店主日記
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一生現役
2025年07月11日
昨夜、焼酎のお湯割りを飲みながら、先日の同窓会を思い出していた。ふつ日目の午前中の奥出雲観光中の車の中だ。そう言えば、このメンバーの中で、ひとりになったのは豊さんだけだねと誰かが言った。その言葉は、私の胸に刺さった。もちろん、彼は悪気で言った訳ではない。寂しいと愚痴った私に対する励ましだろう。だから、それが事実だから、それを踏まえて生きていかなくちゃあねという励ましだろうと感じた。
一休さんが頭に円を書くのと、私がドライブするのは同じ理由のルーティンなような気がする。今朝、開業準備を終えて車に乗った。いつも胸ポケットに入れている妻の小さな遺影をダッシュボードのテレビ画面に置いた。宍道湖大橋を渡って湖北線に乗った。宍道湖は、昨日までの暑さが嘘のように空の雲の色を映し、霞んで見えた。CDをBGMに妻との出会いの日から今日までを、時の経過を元にその記憶を巡っていった。不思議な出会いだった。いろいろあった。よく喧嘩もした。でも仲良かった。インドアな妻をアウトドア派にしたのは私だな、などと思ったりもした。ついに妻は、7年前に息を引き取っていった。そして間もなく、私の記憶は現在にたどり着いた。風景は出雲空港あたりに変わっていた。
そうだよ、お前にはもう二度と家庭生活などないんだよ。たまには娘が孫を連れて帰ってくるかもしれない。だけど、家庭生活は二度と巡って来ないんだよ。だからいつまでも歩けて、どんなに歳とっても考える力失わないで、働き続けるんだよ。一生懸命働くんだよ。それを生き甲斐として生きていくんだよ、女房の思い出と共に。な、お前。ともう一人の私が言った。
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ニイニイゼミの初音
2025年07月10日
先ほど(今、午後3時)、ある管理店舗の管理報告書を近所のコンビニの郵便ポストに投函して来た。雲もあって陽射しは柔らかだが、蒸し暑い。歩くその速さも鈍る。暑いなあと心で愚痴りつつ、ある異音に気が付いた。あ、ニイニイゼミだ。一匹のニイニイゼミが、街路樹のけやきの木の中で鳴いていた。
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カメラを持つと元気が出る
2025年07月10日
7日8日と同窓会だった。昨日の定休日は朝から午後1時半まで仕事をして、その後出雲市の息子を見舞った。帰りの国道は大雨で混んでいた。スロースピードの車の数珠になっていた。やっと4時過ぎにいつものスーパーマーケットに着いた。そしていつものレジに並んだ。同窓会飲み過ぎたよって言ったら、楽しかった?って帰ってきた。うん、楽しかったよ。じゃあ良かったね、でもしばらくはお酒、ほどほどにね。などと私の子供のような年齢の女性が労わってくれる。浮かない心の私にとって、1週間に1度の心の栄養ドリンクでもある。それにしても、ずいぶん遊んだなあと思う。昨夜はお酒もほどほどに眠った。暑かったから一晩中、エアコンの中で寝た。疲れを感じると、体中が痒くなる。老人性何とかという年寄り独特のものだろう、今朝起きてやはり、疲れたなあと感じた。気怠いなあと思った。でも、負けるもんかと朝一番で空き物件の写真撮影に行った。カメラを持つと、元気が出る私なのである。
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同窓会
2025年07月09日
7日の午後、奥出雲町の玉峯山荘に集った。参加者は49人の同級生のうちの21名。そして米寿の祝いになる当時の担任だった先生ひとり。合計22人の参加だ。夜の宴会が始まる前、先に逝ってしまった9人に対して黙祷をした。そうだよ、もう9人が逝ってしまったんだよ。
宴会、カラオケ、そして誰かのグループの部屋に持ち込む酒盛り、わいわいがやがやと、7年振りに会う友と語り合う嬉しさ。飲んだ。飲んだ。飲み過ぎるほど飲んだ。楽しかった。そして夜が明けて奥出雲町観光を終え、お昼の出雲そばを食べて別れた。楽しかったな、また会えるかどうか分からないけど、また会おうなと言って別れた。自家用車でひとり三成駅に併設された道の駅を後にした。楽しかったな、でも、今晩はまたひとり、そう思うと急に寂しくなった。妻がいれば楽しかったよと、報告できるのに。そう思ったら寂しさに落ち込むそのスピードは加速していった。運転する瞳に涙がにじんで風景がかすんだ。なぎさ、会いたいよって泣き叫んだ。何度も何度も泣き叫んだ。
写真は本文とは何の関係もない。三瓶山の東の原だ。石見ワイナリーがある。ほんの時々、ここで上等なワインを買う。・・・聞けば、伴侶を失ったのは、私ひとりだった。みんな、いつまでも仲睦まじく暮らしてほしい。
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また高くなったなあ
2025年07月06日
明日同窓会があるから、おそらくは私の車を1台分として、仁多観光に使わなきゃあならないだろうから、ガソリンを入れてきた。前回入れた時はℓ159円だったのに今日は170円。つかの間の安値だった。ショック。トランプショック。入院の病室から眺めたガソリンスタンド、土日が安いことを知って、だから今日行ったのに。その後、中海の海岸道路に車を走らせた。サイクリングする集団とすれ違った。40歳から病に倒れる52歳まで、私もロードレーサーで走りまくった。三瓶山の東の原のスキー場のリフトにマウンテンバイクを積んで、そしてスキー場を駆け下った。懐かしい。何もかもが懐かしい。
年に一度、日御碕灯台の駐車場まで行って、また松江市に帰って来るロードツーリングがあった。上り下りを繰り返して何とか目的地に到着した。そこに、ホライゾンの姿が見えた。その車の窓から、妻とまだ小さい頃の息子が手を振っていた。三人で食べた弁当の味、今でも覚えている。自転車の集団を見ていたら、そんな思い出が心の中を駆け巡っていった。
写真は、自転車トライアルの技、ダニエルを決める私なのである。45歳ぐらいの時かな。




