観音院
鳥取駅が高架化されて間がない頃だった。私と妻は知り合った。妻は兵庫県の但馬地方に住んでいた。当時こんな言葉があったかどうか、いわゆる遠距離恋愛だった。もちろん携帯電話もない時代だったからしばらくは文通が続いた。そしてたまには会おうと言うことになり、ふたりの住んでいる中間の鳥取駅で待ち合わせすることにした。
鳥取駅の改札口は、ホームから階段を降り切った所にあった。そこで人々の中に混じって階段を下って来る彼女を見つけるのが楽しみだった。改札を抜けて来る彼女に言う最初の言葉はいつも「やあ、久し振り」。そう言っていた。数か月に一度しか会うことがなかったから自然とそんな言葉になったんだろう。
ある日、駅に早く着いたので、観光案内所を覗いた。そこのパンフレットに、「観音院」を見つけた。庭園に興味があるわけではない。観賞するほどの能力があるわけではない。だけど、なぜか興味がわいた。そして改札を抜けてくる彼女を誘ってみた。どう、行ってみない。
観音院の縁側で頂いた抹茶の茶碗の底には、干支の文字が刻んであった。私は何気なく茶碗をお盆に返した。その時、彼女が笑顔なのに気が付いた。そして、私の茶碗、あなたの干支よ。あなたの茶碗は、私の干支よ。そう言った。そんな話したこともないのにどうして私の干支を。不思議な気がした。だがこうも思った。こんな偶然、ふたりは結ばれる運命なのかもしれない。彼女もそう思ったのかもしれない。(2020年10月2日の日記参照)
その2ヶ月後再会した。賀露港に行くことにした。冬になっていた。晴れているが風が強かった。高さの低い防波堤に打ち付ける波は、空高く舞い上がってそのひと粒ひと粒が陽光を弾いてきらきらと光って美しかった。それを正面に眺めながらハンドルに持たれて言った。ねえ、一緒に暮らさない。そのひと言が私の2ヶ月間の決意だった。彼女は、正面を見据えながら、そして黙ってこくりとう頷いた。
今月になった3日の日、無性に観音院に行きたくなった。妻との思い出に浸りたかった。抹茶を頂きたかった。そんな気持ちで昨日行ってきた。観音院の借景の山は色づきがかっていた。ツワブキの花が美しかった。抹茶茶碗に、妻の干支の子の文字を見たら嬉しいな、と淡い期待を持った。そしたらどうだ、子の字が見えた。あの時と一緒だ。嬉しかった。松江を出発するのと、帰りの気持ちは全く別のものになっていた。やっぱり妻はまだ生きている。私の心の中に生きている。そして永遠に生き続けるだろう。