店主日記

  • 舌震の恋吊橋 2024年09月11日

     今電話待ちを事務所でしている。外は相変わらず暑い。湿った空気が肌にまとわりつくような、そんな不快な暑さだ。定休日だから仕事をする気はない。外をぼんやり眺めていたら雨が降ってきた。そして晴れてきた。私が子供の頃の母は、この状態を狐の祝言だと言っていた。懐かしい。

     

     そんな子供の頃、よくここ「鬼の舌震」で遊んだ。我が生家から、子供の足でここまで歩いて1時間弱。あの頃は、水面から1.5メートルの高さに吊橋があった。その吊橋から飛び込んで泳いでいた。あっという間に、唇の色が紫になって行った。太陽の光に焼けた岩肌で、体を温めた。懐かしい思い出のひとつだ。

     

    恋

     

     今その吊橋はなくなって、それから何代目だろう。遥か高く、恋吊橋が出来上がった。その真ん中で下を見ると、泳いでいたダム湖も、流れてきた砂にうもれていた。昔の面影はなくなっていた。あの頃を思い出して懐かしんでいたら、人がひとりこの橋を渡ってきた。その一歩一歩に呼応して、わずかだが微妙に橋が揺れた。昔、妻を恋した時の心の揺れのように。

  • 気持ちがほっこりと 2024年09月11日

     昨日の月一の連休の初日、朝起きてどこに行こうか迷った。とりあえず車に乗って国道9号線を西に向かった。宍道まで行った時、奥出雲町に行こうと決めた。なんとなく寂しい時は、奥出雲町に向かってしまう。なぜか懐かしい故郷に向かってしまう。

    三成駅

     

    久し振りに鬼の舌震に行ってみた。カメラを肩にぶら下げて土産店兼蕎麦屋さんの前を通りかかった時、そこのおかみさんが声をかけてくれた。話を聞いてくれそうな人柄に見えたからいろいろなことを話した。ついそこの堅田という村で生まれたんだよ。今ひとり暮らしだよ。妻は6年前に死んでしまったんだよ。来週、娘たちが帰って来るよなんて話したら、よく聞いてくれた。会話の飢えが満たされた気がした。

     

     そんな人と会えて、心がほっこりした。そしたら何故か、三成駅に行きたくなった。三成駅は閑散としていた。が、列車が一台停車していた。ホームに立って眺めていたら運転手さんと目が合った。会釈をくれた。そんな会釈はローカル線ならではの光景だろう。また気持ちがほっこりとしてきた。

     

     今日は定休日の二日目、来客の予定。だから出勤してきた。対応が終わったら、どこに行こうか、な。

  • 書かねば通さぬ美保関 2024年09月08日

     9月になって2度目の日曜日がやって来た。日曜日は私にとっては勤務日、だけどやはり日曜日は日曜日の気分。確認したい物件があったので朝一番で出かけた。さっき10時半に帰って来てやっとエアコンのスイッチを入れた。インスタントコーヒーの粉ををカップに入れて湯を注いだ。さあ、今日が始まるぞ。

     

    美保神社 と、気合を入れたがやはり日曜日。コンパクトステレオのスイッチを入れた。パソコンを開いて先日行った美保関の日付をクリックした。まず目に付いたのが写真の板。知名度の高い二人の俳句が刻んである。美保神社の鳥居の脇を青石畳通りに入って、直ぐの左側の民家の塀に取り付けてある。湯川さん、俳句は書けんけど日記は書くよ。

     

     母と暮らしたその昔、行きたいと言う母とよくここに来た。その昔、田植えが終わると、「泥落とし」と言って農作業の慰労のための旅行があったらしい。まず、松江に列車でやって来て、そこから船に乗って美保関に来たと言う。当時の仁多町を朝早く出発して、夕方着いたと言うから片道一日要した旅行だった。

     

     当時は賑わっていた。土産物店も、数多くあった。そこで農業で使う、竹でこしらえた駕籠などを買って帰ったと言う。10年ほど前にあったその名残も今はない。そんな母の思い出などが心を巡っていく。ステレオから、ナナ・ムスクーリが歌う「ママポーラ」が流れていて、その歌声が私を優しく包んでくれる。音楽は、アメイジング・グレイスに替わった。

  • 残暑バテ 2024年09月06日

    三保湾 この頃体が変。体がだるくて食欲もなし。気力も湧かない。どうしてだろうと牛乳を飲みながら朝のテレビを見ていた。テレビはこの状態を「残暑バテ」だと言った。はて、そんな言葉あったかなあ。夏バテはよく聞くけれど、最近できた新語かも。

     

     昨夜よく寝た。だけど朝方の4時に目が覚めた。二度寝しようと頑張るがどうもダメ。横になっていても意識がずうっと続く。昨日もそう、この2~3日寝不足が続いている。そう言えば、だいぶ昔だったけど、寝るのも体力だと、読んだ「渡辺淳一」の小説にそう書いてあった。

     

     そんなバカな、と若い当時はそう思った。体力がないから寝るのだろ。体力があるなら寝なくてもいいんだろ。そう思ったが作家の渡辺氏は医者でもある。半信半疑だったが、歳を重ねるごとに、それもそうだなと思うようになった。そして今ではすっかり納得している。   

     写真は美保関港。向こうに見える高い山が大山。

  • 夏の終わりに 2024年09月04日

     昨夜、なぜだろう。飲めば飲むほどに寂しさが増してきて、日が替わるまで飲んでしまった。遅く起きた今朝も、それを引きずっていて、美保神社に行きたくなってきた。そして青石畳を、妻と歩いた思い出をかみしめるように、ゆっくりと歩いてみた。面影の妻の姿に話しかけてみた。そしてやっと落ち着いた気がした。

     

    美保神社

     

     いつもそうだが、ここに来ると今写真を写したこの場所にしばし佇んでしまう。この場所から見るこの風景に、得も言われぬ美しさを感じてしまう私なのである。最良の場所を探すために、ゆっくりゆっくり移動していく。手前の木立と、神社裏の山との空間のバランスを探すために。

     

     今日は参拝客が多かった。一礼をして鳥居をくぐって行く人たちに日本の文化を感じたりしていた。夏を名残惜しむかのようにミンミンゼミがあちらの木で鳴いて、そして違うのがまたこちらの木で鳴いた。暑くて辛かった今年の夏、木陰に立てば涼しさを感じる今日になれば、去っていく夏に一抹の寂しさを感じてしまう私なのである。・・・だから昨夜、あんなに寂しかったのだろうか。

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