店主日記
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ユウスゲが咲く頃だね
2025年06月29日
先日、ある人を誘って三瓶山にドライブに行った。大田市街地から三瓶ダムをかすめ、北の原に向かい、広場に到着したところで左折した。そしてほんの少し走った所に「国引きの丘」があって駐車スペースと展望所が作られている。あいにくその日は日本海は霞んで見えなかった。
そして今日、展望所から写した写真を眺めていたら、ある日「蜂」の仲間と編集した文集を思い出した。懐かしく感じて、パソコンデスクに座った私の背中にある本棚からあの日こしらえた文集を取り出した。平成14年11月2日発行とある。「蜂」というのは中学校時代の同窓会の名前だ。仲間たち、来月の7日を楽しみにしているよ。
私のページを開いた。「ライフワーク」と題して1ページを使っていた。三瓶山の埋没林から話が始まって、息子の自閉症のことになって、だからノーマライゼーションに 向けてのライフワークだと結んでいる。そして、次の2ページを使って地方新聞を中心に息子を書いて掲載された投稿文を載せている。この文集が発行された少し前、三瓶山の埋没林は発見された。
妻とドライブで何度もやって来た。四十九日が終わってほっとして、泣きじゃくりながらひとり思い出を辿りやって来た。出雲市の病院に入院する息子に会った後、必ずと言っていいほど三瓶山にやって来る。三瓶山、名前もいいが、心救われる山でもある。そう言えば西の原の草原にユウスゲが咲く頃だね。
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ホタルブクロ
2025年06月26日
小高い山地に咲く花で「ホタルブクロ」がある。釣り鐘状の花の中にホタルを入れて子供が遊ぶ、そんな光景からその名が付いたらしい。私の生まれた奥出雲町でもあちらこちらに咲いていた。だから子供の頃の思い出も多い。私はよく三瓶山に行くから、この季節になるとこの花を見るのを楽しんでいる。そしてこんな連想をする。真っ暗な部屋の、数株のホタルブクロの花にホタルをいれたら、さぞかし幻想的な光を放つんだろうな。
そんな昨日の定休日、出雲市の息子を見舞った後、三瓶山に行くことにした。またいつものようにあの西に原の駐車場で文庫本を読もうと思っていた。途中、キララ多伎道の駅の自販機で缶コーヒーを買おうと立ち寄った。コインを入れた時に電話が鳴った。今日3時頃、お邪魔したいがどうだろう。走るだけでも行こう。停まったのは駐車スペースのある所でこの花の写真を写したことのみ。事務所に着いたのが2時50分。すべり込みセーフ。
この店主日記、私は仕事のことにはあまり触れぬようにしている。ある人は言ってくれる。宣伝も入れたらどうって。そんなアドバイスは嬉しい。店のホームページだから本当はそうすべきだろう。それが理想なのだろう。だけどあえて仕事には触れぬ。私自身が作文を楽しんでいるのかもしれない。またそれが、仕事をする上のモチベーションなのかもしれない。
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だから生きていけるんだね
2025年06月24日
、先日、関東で暮らす方の持ち家の確認に行った。空き家を処分したいとのことだった。そして昨日、松江市のまちづくり部の建築審査課に行った。市街化調整区域だが緩和地域。でもその緩和がハザードマップでその効果をなくしている。そこへ解体して新築できるのか、可能性を探らなければならない。新しい資料をこしらえてまた来てみよう。
今朝早くから、ある店舗のオーナーの所に行った。店舗の申込の了承の確認のためだ。悩まれたが条件付きでOKとのこと。その足で銀行から元付業者に送金。その後事務処理を少し終え、以前私がお世話した営業本日限りのカフェに行ってコーヒー飲みながら最後の挨拶をした。忙しい。忙しいが、妻を失って、ひとり暮らしになって後期高齢者。忙しいから、仕事があるからだから生きていけるのかもしれない。
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ネジバナ
2025年06月22日
今朝、自治会の掃除日だった。それで墓参時間がいつもより少し遅れた。墓地に行くと、日曜日とあってすでに墓参者の姿が。今日は頬ずりできないねって妻に話しかけた。その代わり、いっぱい話そうね。墓石の前にしゃがみ込んで、いろいろな思いを話しかけると、ニッコリ笑った妻がいる。
