店主日記

  • 白菜買ってきた 2024年01月31日

     昨夜テレビを見てて、涙した。能登半島地震で被災された男性だ。目の前に、助けを求めている娘と妻がいるのに、助けることができなかった。どうしようもなかった。悔しくて・・・。家族との別れは辛い。増してや、あんな別れは。下敷きになって、死んでいく家族の姿を見るなんて・・・

     

     定期通院が昼に終わった。今日は定休日、晩ご飯は鍋にしようと決めていた。安来市の道の駅「あらえっさ」に行こう。そしてそこの売店で白菜を買ってこよう。この前も、ここで白菜を買った。柔らかくて、甘い実?が、ぎっしりと詰まっていた。今日もいちばん大きくて、重いやつを買ってきた。夕方早めから、腕によりをかけて鍋料理を作ってやろう。

  • 雪道を歩いた 2024年01月26日

     昨夕、車で帰宅して駐車場に車を入れようとした。気温が上がって、雪質が水っぽくなったからだろう、スタッドレスタイヤが空回り。皆さんに迷惑かけることになった。それでも、いやな顔もしないで4~5人の若い男女がスコップを持って助けてくれた。涙が出そうなほど、嬉しかった。両手を合わせて、深々とお礼した。

     

    道

     

     もうあんな迷惑は人にかけられない。今朝は歩いて出勤することにした。道なき雪道を歩き始めた。水分を多く含んだ雪道に右に左に足を取られる。体は揺れる。アスファルトの上を歩くより、その何倍もの体力を使う。だが、行き交う人との道の譲り合いは、お礼言ったり言われたり。心が和んだ。1時間要した3キロ余りの徒歩出勤、体力作りと思えば楽しいかも。

  • 雪が積もった日 2024年01月25日

    雪 私の駐車場は雪の吹き溜まる所。自家用車はすっぽりと雪に覆われていた。先日買っておいたスコップが役に立ちそう。やっと脱出して路上に出たら、大渋滞。大遅刻して事務所に着いたものの、今度は事務所の駐車場に車入れるのに一苦労。今日一日分の体力を既に消耗した。そんな一日の始まりである。

     

     事務所でパソコン入力していたら、近くの交差点で車が立ち往生。しかも2台一緒に。そう、軽四輪車は車重が軽いからそうなりやすい。手伝ってあげようかなと玄関ドア開けたら助っ人が現れた。お任せしておこう。あんな姿見ていると、人っていいな。そう思ってしまう。

  • 新年会 2024年01月19日

     お昼は、「あじさいの会」の新年会に出かけた。あじさいの会というのは、以前にも話したことがあったが、日本自閉症協会島根県支部松江分会なのである。参加者は7名。年配の女性たちが6人。男性は私ひとりの計7人だ。どの方とも、30年来のお付き合いだ。

     

     話は弾んだ。もちろん、自閉症という障害を持つ息子や娘たちの話。自分たちの病気の話。浜乃木6丁目にあるジャスミンは中華料理店。中華料理なんて、何年振りだろう。昼食は、コンビニでことたりていた私。久し振りに食事らしい食事をした。だけど、やっぱり仲間っていいもんだな。

     

    大山

     

     本文とは関係ないが、先日見に行った大山。二度と見ることができないかもしれないあの美しさ。アップしたくなってしまった。

  • 出雲富士 2024年01月18日

     放射冷却で冷えて晴れ渡った昨日の朝、大庭町から雪をかぶって真っ白い大山がくっきりと見えた。定休日にこんなチャンスはないだろうと、事務所に、デジタル一眼レフカメラを取りに行った。望遠系のズームレンズを取り付けた。さあ行こう。安来市の道の駅、「あらえっさ」で大根を買う予定もあったんだ。

     

     国道9号線を東に向かって走ると、大山は右左に見え隠れする。そしてその姿はだんだん大きくなってきた。まず安来市の島田地区に行ってみよう。安来市の市街地を抜けて小さな峠を下った所で左折した。いいぞいいぞ、まずここで一枚撮ろう。そのまま進んだ所で三差路を右折すると、道の駅あらえっさの裏側に着いた。

     

    島田2

     

     大根と白菜を買った。大根はいちばん太いのを選んだ。屈託なく、こんなに大きく育った大根ならきっと美味しいのに違いない。次は大根島に行こう。大根を買ったからそう思うのではない。大根島にも、撮影スポットがあるからだ。若い頃には、大山は登山の対象だったが、今では信仰の山なのかもしれない。それだけ神々しさを感じる山であることには間違いない。

     

