店主日記
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木次線
2024年09月14日
朝のテレビの気象予報士は、今日の最高気温は36℃だと言っていた。昼前になって、ネットで確認したら37℃になっていた。立秋の日から数えて何日が経つのだろう。夏バテと、残暑バテが重なってもう駄目。今年の気候が憎い。その苦しさを忘れたい。店主日記を書きたくなった。
三成駅に佇んだ時、なぜか向こうのホームからこちらに線路を渡って来る子供の頃の私の姿が見えていた。ああ、そうだ。修学旅行の帰りなんだ。小学校の時だっただろうか。それとも中学校の時だったかの記憶は定かではない。夜行列車で帰ってきた。客車の通路に、新聞紙を敷いてその上に寝て帰ってきた記憶を思い出していた。
三成駅はよく利用した。父が、役場の畜産課に働いた時があった。牛を市場に運ぶ時、ここの駅から列車を使った。牛がけがをせぬよう、貨車の内側に板を張り付けた。その手伝いをした。いや、しゃまだったのかもしれない。そのお礼だと言って、走る列車の機関車に乗せてもらった。風を切る坊主頭が気持ち良かった。母の実家の亀嵩へ行くのもここから乗った。向こうのホームを歩く母の姿が懐かしい。あの頃は乗客も多かった。三成駅は賑わっていた。その賑わいもモータリゼーションの波に押されて、今では駅舎という駅舎もなく閑散としている。先日停車していたあの列車にも、ポツンとひとりの乗客だけを見た。客車横に、「次へつなごう、木次線」と、手書きがしてあった。日帰りでいい、たまには列車旅もいいのかも。
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舌震の恋吊橋
2024年09月11日
今電話待ちを事務所でしている。外は相変わらず暑い。湿った空気が肌にまとわりつくような、そんな不快な暑さだ。定休日だから仕事をする気はない。外をぼんやり眺めていたら雨が降ってきた。そして晴れてきた。私が子供の頃の母は、この状態を狐の祝言だと言っていた。懐かしい。
そんな子供の頃、よくここ「鬼の舌震」で遊んだ。我が生家から、子供の足でここまで歩いて1時間弱。あの頃は、水面から1.5メートルの高さに吊橋があった。その吊橋から飛び込んで泳いでいた。あっという間に、唇の色が紫になって行った。太陽の光に焼けた岩肌で、体を温めた。懐かしい思い出のひとつだ。

今その吊橋はなくなって、それから何代目だろう。遥か高く、恋吊橋が出来上がった。その真ん中で下を見ると、泳いでいたダム湖も、流れてきた砂にうもれていた。昔の面影はなくなっていた。あの頃を思い出して懐かしんでいたら、人がひとりこの橋を渡ってきた。その一歩一歩に呼応して、わずかだが微妙に橋が揺れた。昔、妻を恋した時の心の揺れのように。
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気持ちがほっこりと
2024年09月11日
昨日の月一の連休の初日、朝起きてどこに行こうか迷った。とりあえず車に乗って国道9号線を西に向かった。宍道まで行った時、奥出雲町に行こうと決めた。なんとなく寂しい時は、奥出雲町に向かってしまう。なぜか懐かしい故郷に向かってしまう。

久し振りに鬼の舌震に行ってみた。カメラを肩にぶら下げて土産店兼蕎麦屋さんの前を通りかかった時、そこのおかみさんが声をかけてくれた。話を聞いてくれそうな人柄に見えたからいろいろなことを話した。ついそこの堅田という村で生まれたんだよ。今ひとり暮らしだよ。妻は6年前に死んでしまったんだよ。来週、娘たちが帰って来るよなんて話したら、よく聞いてくれた。会話の飢えが満たされた気がした。
そんな人と会えて、心がほっこりした。そしたら何故か、三成駅に行きたくなった。三成駅は閑散としていた。が、列車が一台停車していた。ホームに立って眺めていたら運転手さんと目が合った。会釈をくれた。そんな会釈はローカル線ならではの光景だろう。また気持ちがほっこりとしてきた。
今日は定休日の二日目、来客の予定。だから出勤してきた。対応が終わったら、どこに行こうか、な。
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書かねば通さぬ美保関
2024年09月08日
9月になって2度目の日曜日がやって来た。日曜日は私にとっては勤務日、だけどやはり日曜日は日曜日の気分。確認したい物件があったので朝一番で出かけた。さっき10時半に帰って来てやっとエアコンのスイッチを入れた。インスタントコーヒーの粉ををカップに入れて湯を注いだ。さあ、今日が始まるぞ。
と、気合を入れたがやはり日曜日。コンパクトステレオのスイッチを入れた。パソコンを開いて先日行った美保関の日付をクリックした。まず目に付いたのが写真の板。知名度の高い二人の俳句が刻んである。美保神社の鳥居の脇を青石畳通りに入って、直ぐの左側の民家の塀に取り付けてある。湯川さん、俳句は書けんけど日記は書くよ。母と暮らしたその昔、行きたいと言う母とよくここに来た。その昔、田植えが終わると、「泥落とし」と言って農作業の慰労のための旅行があったらしい。まず、松江に列車でやって来て、そこから船に乗って美保関に来たと言う。当時の仁多町を朝早く出発して、夕方着いたと言うから片道一日要した旅行だった。
当時は賑わっていた。土産物店も、数多くあった。そこで農業で使う、竹でこしらえた駕籠などを買って帰ったと言う。10年ほど前にあったその名残も今はない。そんな母の思い出などが心を巡っていく。ステレオから、ナナ・ムスクーリが歌う「ママポーラ」が流れていて、その歌声が私を優しく包んでくれる。音楽は、アメイジング・グレイスに替わった。
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残暑バテ
2024年09月06日
この頃体が変。体がだるくて食欲もなし。気力も湧かない。どうしてだろうと牛乳を飲みながら朝のテレビを見ていた。テレビはこの状態を「残暑バテ」だと言った。はて、そんな言葉あったかなあ。夏バテはよく聞くけれど、最近できた新語かも。昨夜よく寝た。だけど朝方の4時に目が覚めた。二度寝しようと頑張るがどうもダメ。横になっていても意識がずうっと続く。昨日もそう、この2~3日寝不足が続いている。そう言えば、だいぶ昔だったけど、寝るのも体力だと、読んだ「渡辺淳一」の小説にそう書いてあった。
そんなバカな、と若い当時はそう思った。体力がないから寝るのだろ。体力があるなら寝なくてもいいんだろ。そう思ったが作家の渡辺氏は医者でもある。半信半疑だったが、歳を重ねるごとに、それもそうだなと思うようになった。そして今ではすっかり納得している。
写真は美保関港。向こうに見える高い山が大山。




