店主日記

  • チャイルドシート準備して 2023年06月30日

     先日、「お前は元気ならいい。孫に会いたいな」とラインしたら「おい、私には会いたくないってことか!バシ!!」と娘。なんて可愛いことを。ああ、親子なんだな。私はひとりぼっちじゃないんだ。ついつい顔が緩んでしまった。

     

     北京に住んでいる娘からそんなラインが届いた。そして9月になったら一時帰国で帰るから孫と一緒に一週間ほ泊まれせせて欲しいという。そしてチャイルドシート準備しておいてとのこと。だから昨日、松江市の交通安全協会に電話しておいた。貸し出しのチャイルドシートがあるらしい。

     

    三井野大橋

     娘の出産予定日が近づいたころ、道の駅「奥出雲おろちループ」の駐車場に行った。そこで、妻との思い出話や、娘の将来、私の生き方などを話し合った。産気づいても知らんよと、そう言う娘とずいぶん長く話し合った。今朝お墓に行った時、9月に孫を連れて帰って来るよと妻に報告しておいた。楽しみだな、と。

     

     写真は奥出雲おろちループ道の駅から見える三井野大橋。・・・ああ、そうだ。今日で今年も半年が終わる。早いもんだな。東京にいる末娘も、一緒に帰って来るといいな。な、なぎさ、そう思うだろ。みんな一緒に会いたいだろ。

  • 甲斐性なし 2023年06月29日

     出雲市の病院に入院中の息子に会ってきた。息子、昨日は機嫌が悪かった。親父、お前が甲斐性無しだから俺がこうしてこんな所に閉じ込められているんだ。そう言っていたみたいだった。そうだよな、俺が悪いんだよな。そう思ったらハンドル握る心が辛かった。

     

    雲

     

     道の駅「キララ多伎」に着く頃には雨も上がった。でもまだ梅雨空が広がっていた。日本海を眺めた。出雲大社付近に横に長い雲が海面すれすれに漂っていた。何度、この道の駅から日本海を眺めたのだろう。疲れた心を癒すのにはいい風景だ。心洗われた。

     

     息子が小さい頃、ここ三瓶山の西の原で遊んだ。妻と息子と、そして私と3人で遊んだ。自閉症の息子、まだ歩行も頼りないのに原っぱをひとりで歩いていった。どこまでもどこまでも進んでいった。連れ戻してもまたさ迷っていった。懐かしい、懐かしすぎる昔の思い出だ。

    山並み

     

     麓で仕入れたあんパンを駐車場の車の中で食べた。少し向こうに若いカップルが写真を撮り合っていた。それを見ていても、思い出と重なっていって私の瞼を濡らしていった。風景がだんだん霞んでいった。若い二人の姿もべス単レンズの中にいた。だけど、その瞬間は決して不幸ではなかった。

     

     いつものように雲南市の頓原に下ろうと思った。その前に東の原に行ってみることにした。スキー場をバックに彼方の山々を眺めてみた。上空は風が強いのだろう、雲が早いスピードで流れていた。ここに、何度カメラを向けたのだろう。四季折々の風景は私の心を癒してくれた。

  • ヤマボウシ 2023年06月25日

     先日行った奥出雲おろちループ道の駅にヤマボウシの花が咲いていた。真っ白いヤマボウシの花は、実を付けて散る前に赤くなっていくらしい。花は散っても実をつけるから、散る前兆があってもいいのかもしれない。人の命はそうはいかないな。

     

    ヤマボウシ

     

     一昨日、午前中に空室の写真撮影を終えて帰ってきたら先生がいた。先生と言ったら、この前クリスマスローズを見に行った時の先生だ。私の中学校の3年間の担任である。良いタイミングで帰ったものだ。会えて良かった。

     

     先生85歳。会話が人の寿命の話になってきた。お互いに違和感がないというのもおもしろい気がした。どうやら私の事務所は、先生を含む私たち同窓会の中継点らしい。忙しい仕事じゃあないから、途切れなく来客のある事務所じゃないから、それもいいのかもしれない。時々やって来る同級生たちの顔を見るのが楽しみだ。

  • 私は子羊 2023年06月22日

     横田の町のコンビニでサンドイッチを買った。そのままおろちループ道の駅の駐車場に車を停めた。どうやら店は休みらしい。駐車場も閑散としていた。この方がいい、落ち着くから。食欲はないがサンドイッチをかじった。飲み物のコーヒーはポットに入れて持って来た。駐車場脇の植え込みに黄色い花が雨に濡れて咲いていた。

