店主日記

  • 娘達へ 2024年01月15日

    焼きそば 二人とも元気でやってるか。お父は元気だ。いつも若くていれるよう、事務所では毎日少しずつだけど体力づくりしている。今は相撲の四股踏むのが気に入っている。体幹がしっかりしてきた気がするし、お尻の格好も良くなってきた。腕立て伏せも併せてるから肩に厚みができてきた。

     

     食事も、コンビニ弁当だけじゃなく、できるだけ自分で作るようにしている。昨夜は野菜たっぷりの焼きそばと、鯖缶入れて味付けした大根を食べた。鯖大根というところか。今朝は、良く焼いたパンと卵、それにウインナー。サラダと牛乳は毎日だ。写真添えるから見てみてな。

    朝飯

     

     それと大事な話。お母さんの七回忌は3月の17日の日曜日、10時30分だ。むろん北京から帰ってくる必要はない。東京も交通費がかかるからな。いつかいい日に、都合着く日に帰ってくればいい。お墓参りすればいい。お母さんもそれを喜ぶ。法事は俺がちゃんとしとくから。今朝も、もちろん毎日お墓には行ってるからな。

     

     さっき、ある人に、ある書類の作成のお願いに行ってきた。初めて会う人との面会は、いつものことだけど気を使うし疲れる。俺より年上の人だったから余計。事務所に帰ったら、お疲れと言ってなぎさがねぎらってくれる、今でもそんな気がする。午後からはインボイス登録者への説明会が税務署である。それに行ってくる。頑張ってるだろ。

  • 一畑百貨店 2024年01月14日

     島根県唯一の百貨店が今日で閉店する。小学校の生徒だった時、遠足で松江市に来た。順番は覚えていないが、以前県庁前にあった一畑百貨店に行った。その道路向かいにあった島根新聞社(現、山陰中央新報社)に行った。当時、床几山にあったNHKに行った。

     

     百貨店で、エスカレーターに初めて乗った。エレベーターにも初めて乗った。高校生になって、店内にある映画館で洋画を見た。大人になってレストランでランチを食べた。あの頃、天神町から松江大橋を通って百貨店まで、すごく賑わっていた。懐かしい一畑百貨店。さようなら。

  • ある日のこと 2024年01月13日

     朝の時を告げる鶏がいるじゃない。「うん、うちの近所でも毎朝鳴くんや」。その鶏がね、ある日の朝時を間違えて鳴いたんだ。そしたらね、事代主命が慌てて早く帰らなきゃと思ったんだ。慌ててるもんだから、漕いでる舟の櫂を海に落としてしまった。さあ大変、どうしよう。

     

     「どうしたん」。仕方ないから、自分の足で舟を漕ぐことにした。そしたらどうしたと思う。足をワニに、サメのことだよ、噛まれてしまったんだ。案外、食いちぎられてしまったのかもしれないね。「わ、痛そうやな」。だから彼は、時を間違えた鶏を憎んだ。それ以来、美保関町では、鶏は飼わない。鶏の肉も卵も食べなくなった。「へえ、そうなんや」

     

     でも、現在は知らないよ。ある美保関町に住む若い人に聞いたら、食べるよって答えた。「ねえ、事代主命はどこから帰る時だったん」。それはね、対岸に好きな姫がいてね、毎夜毎夜そこに舟で通ってたんだ。「そうなんや、おもろい話やな。めっちゃおもろいやん」

     

     まだ恋人時代、松江駅で待ち合わせて、私の車で美保関に向かう時の車内での会話だ。出雲大社で出会って、今度は美保関に行ってみようねって約束していて、しばらくの後の話なのである。この頃、思い出が心の中をめぐっていく。

  • 恩敬寺 2024年01月11日

     今日の午前中、妻の七回忌の法事の予約にお寺に行った。妻の葬儀の時、お寺はどこにいたしましょうと葬儀会館の担当者に言われた。はたと困った。仏教のことなど、末っ子の私は今まで考えたことなどなかったからだ。そしてふと思いついた。専攻は仏教とは違っていたけれど、妻は京都の大谷大学に通っていた。そんな訳で、真宗大谷派の恩敬寺にお願いすることになった。

