同じ山陰合同銀行の自家用通帳にいくらか入れた。この通帳から家庭の生活費が引き落とされる。そして島根銀行に行って家賃を納めた。その足で郵便局。郵便局の通帳からは私の生命保険料と、末娘の生命保険料が引き落とされる。ややこしいかもしれないが、妻の代のやり方を引き継いでいる。個人事業主だからこんなやり方が通用すると思うとおもしろいね。
さて、これで今月の支払いは片付いた。月末の22日には「あじさいの会」がある。これには今月も出席の予定だ。息子のことを報告しておきたい。26日には、息子の入院先の病院に行く。入院延長の話し合いがある。27日は私の定期通院の日。だから支払いだけは早めに片付けておいた。
KAFEエルプラスさんから頂いた名刺を見ている。ローカルな暮らしを楽しもう!とうたってあって、中国山地の山の恵みや里山で収穫された旬の食材を使った料理&スイーツ。とある。そう言えば前菜に出されたスープや食材に、どこか里山の味がして、私には懐かしく頂けたなと、同じ中国山地の山育ちの私はそう思った。そして部屋の片隅に置かれた暖炉の灯は、子供の頃の教室に燃える薪ストーブのような、目にもそんな暖かみがあって心も温かくなってきた。
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真庭市勝山町
2024年11月14日
車は県境を通り越して広島県に入った。昼食時間が近づいてきた。あ、そうだ。昨年、この近くに素敵なカフェを見つけたんだよ。そこへ行こう。鳥取県に向かう道をそれて福山方面に方向を変えた。どこだったかなあ、左手にあったんだけど。しばらく走ると見つけた。CAFEエルプラスさんを。庄原市東城町川鳥34-4にそこはあった。(2023年10月19日の日記参照)
写真はカフェエルプラスさんの外観。カレーを頂いた。まず前菜が出てきてそしてスパイスの良く効いたカレーは美味しかった。撮影はK女子。
昨日は岡山県真庭市の勝山町にひとり向かった。好きな暖簾の町並みなのに、歩いていても心浮かない。息子、宗一郎の顔がちらついていた。気持ちが、息子から離れていかない。楽しいはずの町歩きも気持ちが沈んだ。宗、今どうしている。そうだよな、身体拘束中だよな。すまんな、俺だけこんな所に来て。
帰り、四十曲峠を越えた。九十九折の下り坂を過ぎると道は平たんになった。運転に余裕が出来た。そして、息子のこの6年半を考えてみた。俺は、本当にどうすることもできなかったんだろうか。やはり、どうしようもなかった。市役所の、県庁の障害者福祉課にも相談に行った。だけど、時期を待つことしかないと悟った。宗、俺の力が無くてすまんな。ごめんな。悔しくて、悔しくて涙が視界を遮った。
昨夜も眠りが浅かった。出勤して、居ても立ても居られなくて市役所の障害者福祉課に行った。県庁の障害者福祉課に行った。事実を知ってもらおうと、事実を淡々と話してきた。ひょっとしたら何かが変わるかもしれない、そう思った。宗、このくらいしかできない、今の俺じゃあ。本当にすまんな。こんな人生を与えてしまって。ごめんな。
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悔しいな
2024年11月12日
月一の2連休の初日の今日、出雲市に入院中の息子に会いに行った。両手足と、胴とを固定されていた。拘束されていた。もう、病気は治ったけれど、その入院によって強いストレスを感じたのだろう、自傷行為をするようになったらしい。だから拘束されている。胸が痛い。もう1ヶ月余りもこの状態だ。胸が痛い。張り裂けそうなほど痛い。
車で走りながら、6年半前に入院しなければならなかっら理由を思い出していた。山本潤子のCDの歌声は、妻の声に似ている。その歌声を聴きながら車で三瓶山を走った。入所していた施設に原因があった。その時、病気でもないのに入院を承諾した病院も責任があった。悔しい。私には現実をどうすることもできない。ただただ悔しい。憎い。息子が入院したその日の前日に、どうして妻は病に倒れなければいけなかっただろう。どうして入院のその日に、妻は息を引き取らなきゃあならなかったのだろう。
