店主日記
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恩敬寺
2024年01月11日
今日の午前中、妻の七回忌の法事の予約にお寺に行った。妻の葬儀の時、お寺はどこにいたしましょうと葬儀会館の担当者に言われた。はたと困った。仏教のことなど、末っ子の私は今まで考えたことなどなかったからだ。そしてふと思いついた。専攻は仏教とは違っていたけれど、妻は京都の大谷大学に通っていた。そんな訳で、真宗大谷派の恩敬寺にお願いすることになった。
いつものコンビニで昼ご飯代りのクリームパンを買った。コンビニの行き帰り、温かい陽射しが路上に降りそそいでいた。背中が暖かくて気持ち良かった。そんな陽気が、在りし日の妻の記憶を呼び込んでくれた。次から次と、妻との思い出が蘇ってきた。泉のように、とどまることなく楽しい思い出がめぐっていった。なぎさ、君は俺の心の中に生きているんだよ。俺たち、ふたりでひとりなんだよ。
写真は先日、美保神社の無料駐車場から写したものだ。この写真のシャッターボタンを押した場所に、以前釣り堀があった。海の魚を釣ることができた。新婚の頃、この釣り堀に妻とふたりでやって来た。はしゃぎながら釣りを楽しんだ。私は鯛を釣り上げた。その晩、その鯛をどう調理して食べたのかは記憶にない。楽しかった釣り堀の釣りの記憶は鮮やかに脳裏に焼き付いている。。
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初詣
2024年01月10日
アスファルトに溜まった雨水を車がシャーと音を立てて轢いて行った。今日は雨なんだ。連休二日目、昨日あれだけ楽しんだんだから今日は雨でもいいだろう。ゆっくりしよう。そう思いながら気怠く目覚めた。そしてパンをかじりながら思った。今日は出勤して、少し仕事もしようか。七回忌の法事の予約もお寺にしとかなきゃ。
美保神社に初詣に行った。今日が仕事始めの社員達なのだろう、背広の男性や、スーツ姿の女性達のグループがいた。他の参拝の人たちもいつもより多かった。美保神社はまだ、正月の余韻を残していた。青石畳通りを歩いた。風待港として栄えた往時の賑わいが映像として見えてくる気がしておもしろいと思った。
美保神社には二神がまつられている。左側の本殿に「事代主命」右側の本殿に「美穂津姫命」 出雲風土記には「御穂須須美命」だけとしてあるらしい。古代には一神だけだったんじゃないかと歴史家は言う。事代主命をまつるようになったのは、記紀神話の国譲りの影響だろうと。
美保神社を後にして米子市に向かった。昼が近くなってきた。さあどこを走ろうか。思案していたら思い付いた。国道181号線から日南町を通って奥出雲町に抜けて帰ろうと。夕方5時前には帰れるだろう。
車は快調に走った。道の駅「奥大山」で缶コーヒーを買った。年が明けてから思うことがあった。いつまでも、妻の死を悲しんでちゃいけない。私らしく生きていこう。今年の七回忌を、私の気持ちの変換の年にしよう。その気持ちを反芻しながら車を走らせた。
やがて、日南町の道の駅「にちなん日野川の郷」に着いた。時刻は1時30分。売店に入った。昼ご飯代りになるものはと物色した。いろいろ面白いものが売れていた。「大煎」を買った。だいせんと読むらしい。大山とかけたのだろうと思った。
ここからしばらくは、私の気持ちを確実なものにしよう。その時間にあてよう思った。九十九に折れた峠道を走った。所々に圧雪もあった。運転に気をつかう道なのだが、それは苦にならなかった。むしろ楽しく感じられた。カーステレオの音も耳には入ってこなかった。車の運転技術に酔いながら、でも意識はそこにはなかった。
鳥取県境を超えた。島根県の奥出雲町に入った。平地の外気温は11度だったのに3度に変わった。そして数字は0度になっていた。真っ白な風景が広がっていた。遠い子供の頃が思い出された。私の生家も根雪がいっぱいあった。昔はこんなものじゃあなかった。生活は雪に埋もれていた。
三成駅前を通過した時、体と心が結びついた気がした。心の中で快楽が芽生える気がした。次第にカーステレオの音が聞こえだした。さあ、帰ろうか。今晩は何食べようか。なんだかいつもより疲れた気がした。コンビニ弁当にしようかと思った。自宅近くに着いた時、時々行くファミリーマートでかつ丼を買った。レジはいつものあの女性だった。
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雪が降っていた
2024年01月08日
先週の水曜日の夜、おでんを作った。近くのスーパーマーケットが水曜日が安売りの日なので、定休日の日はそこによく行く。安売りと言っても、普段値段を気にして買ったことがないのでどのくらい安いのかは分からない。気にしないというより、必要なものを早く買って早く店を出たい。だいぶ買い物にも慣れてきたが、やはり男がひとりでマーケットをうろうろするのに私にはどうしても抵抗がある。
それは置いといて、その日の買い物は2千円余り。それで作ったおでんが今日も食べられる。6日目だ。1食400円ほどで片付いている。コンビニ弁当も安くて500円はする。そのことを思うと、私は案外、節約家なのかもしれない。だが、それにお酒が加わるから本当は贅沢すぎるだろう。酒が飲みたいから、仕方なく他のものを節約しているのかもしれない。そう言えばこの頃衣類も新調したことがない。着たきりスズメなのだ。いや、その方が休みに日のジーパンに似合うだろう。
今朝起きたら雪が降っていた。小粒の霰のような雪だった。ぼたん雪と違ってコートに弾くから濡れる心配はない。営業準備を終えた。短時間でいい、車で走ってみたくなった。どんな風景が待ち受けているのだろう。東出雲町の中海干拓に行ってみた。どんよりと湿った空気。低気圧は、人の心までふさいでしまう。でもほら、あの雲の上には太陽があるよ。
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春の海
2024年01月05日
昨日は暖かかった。今朝は放射冷却で冷えたが、間もなく陽射しが気温をあげてくれた。朝のコーヒー飲み終えて事務所近くのセルフのガソリンスタンドに出かけた。正月、この自家用車はよく走ったのでガソリンタンクが空っぽ、よく入る。リッター171円。安い店だと思うが支払い料金が気にかかる。
陽気にひかれて、宍道湖に足を延ばしてみた。湖面が、太陽の光をいっぱいに浴びて輝いていた。小さな漁船が漁を終えて一目散に港に帰って行くのが見えた。小さな港の船着き場の防波堤の上に、鴨が同じ方向を向いて一列に並んで羽を休めていた。まだ冬の真っ盛りなのに、いかにものどかな、春の海の風景に見えた。さあ、今日もいちにち頑張ろう。
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思い出の賀露港
2024年01月03日
賀露港に行ってみようか。そう言ってレンタカーで賀露港に向かった。正面に海が見えた。風は強かったが、天気は良かった。沖からやって来た波が、石ごしらえの消波堤にぶつかって高く舞い上がっていた。波が来る度に高く舞い上がって砕けて散った。その波しぶきは、太陽の光に照らされて美しかった。ふたりして、しばし眺めていた。
今日は、ひとりでその場所に佇んだ。あの時の石造りの消破堤は無く、今は立派な防波堤ができていた。その防波堤は高さがあって向こうに海は見えなかった。40年経つと、風景も変わるんだと、そう思った。だけど、思い出に浸るには十分すぎる風景だった。あの時と違って、今日は波静かだった。