店主日記

  • 誕生日 2025年03月03日

     今日の3月3日は私の誕生日だ。私より、10歳若かった妻が7年前に亡くなったから、私は妻より17年間も長生きしていることになる。今朝も雨の中で墓石に話しかけた。なぎさ、今日は俺の誕生日だよ。これからも、君の分まで長生きするよ。そして、君はいつまでも俺の心に生きているんだよ。だからこれからもふたりの人生だよ。

     

     昨年の秋に、宅地建物取引士の免許更新をした。暮れに、不動産業の県知事免許の更新を終えた。これで後5年間は営業できる。そして先日、自動車運転免許の更新を終えた。今日、新しい私の誕生日を迎えた。何もかもリセット完了。新しい気持ちで生きていく。

  • プロの味 2025年03月02日

    宍道湖 

     昨日はあんなに穏やかで暖かだったのに、今朝目が覚めたら雨が降っていた。予報では、昨夜の早くから降ると言っていたので一晩中降っていたのかもしれない。出勤コースの途中に風景はぼやけていた。水蒸気は遠くの山の風景を消していた。

     

    山のけむり 昨夜、焼きそばを作った。肉と野菜と麺をフライパンに入れて炒めてソースをかければ出来上がるのだろうが、私は少し違う。焼きそばと言うからには、そばを焼く。こんがりときつね色になるまで焼き上げる。そうすると食する時、焼きそばのそば感覚が何ともたまらないのだ。

     

     昨夜もそうして食べた。最初は旨いと思った。が、半分食べ終わったところでそうでもない気がしだしてきた。その時、同級生と昼に食べた「ふじな亭」の食事を思い出した。昼はパンひとつの私に食べきれるだろうかと思うほど、品々は豊富で量も多かった。

     

     ところがである。私の席に置かれたその品々は見る見るうちに減っていった。お腹いっぱいと言う、その感じすらない。もちろん途中で味変するなどもない。美味しく美味しく米ひと粒も残さずに平らげた。夜焼きそばを食べながら思った。あれが本当のプロの味なんだ、と。 

  • シンメトリー 2025年03月01日

     集合場所は松江の老舗、皆美の支店の「ふじな亭」。米子市のメンバー二人が今日の主人公だ。その助っ人に松江市の4人が加わって6人の集まり。今度の7月7日に行われる同窓会の打ち合わせだ。担任の先生の米寿のお祝いのこともあって、念入りの打ち合わせだった。

     

    竹の杭

      1時間半ほどで打ち合わせは終わった。ほっとした気持ちで背面にあった宍道湖を振り返った。波ひとつない湖面に浮かぶ幾本かの竹の杭。同じ形が反対向きに湖面に写されていた。シンメトリーと言う言葉が妙に心を揺さぶった。人と人の心にシンメトリーなんかありゃしないのに、とふとため息をついた。

     

     昨日のお客さんも、知的障害を持つ子との暮らしに悩んでいた。先日の一週間の入院生活で我が家に溜まった新聞受け、それを見た人たちで大騒ぎになったとか。同じ子のことでも、でもどこかが違う。たかが新聞で、本当は心配なんかしていないのに、思いの何かが違う。人と人の心はシンメトリーなんかになりゃしない。だから、傷つけ合って生きていくんだね。

  • 定休日のドライブ 2025年02月26日

     定休日には、仕事がよく入る。今朝も9時に出勤して10時までにふたつの仕事を片付けた。さてどうしよう、やっぱり少しは車で走りたいな。八雲町から広瀬町に抜けて、安来市の道の駅「あらえっさ」に寄って、ゲゲゲの鬼太郎を奏でる道を走って八束町から本庄町に出て帰ろうと決めた。

     

     国会中継からスピーカーの音はCDの音楽に替わった。大好きな曲、「かぐや姫」の「神田川」と「赤ちょうちん」を繰り返し聴いた。そして口ずさむ。赤ちょうちんの歌詞の「3帖の下宿」は、夜間高校に通ってた時の3帖の私の借り間を思い出して懐かしい。

     

     赤ちょうちんだ。彼と別れた雨の夜、彼女は公衆電話の箱の中で膝を抱えて泣いた。そしてこう思った。「生きてることはただそれだけで、悲しいことだと知りました。」この部分の歌詞を口ずさむ時、いつも涙で視界がかすむ。妻とふたりでいちばん多く聴いた曲だからだろうか。

     

     さあて、午後2時になった。焼酎とビールを買って帰って、新聞紙括って指定の場所に出して、部屋に掃除機かけた後、一週間分の食料を買って来よう。あのいつもの同郷のレジの女の子とひと言話そ。明日仁多へ行くんだよって。私の仲人してくれた方に線香をあげたくて。入院の日に葬儀だったからまだ行けてなくてって。

  • 寒いの嫌だな 2025年02月23日

     今朝も新雪が出勤の車の屋根を覆っていた。今年の松江市は大雪にはならないがだけどよく降る。もうたくさんだ。こんなことで弱音を吐くと、豪雪地帯の人が物言うのかもしれない。だけど松江は雪への備えがないから。国道や県道の雪かきだって、ほぼしたことがないんだから。家の備えだって、とにかく寒い。病み上がりだからだろうか、寒さが憎い。

     

     先日の入院だ。3日目だったか4日目だったか、松江警察署から電話があった。「景山様の携帯電話ですね。景山様ご自身ですか。新聞が新聞受けに溜まっているからと近所の方が心配なさっていて」と、こうだ。退院して帰って今日の新聞がないと思った。新聞店に電話すると「民生委員の方と相談して」止めたそうだ。

     

    家並 新聞受けは、玄関内側の受けの部分を外して玄関内に落ちるようにしておいた。入院の準備をする時、ショッピングセンターで自治会長に会ったので入院のことを伝えておいた。近所の方の心配は有難いことだ。だけど、どうして私の意思を確認しないで新聞を止める。新聞は私の家族のひとりなのに。一週間ほどの入院なのに。

     

     あの日も早くに目が覚めた。病室から見る風景は、最初の入院の22年前とちっとも変らない。病院の県道の向こうのガソリンスタンドも、あの時2本に見えた通勤の車が走る松江市道も、薄っすらと雪で白くなった民家の町並みも山並みもちっとも変っていなかった。

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