     

     いつものコンビニで昼ご飯代りのクリームパンを買った。コンビニの行き帰り、温かい陽射しが路上に降りそそいでいた。背中が暖かくて気持ち良かった。そんな陽気が、在りし日の妻の記憶を呼び込んでくれた。次から次と、妻との思い出が蘇ってきた。泉のように、とどまることなく楽しい思い出がめぐっていった。なぎさ、君は俺の心の中に生きているんだよ。俺たち、ふたりでひとりなんだよ。

     

    恩敬寺

     

     写真は先日、美保神社の無料駐車場から写したものだ。この写真のシャッターボタンを押した場所に、以前釣り堀があった。海の魚を釣ることができた。新婚の頃、この釣り堀に妻とふたりでやって来た。はしゃぎながら釣りを楽しんだ。私は鯛を釣り上げた。その晩、その鯛をどう調理して食べたのかは記憶にない。楽しかった釣り堀の釣りの記憶は鮮やかに脳裏に焼き付いている。。

  • 初詣 2024年01月10日

     アスファルトに溜まった雨水を車がシャーと音を立てて轢いて行った。今日は雨なんだ。連休二日目、昨日あれだけ楽しんだんだから今日は雨でもいいだろう。ゆっくりしよう。そう思いながら気怠く目覚めた。そしてパンをかじりながら思った。今日は出勤して、少し仕事もしようか。七回忌の法事の予約もお寺にしとかなきゃ。

    美保津姫

     

     美保神社に初詣に行った。今日が仕事始めの社員達なのだろう、背広の男性や、スーツ姿の女性達のグループがいた。他の参拝の人たちもいつもより多かった。美保神社はまだ、正月の余韻を残していた。青石畳通りを歩いた。風待港として栄えた往時の賑わいが映像として見えてくる気がしておもしろいと思った。

     

     美保神社には二神がまつられている。左側の本殿に「事代主命」右側の本殿に「美穂津姫命」 出雲風土記には「御穂須須美命」だけとしてあるらしい。古代には一神だけだったんじゃないかと歴史家は言う。事代主命をまつるようになったのは、記紀神話の国譲りの影響だろうと。

     

    事代主 美保神社を後にして米子市に向かった。昼が近くなってきた。さあどこを走ろうか。思案していたら思い付いた。国道181号線から日南町を通って奥出雲町に抜けて帰ろうと。夕方5時前には帰れるだろう。

     

     車は快調に走った。道の駅「奥大山」で缶コーヒーを買った。年が明けてから思うことがあった。いつまでも、妻の死を悲しんでちゃいけない。私らしく生きていこう。今年の七回忌を、私の気持ちの変換の年にしよう。その気持ちを反芻しながら車を走らせた。

     

     やがて、日南町の道の駅「にちなん日野川の郷」に着いた。時刻は1時30分。売店に入った。昼ご飯代りになるものはと物色した。いろいろ面白いものが売れていた。「大煎」を買った。だいせんと読むらしい。大山とかけたのだろうと思った。

     

     ここからしばらくは、私の気持ちを確実なものにしよう。その時間にあてよう思った。九十九に折れた峠道を走った。所々に圧雪もあった。運転に気をつかう道なのだが、それは苦にならなかった。むしろ楽しく感じられた。カーステレオの音も耳には入ってこなかった。車の運転技術に酔いながら、でも意識はそこにはなかった。

     

     鳥取県境を超えた。島根県の奥出雲町に入った。平地の外気温は11度だったのに3度に変わった。そして数字は0度になっていた。真っ白な風景が広がっていた。遠い子供の頃が思い出された。私の生家も根雪がいっぱいあった。昔はこんなものじゃあなかった。生活は雪に埋もれていた。

     

     三成駅前を通過した時、体と心が結びついた気がした。心の中で快楽が芽生える気がした。次第にカーステレオの音が聞こえだした。さあ、帰ろうか。今晩は何食べようか。なんだかいつもより疲れた気がした。コンビニ弁当にしようかと思った。自宅近くに着いた時、時々行くファミリーマートでかつ丼を買った。レジはいつものあの女性だった。 

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