店主日記

  • ChatGTP 2023年02月20日

     テレビやラジオで、チャットGTPのことがこの頃よく話題になる。オリジナルテキストを生成することができる人工知能ツールだそうだ。例えば私の店主日記、「奥出雲町にドライブに行ったことの日記」と入力すれば、店主日記は完成することになる。かなりハイレベルな文章が出来上がるらしい。

     

     ブログにしても、新聞の読者欄への投稿にしても、書くと言うことを私は楽しんでいる。。ストレス解消でもあるし、気分転換にもなる。一番の楽しみは、言葉を組み立てる作業の面白さだ。子供の頃、粘土をこねて形あるものにしたあの喜びと同じなのである。

     

     仕事で使うパソコンもそうだけど、スマホにも時々怪しいメールが届く。覚えのない、あるいは、例えばauを名のるなど一般に知れた名であっても私は無視することにしている。そんな詐欺めいたものも、チャットGTPでもっと巧妙化していくのかもしれない。 

  • 久し振りの夕方の街 2023年02月19日

     昨夕、久し振りに街で食事することにした。定時に仕事を終えてタクシー会社に電話する。4社に電話するも予約がいっぱいでありゃしない。バスで行くことにした。土曜日の夕方のバスはこんなに混むんだ。土曜日を侮ったのかもしれない。

     

     松江大橋南詰のおでん屋さんに行った。サラリーマン時代に時々ひとりで行った馴染みの店だ。馴染みと言っても、もう20年もご無沙汰している。カウンター席に案内された。ひっきりなしに訪れる客。てきぱきと店員さん。大繁盛だ。ビールの大ジョッキと、数種類のおでんを注文した。

     

     満足して、顔見知りの店主のお好み焼き屋さんに足を延ばす。ここでも生ビール。そしてお好み焼き。どこも、お客さんは多い。コロナ禍前の賑わいが回復したのかもしれない。人々の、笑顔を見てそして思う。庶民が、小さな幸せを求めて暮らしている。みんな、平和を求めて生きている。

  • 雪景色 2023年02月15日

     定休日に限って早く目覚めるのに今日は良く寝た。リビングのカーテンを開けると雪が降っている。だが積もりそうではない。ならば、奥出雲町に行こう。雪を見に行こう。そして遅い朝食。いや昼飯にするか。

     

    雪景色

     

     雲南市の坂道を登っていくと薄っすらと雪景色が広がってきた。奥出雲町に着くと、更に風景の白さが増していった。。いいぞいいぞ。この風景が見たかった。山々の木々を新雪が覆っている。この景色が見たかった。

     

     予定通り、亀嵩にある「酒蔵奥出雲交流館」に行った。雪のせいか他にお客さんはいない。レジの女性に話しかけてみた。話していたら年齢が分かってしまった。でもすごく若く見えた。「DOBUROKU Dー269」という濁り酒がある。これを買って、話してくれて楽しかった。有難う、また来ますと言って交流館を後にした。

  • 岬めぐりもいいな 2023年02月13日

     今日もまた夕方になった。しとしとと雨が降って地面の水たまりに幾重もの円を描いている。なのにどうしてあそこを行く若い人は傘を差さずに歩くのだろう。片手に傘を持っているのに。その後ろを歩く人も。

     

     私のパソコンデスクの後ろのスピーカーからは昭和の歌謡曲が流れている。女性歌手の声が聞こえている。このスピーカーは末娘が我が家で聞いていたものだ。東京へ行ってしまってから私が事務所に持って来た。小さいけど、まずまずの音を出す。歌謡曲を聴くのには不足はない。今は、春なのだが太田裕美が「九月の雨」を歌っている。

     

     あ、山口百恵が「いい日旅立ち」を歌いだした。今度の休みにはどこにドライブ行こうか。どこに旅に出ようか。どこか知らない町を歩いてみようか。・・・写真は日御碕漁港の日御碕神社の海辺の鳥居がある所。波が来ては小石を躍らせてカチカチと音を出す。ある日、この音をいつまでも、いつまでも聞いていた。

     

    鳴石

  • そっくりだよ 2023年02月10日

    律人と 昨夜、宅建協会の、いちばん末端に当たる班会があった。コロナ禍の中で3年振りのことである。十数人集まったその中の一人が私のこの店主日記を読んでくれている。そして昨日、お孫さん、景山さんにそっくりだねって言ってくれた。思わず、デへっと、デレっとなってしまう私なのである。

     

     孫の母、つまり私の娘なのであるが、ハイハイが始まった頃の顔は私の顔によく似ていた。笑った顔など瓜二つってところだろうか。可愛かった。そう思うと、私と孫が似ているということは不思議ではない。むしろ当たり前のことなのかもしれない。

     

     しかし、娘の顔は、成長するに従って私の顔との極似から遠のいていった。その顔は、だんだん母親に似ていった。顔だけではない。性格や体格まで母親そっくりになってしまった。孫も、やがては違った顔になっていくのだろうと思う。そう思うとちょっぴり寂しい気持ちになってしまう。

     

     写真は、昨年の9月9日、北京に旅立つ娘と孫を出雲空港に送って行った時のものだ。娘が私のスマホで写してくれた。

     

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