     

    黄色い花

     

     いちばんの目的の先祖のお墓にお参りした。その後、吉田町に抜けてみることにした。道路標識だけでコースを選ぶ。初めて走る道だった。車がやっと通れるほどのくねった狭い道。ステレオのボリュームを上げた。ハンドルを握る手も緊張した。だが、この方がいい。かえって思考に集中できる。

     

     そしてやっと心は決まった。暗かった長い長いトンネルをやっと抜けれそうな気がした。悲しくて、寂しくて辛い5年間だった。人間は、いつまで経っても迷える子羊であるらしい。・・・今朝早く目が覚めた。早くに出勤して営業時間までに空室の写真撮影。流した上半身の汗を濡れタオルで拭いた。ああ、気持ちがいい。

  • 五月晴れ 2023年06月19日

     テレビを付けて朝食を摂っていた。女性アナウンサーが言うには、今日は五月晴れなんだと。え、いや今6月でしょ‼と思った。彼女の説明では、旧暦では今頃が5月なんだとか。それは知ってるけど、普通、5月の爽やかに晴れ渡ったそんな時を五月晴れと言うんじゃないの?

     

    五月晴れ

     

     旧暦の頃の五月晴れとは、梅雨の晴れ間のことを言うらしい。・・・明治の末までは旧暦が使われていた。時代も、大正になって昭和に変わった。新暦に皆が親しみだした頃、五月晴れの意味も変わっていったのだろう。1993年に編纂された国語辞典には、両方の意味が書かれていた。

     

     旧暦と言えば私が子供の頃、正月が2度あった。新暦と旧暦の正月だ。旧暦の正月には、以前の住所で言うと仁多郡仁多町三成、その町の路上にたくさんの魚のブリが並んだ。ブリ市と言っていた。各家庭が1本ずつ買って帰って刺身にして食べた。余ったブリは裏庭の雪の中。冷蔵庫がない時代、根雪の中は天然のチルド室だった。

     

     さっき、お昼のおにぎりを買いにいつものコンビニに行った。いつもの中年の、いや失礼。でも少女じゃないし青年でもないし。でも中年と言うには失礼だな。その人に言ってみた。今日は五月晴れだって。え、6月なのに。誰もそう思うよね。

  • おもかげ 2023年06月17日

     先日買ってきた文庫本、浅田次郎の「おもかげ」を読み始めた。まだ読み始めたばかりなのでストーリーは分からない。定年退職でお別れの会を開いてもらった主人公。その帰りに電車内で倒れた。救急車で運ばれ、そして救急病院の集中治療室に入って意識がないまま3日目の夜がやって来た。

     

     私は集中治療室で5日間過ごしたことがある。初日の朝、心臓手術の全身麻酔で瞬時に眠った。夕方目覚めた時、最初に目にとまったのが妻の顔だった。え、何をそんなに心配そうにしている。どうしたって聞いたら、ここは集中治療室だよって答えた。手術が順調ではなかったらしい。

     

    種 その夜、心臓の脈が時々1分間に150回を超えた。緊急ブザーが鳴る。その度に看護師さんが飛んでやって来る。今、150回を超えたんだよ、大丈夫?って。共振というのだろうか脈拍の振動が伝わって眠っているベッドを揺らす。そんなばかな、看護師さん地震なんですかと問うてみた。

     

     今朝、ブログのネタの写真をと思って事務所のまわりをひと歩きした。先日、花期が終わった茎を切り離したアマリリス。おや、種ができてふくらんでいる。切り離して何日経つのだろう。切り離されてもまだ種を付けるなんて、すごいなあ。そう言えば、私もまだ生きているんだ。こんなに元気になって。

  • 続おもかげ 2023年06月17日

     午前中「おもかげ」を書いた。午後になって、これも書きたいと思った。書きたくてしょうがないなと思った。だから、続おもかげを書いてみる。

     

     私のあの病院への入院は3回目だった。病気で倒れたのが最初の入院だ。雲南市で倒れて、すぐ近くの病院へ救急車で搬送された。だが、ひと晩で便利の良い松江市のこの病院に転院した。そしてやがて、不可能だった心臓の手術が可能になって2回目の入院。2回目の手術の時で3回目。おもかげでの私の話は2回目の手術の時の話である。

     

     3回目の入院ともなると、看護師さんと顔見知りになる。顔見知りどころか、良き友となる。入院患者として、私は優等生だったのだろう、看護師さんたちに好かれていた気がしていた。我が儘は言わなかった。程よい冗談も言った。それよりも、話題が豊富だったからだろう、そう思っていた。