     波ひとつない中海の向こうに大山は佇んでいた。そこには一組の先客があった。大山をバックに、スマホで写真を撮り合っていた。楽しそうだな。若い恋人同士なのだろうか。そう思いながら近づくと、意外や意外。私に近い歳のご夫婦のように見えた。私にも、あんな時があったのにな。ついつい僻んでしまう情けない私なのである。

     

    江島

     

     夜は早い時間から鍋料理にすることにした。具材は鶏肉と鮭。ニンニクのみじん切りを。そしてあらえっさで買ってきた大根も入れた。思った通り、柔らかくて甘くておいしかった。薄い醤油味だが、ニンニクの辛さがその薄味を助けていた。

     

     写真は、上のが安来市の島田で撮ったもの。下の写真は境港市からべた踏み坂を下って突き当りを左折してしばらく行った所。道路標識に江島西入り口と表示された所から取ったもの。たまたま、米子空港から旅客機が飛び立ったところだった。左のすそ野には。飛んでいる鴨の姿が見えている。

  • 娘達へ 2024年01月15日

    焼きそば 二人とも元気でやってるか。お父は元気だ。いつも若くていれるよう、事務所では毎日少しずつだけど体力づくりしている。今は相撲の四股踏むのが気に入っている。体幹がしっかりしてきた気がするし、お尻の格好も良くなってきた。腕立て伏せも併せてるから肩に厚みができてきた。

     

     食事も、コンビニ弁当だけじゃなく、できるだけ自分で作るようにしている。昨夜は野菜たっぷりの焼きそばと、鯖缶入れて味付けした大根を食べた。鯖大根というところか。今朝は、良く焼いたパンと卵、それにウインナー。サラダと牛乳は毎日だ。写真添えるから見てみてな。

    朝飯

     

     それと大事な話。お母さんの七回忌は3月の17日の日曜日、10時30分だ。むろん北京から帰ってくる必要はない。東京も交通費がかかるからな。いつかいい日に、都合着く日に帰ってくればいい。お墓参りすればいい。お母さんもそれを喜ぶ。法事は俺がちゃんとしとくから。今朝も、もちろん毎日お墓には行ってるからな。

     

     さっき、ある人に、ある書類の作成のお願いに行ってきた。初めて会う人との面会は、いつものことだけど気を使うし疲れる。俺より年上の人だったから余計。事務所に帰ったら、お疲れと言ってなぎさがねぎらってくれる、今でもそんな気がする。午後からはインボイス登録者への説明会が税務署である。それに行ってくる。頑張ってるだろ。

  • 一畑百貨店 2024年01月14日

     島根県唯一の百貨店が今日で閉店する。小学校の生徒だった時、遠足で松江市に来た。順番は覚えていないが、以前県庁前にあった一畑百貨店に行った。その道路向かいにあった島根新聞社(現、山陰中央新報社)に行った。当時、床几山にあったNHKに行った。

     

     百貨店で、エスカレーターに初めて乗った。エレベーターにも初めて乗った。高校生になって、店内にある映画館で洋画を見た。大人になってレストランでランチを食べた。あの頃、天神町から松江大橋を通って百貨店まで、すごく賑わっていた。懐かしい一畑百貨店。さようなら。

  • ある日のこと 2024年01月13日

     朝の時を告げる鶏がいるじゃない。「うん、うちの近所でも毎朝鳴くんや」。その鶏がね、ある日の朝時を間違えて鳴いたんだ。そしたらね、事代主命が慌てて早く帰らなきゃと思ったんだ。慌ててるもんだから、漕いでる舟の櫂を海に落としてしまった。さあ大変、どうしよう。

     

     「どうしたん」。仕方ないから、自分の足で舟を漕ぐことにした。そしたらどうしたと思う。足をワニに、サメのことだよ、噛まれてしまったんだ。案外、食いちぎられてしまったのかもしれないね。「わ、痛そうやな」。だから彼は、時を間違えた鶏を憎んだ。それ以来、美保関町では、鶏は飼わない。鶏の肉も卵も食べなくなった。「へえ、そうなんや」

     

     でも、現在は知らないよ。ある美保関町に住む若い人に聞いたら、食べるよって答えた。「ねえ、事代主命はどこから帰る時だったん」。それはね、対岸に好きな姫がいてね、毎夜毎夜そこに舟で通ってたんだ。「そうなんや、おもろい話やな。めっちゃおもろいやん」

     

     まだ恋人時代、松江駅で待ち合わせて、私の車で美保関に向かう時の車内での会話だ。出雲大社で出会って、今度は美保関に行ってみようねって約束していて、しばらくの後の話なのである。この頃、思い出が心の中をめぐっていく。

