店主日記
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外は雨、明日は雪?
2024年12月22日
今年も余すところ10日程。待ち遠しいことがある。長女と孫殿を迎えに行くことになった。もう鳥取の婿殿の実家には帰ってきているはずだから25日に迎えに行くことになった。そして28日には東京の末娘が帰って来る。これも、出雲空港に迎えに行く。にぎやかになる。ひとり暮らしの私に幸せがやって来る。
と言う訳で、28日から休もうと思っている。だから今週は忙しい。23日には出雲市に行かなくちゃあならない。24日はふた組の来客の予定。25日の定休日には鳥取行き。27日の午後は来客予定。だから今日、事務所の年末の大掃除をすることにした。
フロアにモップをかけた。いつもはしない所を雑巾で拭いた。玄関のガラス戸に水をかけて洗い清めた。トイレも洗剤で磨いた。どうやら午前中に終わった。後の日で、今日気付かなかった部分をきれいにしよう。外は雨、明日は雪になるのかなあ。でも、スタッドレスタイヤ、新品だから。
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「蜂」の仲間たちへ
2024年12月19日
文集の蜂と題したその表紙の中央に49穴の蜂の巣の絵柄が描かれている。いつだったかは定かに記憶していないのだが、ある時、同級生で文集を作った時その名を蜂にしようと提案があった。そのリーダーは女の子だったと思う。女性はいつの世もたくましい。私たち同級生は蜂だよ。みんな蜂の仲間だよ。49匹の蜂なんだよと。
昨夜はその一部の松江で住まう者たちの同窓会があった。集まったのは、まず当時の担任の先生。山さん、よっちゃん、ひーちゃん、そしてこの会場の会席・懐石料理店「いと賀」のご隠居、そして私の計6人。この懐石料理店の料理の良さは天下一品。来松の際はぜひよろしくお願いしたいものである。ネットで口コミをご覧あれ。そして和気あいあいと酒が飲める者は飲んで、飲めないものはノンアルコールビールで会話は弾んでいった。
ここで蜂の仲間に報告しておこう。先生は難聴気味で今日は補聴器の具合も悪そうだった。だが身体には心配ない。先日思うところあって、車は放棄されたとか。山さんは少し声がかすれ気味であまり大声は出せないが、身体と頭脳には問題なさそうだ。よっちゃんは腸が昔から弱いので乾杯時から熱い焼酎のお湯割りだが、その他は問題なさそうで農業に励んでいる。
ひいちゃんは昔から何度かの入退院を繰り返したがもう心配なさそうだ。この今日の同窓会を計画し、音頭を取ってくれた。ご隠居さんは初めて参加。隠居できたから参加できるようになった。隠居と言っても元気だ。さて私、今月、不動産免許の更新をした。後5年は頑張れる。だけど私も5年後には隠居しようかなと今からその準備。
来年は喜寿の祝い。今、米子のメンバーで準備進行中。武田君が中心に頑張ってくれている。日程は7月7日。七夕の日だよ。織姫と彦星が天の川で会える日だよ。だから僕らもみんなで会おうね。楽しみにしていようね。先生も元気で頑張るからって、その日必ず参加するって昨日別れたよ。じゃあ、来年の7月7日、待ってるよ。
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うっぷり
2024年12月18日
ドライブは楽しい。数日前からの計画を実行するため、奥出雲町に向かって車を走らせた。まず安来市の道の駅、あらえっさで大きなキャベツと白菜を仕入れた。そして広瀬町を通って亀嵩に行った。道の駅、酒蔵奥出雲交流館で仁多米でこさえた餅と、餅海苔とどぶろくを仕入れた。暮れに帰って来る娘達に「うっぷり」を作ってやりたいから。その後、今年最後のご先祖様のお墓参り。松江に帰って明日から値上るだろう車のガソリンを満タンにした。
その昔、当時平田市の「十六島」と書いて「うっぷるい」と読むのだが、そこで冬採れる岩海苔は上質で人気があった。それを十六島のおばちゃんたちが行商で売り歩いていた。現在の国道54号線を幹線として、その支線にある集落に売り歩いていたのだろう、その道のりはどうやら広島県の三次市まで到達していたらしい。
その岩海苔の調理法なのである。直接その海苔に味付けするわけではない。私の育った仁多地方では、正月の雑煮をすまし汁でこしらえていた。湯がいた餅をそのすまし汁に入れてその上にたっぷりのうっぷるい海苔を乗せる。これが国道54号線沿いの民家の基本的な雑煮の作り方だ。三次市付近では、この雑煮を「うっぷり」と呼んでいた、と何かの書物で読んだことがある。このうっぷり、シンプルなのだが味はすこぶる旨い。
さあ、今日は楽しみにしていた同窓会がある。三沢中学校第18期生で、松江に住まう者たちのミニ同窓会だ。夕方、その会場に行くためにバス停まで歩いた。途中、三沢の隣の三成出身の40歳代の知り合いの女性に会った。どこへ行くのって聞くから、三沢中学校の同窓会だよって言ったら、三沢中学校なんてないよと帰ってきた。そう、もう50年も前に、仁多町の中学校は皆統合されて仁多中学校になった。そして我が三沢中学校はその姿を消したのである。
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三瓶山
2024年12月14日
若い頃はよく山を歩いた。その後は自転車に趣味が変わった。そして今は車のドライブを楽しんでいる。孫ができて、たまに帰って来る。チャイルドシートは交通安全協会が貸してくれる。そのために、交通安全協会の会員になった。そしたら無事故無違反表彰をしてくれた。40年間の無事故無違反表彰だ。
40年かあ、そうなんだ。歳取るわけだ。10年ひと昔と言うけれど、その4倍なんだね。そうだよな。運転しなかったのは、若い時、酒を飲んで転んで足を骨折した時の1ヶ月間。52歳の時、病に倒れた3ヶ月間。その他は毎日車に乗っていたものな。よく無事故無違反続けた。運が良かっただけかもね。確かに、時に運がいいとそう思うところが私にはある。なんてね。
好きなドライブコースに三瓶山がある。大田市から、県道大田佐田線を通って北の原に向かう。途中に三瓶ダムだある。県道から右折して橋を渡ると三瓶ダム管理所がある。駐車場がある。トイレ休憩もできる。さっき渡った橋をカメラを持って歩く。これが橋の真ん中あたりからの風景だ。三瓶ダムがあって、それを囲む山、そして三瓶山。なんていい風景なんだろう。ドライブの醍醐味だ。
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だけどおかしいね
2024年12月11日
9日の日記に、これからの5年間は人生の集大成期間だと心に誓ったと書いた。男になるかなれないか、だ。今朝、出雲市の息子に会いに行く時、その言葉を反芻した。帰り、もう一度反芻してみた。そう言えば、そう誓った日から気持ちのどこかに変化が生まれた。強く生きようと、そう思うようになった。
そして妻の墓前で、もうめそめそなんかしないよとそう報告した。だけどおかしいね。強く生きるんだからもうめそめそなんかしやしない。しないけど、強く生きようとそう思った時から、妻を想う気持ちが増した。恋しいと思う気持ちが強くなってきた。だけど、もうめそめそなんかしやしない。