     

     5日間の集中治療室の治療が終わって、いつもの入院病棟に帰ることになった。点滴のまま、集中治療室の看護師さんがベッドを転がしてくれた。入院病棟の担当の看護師さんに引き継いだ時、担当の彼女はにこっと笑って「お帰り」と言ってくれた。近くにいた清掃担当の年配の女性は「娑婆へ帰れてよかったね」と言ってくれた。また、ある若い看護師さんは私の顔を見るなり、「良かったね」と言って目に涙を浮かべてくれた。生きている、そう感じた瞬間だった。

  • 2023年06月15日

     「亡き妻思い涙のお好み焼き」。山陰中央新報の読者欄「こだま」に、先々月掲載された私の投稿だ。40代の前半から始めた私の投稿、今まで何十回掲載されたのだろう。その中の最高傑作が、そしてよどみなく、完璧に私の気持ちを伝えられた投稿文が、この涙のお好み焼きなんだと思った。

     

     掲載の後、夕食が終わってリビングのソファーでくつろぐ時、幾度かこれを読み返してみている。その度に、実によく書かれていると思った。だからかもしれない。読み終わると、涙が両方の頬を伝って落ちていく。子供の頃、喧嘩に負けて流した涙は辛かったのに、この涙は甘い香りがする。

     

     そして、見るでもなくぼんやりとテレビを眺めていた。どうしてだろう、いつまで経ってもテレビの画面がぼやけている。今日はどうしたことなんだろう。いつまでもいつまでも頬をつたって涙がこぼれていく。もう、泣くほどの悲しみは去っていったのに。その悲しみは思い出に変わったのに今日はどうしたことなんだろう。

  • ロングドライブ 2023年06月14日

     朝の8時過ぎ、駐車場前で保育所経由で仕事に向かう近所のお母さんに出会った。やあお早う。4歳の子供さんと手の平タッチ。会えばいつものこと。長距離ドライブしてくるって話したら「行き先は?」。答えは宛なし。気を付けて行ってらっしゃいと見送りの声。

     

     大庭町の公園墓地から宍道湖に沿って走る国道9号線に出た。ETCカードを念のために差し込む。だが、一般道ばかりで鳥取を目指す。後は鳥取に着いてから考えよう。左手に見慣れた日本海。スピーカーから流れる「岬めぐり」。何回も何回も繰り返し聴く。

     

    道の駅から

     

     鳥取市街地は素通りした。国道29号線を若桜町に向かう。道の駅「若桜」の駐車場でしばし考えて道順を決定。戸倉峠を越えて兵庫県に入り、山崎インターから中国道を西に。岡山県の落合ジャンクションから米子道を経て山陰道で帰ってきた。全走行距離380キロ。

     

     さすがに疲れた。特に高速道に入ってから走りっぱなし。途中、トイレ休憩1回だけ。夕食はコンビニで牛丼を買った。野菜補給にキャベツとニンジンとタマネギのスライス。レタスをちぎってトマト二切れ。今朝は連休2日目。早朝に大粒の雨音で目覚めた。良かった。昨日あんなに走れて。

  • あんたあほやなー 2023年06月12日

     一昨日、仕事の合間に家庭、いや、私個人用の食料の買い物をした。冷やすべきものは事務所の冷蔵庫に入れた。そうしたことをすっかり忘れていて、持ち帰ることが出来なかった。家に帰って気が付いて、しまったなあと思った。でも、明日でいいか。

     

     昨日の夕方、事務所の冷蔵庫に入れておいたものを取り出した。いつもの買い物袋に入れて、応接のテーブルの上に置いた。戸締りやらを確認して、車に乗って帰宅の途に就いた。もう少しで自宅。あ、しまった。また忘れた。引き返さねば。「あんたあほやなー」・・・車の中で、笑いながら言う妻の声がはっきりと聞こえた。

  • 手紙 2023年06月11日

     確認したいことがあったので朝一番で安来市の広瀬町に向かった。終わって帰り道、右手に大山が見えた。曇り空だったので山肌は見えなかった。ただその輪郭はくっきりと見えた。これから伸びようとする田んぼの稲の生命力。凛とした民家の赤瓦。そして堂々と大山の雄姿

    大山

     

     松江市に帰った。車は国道9号線近くにある東出雲町の黄泉平坂付近を走った。黄泉平坂とは、日本神話において生者が住む現世と死者が住む他界との境目にある坂を言う。昨年の今頃、ここへ娘を連れて来たことがある。娘はすやすやと眠る孫と車の中にいた。

