昨日の続き 妻の投稿文
何故私が新聞に投稿する気になったのか、それは取りも直さず、水道局に対して、世の中には障害の為にこういう送迎をしている家庭もあるのだということを主張したかった。家庭だけに踏み止まるだけでなく、できるだけ広い世界に、その存在と価値を認めてもらおうという気持ちがあった。それに対し、公的な機関は、その事情を必ず配慮すべきであり、無視してはいけないのだということを訴えようと思っていた。
第二に、私の名前を新聞に公表すること。それは、宗一郎が障害児であるということを世間の人に発表することであもる。以前の私なら、それは避けて通った道だろう。だが、昨年就学問題で、夫婦で悩み、話し合い、いろいろ考えさせられた。それ以来、とにかく黙っていてはいけないんだと思った。特に宗一郎のことに関しては、謙虚でいてはいけないんだという意識が働いた。うちの家族には宗一郎がいる。そしてこの子がよりよく成長するように、更には同じような障害を持った仲間が、よりよく生きられるようになる為には言葉で語らなくてはわからない。そして積極的に行動を起こさなければならないんだと思った。
第三に、宗一郎の存在価値である。主人は宗一郎のことを「救世主」であると言う。病める現代社会を救う救世、それは何を意味するかというと、健常者が障害者と一緒にいることによって、その存在を認識する。そして、本来人間が備えている人間としての優しさを、より育てることができるという持論である。決して障害者は世の中の邪魔者ではないのである。
最後に、新聞に投稿する「勇気」を与えてくれたのも宗一郎である。今小学校に入学し、新しい生活が始まった。この前の運動会では、他の一年生と一緒に、80mをひとりでまっすぐ最後まで走り抜いた。宗一郎と一緒なら、これからの人生、なにも怖れるものがない気がする。頑張って行こうと思う。この80mのように、進んでいこうね、宗ちゃん。
以上が妻の投稿だ。昨日の夕方、突然この文章を店主日記にアップしよう、そんな気になった。30年ぶりに妻が書いたこれを読んだ。何度も何度も繰り返し読んだ。そして懐かしさに瞼を濡らしたと21日の店主日記にも書いた。いや、懐かしさ以上に、結婚して8年余りが経ったこの時分に、まだ私を信頼してくれていた。まだ私を愛してくれていたんだと確信した。そして息子宗一郎は、私たち二人の愛のたくましい粘着力だとも思った。有難う宗一郎。有難うなぎさ。なぎさは私の心に今も生きている。これからもずうっと生き続けるだろう。