松江市営のこの墓地は、権利を買って毎年管理料を納める形式になっている。だから当然管理はしてくれる。今朝も行ったら奇麗に草刈りがしてあった。有難いなって思う。だけどなぎさ、ネジバナも一緒に刈られたね。せっかく君を囲んで咲いていたのにね。でもまた来年、楽しもうな。
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あじさいの会Ⅱ
2025年06月21日
昨日のあじさいの会だ。「あの人のお母さん亡くなったでしょ。それでご主人が大変で」、とそんな話になった。そこで話題が私に振られた。奥さんがいなくて困ったことってどんなこと、と。そりゃあいろいろ困る。例えば今日の年1回の市役所での手続き、障がい者福祉課、これもう7年目になるけど何が何やらさっぱり分からん。その他例を挙げ、いっぱいあるよ。
私は、ご飯作るのも、洗濯するのも、妻がいなくて不自由したことはない。食事作るのは、かえって楽しんでやっている。だけど、亡くなった当初、食品の買い物に困った。恥ずかしくて恥ずかしくて。そして衣類の調達。イオンのような大きなショッピングセンター、ひとりで歩けやしない。ましてや品選びなど。
今日、玄関のガラス戸の向こう側に3センチ程の虫がやって来た。時々羽繕いしたりする。羽繕いの最中にそっと近づいてみた。私を見るなり、ピタッとその行動をやめて恥ずかしそうに動かなくなった。3時間余りそこに留まっただろうか、いつの間にか消えていった。妻が魂宿して私に会いに来たのだろうか。
あ、そうだ。いちばん困ったこと、それはね、酒のない人生なんて考えられなくなってしまったこと。
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妻のまわりに花が咲く
2025年06月21日
妻のまわりにはよく花が咲く。野草だけれど、その季節折々の花が咲く。今はネジバナが咲いている。妻を取り囲むように数株の花が咲いている。茎のまわりを小さな花が、ネジのように回りながら咲いている。小さな花が、下から右回りに上へ上へと登っていく。愛くるしいなと、感じてしまう。
昨日、9時出発で法務局に向かった。登記の要約書をひとつ取った。そして市役所、固定資産税課、このふたつは仕事のこと。同じく市役所の障がい者福祉課に息子のことで行った。国民健康保険課で手続きを終えた。このふたつは個人的なこと。終わって大急ぎで松江市総合福祉センターに向かった。
10時30分、間に合った。島根県自閉症協会の松江分会とでも言おうか、「あじさいの会」が総合福祉センターの一室であった。参加者はほぼ女性。だけど私も時々顔を出す。息子の置かれた境遇を話しておきたい。皆さんに認識しておいていただきたい。いつか後世に、きっと役立つ時が来るだろう。そう信じている。もう、7年間も入院している。病院で治療を受ける必要もないのに、ベッドに身体拘束されて9ヶ月になる。すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有すると言うのに、そうなった経緯を皆さんに聞いてもらっている。
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ミノムシ
2025年06月19日
昨夜、ひとりたこ焼きパーティーにしようと思っていたのだが、朝の工事立ち合いの影響からか食欲がない。夕方、いつものスーパーマーケットでソーメンを買った。いつものあの、女性のレジに並んだ。「暑かったけど、大丈夫。熱中症にならなかった。こんな日は、水分補給しっかりしなきゃあね」なんていつも心配してくれる。父親と重なるのかもしれない。
今朝は昨日よりももっと暑い気がした。出勤して事務処理を少し片づけて近くのコンビニに税金の支払いに行った。市民税、県民税、それに森林環境税が含まれるらしい。なんのために働くんだろう。後期高齢者にもなってこんなに努力してるのに、生活も楽ではないのに、ついそう思ってしまう。いつになったら幸せと思える人生がやって来るのだろう。税金が苦にならなくなるのだろう。
そんな朝、焼けつくような幅4メートルの松江市道のアスファルトの上にミノムシがいた。懸命に横断しようとしていた。しばらく観察していると、この道を渡り切るのに10分はかかりそうなスピードなのだ。思わず頑張れ!。頑張れよ、俺も頑張る。5ヵ年計画を成功させてみせる。
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真夏の暑さ
2025年06月18日
定休日には仕事がよく入る。今日も、真夏の太陽が朝から照り付けていた。8時30分に現場に到着、建物の部分塗装工事の立ち合いをした。白い壁がやけに眩しい。遠くに咲く白い花が輝いて見えた。この風景はいつか見た風景。子供の頃貧血で、よくこんな景色になったと思い出した。はたまた熱中症か。