  • 恩敬寺 2024年01月11日

     今日の午前中、妻の七回忌の法事の予約にお寺に行った。妻の葬儀の時、お寺はどこにいたしましょうと葬儀会館の担当者に言われた。はたと困った。仏教のことなど、末っ子の私は今まで考えたことなどなかったからだ。そしてふと思いついた。専攻は仏教とは違っていたけれど、妻は京都の大谷大学に通っていた。そんな訳で、真宗大谷派の恩敬寺にお願いすることになった。

     

     いつものコンビニで昼ご飯代りのクリームパンを買った。コンビニの行き帰り、温かい陽射しが路上に降りそそいでいた。背中が暖かくて気持ち良かった。そんな陽気が、在りし日の妻の記憶を呼び込んでくれた。次から次と、妻との思い出が蘇ってきた。泉のように、とどまることなく楽しい思い出がめぐっていった。なぎさ、君は俺の心の中に生きているんだよ。俺たち、ふたりでひとりなんだよ。

     

    恩敬寺

     

     写真は先日、美保神社の無料駐車場から写したものだ。この写真のシャッターボタンを押した場所に、以前釣り堀があった。海の魚を釣ることができた。新婚の頃、この釣り堀に妻とふたりでやって来た。はしゃぎながら釣りを楽しんだ。私は鯛を釣り上げた。その晩、その鯛をどう調理して食べたのかは記憶にない。楽しかった釣り堀の釣りの記憶は鮮やかに脳裏に焼き付いている。。

  • 初詣 2024年01月10日

     アスファルトに溜まった雨水を車がシャーと音を立てて轢いて行った。今日は雨なんだ。連休二日目、昨日あれだけ楽しんだんだから今日は雨でもいいだろう。ゆっくりしよう。そう思いながら気怠く目覚めた。そしてパンをかじりながら思った。今日は出勤して、少し仕事もしようか。七回忌の法事の予約もお寺にしとかなきゃ。

    美保津姫

     

     美保神社に初詣に行った。今日が仕事始めの社員達なのだろう、背広の男性や、スーツ姿の女性達のグループがいた。他の参拝の人たちもいつもより多かった。美保神社はまだ、正月の余韻を残していた。青石畳通りを歩いた。風待港として栄えた往時の賑わいが映像として見えてくる気がしておもしろいと思った。

     

     美保神社には二神がまつられている。左側の本殿に「事代主命」右側の本殿に「美穂津姫命」 出雲風土記には「御穂須須美命」だけとしてあるらしい。古代には一神だけだったんじゃないかと歴史家は言う。事代主命をまつるようになったのは、記紀神話の国譲りの影響だろうと。

     

    事代主 美保神社を後にして米子市に向かった。昼が近くなってきた。さあどこを走ろうか。思案していたら思い付いた。国道181号線から日南町を通って奥出雲町に抜けて帰ろうと。夕方5時前には帰れるだろう。

     

     車は快調に走った。道の駅「奥大山」で缶コーヒーを買った。年が明けてから思うことがあった。いつまでも、妻の死を悲しんでちゃいけない。私らしく生きていこう。今年の七回忌を、私の気持ちの変換の年にしよう。その気持ちを反芻しながら車を走らせた。

     

     やがて、日南町の道の駅「にちなん日野川の郷」に着いた。時刻は1時30分。売店に入った。昼ご飯代りになるものはと物色した。いろいろ面白いものが売れていた。「大煎」を買った。だいせんと読むらしい。大山とかけたのだろうと思った。

     

     ここからしばらくは、私の気持ちを確実なものにしよう。その時間にあてよう思った。九十九に折れた峠道を走った。所々に圧雪もあった。運転に気をつかう道なのだが、それは苦にならなかった。むしろ楽しく感じられた。カーステレオの音も耳には入ってこなかった。車の運転技術に酔いながら、でも意識はそこにはなかった。

     

     鳥取県境を超えた。島根県の奥出雲町に入った。平地の外気温は11度だったのに3度に変わった。そして数字は0度になっていた。真っ白な風景が広がっていた。遠い子供の頃が思い出された。私の生家も根雪がいっぱいあった。昔はこんなものじゃあなかった。生活は雪に埋もれていた。

     

     三成駅前を通過した時、体と心が結びついた気がした。心の中で快楽が芽生える気がした。次第にカーステレオの音が聞こえだした。さあ、帰ろうか。今晩は何食べようか。なんだかいつもより疲れた気がした。コンビニ弁当にしようかと思った。自宅近くに着いた時、時々行くファミリーマートでかつ丼を買った。レジはいつものあの女性だった。 

