店主日記
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飛行機雲
2024年06月13日
2度目の花芽が伸びて今日咲いた。アマリリスが咲きかけたと5月19日の日記にあるからその間隔20日ぐらい。最初の花より少し小ぶりだが可愛い。毎年毎年、この私を2度楽しませてくれるアマリリスの花、今日も店主日記書きたくなった。そして、どこからどこに行ったんだろう。見上げれば飛行機雲。
昨日の朝、Yamakyoで買い物したと昨日の日記に書いた。ついでに鳥のもも肉を買ってきた。焼けむらができぬよう、包丁で切り目を入れた。味付けは塩コショウだけ。豪快にフライパンに皮目から放り込んだ。昨夜は大山鳥のシンプルステーキ。一緒に焼いた5粒のニンニクも旨かった。今朝は匂うのだろうか。マスクしとこ。
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ウツボグサ
2024年06月12日
この頃、病院の都合で定休日と通院日が重なっている。仕事に差しさわりがなく有難いことだと思う。反面、遊びに行けないのは残念な気もする。我が儘なんて、どこかに捨てちゃったと思っていたのに、まだまだわがままな私がここにいることを発見した。
天気予報も確認しないで、今日の夕ご飯は今年最後の鍋料理にしようかと思っていた。しかし今朝になったらすごく暑い。最高気温が32℃にとどくらしい。それじゃあ無理だよ、鍋料理なんて。墓参を終えた我が愛車はYamakyoに向かって走り出した。そして、冷凍食品の何種類かを買いだめた。今晩は何作ろうか?。ついでにビール買ったらレジで年齢確認ボタン。え、マーケットでも?。そうだよな、二十歳になったばかりだものな。まだあどけなさが残ってるし。
写真はウツボグサ。公園墓地の傍らの草むらの中に群生しているのを見つけた。その一部をカメラで切り取った。静かに立たずむ山野草。人の手が加わって咲く園芸種も華やかでまた良い。山野の傍らに、遠慮がちにひっそりと咲く名もない小さな草。色合いに奥深さがある薄紫のは趣があって心を誘う。リュックにカメラと、三脚と草花図鑑を入れて山中をさすらった一昔前が懐かしい。
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三瓶フラワーバレー
2024年06月11日
月一度の火曜日の休みは心ワクワクする。三瓶山のフラワーバレーにポピーが咲いてると言うから向かった。たまには逆回りしようか。右手に宍道湖を眺めて、国道54号線に入った。掛合町のコンビニで缶コーヒーと菓子パンを仕入れた。三瓶フラワーバレーは閑散としていた。咲き誇っているところは駐車場から遠い。近場で一枚をパチリ。
西の原に着いた。いつものように、読書室に腰かけた。今日は、私の読書室を写真で紹介しよう。目の前には手入れされた草原が広がっていた。その草原を麓に持つ男三瓶、子三瓶が正面にやさしい姿を見せていた。なぜか、この風景が気に入っている。
菓子パンをかじりながら、妻の形見の茶色いブックカバーを付けた文庫本を読んでいた。足元を、何かが動くのが見えた。数匹のアリがせわしなさそうに歩き回っていた。彼らも、生きていくのに必死なんだ。そして、生き物を見ると妻を思ってしまう。命を考えてしまう。
先日の、アライグマを思い出した。人に飼われていなかったら、私に轢かれて命を落とすことも無かったろうに。野生のまま育っていたのなら、危険を回避する能力が身についていたのだろうに。人恋しくて、それゆえ私に殺されたのなら、と、つい考えてしまう。
事務所に帰って、この店主日記を仕上げている。今日は缶コーヒーを飲み過ぎたのかもしれない。胃が持たれる。朝、夕食にどんなご馳走作ろうかと思っていたが、久し振りにコンビニべ弁当にすることにした。それもたまにはいいだろう。今午後4時半。そろそろ帰ろうかな。
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ふと・・・
2024年06月07日
先日、金屋子神社を後にしたところでアライグマを車で轢いたと、この店主日記に書いた。その後、晩酌をするたびに彼の姿が脳裏に浮かぶようになってきた。そんな先日のこと、ふと思った。彼は、おそらく最近まで人に飼われていたのではないか。その思いに至る記憶が私にはあった。
私はゆっくりと車を走らせていた。道路の左側に小川が流れていた。その小川に近い所にアライグマはじいっとしていた。坂道を下って行く私と目と目があった。彼は、不思議そうに私を見つめていた。そおっと通り過ぎようとぼぼ真横に来た時、じっとしていた彼の体がゆらりと揺れた。そして、車体に姿は消えた。
まさか車の下には来ないだろう。そう信じていた。タヌキと思った彼ならば、車に近づくなんて考えられないからだ。野生動物なら、危険を予知する能力を十分に持ち合わせているからだ。しかし彼は違った。彼は、私に近づこうとしたのではないか。そして甘えようと。案外、飼い主と私の顔は似ていたのかもしれない。
写真は、先日行った稲田神社の社務所の庭だ。真ん中でぽっちゃりしたのがイナタヒメ。右側の凛々しいのがスサノオノミコト。左に置いてあるのが甕(カメ)。甕は、ヤマタノオロチを退治した時に酒を入れたものだろう。説明が見当たらない。だからこの説は間違っているかもしれない。いや、おそらく大丈夫だ。
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奥出雲・八重垣神社
2024年06月06日
駐車場に車を停めると、突然、石階段が風景を覆ってしまう。よし、と覚悟を決めた。神社までの半分ほど進んだ所で一休み。なんと衰えたことか。若い頃にはあんなに山歩きが好きだったのに。休みの度に、三脚持って山を歩いたのにこの様は何だろう。
八重垣神社は、伊賀武神社と同じ敷地内に建てられている。間借りのようなものだ。もともとは違った所にあったのだう。ここから車で1分の所に鏡の池があるのを見ても、あのあたりにあったのではと想像してみた。神社仏閣めぐりは、こんな所がおもしろいと思う。そんな気持ちでカメラを持って出雲大社を散策している時、妻との出会いがあった。もし、私にこんな趣味がなかったのなら、妻とは出会っていなかった。
こんな趣味がなかったらよかったのに。妻との出会いがなかったら、こんな悲しく苦しく切ない思いをすることもなかったのに。時々そんなことも思って見た私なのに、今日はどうしたことだろう。昔の私に戻っている。歴史と、神話の世界に心を奪われている。これが本当の私なんだ。
ヤマタノオロチ退治の話は奥出雲町の鳥上の話だ。だとしたら、横田に稲田神社があるのは当然だろう。そこが最も、クシナダヒメ生誕の地にふさわしい。そして二人の新居の八重垣神社が佐白に存在するのももっともな話だ。スサノオノミコトもクシナダヒメもヤマタノオロチも、みんな架空の存在なのだろうが、神話と現実がごちゃ混ぜになって私を夢の中に誘ってくれる。ロマンチストだねって、妻が私に言ったのもうなずける気がした。
今日はこれで帰ることにする。コンビニで菓子パンと缶コーヒーを昼食にと仕入れた。車を走らせながら菓子パンをかじる。走馬灯のように、妻との暮らしの思い出が心の中を巡っていく。そして妻のいない寂しさに気付く。嗚咽が漏れる。でもその寂しさは瞬時にどこかへ飛んでいった。悲しい時は思いっきり泣こう。それは瞬間のこと。今日は、自分らしさを取り戻した気がした。本当の私を取り戻した気がした。なぎさ、もう大丈夫だ。長いトンネルをやっと抜け出た。心配かけたな。