金屋子神社を後にして、道の駅「酒蔵奥出雲交流館」に行った。そこでどぶろくを買った。そしてまた道の駅「奥出雲おろちループ」に行った。紅葉時期とあって、駐車場の車の数は多かった。一部の木々の葉は、赤く染まっていた。もう少ししたらもっと奇麗だろうと思った。これから広島県に入ってみようと思う。
写真はk女子
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母性
2024年11月11日
先日の立冬の夜、炬燵を出した。妻が逝ってしまってから6年半。味気ないひとり暮らしになって5年半。ひとり炬燵板の上のコップに焼酎のお湯割りを酌むのは味気ない。これから先、何年こんな暮らしが続くのだろう。これから先、何年ひとりで生きていくのだろう。女やもめに花が咲くって言うけれど、男やもめの心にはウジがわく。
私の自閉症というしょう害を持つ長男は35歳になる。先日、県立の出雲中央病院に転院した時があった。慣れない病院の個室、不安らしい。私が会いに行っても嬉しがらない。妻はもうこの世にいないのを、知ってか知らぬか分からぬが、妻が来るのを待っているらしい。もういい大人なのに、やっぱり母性が欲しいらしい。男は強くなれないね。
男って、いつになっても母性というものが必要らしい。女性と話していると心が和む。車の助手席に、どこか波長の合う女性がいると心安らぐ。だから私は、ほんの時々ドライブに女性を誘う。目的もなく走り回って、お昼になったら一緒に昼食を、夕方になったら住まいに送って行く。ただそれだけ、それだけで心安らぐ。
先日も一緒にドライブをした。朝の自宅に迎えに行って、どこか行きたい所あるって聞く。いや、特にないって返事が返ってくる。じゃあ、当もなく走り回るよ、と言って走り出す。今日は広島県をかすめて、鳥取県をかすめて帰ってこようか。そう言って八雲町から広瀬町に抜けた。布部ダムで一時停車。間もなく金屋子神社に着いた。
上の写真は布部ダムに架かる吊橋。下の写真は金屋子神社の参道に置いてあるケラ。広瀬町の金屋子神社は、全国にある1200社の金屋子神社の総本山らしい。ケラとは、たたら製鉄の製鉄炉から取り出された鉄のかたまり。写真はドライブ相手、K女子が写したもの。K女子の写真は今後この日記に数回続く。
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観音院
2024年11月07日
鳥取駅が高架化されて間がない頃だった。私と妻は知り合った。妻は兵庫県の但馬地方に住んでいた。当時こんな言葉があったかどうか、いわゆる遠距離恋愛だった。もちろん携帯電話もない時代だったからしばらくは文通が続いた。そしてたまには会おうと言うことになり、ふたりの住んでいる中間の鳥取駅で待ち合わせすることにした。
鳥取駅の改札口は、ホームから階段を降り切った所にあった。そこで人々の中に混じって階段を下って来る彼女を見つけるのが楽しみだった。改札を抜けて来る彼女に言う最初の言葉はいつも「やあ、久し振り」。そう言っていた。数か月に一度しか会うことがなかったから自然とそんな言葉になったんだろう。
ある日、駅に早く着いたので、観光案内所を覗いた。そこのパンフレットに、「観音院」を見つけた。庭園に興味があるわけではない。観賞するほどの能力があるわけではない。だけど、なぜか興味がわいた。そして改札を抜けてくる彼女を誘ってみた。どう、行ってみない。
観音院の縁側で頂いた抹茶の茶碗の底には、干支の文字が刻んであった。私は何気なく茶碗をお盆に返した。その時、彼女が笑顔なのに気が付いた。そして、私の茶碗、あなたの干支よ。あなたの茶碗は、私の干支よ。そう言った。そんな話したこともないのにどうして私の干支を。不思議な気がした。だがこうも思った。こんな偶然、ふたりは結ばれる運命なのかもしれない。彼女もそう思ったのかもしれない。(2020年10月2日の日記参照)