  • 雪が降っていた 2024年01月08日

     先週の水曜日の夜、おでんを作った。近くのスーパーマーケットが水曜日が安売りの日なので、定休日の日はそこによく行く。安売りと言っても、普段値段を気にして買ったことがないのでどのくらい安いのかは分からない。気にしないというより、必要なものを早く買って早く店を出たい。だいぶ買い物にも慣れてきたが、やはり男がひとりでマーケットをうろうろするのに私にはどうしても抵抗がある。

     

     それは置いといて、その日の買い物は2千円余り。それで作ったおでんが今日も食べられる。6日目だ。1食400円ほどで片付いている。コンビニ弁当も安くて500円はする。そのことを思うと、私は案外、節約家なのかもしれない。だが、それにお酒が加わるから本当は贅沢すぎるだろう。酒が飲みたいから、仕方なく他のものを節約しているのかもしれない。そう言えばこの頃衣類も新調したことがない。着たきりスズメなのだ。いや、その方が休みに日のジーパンに似合うだろう。

     

    中海干拓

     

     今朝起きたら雪が降っていた。小粒の霰のような雪だった。ぼたん雪と違ってコートに弾くから濡れる心配はない。営業準備を終えた。短時間でいい、車で走ってみたくなった。どんな風景が待ち受けているのだろう。東出雲町の中海干拓に行ってみた。どんよりと湿った空気。低気圧は、人の心までふさいでしまう。でもほら、あの雲の上には太陽があるよ。

  • 春の海 2024年01月05日

     昨日は暖かかった。今朝は放射冷却で冷えたが、間もなく陽射しが気温をあげてくれた。朝のコーヒー飲み終えて事務所近くのセルフのガソリンスタンドに出かけた。正月、この自家用車はよく走ったのでガソリンタンクが空っぽ、よく入る。リッター171円。安い店だと思うが支払い料金が気にかかる。

     

    宍道湖

     

     陽気にひかれて、宍道湖に足を延ばしてみた。湖面が、太陽の光をいっぱいに浴びて輝いていた。小さな漁船が漁を終えて一目散に港に帰って行くのが見えた。小さな港の船着き場の防波堤の上に、鴨が同じ方向を向いて一列に並んで羽を休めていた。まだ冬の真っ盛りなのに、いかにものどかな、春の海の風景に見えた。さあ、今日もいちにち頑張ろう。

  • 思い出の賀露港 2024年01月03日

     賀露港に行ってみようか。そう言ってレンタカーで賀露港に向かった。正面に海が見えた。風は強かったが、天気は良かった。沖からやって来た波が、石ごしらえの消波堤にぶつかって高く舞い上がっていた。波が来る度に高く舞い上がって砕けて散った。その波しぶきは、太陽の光に照らされて美しかった。ふたりして、しばし眺めていた。

     

    賀露港

     

     今日は、ひとりでその場所に佇んだ。あの時の石造りの消破堤は無く、今は立派な防波堤ができていた。その防波堤は高さがあって向こうに海は見えなかった。40年経つと、風景も変わるんだと、そう思った。だけど、思い出に浸るには十分すぎる風景だった。あの時と違って、今日は波静かだった。

  • 誕生日おめでとう 2024年01月01日

     妻との約束通り、誕生祝にドライブに出かけた。鳥取県の西部を回って、奥出雲町に入った。再び中国山地の県境を越えて広島県の高野町に向かった。高野インターから松江道に乗って吉田町で降りた。国道54号線で掛合町の道の駅の駐車場でステレオのCDを交換した。

     

     70年代のフォークソングは3曲目になった。かぐや姫が歌う「赤ちょうちん」その瞬間、妻の声が聞こえた。「あんた、この歌が好きなんやなあ」そう言った言葉が、ついさっきのことのように蘇ってきた。懐かしかった。なぎさ、久し振りだな。助手席の妻にそう言った。

    乾杯

     

     なぎさ、今日のドライブのフィナーレだよ。この曲繰り返すね。なぎさとふたりのドライブの記憶が次から次へと蘇ってきた。いつのドライブも、懐かしい。その懐かしい記憶を、赤ちょうちんが次々に誘い出してくれた。家に着く1時間、繰り返し繰り返しこの曲を聴いていた。

     

     早い夕食にすることにした。なぎさ、誕生日おめでとう。乾杯しような。妻には、洒落たコップを持って来た。そしてコップを手にした瞬間、ある人が言った言葉を思い出した。「心に奥さんがいるから、景山さんは幸せだよ」・・・そうだよね。今日、とても楽しかった。久し振りに楽しい一日だった。心に妻がいるからだね。そうなんだね、有難う。なぎさ、ほんとうに有難う。楽しい思い出有難う。

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