店主日記
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「いちご白書」をもう一度
2026年08月29日
先日、一週間に一度来てくれる移動パン屋さんに言われた。「また痩せちゃったの?」。今朝、ジーパンを穿いた。そう、土日祝日はジーパンで出勤している。ベルトが緩んだのか、本当に瘦せてしまったのか緩い。ジーパンが腰パンになりそうだ。
放浪癖のある私は今朝も宍道湖見たさに車で出発した。当然のようにスピーカーからはCDの大音量だ。宍道湖の駐車スペースに着くと、曲は1975年からバンバンが歌いだした『「いちご白書」をもう一度』に替わった。この曲を繰り返し繰り返し聴いた。懐かしいと思った。
「いちご白書」は、1968年にアメリカで起きたコロンビア大学の学生紛争をモチーフにした映画だ。1970年にアメリカで作られた。いつか、君と一緒に見た映画がまたやって来る。君(当時恋人だったのだろう)もまた見るのだろうか。『「イチゴ白書」をもう一度』はそう言った内容の歌である。1968年と言ったら私は夜間高校の生徒だった。昼間はある全国紙の新聞社の松江支局で働いていた。その頃、日本でも学生運動が盛んだった。島根大学でも、デモ行進する日があった。そんな訳で、ニュースとしての写真を撮りに行くことになった。カメラを向ける私はそのあまりの激しさに恐怖を覚えた。が、反面、若者たちのエネルギーをも感じた。
8,400円から始まった月給はひと月の生活には足りなかった。2,300円の部屋代を払い、月謝を払い、食べていくのには安すぎた。それでも耐えなければならなかった。苦しかった。食べられなくて、あんな生活を余儀なくされた悔しさに泣いた。そんな夜が数えきれないほどあった。『「いちご白書」をもう一度』を聴くと、あの頃を思い出す。だが、今となっては懐かしい。
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つかの間の秋
2026年08月28日
昨日の午後、土砂降りになった。事務所前の県道は路上に溜まった汚れを洗いながら、雨水は表面に白い泡を浮かせて低い所へと川のように流れていた。だがその雨もすぐ止んだ。それでもエアコンを消すほどでもなかったがお陰で夕方まで涼しかった。
帰宅してもエアコンは必要だった。寝る前に室外温度を確認したらまだエアコンは消せないことが分かった。結局、一晩中エアコンの中。でも朝になっても室内温度は上がらず、8時までぐっすりと眠れた。カーテンを開けたら外は雨だった。
出勤しても雨は続いた。事務所内の扇風機をつけた。それで十分、前後の窓を少し開けとけばエアコンはいらない。パソコンで天気予報を確認した。まだ後5~6日の最高気温は30℃を越しそう。本当の秋はまだ少し先。今日は、つかの間の秋を楽しもう。
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カマキリ
2026年08月26日
昨夜外が涼しかったからエアコン切って網戸にして寝た。定休日なのに朝になったら暑くて早くに目が覚めた。しょうがないから早くからドライブに出かけた。どうせ出かけるならと、仁多に行くことにした。先祖のお墓参りに行くことにした。帰り安来市を通って帰ることにした。広瀬町の道の駅、「広瀬富田城」に寄ったら駐車場にカマキリを発見。そおっと近寄ったら頭をゆがめて威嚇してきた。威嚇というよりポーズなのかもしれない。「な、俺カッコいいだろ。俺モデルなんだ」。
子供の頃、私は虫が好きでよく虫取りに行った。夏休みになると、朝食の前に山に向かった。クヌギの木を見つけて足で蹴る。ポタっと音がする。そう、クワガタムシが落ちる音だ。そこを探せば見つかる。そして再び学校が始まる頃、カマキリを見るようになる。カマキリは秋の虫だ。秋はもう直ぐそこにやって来ている。
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支払い
2026年08月25日
昨日もそうだったけど、松江市は今日も最高気温は37℃を予報している。そんな中、新しく建て替わってちょっぴり遠くなった銀行に、月末の支払いに行った。巷は25日の給料日とあって、用意してある待合用椅子の空きがないほど、混雑していた。そんな訳で待ち時間の長い手持無沙汰から、バッグからスマホを取り出した。そして、先日店主日記にアップした妻の「くるみ」の投稿文を読み始めた。何度読んでも、妻が家庭を愛する気持ちが伝わって来る。何度読んでも、心をウルウルさせてくれる。
私たちふたりは文章を書くことが好きだった。それは出会ってしばらくは文通での付き合いだったことからもわかる。投函して、一週間もたたないうちに妻から返事が届いた。お互い、月に4度は書いて投函したことになる。私たちは、出会うべくして出会って、結ばれるべくして結ばれたのだろう。今日ふと、支払いの銀行の待合室でそう思った。
