店主日記

  • 私は子羊 2023年06月22日

     横田の町のコンビニでサンドイッチを買った。そのままおろちループ道の駅の駐車場に車を停めた。どうやら店は休みらしい。駐車場も閑散としていた。この方がいい、落ち着くから。食欲はないがサンドイッチをかじった。飲み物のコーヒーはポットに入れて持って来た。駐車場脇の植え込みに黄色い花が雨に濡れて咲いていた。

     

    黄色い花

     

     いちばんの目的の先祖のお墓にお参りした。その後、吉田町に抜けてみることにした。道路標識だけでコースを選ぶ。初めて走る道だった。車がやっと通れるほどのくねった狭い道。ステレオのボリュームを上げた。ハンドルを握る手も緊張した。だが、この方がいい。かえって思考に集中できる。

     

     そしてやっと心は決まった。暗かった長い長いトンネルをやっと抜けれそうな気がした。悲しくて、寂しくて辛い5年間だった。人間は、いつまで経っても迷える子羊であるらしい。・・・今朝早く目が覚めた。早くに出勤して営業時間までに空室の写真撮影。流した上半身の汗を濡れタオルで拭いた。ああ、気持ちがいい。

  • 五月晴れ 2023年06月19日

     テレビを付けて朝食を摂っていた。女性アナウンサーが言うには、今日は五月晴れなんだと。え、いや今6月でしょ‼と思った。彼女の説明では、旧暦では今頃が5月なんだとか。それは知ってるけど、普通、5月の爽やかに晴れ渡ったそんな時を五月晴れと言うんじゃないの?

     

    五月晴れ

     

     旧暦の頃の五月晴れとは、梅雨の晴れ間のことを言うらしい。・・・明治の末までは旧暦が使われていた。時代も、大正になって昭和に変わった。新暦に皆が親しみだした頃、五月晴れの意味も変わっていったのだろう。1993年に編纂された国語辞典には、両方の意味が書かれていた。

     

     旧暦と言えば私が子供の頃、正月が2度あった。新暦と旧暦の正月だ。旧暦の正月には、以前の住所で言うと仁多郡仁多町三成、その町の路上にたくさんの魚のブリが並んだ。ブリ市と言っていた。各家庭が1本ずつ買って帰って刺身にして食べた。余ったブリは裏庭の雪の中。冷蔵庫がない時代、根雪の中は天然のチルド室だった。

     

     さっき、お昼のおにぎりを買いにいつものコンビニに行った。いつもの中年の、いや失礼。でも少女じゃないし青年でもないし。でも中年と言うには失礼だな。その人に言ってみた。今日は五月晴れだって。え、6月なのに。誰もそう思うよね。

  • おもかげ 2023年06月17日

     先日買ってきた文庫本、浅田次郎の「おもかげ」を読み始めた。まだ読み始めたばかりなのでストーリーは分からない。定年退職でお別れの会を開いてもらった主人公。その帰りに電車内で倒れた。救急車で運ばれ、そして救急病院の集中治療室に入って意識がないまま3日目の夜がやって来た。

     

     私は集中治療室で5日間過ごしたことがある。初日の朝、心臓手術の全身麻酔で瞬時に眠った。夕方目覚めた時、最初に目にとまったのが妻の顔だった。え、何をそんなに心配そうにしている。どうしたって聞いたら、ここは集中治療室だよって答えた。手術が順調ではなかったらしい。

     

    種 その夜、心臓の脈が時々1分間に150回を超えた。緊急ブザーが鳴る。その度に看護師さんが飛んでやって来る。今、150回を超えたんだよ、大丈夫?って。共振というのだろうか脈拍の振動が伝わって眠っているベッドを揺らす。そんなばかな、看護師さん地震なんですかと問うてみた。

     

     今朝、ブログのネタの写真をと思って事務所のまわりをひと歩きした。先日、花期が終わった茎を切り離したアマリリス。おや、種ができてふくらんでいる。切り離して何日経つのだろう。切り離されてもまだ種を付けるなんて、すごいなあ。そう言えば、私もまだ生きているんだ。こんなに元気になって。

  • 続おもかげ 2023年06月17日

     午前中「おもかげ」を書いた。午後になって、これも書きたいと思った。書きたくてしょうがないなと思った。だから、続おもかげを書いてみる。

     

     私のあの病院への入院は3回目だった。病気で倒れたのが最初の入院だ。雲南市で倒れて、すぐ近くの病院へ救急車で搬送された。だが、ひと晩で便利の良い松江市のこの病院に転院した。そしてやがて、不可能だった心臓の手術が可能になって2回目の入院。2回目の手術の時で3回目。おもかげでの私の話は2回目の手術の時の話である。

     

     3回目の入院ともなると、看護師さんと顔見知りになる。顔見知りどころか、良き友となる。入院患者として、私は優等生だったのだろう、看護師さんたちに好かれていた気がしていた。我が儘は言わなかった。程よい冗談も言った。それよりも、話題が豊富だったからだろう、そう思っていた。

     

     5日間の集中治療室の治療が終わって、いつもの入院病棟に帰ることになった。点滴のまま、集中治療室の看護師さんがベッドを転がしてくれた。入院病棟の担当の看護師さんに引き継いだ時、担当の彼女はにこっと笑って「お帰り」と言ってくれた。近くにいた清掃担当の年配の女性は「娑婆へ帰れてよかったね」と言ってくれた。また、ある若い看護師さんは私の顔を見るなり、「良かったね」と言って目に涙を浮かべてくれた。生きている、そう感じた瞬間だった。

  • 2023年06月15日

     「亡き妻思い涙のお好み焼き」。山陰中央新報の読者欄「こだま」に、先々月掲載された私の投稿だ。40代の前半から始めた私の投稿、今まで何十回掲載されたのだろう。その中の最高傑作が、そしてよどみなく、完璧に私の気持ちを伝えられた投稿文が、この涙のお好み焼きなんだと思った。

     

     掲載の後、夕食が終わってリビングのソファーでくつろぐ時、幾度かこれを読み返してみている。その度に、実によく書かれていると思った。だからかもしれない。読み終わると、涙が両方の頬を伝って落ちていく。子供の頃、喧嘩に負けて流した涙は辛かったのに、この涙は甘い香りがする。

     

     そして、見るでもなくぼんやりとテレビを眺めていた。どうしてだろう、いつまで経ってもテレビの画面がぼやけている。今日はどうしたことなんだろう。いつまでもいつまでも頬をつたって涙がこぼれていく。もう、泣くほどの悲しみは去っていったのに。その悲しみは思い出に変わったのに今日はどうしたことなんだろう。

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