店主日記

  • 時々、ね 2025年09月05日

     毎日毎日、24時間エアコンの中。もう、こんな状態が2ヶ月続いている。歳のせいか、それとも体質のせいかエアコンの中では熟睡できない。 かなりの疲れが蓄積してきた。それでも昨夜、ふと涼しさを感じて10時にエアコン消した。よく眠れた。半分の、蓄積した疲れが回復したのかもしれない。

     

     この頃トンボが増えた。スーイスイ、スーイスイとリズミカルに空中に舞っている。草むらにはコオロギの鳴き声がする。コーロコロコロ、コーロコロコロと美しい音色。こんなに暑いのに、間違いなく秋は訪れてきている。午後、銀行に行った。用件片付けて駐車場に出たら土砂降りの雨。ひと雨ごとに、涼しくなっていくのだろうか。

     

     トンボで思い出した。NHKラジオの子供科学相談だ。ある少女の質問だ。蚊って、必要な生き物なんですか?。答えは、蚊がいなくなると、それを餌とするトンボが生きていけなくなるんだ。蚊がいるために、食物連鎖がどんどん大きくなって、植物の成長などにも及んでいく。だから蚊も必要なんだ。分かったかい。・・・私の存在感は、蚊より劣るのだろうか、などとふと思う時がある。

  • 今日はなんだか嬉しいな 2025年09月01日

     遠回りして帰ろうと思った。さっきの話し合いを、妻とふたりでもう一度反芻したいと思った。宍道湖の北側を車で走っている時、息子を介した妻の思い出が次から次と次と巡っていった。風景が涙で霞んだ。思い出の中でも、会えて嬉しいなと思った。そんな折、先日の盆に娘が言った一言を思い出した。「再婚しなよ」って。

     

     友達は欲しいけど、再婚はしないよ。俺にはさ、心の中になぎさがいるから再婚はしない。なぎさは今でも俺の女房だから。そしたら娘、「はいはい」と、一言応えてその会話は終わった。でも嬉しかった。私たちに気を使わないで好きなように生きろ、そういうことなんだと娘の気遣いが嬉しかった。いい娘達だと思った。

     

     玉湯町の入所施設で、施設の人と、島根県東部発達障害者支援センターの人と、私との3者で話し合った。病院で、身体拘束された息子の将来に灯りが見えた気がした。妻を失い、同じ日に息子が入院し、ひとりで悩み苦しんだ孤独な7年間。闇の中に、ポツンとちっちゃな灯火を見た。人生、まんざら捨てたものじゃあない。

     

    多伎道の駅

     写真は今日の風景ではない。いつだったか、出雲市の道の駅「キララ多伎」の展望ホールから眺めた風景だ。風景は、いろんな顔を見せてくれる。同じ顔など、二度とありゃしない。

  • 不動産日記 2025年08月31日

    不動産日記 今朝、出勤途中のジュンテンドーでB5サイズの3冊の大学ノートを買ってきた。1冊に、「不動産日記NO79」と書いた。そして日付、2025年9月1日と記入。思いも書きたいからと不動産日記と私が命名した。1ページに1日の出来事を書く。1冊が3ヶ月持つ。78÷3÷12=21.6。開業して間もなく22年。ぴったりだ。

     

     NO順に積み重ねてあるその日記の所々を抜き出してみた。最初の頃はほぼ私の字。そしてだんだん妻の文字が多くなった。そしてやがては皆妻の文字。仕事に慣れて、電話の受話器を取ることが増えたからだろう。2018年4月22日の項を見つけた。9時50分に私の文字が1行。続いて55分に妻の字が1行。その日はその2行で終わった。

     

     気丈にも、27日にはもう出勤して当たり前に働いている。その日以降の私の文字は大きくなり、筆圧も増している。ひょっとしたら、運命に負けるものかの誓いかもしれない。これからはひとりぼっちの事務所、負けてなるものかの誓いかもしれない。不動産日記の全てを手ごろな高さ33センチの段ボール箱に重ねて入れた。5センチほど顔を出した。NO150ぐらいまで、行きたいな。

  • ロミオとジェリエット 2025年08月28日

     昨日の朝は雨が降っていた。先日頃から、早朝の墓参に行くと、妻の墓石のまわりの草むらに朝露が光るようになってきた。後ろの森ではヒグラシが盛んに鳴いている。今朝は4時にエアコンを消して窓を全開にした。暑い暑いと言っても秋は確実にやって来ている。それにしても、秋という季節は、なぜこうももの悲しくなるのだろう。

     

     昨日は週一回の食料品の買い出しの水曜日だった。これだけ野菜と肉があれば十分と、いつものレジに向かった。あれ、様子が違う。セルフレジになっている。いつもの彼女が傍に居たので、セルフレジの打ち方を教えてもらった。終わって、じゃあと帰りかけたら、「今日は通院日だったの?」。腕に貼った、採決の注射の針の跡の血止めのテープをそれとなく見たらしい。そんな何でもないことに、優しく触れてくれる人なんか他に居りゃあしない。

     

    嫁ヶ島 買ってきた食材を冷蔵庫に納めていたら、急に寂しくなってきた。もう、彼女には会えないのだろうか。そう思った。レジで、二言三言、声を交わすだけでいい。それ以上は何も望まないのに。彼女と会うと、誰とも会わない定休日の寂しさが和らいでいたのに、会えないと思うと寂しい気持ちが胸に広がっていった。最初彼女を見た時、妙に懐かしく感じ、そして思い切って声をかけたのがきっかけだった。同郷の、ふる里言葉とそのイントネーションが懐かしかった。

     

     ロミオとジュリエットの物語を思い出した。そして、妻が静かに息を引き取っていったあの瞬間の記憶が蘇ってきた。最愛の人を早くに失った私は、人と人の別れについては心が大きく動く。交通事故で亡くなった人のニュースを聞いては、その家族を想い、涙を流す。エレベーターの中で何も関係ない男性に殺された女性本人の無念、そしてご家族の哀しみと苦しみを思うと、強く辛い気持ちになっていく。

  • かあちゃんの詩 2025年08月24日

    ひまわり 8月24日は奥出雲町三成の、「愛宕祭り}の日だ。私が暮らした地区、三沢の「十七夜」には出かけたことはないが、三成が近いのもあって、愛宕祭りには毎年でかけていた。本町に神楽の櫓があって、そこにしがみつくようにしてヤマタノオロチが登場する演目を見ていたものだ。60年振りに行ってみたい気もするが・・・。

     

     7年前の愛宕祭りの前日、23日は妻の月命日でもある。他界して4ヶ月が経った。もう二度と会えないことを実感し始めて、そのことが確実になったこの月命日の日に、ある決意をした。妻の日記を書こう。毎日の生活に、妻の思い出を絡めて日記を書こう。そう決意した。そして昨日、「かあちゃんの詩」日記は7年目の最終日記が完結した。

     

     今朝は、いつもの倍の文字数で8年目の最初の日記を書き上げた。最初は思い出を絡めようと思っていたが、それが今では会話形式になっている。朝、出勤する時仏壇に向かって、じゃあなぎさ、これから出かけるね。今日は日曜日だから早く帰って来るよ。そう話しかけるのが、そのまま日記になって、・・・だからいつまでも一緒だよって、そう思って書いている。

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