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昨日の続き 妻の投稿文
2026年08月23日
何故私が新聞に投稿する気になったのか、それは取りも直さず、水道局に対して、世の中には障害の為にこういう送迎をしている家庭もあるのだということを主張したかった。家庭だけに踏み止まるだけでなく、できるだけ広い世界に、その存在と価値を認めてもらおうという気持ちがあった。それに対し、公的な機関は、その事情を必ず配慮すべきであり、無視してはいけないのだということを訴えようと思っていた。
第二に、私の名前を新聞に公表すること。それは、宗一郎が障害児であるということを世間の人に発表することであもる。以前の私なら、それは避けて通った道だろう。だが、昨年就学問題で、夫婦で悩み、話し合い、いろいろ考えさせられた。それ以来、とにかく黙っていてはいけないんだと思った。特に宗一郎のことに関しては、謙虚でいてはいけないんだという意識が働いた。うちの家族には宗一郎がいる。そしてこの子がよりよく成長するように、更には同じような障害を持った仲間が、よりよく生きられるようになる為には言葉で語らなくてはわからない。そして積極的に行動を起こさなければならないんだと思った。
第三に、宗一郎の存在価値である。主人は宗一郎のことを「救世主」であると言う。病める現代社会を救う救世、それは何を意味するかというと、健常者が障害者と一緒にいることによって、その存在を認識する。そして、本来人間が備えている人間としての優しさを、より育てることができるという持論である。決して障害者は世の中の邪魔者ではないのである。
最後に、新聞に投稿する「勇気」を与えてくれたのも宗一郎である。今小学校に入学し、新しい生活が始まった。この前の運動会では、他の一年生と一緒に、80mをひとりでまっすぐ最後まで走り抜いた。宗一郎と一緒なら、これからの人生、なにも怖れるものがない気がする。頑張って行こうと思う。この80mのように、進んでいこうね、宗ちゃん。
以上が妻の投稿だ。昨日の夕方、突然この文章を店主日記にアップしよう、そんな気持ちになった。30年ぶりに妻が書いたこれを読んだ。何度も何度も繰り返し読んだ。そして懐かしさに瞼を濡らしたと21日の店主日記にも書いた。いや、懐かしさ以上に、結婚して8年余りが経ったこの時分に、まだ私を信頼してくれていた。まだ私を愛してくれていたんだと確信した。そして息子宗一郎は、私たち二人の愛のたくましい粘着力だとも思った。有難う宗一郎。有難うなぎさ。なぎさは私の心に今も生きている。これからもずうっと生き続けるだろう。
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「くるみ」10号に投稿した妻の作品
2026年08月22日
私が新聞投稿をした理由・・・これは妻が約30年前に書いた文章である。
「水道局の真摯な対応に感謝」
長女が通う幼稚園の近くで水道工事が始まり、いつも車を止めている場所が通行禁止となった。市立幼稚園は徒歩通園が原則だが、止むを得ない事情で、車の使用を余儀なくされる家庭もある。我が家の場合も、情緒障害のある長男が通う小学校が遠くにあるため、二人を車で送迎せざるを得ない。
主人の勧めもあり、市の水道局に、「工事の期間駐車場を確保してほしい」と要望の電話を入れた。すると、その話をとても親身になって聞いて下さり、うちの車は迎えの時間ガードマンの方に誘導してもらい、安全な場所に止めさせてもらうことになった。
私は正直言って驚いた。関西から嫁いだ私は、いわゆる「殿様商売」と言われる松江の商人の態度に驚かされ、市役所の公務員の横柄な態度に怒りを覚えたものだった。そういう中で、水道局の方の真摯で誠実な態度に、家族全員が温かい気持ちになった。
この経験を通じ私は、納得できないことがあったら、はっきり相手に言うべきだと思った。「謙虚が美徳」とされる松江の気質では、それは難しいことかもしれない。人と違うことをすれば、それだけ攻撃されやすい土地柄かもしれない。しかし、それでは松江市は少しも発展しないだろう。松江市の一市民であるならば、あきらめないで何でも言ってみよう。市民の声が草の根となって、自分自身も松江市も何らかの変化を起こす契機となるはずである。
この文章は、8月末、山陰中央新報の「こだま」欄に掲載された私の投稿文である。
まだまだ続く
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くるみ
2026年08月21日
今朝、「あじさいの会」(自閉症協会の松江分会)に出席した。座談会になった時、ある人が数個の昔の思い出を持ってきてくれた。そのひとつ、以前この会を「くるみの会」と言っていた時代の「くるみ」と題した文集を私に差し出してくれた。そのページを見ると、妻の名前があった。テーマは「私が新聞投稿した理由」だ。