     

     なんなのっていぶかる娘に説明した。東出雲町の商工会がね、ここへ投函した手紙を天国に届けてくれるそうだ。お父さんも投函してきたの。そうだ、今投函してきた。そして投函した手紙のコピーを娘に見せた。「お父さん、お母さんのことこんなに好きだったんだ」

  • 低気圧がやってきそう 2023年06月08日

     昨日は定休日の通院日。病院の受付が12時半。一日をど真ん中で半分に分けるような、そんな時間だった。仕事には差し支えないのだが計画だ立たない。困ったな。受付前の時間を利用して車で走ることにした。目的地は妻の名の秋鹿なぎさ公園。

     

     天気は良いが風が強かった。宍道湖は波打っていた。Tシャツ一枚になって宍道湖岸に佇んだ。肌を打つ風の強さが心地良かった。前回にも写したが、この風景を見ながら思索にふけるのが私は好きだ。過去のこと、現在のこと、そして未来のこと。

     

    なぎさ公園

     

     今朝心地良い目覚めだった。流しに立って片付けの食器洗う時、妻はいないんだなって思ってしまった。墓参の時、妻に会えたらどんなに嬉しいんだろうと思った。事務所に着いて、妻と一緒に働けたらどんなに楽しいんだろうと思った。どうやら、低気圧がやってきそう。

  • 早朝出勤 2023年06月04日

     今月から管理になった店舗物件の周辺の掃除に行った。入居店舗営業前にと思ったので早朝に出勤してそれを行った。行ったと言っても5分の1程度の作業。少しずつやろう。ひとりでいち度にはできない。

     ドクダミ

     出勤の5分間の車の中、ラジオを付けた、NHK放送が聞こえてきた。その番組名は「今日は何の日」

     

     息子が、雲南市の施設に入所している時のことだ。土曜日に連れて帰り、日曜日に再び連れて行くことにしていた。日曜の朝、息子は早く帰りたいというので、早朝の出発が多かった。送り終わって帰路につく1時間、ラジオを付ける。「今日は何の日」が聞こえていた。そして今朝、息子の世話に疲れて助手席ですやすやと眠る愛しい妻の姿が浮かんできた。

  • おかき 2023年06月03日

    花 先日の午後、鳥取市を後にして日本海に接して走る国道9号線を帰路とした。どんよりと曇った朝方とは打って変わって快晴になった。そして空気は澄み渡っていた。絶好のドライブ日和になった。右手に日本海の水平線を見ていたらお腹が空いてきたことに気が付いた。あ、そうだ。リュックの中に先日頂いたおかきがあったんだ。

     

     鳥取行きの前の夜、寝不足だったので帰ってきたらすっかり疲れていた。今朝、やっとその疲れも取れた気がした。朝、仏壇の妻に行ってくるよと話しかけた時、笑顔の私に気が付いた。公園墓地の妻の墓石に頬ずりしたとき、なぜか心は爽やかだった。あの水平線は、現実の中で生きようぜって、私に教えてくれたのかもしれない。お前はひとりで生きていくんだよ。それが現実なんだよって教えてくれたのかもしれない。

  • 水平線 2023年06月01日

     昨日、早朝から公園墓地の妻を誘って鳥取市に向かって車を走らせた。娘が、子育てグッズを婿殿の実家から借りていたのを返すためである。9時30分に到着した。車から荷物を降ろした。実家のご両親と、そしてお産の近い娘さんと4人で(5人)で1時間余り談笑した。

     

     実家を後にして妻と思い出めぐりをしようと思っていた。が、やめた。昨夜の寝不足で体がだるかった。目がしょぼしょぼした。兵庫県の但馬から、何度も家族一緒に車を走らせた国道9号線で帰ることにした。右手に日本海が見え隠れする懐かしい風景だ。

     

     静かすぎる日本海が見えた時、妙に水平線が気になった。当たり前だけど、海水が横一直線に長い長い線を引いている。何度も見た水平線なのに、なぜか今日は気になった。やがて日本海は途切れて車は米子市に入った。そして思った。そう、当たり前でいいんだ。当たり前に生きればいい。原点に帰ろう。

     

    海

     

     先日、あるお客さんと出雲市にある会社を訪ねた。終わって、海を見ながら昼食をとそんな話になった。そして行ったのがきらら多伎道の駅だ。写真は、そこのレストランの窓からスマホで写したものだ。この日から、妙に水平線が気になりだした。

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