店主日記

  • じゃあ、またな 2024年04月22日

     あんなに楽しかった一週間が終わった。今朝、早い飛行機で娘と孫は出雲空港から飛び立って行った。今回の別れは、以前の別れより、より寂しかった。なぜだろう。孫が成長して、より可愛くなったからだろうか、それとも、私の心が老いて行くからだろうか。

     

     より寂しくなりそうで、飛行機が飛び立つのを待たずに空港を後にした。涙がさえぎって、時々視界がかすんでいった。グレープが歌う「精霊流し」を聴いた。「無縁坂」を聴いた。「縁切り寺」を聴いた。ステレオのボリュームいっぱいにして聴いた。そうでもしなきゃあ・・・

     

    宍道湖

     

     その足で、松江警察署に向かった。署内にある、交通安全協会へチャイルドシートを返すために。受付の女性にひと言話した。にぎやかだったのに、またひとりになっちゃった。帰られるとさみしくなりますよねえ、と慰めてくれた。「悲しみこらえて微笑むよりも、涙かれるまで泣くほうがいい」海援隊が歌う「贈る言葉」が、心の中を横切っていった。宍道湖は、雲をかぶってモノトーンの水墨画のように見えた。

  • 大山まきばみるくの里 2024年04月18日

     一昨日、娘と孫が帰ってきた。そして昨日、天気が良いし、暖かだし孫をどこか連れて行ってやりたいな、と娘に相談した。結果、大山の「ミルクの里」がいいと話はまとまった。自家用車のフロントガラスは昨夜の黄砂交じりの雨で汚れていた。かまうもんか。さあ、出発だ。

     

    大山

    律人 

     大山は黄砂に覆われて目に映る風景は霞んでいた。それでも、頂あたりの残雪は山肌のくぼんだ部分を埋めているのが確認できた。平地で20℃を越していた気温も、みるくの里では3℃ほど下がっていて風が冷たいと感じた。草原を歩くには、その冷たさが心地良かった。

     

     夕ご飯は娘がこしらえてくれた。久し振りに家族の料理を頂いて、その温かさと美味しさがひとり暮らしの私の心に染みた。いいもんだな。いいもんだなと、何回も何回も、私自身の心に呟いてみた。ほんとにいいもんだなって、そう思った。

     

     近況など話し合っていたら突然娘がこう言った。「お父さん、再婚したいの」って。会話の時々に女性が登場するからだろうか、そう思った。「いや、再婚はしない。俺の心にはなぎさがいる。なぎさは俺の永遠の妻だ。だから再婚はしない」。そして、ずうっと愛してるから、そう確認した。

  • キンポウゲ 2024年04月15日

     先日のいつだったか、松江市交通安全協会から40年優良運転者表彰の申請手続きの案内のはハガキが届いた。チャイルドシート借りるついでにと、受賞の手続きをして来た。この前、30年表彰を頂いたのが平成20年だから、もっと早くに表彰していただくことができたのだが、・・・そう思ったら安全運転していたものだと我ながら感心した。

     

     明日、早朝から尾道に向かって出発する予定だ。友人の結婚式で帰って来ていた長女と落ち合うためだ。だからチャイルドシートを借りに行った。先月会ったばかりなのに、すごく楽しみである。早く孫の顔が見たいものだ。また成長したんだろうな。私はその孫に、おじいちゃんとは呼ばせない。カゲちゃんと呼ばしてる。

     

    キンポウゲ

     

     ずいぶん昔のことである。母と暮らしていて、末っ子の私が母を天国に見送った。山野草が好きだった母。しばらくは寂しくて、母が好きだった山野草の写真を撮り歩くことでそれを紛らしていた。以来、私も山野草が好きになった。今、カメラ精度の高いスマホがある。ふと目に着いた道端の花を写している。

  • 2024年04月13日

    花 先月、妻の七回忌で会ったのに孫にもうすぐまた会える。娘からラインがあった。再び日本に上陸と。友達の結婚式が広島であるので帰って来たそうだ。先日行ったばかりの尾道に迎えに行かなくてはならない。松江警察署内の交通安全協会に、先月チャイルドシートのレンタルの予約をしておいた。

     

     孫は可愛いよと、みんなが言う。我が子よりも可愛いと言うけれど、本当かいなと思っていた。可愛いにしたって我が子より可愛い訳ないだろうと、そう思っていた。だがみんなが言う通り、やっぱり孫は可愛い。生まれて半年我が家で育ち、北京に行って一度離れて再会した時本当にそう思った。妻の生まれ変わり、私がそう思うから余計に可愛いのかもしれない。

  • 尾道行 2024年04月11日

     先日の定休日、ある人と朝の8時過ぎに待ち合わせして尾道に向かって出発した。その人は同業ではないが、私とどこか似たような仕事をする女性で、定休日も私と同じ水曜日なのである。歳は、無理すれば私の子供と言ってもおかしくない。夕方仕事があるというので早めの出発となった。

     

    桜ござ

     

     いつものように千光寺公園駐車場に車を停めた。もう散ってしまったのだろうなと、そう思って来たのだが桜の花もまだ咲き誇っていた。それでも散った花びらが路面を華やかにして観光地としての味わいに役立っていた。私は志賀直哉が住まっていた寓居なるものを見たいと、そこへ行きたい願望があったので彼女はそれに協力をしてくれた。だが、坂道を下るときには見つけることができなかった。

     

    寓居 ひとまず、商店街で尾道ラーメンを食べようよ。というので目の前にあったラーメン店に飛び込んだ。私はコピーを取り出して、志賀直哉の「暗夜行路」の尾道のところの一節を彼女に読んで聞かせた。特に、夕方千光寺で鐘をつくところの描写が気に入っている。「ごーんとなるとごーんと反響がひとつ、またひとつ、・・・」

     

     この頃、採算が合わないということで観光地図にも載せていない時任謙作(志賀直哉の旧居)の寓居、彼女がスマホでその場所を探してくれた。それを辿って坂道の階段を上っていく。ついに見つけた。これが見たかったんだよ。久し振りに見る時任謙作が住んだ寓居、感動した。

     

     あとは帰るだけ。旧居から千光寺公園まではまだまだ上り坂。10歩石段を上っては休み、また上っては休みの繰り返し。やっと駐車場に着いたら長蛇の空車待ちの車にびっくりした。いい時間にやって来たもんだねと、朝の早立ちの約束に感謝するのだった。

     

     それにしても、どうしてこうも私は尾道にはまってしまったのだろう。ラーメンの味は、山陰の人には濃い過ぎる気がする。だけど、食べなければ気が済まない。一時娘が住まってたところだからだろうか。それとも妻との思い出が深いからだろうか。恐らく風景といい、すべてが私の好みとうまく絡まっているのだと思う。

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