内容はもちろん、自閉症の息子のことだ。小学校入学に当たり、主人と共に悩んだと書いてあった。新聞投稿は実名でするので、息子の障害を公表することだと書いていた。息子は病める現代社会を救う救世主だとも書いていた。新聞に投稿する勇気を与えてくれたのも息子だと書いていた。読み進めているうちに、30年前のあの頃の生活が蘇って来た。息子のことで悩んだ時代が蘇って来た。ふたり励ましあったそのことが蘇って来た。そして、懐かしくて瞼が濡れて来た。向かいの、思い出を持ってきてくれた人がそっとつぶやいた。「景山さんを泣かしちゃった」、と。
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迎えに来たよ
2026年08月20日
昨日の定休日、暑くて早くに目覚めた。家にいてもしょうがないので8時に出勤した。近所のガソリンスタンドで車のガソリンを満タンにした。9時になって公園墓地の妻を迎えに行った。さあ、出発するよ。まず、出雲市の息子に会うんだよ。その後、どこにドライブ向かおうか?。
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移動カフェ
2026年08月18日
今朝、やけに早く目覚めた。そして再び眠れなくなった。仕方ないので早い出勤をした。毎日出勤の途中でお墓に行くのだが、今朝の妻の墓石にはまだ陽の光は届いていなかった。頬ずりした墓石はひんやりしていて気持ちが良かった。営業準備が整ったのが7時30分。
営業時間にはまだ早い。そうだ、コーヒー作って宍道湖に行こ。宍道湖見ながら移動カフェでコーヒー飲も。松江駅前を通って宍道湖大橋を渡った。千鳥町の湖北道路に宍道湖を眺める駐車スペースがある。ポットに入れたコーヒーを紙コップに注いだ。車は西向きなので太陽は後ろから。運転席のエアコンがよく聞く。熱いコーヒーが旨い。ここのところ2~3日は涼しかったが今日は朝から暑い。松江市で最高気温は34℃の予報。二度と同じ顔を持たない宍道湖は湖面を鏡にして空の暑さを写していた。そして中国山地の山々が見えて、松江市の天守閣を起点とする灘町当たりの建物の高さ制限のことなどを考えていた。
あ、そうだ。9時まで待って銀行が開いたら宝くじ買おう。もう何十年続けて買っているロト6。ほんの時々8,000円前後が当たってる。
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恵曇海水浴場
2026年08月16日
定時に出勤してきたが巷はまだ盆気分。少しドライブに出ても罰は当たるまい、と思って鹿島町に行ってみることにした。この道走るの何年ぶりだろう。息子が通った城北小学校。あ、佐太神社だ。懐かしいなあ。新しい道もついていて迷ったが無事に恵曇海水浴場に着いた。なんて懐かしいのだろう。高校生の時、恋人と言う感覚はなかったが仲のいい女の子と二人でここに泳ぎに来た。子供たちが小さい頃、何度この海に来たのだろう。あの岸壁からキス釣りもした。釣った魚は夕方の食卓に乗った。うまいうまいと言って、子供達が食べてくれた。
砂浜にしばし佇んだ後、帰路に付いた。来た道を帰り、途中、佐太神社から右折し国道431号線を目指した。田んぼを左手に見て車を走らせていると、次から次へと思いが巡って行った。息子の事、娘たちの事、私の仕事の事、私の生活の事。苦しい事ばかりのような気もする。でも苦しいから、良い時の喜びは大きいのではないか。先日の夕方、孫の手を引いて松江の町を歩いた時、その姿を娘が写真に写してくれた。そしてラインに添付で送ってくれた。デレっとした私の顔。私にも、あんなに嬉しがる顔があったんだ。いつも苦虫を噛んでる顔なのに、あんな喜びの表情があったんだ。
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甘い生活
2026年08月15日
あなたと揃いの モーニングカップはこのまま誰かにあげよか ふたりで暮らすとハガキで通知を出した日は帰らない 愛があればそれでいいと 甘い夢を始めたが 今では二人からだ寄せても愛は悲しい 何かが壊れ去った ひと時の 甘い生活よ。
私、野口五郎が好きなんや、と言って、時々「甘い生活」を私が運転する車の助手席で口ずさんでいた。この頃、私もこの歌を覚えようと思った。先日、やっとの思いで歌えるようになった。そして妻にとって8回目の盆の最後の日の今朝、墓前で静かに歌った。なぎさ、聴こえたかい。うまく歌えたと思う?。それとも、下手だった?。今度、「私鉄沿線」覚えるね。
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秋の気配
2026年08月14日
