店主日記

  • ガクアジサイ 2024年06月26日

    アジサイ 出雲市の息子と会った後、よしと心を決めた。と言うよりなぜか奥出雲町に心が向かってしまう。なぜだろう。故郷ということもあるだろうが、会う人もいないのになぜか心がそちらを向いてしまう。掛合町を通った。吉田を通って奥出雲町の阿井地区に出た。なぜそんなややこしい道を、と思われるかもしれないが、なぜかそうなってしまう。

     

     先祖の墓参りをした。終わって駐車場に向かって歩いていると道端にガクアジサイを見つけた。なんて奇麗なんだろう。しばし見惚れてしまった。望遠レンズが欲しい所だが車の中に置いてある。駐車場へは遠い。じゃあスマホで。・・・なぜか私は紫色に魅かれてしまう。ネットで調べてみた。この色を好む人は、様々な種類の才能を見せる傾向にある、そうだ。えへ、本当かいな???。

  • 梅雨だる 2024年06月24日

     今朝、食パンをかじりながらテレビを見ていた。そこで話題になっているのは「梅雨だる」という言葉だった。私は初めて聞く言葉だがもしかしてと、そんな気持ちになって関心を持った。やっぱりそうかもしれない。私も梅雨だるの世界に落ち込んでしまったのかもしれない。

     

     梅雨だるとは、梅雨期の体調不良のことだそうだ。その原因は、低気圧による自律神経の乱れ。気温の変化による心身へのストレス。湿度の高さによる水分代謝の低下等なのだそうだ。ぬるめのお風呂に長めにつかるのも効果があるらしい。でもそれは、湯船につかるの、夕方のゴールデンタイムがもったいない。それより一刻もシャワー済ませて早く缶ビールが・・・。

     

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     とにかく気怠くてしょうがない。ならば、荒療治といくか。先日の雨でごみや砂が事務所の隣の交差点の歩道に流れ出た。どうも気になってしょうがない。そこの掃除をしよう。ということで汗かいたらすっきりした。上の写真が掃除前。下のがその後。写真では分かりにくいがひどい汚れだった。

     

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  • 宍道湖の水位が気になって 2024年06月23日

     昨日からよく降った。それも午後3時過ぎたら落ち着いた。宍道湖の水位が気になっていたので行ってみた。川上の奥出雲町も雲南市もよく降ったらしい。濁った水がうねっていた。え、嫁ヶ島は水没???。望遠レンズで写真にとって、パソコンでアップしてみたらぎりぎりセーフ。明日は天気も回復しそう。

     

    嫁ヶ島

     

  • 外は雨 2024年06月22日

    雨が降る 午後、雨が降り出した。3時過ぎから大雨になった。明日の朝食べる食パン買わなくちゃあ。そう思い出して車に乗った。着てる服や、髪の毛は少々濡れてもへっちゃらなのに、どうしても濡らしたらまずいものがある。それは眼鏡。拭けばいいじゃないかと、だけどそれが面倒なのだ。ほんとうに。

     

     松江市もやっとこれで入梅するのだろうか。しばらく雨が続くと言う。やっと降り始めた雨、線状降水帯が発生しなければ良いが。集中豪雨にならねば良いが・・・。今年の1月に、伊勢宮町の土地の重要事項の説明をした。ハザードマップを前にして、御覧の通り、このあたりは浸水します。私の経験でも2度ありました。50年程前に1度、20年程前に1度、私の腰ぐらいの高さまで水に浸かりました。

  • コーヒールンバ 2024年06月22日

     皆さんは「コーヒールンバ」という歌をご存じだろうか。今はほんの時々、カバー曲として歌われるのを聞く程度。ほぼ忘れられた昭和の歌だ。私が小学校の5~6年の時、この曲を聞いて、まだ飲んだことのないコーヒーという飲み物にあこがれた記憶が昨日のように思い出される。そして今、こよなくコーヒーを愛する男が、ここに存在するのである。

     

     この歌の作曲は、ベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニだ。それに原曲の歌詞とは違うのを中沢清二が作詞して西田佐知子が歌ってヒットした。歌詞の内容は、「その昔アラブの偉いお坊さんが、恋を忘れたあわれな男にコーヒーという飲み物を教えた。そしたら、たちまちの内にその男は若い娘に恋をした」というものだ。私は、なんというガキだったのだろう。あんな頃からこの歌詞を聞きそして歌い、コーヒーというものにあこがれたのだから。

     

     このリズム形式はマンボではなく、オルギアというものらしい。皆さんもぜひ、ユーチューブで聴いてみていただきたい。西田佐知子本人はもちろん、あらゆる歌手・グループが、プロアマ問わずに歌い、演奏している。ひょっとしたら、原曲で聴けるのかもしれない。楽しいリズムだ。

     

     人というものは、心の中のどこかに小さくてもいい、楽しもうという心がないと楽しい音楽は聴けないもののようだ。悲しさや寂しさに心が押しつぶされている時には、寂しい曲を求めてしまう。私もずいぶんの間、裏悲しい曲を選んで聞いていたように思う。だが、今はちょっぴり違う・・かな。コーヒ―ルンバを聴いているのだから

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