店主日記

  • 心のゆらぎ 2024年04月04日

     昨日、定期診察日だったのでいつもの病院に出かけた。受付を終えたら処置室で採血をしてもらう。時には同じ看護師さんの場合もあるが、行く度にその顔触れは違っている。昨日は年配の女性だった。名を呼ばれた瞬間、なんとなくこの人なら、そんな心の温もりを感じた。

     

     椅子に座って腕をまくった。その腕を見て看護師さん、「荒れているね」。肌のことである。「うん、乾燥肌でね、痒くてかきむしったもんだから」。「そうなんだ。体も?」。「うん、全身。ひとり暮らしだから心が乾燥する。すると体も乾燥するらしい」。そんな冗談を言ってみた。

     

     「え、奥さんは?」。左手の薬指の指輪をを見たという。「先日、七回忌を終えたんだよ。二人の娘も出て行っちゃって今はひとり暮らし。それに息子は入院してる。どうして僕はこんな人生なんだろうね」。「でも、もっと寂しい人はいるから。それに、いろんなこと乗り越えた人は強くなる。あなたは優しそうだし、きっと幸せになるわ」。

     

     今朝起きて、アスファルトを打つ雨音を聞いていたら、無性に寂しくなってき。本当なら今この時間は、テーブルに向かい合って二人で朝食摂りながら談笑してるのに。そう思ったら一層寂しくなってやりきれなくなってきた。だから、昨日の看護師さんとの会話を思いだそうとした。そうだよな、幸せにならなくちゃあな。乗り越えなくちゃあな。

  • 2024年04月02日

     暖かい朝日を浴びて桜の花も嬉しそうだ。大庭町の公園墓地の桜も微笑みながら私を迎えてくれた。やあお早う、今日は暖かいねとそう呼び掛けて微笑んでいた。ここの桜と顔見知りになってもう6年が経ってしまった。早い月日の流れを感じてしまう今日この頃なのである。

     

    公園の桜

     

     妻が亡くなったのは、2018年4月23日の早朝だった。妻の妹親子、娘たちふたり、そして私が見守る中、静かに静かに息を引き取っていった。お父さん、今からあっちへ行くね、そう言ったように私には聞こえた。そうか、今から行くんだね、本当に行ってしまうんだね。そう思った。

     

     その夏、ここの公園墓地の一角を松江市から借り受けた。そして納骨を無事終えた。その時には桜の木があることさえ分からなかった。明くる年の春、桜の花が咲くことに気が付いた。ああ、ここにはたくさんの桜が咲くんだとその時初めて知った。以来ここの桜は、春になるたびに私の心を和らげてくれている。そして妻が亡くなったあの日の記憶が懐かしく蘇ってくる。

     

     もう直ぐ命日がやって来る。私の寝室には妻の仏壇が置いてあり、亡くなったあの時のカレンダーが壁にそのまま掛けてある。掛け時計は、妻が亡くなったその時間を差して止まっている。ふたりの部屋だったこの部屋は、ふたりの思い出がいっぱい詰まっている。

  • 春が来た 2024年03月29日

     昨夜、なぜか寝付けなかった。しょうがない、もう一杯焼酎のお湯割りを。飲み終わったら深夜の1時前。と言う訳で、今朝は開業時間のぎりぎりまで出勤時間を伸ばした。でないと、万が一酒気帯び運転などになったら仕事ができなくなってしまう。宅建免許がなくなってしまう。

     

     明後日朝、貸店舗の鍵渡しがある。その店舗に3か所設置してある鍵の作動の確認にお昼過ぎに向かった。案の定、1ヶ所の鍵が開かなくなっていた。持参のオイルで開錠も快適になった。これで準備OK。4月1日の鍵渡し、安心して行える。

     

    川

     

     それにしても今日は暖かだ。そんな陽気が私を誘った。ちょいと足を延ばしてみたい、そんな気持ちになった。意宇川の流れの水の乱れが陽光を弾いてきらきらと光っていた。その上の桜の大木がわずかの数だが花びらを開いていた。わずかでも、この木の開花宣言には文句はないと思った。やっと、本物の春がやって来たんだ。そんな無言の言葉が心を巡っていった。

  • オオイヌノフグリ 2024年03月28日

     昨日は定休日、入院中の息子への面会日だった。遅い朝食を終え、墓参を終えて出雲市に向かった。空は晴れ渡っていた。西に向かう私の車の後部座席に太陽の光が差し込んでいた。直接にそれを浴びるのではないが、暖かかった。久し振り見る、晴れ渡った空だった。

     

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     いつもより、息子は元気そうだった。顔にも明るさがうかがえた。こんな息子を見るのは嬉しい。元気のない、鬱屈した息子の顔を見るのは辛い。だけどこの日の息子は明るかった。良かった、良かったと胸をなでおろした。じゃあ来月また来るからな。

     

     息子と別れて、回り道して帰ることにした。立久恵峡を通る時、木漏れ日がフロントガラスに差し込んできていた。次から次とフロントガラスから差し込んできた。私は今、どこを走っているのだろう。走馬灯の中を走っているのだろうか。そんな錯覚を覚えたほど、それは幻想的だった。

     

     長いトンネルを抜けると掛合町に入った。すれ違う車もない。なんて静かな道なんだろう。道路わきの草むらに、オオイヌノフグリの花が群がっていた。あちらこちらに群れをつくっていた。上着を脱いだシャツ姿でスマホをもって車を降りて行った。昨日まであんなに寒かったのに、寒くなかった。むしろ、太陽の光を背中に受けて暖かかった。温かくて気持ち良かった。

     

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  • 今日も雨、便りを書こう 2024年03月26日

     今日も朝から雨が降っている。気温は春の柔らかさになってきた。天気が良いのは気持ちも晴れるが、私にとっては雨模様もまんざらではない。なぜなら、乾燥肌に少し、潤いができるからだ。気温が低くて、晴れた日に、エアコンの中にいる時ががいちばん苦痛なのである。

     

     先日、そんな私の元に同窓会の誘いの便りが来た。高校生時代の、当時の担任の先生の米寿の祝いだと記載されていた。コロナ禍の中、しばらく途絶えていた同窓会。何年振りなのだろう、懐かしい。先生の顔、友の顔が次から次と巡っていく。あいつにも会いたいな。

     

     でも、今回は行くのよそう。まだまだ私には楽しめそうにないから。幸せそうな人たちと、語らうのは苦痛。そんな気持ちが続いている。妻が逝ってしまってから、もう6年の月日が過ぎ去ったのに、楽しく笑う心を忘れてしまった。懐かしい顔が見れないのは寂しいけれど、今日は不参加の便りを出そう。

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