昨夜、エアコンを切って、網戸にして扇風機付けて、テレビの音をBGMにして焼酎のお湯割りを飲みながら、山陰中央新報のクロスワードを解いていた。チーチリリ、チリリ、チリチリチリリと聴こえる小さな秋の虫の音。まだ一匹だけ、だけどしばし聞き入った。美しい。今朝の出勤の車の周辺、アカトンボが数匹、スーイスイと気持ちよさそうに空を泳いでいた。運転席に乗ってエンジンをかけた。おや、ユリが咲いている。目の先、十数メートルの石垣の下の草むらにユリが咲いていた。秋風が吹くころ、あちらこちらの草むらに咲く自生のテッポウユリだ。間違いなく秋は忍び寄っている。
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二人いつも一緒
2026年08月13日
昨日の定休日、仕事しようか休もうかと迷った。どっちみっち、盆は仕事をしようと思っていたので定休日は定休日として休むことにした。だから田舎のお墓に行けないから、まずそこへ行くことにした。父さん、母さん、あんちゃん、盆に来れないから今日来たよ。
私がドライブする時には、いつも隣に妻がいる。なあ、なぎさ、って話しかけると、なあに、と帰って来る。そして話は弾む。過去の二人の思い出や、二人の将来について話は弾む。盆は仏様を迎える日、でも我が家はいつも一緒。二人いつも一緒。
今朝の墓参、私と同じころ、連れ合いを失った女性がいらっしゃる。墓石も、妻の隣の墓石一つ越えたご近所。そんな身近さから友達と思える。危険を感じて自家用車を手放されたからこの頃お会いしていなかった。今日は娘さんの運転で墓参に見えた。久し振りにお顔を拝見して嬉しかった。
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今孫たちも来るよ
2026年08月10日
昨日の朝も暑かった。だが、午後が近づくにつれて涼しくなってきた。過ごしやすくなってきた。そんな昨日、鳥取の婿殿の故郷へ里帰りしていた東京で暮らす長女に会うことになった。家族そろった長女に会うことになった。
待ちに待った4時30分過ぎのバスに事務所前のバス停で乗った。こんな時はバスの進行も遅々として進まない。いちいち交差点の信号に止まる。それでも、約束時間の5時ぴたりに、松江駅前の新しくできたホテル、ダイワロイネットホテルに到着した。
〇〇〇・・・。上の孫の名を呼んだ。そして初めて会う今年の2月に生まれた2番目の孫の名を呼んだ。この女の子、美人になりそうな顔をしている。じゃあ行こうよ。町に向かって歩き出した。そして食事しながら思った。家族っていいな。私と血のつながった人間がここに3人もいる。
今日の朝は一緒に妻の墓参りをすることにした。朝一番でいつもの花屋さんで花を買って待った。しばらくしたら娘から電話があった。今からホテル出るからお墓で待ち合わせだよ。早めに着いて、タオルで墓石を拭いた。よし、綺麗になった。なぎさ、今長女が来るよ。二人の孫たちも来るよ。嬉しいだろ。
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暑い
2026年08月06日
松江市の今日の最高気温は36℃になるらしい。鳥取市は39℃だとニュースは言っていた。とにかく暑い。連日連夜だからとても疲れる。24時間、エアコンの中で暮らせるのだから愚痴を言ったら被災地の人に申し訳がない。って、そう思うのだがだけどたまらない。
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恋しいな
2026年08月03日
日曜日は仕事を早く終わることにしている。昨日、4時過ぎに事務所を出た。外に出たとたん、やけに暑いと思った。今朝になって新聞で確かめた。昨日の松江市の最高気温は36.9℃。今日の熊本県の最高気温は40℃を超すらしい。猛暑までも、被災地を襲うこの現実。被災地の皆様、どうぞたくましく生きてほしい。洗いざらして綿が伸びたのか、それとも私が痩せたのか、その両方だと思うがぶかぶかになったジーパンを穿いて昨日出勤した。ぶかぶかもまたお洒落だと、そう思うことにしている。そして、妻と二人で行ったあの時のジーンズショップ。休みの日は、二人で買ったこの二本のジーパンをかわるがわるに穿いている。妻の思い出と思えば懐かしい。妻と一緒にいる気持ちにもなる。なぎさ、今度の水曜日の定休日、このジーパン穿いて出雲市の病院に入院中の息子に会いに行こうな。
夜になって久し振りに長女とラインした。今度の日曜日に家族そろって松江市のホテルに宿泊すると言う。と言うことで以前からの約束の夕食を共にすることとなった。まだ見たことも無い2月に生まれた女の子。そして久しぶりに会う長男。楽しみだ。
そして今朝になった。出勤の玄関を出た瞬間、むっとして気分悪くなった。もうこの暑さはいい加減にしてほしい。仁多町の山奥で育った私にはこの高温に耐えるDNAは持ち合わせていない。でも、こうして作文していると気持ちが安らぐ。ノートパソコンのキーボードの上に、触りもしない白髪がひらりひらりと落ちて来た。