2時間を何とかこらえた。事務所に帰ってエアコンを作動、水を飲んだ。30分もしたら落ち着いたが、だがまだ本調子ではない。でも車で走りたい。中海半周することにした。安来市、米子市、境港市を通ってベタ踏み坂を下って突き当りのT字路を右折すると間もなく道の駅「本庄」に着く。
建物入口の所にこんな工作物を見る。「弁慶生誕の地本庄」。ある昔、本庄の人が和歌山県観光に行ったそうだ。そこにも弁慶生誕の地があったという。それを聞き、ガイドさんに言ったとか。「じなくそいわっしゃんな」。と。「でたらめ言うな」という出雲弁である。今こんな言葉を使う人はいない。だけど私なら喋れる。なにせ、関西弁の中で働きだした時、こう言われた。「カゲさん、頼むから日本語使ってくれへんか」
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梅雨の中休み
2025年06月17日
しとしとと雨が降り続いてアジサイの葉の上をカタツムリが這っている。そんな梅雨があって、ふと晴れ間が一日か二日続く。そんな風景を梅雨の中休みだと言っていた。ところがそんな光景は今はない。降る時は降って、それも猛烈に。そしてカンカンに晴れ渡ったりする。
昨日急に、真っ赤に燃えた太陽が真夏の暑さを連れてやって来た。かと思うと夕方、突然嵐がやって来た。のぼり旗が一本が強風で倒れた。その強風は強い雨をともなって木の葉などを巻き上げて事務所周辺に落としていった。今朝も暑い。1時間ほど早出をして汗をかきかき、周辺を掃き清めた。特に歩道は念入りに清めた。
今日は10時30分より、松江商工会議所で事業引継ぎ支援センターよりアドバイスをもらう。と、ここまで書いた所で9時30分、訪問者。ヘルメット被って誰だろうと思ったら中学校時代の担任の先生。7月7日は奥出雲町の温泉施設で同窓会がある。同級生の49人中21人が参加とか。そして先生と。49人の中にはご逝去された方も数名、大空を飛び回って我々を見守ってくれている。
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朝一番のコーヒーを淹れる時
2025年06月13日
入院の時、長女がわざわざ東京から見舞いに来てくれた。飛行機代やレンタカー代がもったいないから来なくてもいいよって、そう言っておいたのに病室のドアをたたく音がした。長女が入ってきた。現況など話し合ってしばらくの後、エレベーターまで見送った。エレベーターのドアが閉じる冷たい音がして、そして涙がこぼれた。
あの時、一杯分がスティック状の袋に入ったインスタントコーヒーを持ってきてくれた。今朝も、それで朝一番のコーヒーを淹れた。事務所のバックヤードに流し台があって、そこに電気ポットを置いている。湯を注ぐ時いつもささやく。なぎさ、君はここで倒れたんだよ。
昼食の食器を洗いながら、明日の息子の入院を考えたんだろう。可哀そうだなって思ったんだろう。どんな入院生活になるんだろうと心配だったんだろう。そしていたたまれなくなった刹那、病魔が突然襲ってきた。ああ、駄目だどうしようと、お父さんってか細い声で呼んだんだろう。
なぎさ、今度の盆にね、長女と孫と、そして同じ東京に住む末娘が一緒に帰って来るよ。楽しみだね。楽しい盆をみんなで一緒に過ごそうね。そう報告した。ここで、妻が倒れたこの場所でいつも思う。今日もまたつぶやいた。もう一度会いたいな。もう一度一緒に暮らしたいな。
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連休二日目
2025年06月11日
ほんの時々、人が言う。景山さんって、優しいねって。そう言えば、そんなところがあるかもしれない。夜間高校で生活するのに10歳台半ばから苦労し、自閉症の息子を育てるのに疲れて、52歳で脳梗塞に倒れ、そして懸命に不動産業を頑張った。やっとこれから楽しい人生がと、そう思った刹那、妻が突然逝ってしまった。と思ったらコロナ不景気。苦しきことのみ大かりき。だから、人の辛さは痛いほどわかる。無下にはできやしない。
ベッドに身体拘束された息子を見るのは辛い。けど会いたい。面会が終わって、コンビニでサンドイッチを買って三瓶山に向かった。西の原でいつものように食事しながら文庫本を読んだ。ふと見れば、足を置いた縁石とアスファルトの隙間から可愛い花が3株。なんて名なんだろう。そして昨日と同じことを思った。穏やかな人生のはずなのに、どうしてひとりぼっちを悲しむんだろう。だけど、楽しかった妻との生活の、数々の思い出があるんだよ。その思い出がある分、俺は幸せなんだよ。