その2ヶ月後再会した。賀露港に行くことにした。冬になっていた。晴れているが風が強かった。高さの低い防波堤に打ち付ける波は、空高く舞い上がってそのひと粒ひと粒が陽光を弾いてきらきらと光って美しかった。それを正面に眺めながらハンドルに持たれて言った。ねえ、一緒に暮らさない。そのひと言が私の2ヶ月間の決意だった。彼女は、正面を見据えながら、そして黙ってこくりとう頷いた。
今月になった3日の日、無性に観音院に行きたくなった。妻との思い出に浸りたかった。抹茶を頂きたかった。そんな気持ちで昨日行ってきた。観音院の借景の山は色づきがかっていた。ツワブキの花が美しかった。抹茶茶碗に、妻の干支の子の文字を見たら嬉しいな、と淡い期待を持った。そしたらどうだ、子の字が見えた。あの時と一緒だ。嬉しかった。松江を出発するのと、帰りの気持ちは全く別のものになっていた。やっぱり妻はまだ生きている。私の心の中に生きている。そして永遠に生き続けるだろう。
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あ、妻の字だ
2024年11月05日
我が社には大学ノートに妻が作った出納帳がある。今朝、車の給油したのと、店舗の管理料の収入があったので記録した。その時、何気なく裏表紙の裏を見てみた。あ、妻の字だ。そう思った。だけど、2019年=R1、もう妻はいやしない。私たちって、字まで似ていたのだろうか。
この頃、昼間が短くなって時々暖房が欲しくなったきた。暗くなった部屋に帰った時、なんとなく寂しさを感じてしまう。俺って、ひとりなんだな、ひとりぼっちなんだなと、そう思ってしまう。電話すれば、ラインすれば子供たちに会えるのに、だけどひとりぼっちだと思ってしまう。年々、寂しいという思いは増していく。妻が書いたノートの表紙の、出納帳の字を見ただけで寂しくなってしまう。だから明日、鳥取の観音院に行こう。妻とふたりして。
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エノコログサ
2024年11月04日
二日間、止み間もなく雨が降り続いた。昨日の朝、遅く目覚めたら晴れていた。朝のリビングのテーブルに陽射しが届いて暖かかった。でも午前中は、雲が多かった。その雲も、夕方近くにはなくなって、爽快な青空が広がった。耕作を放棄された畑一面にエノコログサが広がって、逆光を浴びてキラキラと輝いていた。エノコログサは、犬っころ草が転じてエノコログサとなったらしい。猫じゃらしと言った方がピンと来る人が多いのかもしれない。文化の日の昨日そんなしょうもない光景に感動した私だった。振り替え休日の今日も、青空が広がっている。そんな爽やかな朝、ジーパンで出勤してきた。土日祝日は普段着にしようかな。
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時代
2024年11月03日
久し振りに晴れた朝を迎えた。リビングのテーブルまで陽射しが届いて暖かだった。妻が眠る公園墓地も、柔らかな日差しに埋まっていた。いつものように墓石に頬ずりして、そしていつものように妻に話しかけた。いつも、取り留めもない近況を話す。ドジャースの優勝パレードの様子がテレビで放映されたよ。大谷がいて、そして奥さんがいたよ。
俺たちも、あんな若い時代があったよね、と言った瞬間、突然心が躍った。なぎさ、今度の定休日に鳥取に行こ。思い出の鳥取の、観音院に行こ。ふたりで縁側に座って、抹茶を頂こ。あの時のように、縁側にふたり並んで抹茶を頂こ。な、そうしよ。今度の水曜日の定休日だよ。・・・昨日、ノートに歌詞をメモした中島みゆきが歌う「時代」が心の中を流れていった。