店主日記

  • 谷村新司 2023年10月17日

     昨日の夕方の帰り道、いつもは見もしない車のテレビのスイッチを入れた。いきなり、谷村新司の訃報。そうなんだ、亡くなったんだ。青春時代を同時に生きてきた谷村新司が亡くなってしまったんだ。なぎさ、彼の笑顔は二度と見れないんだね。君のいるそっちに行ってしまったんだね。そっと妻に囁いた。

     

     夕食の弁当は、いつもの近くのコンビニと違った、帰り道にあるコンビニに行く。この店との付き合いは最近からだ。だが、あの女性はよくレジで見かける。話したことはない、が、谷村新司が亡くなったねと言ってみた。彼女も、新司のことはよく知っているのだろう、私も先ほど聞いて、と、答えた。俺、彼のこと好きだったんだよって言った。瞬間、彼女の心がほぐれるのが分かった。彼には、こんな人間力があったんだなと、あらためて思った。

  • コーヒールンバ 2023年10月16日

    焼きそば この頃、フライパンで調理するのが妙におもしろくなってきた。冷蔵庫の中に焼きそばと野菜と豚肉の細切れがあったのでソース焼きそばにしようと思った。ソースはどうしようと再び冷蔵庫。これでいいやん。ケチャップとウスターソースを5対5、お、いける。これが昨日の夕ご飯だ。

     

     昨日の草刈りで、足の筋肉に少し違和感があったが今朝は心地良く目覚めた。西側にある寝室のカーテンを開けると、向こうの山の頂に太陽が射していた。ふとまた、妻の面影が心の片隅を通り抜けていく。雨が降っていたりするとそれが心を沈めるのだが、今日は違った。かえってそれが心を潤してくれた。

     

     事務所の玄関のガラスを少し開けた。裏側の窓ガラスも少し開けた。すうっと風が通っていく。ワイシャツ姿でちょうど良いくらい。快適さが心地良くて思い出した歌があった。1961年に西田佐知子が歌った「コーヒールンバ」。インスタントコーヒーを飲みながらYouTubeで聴いた。ああ、なんて心地良いのだろう。

  • 再び 2023年10月15日

     早朝に、自治会の清掃活動で草刈りをした。子供の頃から、いやというほど鎌は使ってきた。稲刈りや、牛の飼育の餌になる草刈りや、学校行事では植林の下草刈りもやった。だから草刈りには慣れているけれど、わずかな時間でも、早朝の活動は疲れる。そんな訳で、昼食を終えたころから事務所にいることが辛くなってきた。

     

    イチョウ

     

     ぶらっと行けて、駐車場があって、散策もできる場所、熊野大社に行ってきた。車を停めた。ぶらっとしてみよう。あのイチョウの木の芽はどうしたんだろう。9月3日に書いたあのイチョウの芽である。強く生きろと私を励ましたイチョウの芽である。え、愕然とした。皆きれいに刈り取られている。

     

     賽銭も入れず、車に帰ってきた。昨日今日は例大祭らしい。そのために、きれいにしようと切り取ってしまったのだろう。惨いと思った。必死に芽を伸ばしたのに。懸命に生きようと思ったのに。・・・でも、またしたたかに発芽していた。もう、紅葉するこの季節に、小さな青い若葉を発芽させていた。

  • 飛行機雲 2023年10月13日

     悪い夢でも見ていたのだろうか、目覚まし時計で起きた時、薄っすらと寝汗を感じた。布団から抜け出すと肌寒かった。汗が体温を奪うのだろうか。それもあるかもしれないが、気温が下がっているのだろうと思った。確実に秋が深まってきている気配がした。

     

     出勤して、机を拭こうと思った。布巾を水に濡らそうかそれとも湯にしようかと一瞬悩んだ。瞬間湯沸かし器でぬるま湯をバケツにためて布巾を絞った。湯で正解だったと確信した。もうそんな時期になったんだと改めて思った。先日まであんなに暑かったのに。

     

    飛行機雲

     

     営業準備終わって、かあちゃんの詩日記付けた。YouTubeでフォーク歌手の歌をしばらく聴いた。さあ、仕事しようかと思った時、何気なく空を見上げた。すっかり秋の空になっていた。そして飛行機雲が、その線幅を広げて間もなく消えようとしていた。

  • 勝山の想い出 2023年10月12日

     こがね色だね。・・・稲穂が、朝日に輝いていた。そして黄金に光って見えた。だから私はこがね色だねと囁いた。妻は黙っていた。でも、それを否定する気持ちはなかったようだ。うなずいているようにも見えた。昨日は皆刈り取られて稲穂はなかった。だが、国道181号線を勝山に向かって走っている時、そんな7年ほど前の記憶が昨日のことのように思えた。

     

     何かと、もの想う秋。誰しもセンチメンタルになってしまうのかもしれない。だが、心に悲しみという傷跡を残している者ほど、センチメンタルな深みにはまり込んでしまうのかもしれない。そんな時には、無理にはしゃいだりはしない。むしろ、悲しみという思い出の中にどっぷりと沈み込んだ方が、より心は、落ち着いていく。5年半の年月が、それを実行する私に育ててくれた。

     

    勝山町

     

     もう、ずいぶんも前に何度かやって来たことのある岡山県真庭市勝山町。しばらくご無沙汰していたが10年程前に、妻とぶらりとやって来た。その時、おやっと思った。町のいたる所の民家や、商店の入り口に暖簾を見た。以来、その雰囲気が気に入って何度も訪れている。その度に、この町は魅力を増していった。学校帰りだろう、すれ違った高校生が挨拶をくれたりするのも、この町の風情なのかもしれない。

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