一日経った12日、この花の名を調べた。ワルナスビという外来種で日本名だそうだ。こんな字を書く。「悪茄子」。可愛い花をつけるが、繁殖力は逞しい。百害あって一利無しなのだそうだ。要注意外来生物に指定されている。
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2連休初日
2025年06月11日
夢を見た。悪い夢を見た。連休がやって来る前の晩は時々こんな夢を見る。コレラの長い期間が続いた。やっと平穏になりかけた矢先、物価高に悩んだ。そして米騒動にアメリカ大統領トランプの関税ショック。景気が上向くわけがない。早く目が覚めて不安な気持ちが続く。
安来市の道の駅「あらえっさ」に向かった。キャベツを買って車に帰って思案する。どこへ向かって走ろうか、と。しばしの後、決定した。国道181号線の日野町から180号線で日南町に行こう。そして広島県の三次市方面に向かって途中から奥出雲町に抜けよう。
思案するのは運転中が一番集中する。運転しながら、今朝から続く不安を取り除かなければならない。走る距離メーターの数字が増すごとに不安は解消する。充実感は心に満ちてくる。時々思う。後期高齢者にもなれば、穏やかな人生なはずなのにどうしてこうも悩むんだろう。でもな、悩める幸せがあるんだよ。
先日、私なりの入梅の予想を店主日記に書いてアップした。直後、スマホがブルルと震えた。中国地方入梅したとのニュース。鳥取県の主峰、大山がいかにも梅雨らしい雲をかぶって、でも誇らしかった。
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作文したくなってくる
2025年06月09日
金曜日あたりが梅雨入りか。蒸し暑い風が、その蒸し暑さゆえに発生する自然界の中の何かの匂いを誘ってやって来た。そう、私は匂いには敏感だ。いつだったかだいぶ遠い昔になる。案内のアパートでも、事務所でもカビ臭が気になった。お客様にも、妻にもそう言うのだが匂わないよ、とのこと。明くる日の新聞に、宍道湖でカビ臭い何かが発生したとか。松江大橋周辺で、匂うか匂わないかの程度だそうだ。我が社まで、直線にして2キロ半はあるというのに。
昨日、朝のうちに管理物件の草抜きをした。そして午後、パソコンと格闘をした。昨日の夕方から頭痛。酒の味もいまいち。歳取ったものだと再確認する。NHKテレビのスポーツニュースが終わって眠りについたのが11時。7時半まで寝たのにパンが喉を通りそうにない。サラダだけの朝食にした。体が気怠いこんな日は、作文したくなってくる。
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梅雨入り前
2025年06月07日
朝から暑かった。アマリリスの花が夏の太陽を弾いて眩しい。最初の花芽が伸びて四つの花を咲かせた。しばらくして、反対側からまた花芽が伸びて今花開いている。だからこのアマリリス、ずいぶんの期間を楽しませてくれる。ろくすっぽ、手入れもしないのに。今度はもうちょっと、手をかけてあげようかな。
一昨日、友達に新タマネギをもらった。夕方の忙しさもあって、家に帰ってから持って帰っていないことに気が付いた。昨日持ち帰ってどうして食べようかと迷った。凝った料理などできやしない。と、思い付いた。横半分に切って、フライパンでじっくりと蒸し焼きにした。甘くて、とろけるほど柔らかくて、グリルで焼いたサバのみりん干とのコンビは最高だった。
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すみれ色の涙
2025年06月07日
すみれってすみれってと、岩崎宏美が歌う「すみれ色の涙」知ってるだろ。先日偶然だけれどあの歌がYoutybeから聞こえてきた。気になって、昨夜も酒を飲みながらスマホで聴いた。そしたら寂しさにしんみりしてしまって、涙がこぼれてきた。でも、心配しなくてもいいよ。涙は俺の心を慰めてくれる。そんな昨夜の俺の涙の色は、すみれ色だったんだろうね。
(今朝書いた日記「かあちゃんの詩」の一部より)
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茅
2025年06月06日
昨日、夕方の5時からアパート案内があった。終わって事務所を後にしたのが6時半。帰って洗濯やらの何もかも終えてくつろげたのが9時。今日は朝一番で物件確認に行った。図面を起こして写真を撮って、事務所に帰ってネットにアップする下ごしらえ。アップ完了したのが11時半。ああ、疲れたよなぎさ。ついつい、妻の名を呼んでしまう。
あるのり面に茅が咲いていた。咲くと言ってもこれは花だろうか。白い穂が、群れて朝日に光っていた。カヤとネットで引いてみた。次にチガヤと引いてみた。同じ茅の字が出てきた。何だ、そうなのかとふきだしてしまった。事務所前の信号待ちで○○高校と書いたマイクロバスが止まった。みんなうつむいた男子生徒の姿がおかしかった。茅の凛としたあの姿を見てほしい。私は頑張るぞ。後期高齢者になってもハッチャケよう。生涯現役で働く力を養おう。
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雨降って地かたまる
2025年06月03日
朝大雨が降っていた。出勤してみれば、その雨に濡れて2番咲きのアマリリスが咲きかけていた。何もこんな雨の中に咲かなくてもと思った。でも、人生と同じだなとも思った。踏まれても踏まれても咲かさなきゃあ。今日は5ヵ年計画の行動初日。雨降って地かたまるのかもしれない。
松江商工会館ビルの6回に、島根県事業承継・引継ぎ支援センターがある。我が社担当の信用金庫職員と、私と、承継予定者は1階フロアで待ち合わせた。信用金庫担当者は良い所を紹介してくれた。感謝だ。今度の予約をして、1時間ほど相談にのって頂いて支援センターを後にした。
承継予定者親子に、3月の私の誕生日を祝っていただいた。今日はそのお返しだと、田和山町の焼き肉店に行った。妻他界後には、美味しい肉など、めったに口にすることがない。煙を出しながらそれぞれの肉がそれぞれの旨さに焼きあがるのを見て誓った。なぎさ、必ず成功させて、冥途への土産に持って行くよ。必ず持って行くよ。だって、ふたりで作ったけやき不動産だもの。
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午後になって
2025年06月02日
午後になって、ある店舗のオーナーの事務所に行った。彼が話す事業運営計画、そして相談。事務所に帰って来ると考えなければいけないことが、決意することが沢山あることに改めて気が付いた。こんな時はドライブがいい。運転しながら考えよう。宍道湖一周に出かけよう。
宍道湖大橋を渡り、湖北線を走った。左回りの方が宍道湖がよく見える。湖北線の途中で南下して国道9号線を走って宍道町を抜けようとした時、ハンズフリーの電話が鳴った。「先日案内して頂いたあの物件に決めます」と。なんて今日は良い日なんだろう、5ヵ年計画の明日が実行初日。心が躍った。
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野菜炒め
2025年06月02日
午前中、島根県東部発達障がい者支援センターの私の担当の方と会った。3ヶ月前からの予約で今日で3回目だ。入院中の息子のことを相談するのだが、ついつい私の愚痴になってしまった。仕事のこと、病気のこと、将来のことなど不安がいっぱいだよって愚痴ってきた。
愚痴るのは、体力と気力の衰えだと思う。だから夕ご飯ぐらい、たっぷりと栄養を摂取しようと思う。昨夜は野菜炒めをこしらえてみた。薄切り豚肉、タマネギ、ピーマン、ナス、アスパラ、ニンジン、シイタケとシメジ。どれもこれもぶつ切りだ。ピーマンは種も食べれるから包丁入れず、ニンニクいっぱい。豪快そのものの男のキャンプ料理だ。ちなみに、写真の皿のサイズは直径25センチあるんだよ。
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あざみの歌
2025年06月01日
墓参を終わって車に乗って少し走ったところにアザミの花を見つけた。アザミを見ると、倍賞千恵子氏が歌う「あざみの歌」を思い出す。良い歌だと思う。確かに、高嶺の百合に比べたら美しさに見劣りがする。だけど私はアザミの花に人生を感じる。味わいがあって好きだ。
妻が他界して、その一周忌を待って長女が結婚して広島県の尾道市に行った。何日もせぬうち、末娘が突然東京で暮らすと言い始めた。東京での暮らしのこと、住まいのこと、いろいろ気になったが何もかもすっかり準備できているとのこと。そうだなと思った。私に束縛されることはない。生きたいように生きたらいい、そう思った
末娘が東京に行ってからすっかり寂しくなってしまった。心配でもあった。すると、昔聴いたことがあるさだまさし氏が歌う「案山子」を聴きたくなった。Youtubで何度も何度も聴いた。聴くうち、彼が津和野城址でイメージした歌らしいことを知った。行きたくなった。どうしても行きたくて、リフトに一人乗った。津和野城址の、町を一望する石垣の片隅にアザミの花は佇んでいた。あれから6年。寂しさにも少しは慣れたかもしれない。