店主日記
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有難うな
2025年01月05日
昨日仕事始め。今日は朝から天気が良かった。正月のうちに木の葉っぱなどが降り積もった事務所周辺の掃除をした。バケツ何杯もの落ち葉を片付けたら1時間余り要した。私にとっては重労働、体のあちこちの節々が悲鳴を上げている。椅子に座るのにも「どっこいしょ」。元旦に娘達と別れて、またひとり暮らしになって3日が過ぎた。今、寂しさのピークが襲ってきている。妻の写真を見る。なぎさ、優しい娘達を有難うな。ひとりぼっちの生活でも、あんな楽しい正月があったんだよ。これからも、あんな楽しい時間が何度も何度もやって来るんだよ。なぎさ、有難うな。
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今日も走ろ
2025年01月02日
天気が良さそうだから今日も走ろう。車で思いっきり走ってこよう。あんなに賑やかだったのに、だから走ろう。
墓参を終えて公園墓地を出た所のコンビニで缶コーヒーを買った。小学生だったのかもしれない。あるいはもう中学生だったのかもしれない。西田佐知子が歌う「コーヒールンバ」を聞いて以来、コーヒーにあこがれてコーヒーをこよなく愛する私なった。だからコーヒーはドライブの親友なのである。米子市に入った。日南町を通った。山を越えて奥出雲町を走った。停まるのは、トイレ休憩の時だけ、ラジオからは箱根駅伝中継が聞こえていた。単距離ランナーだった私にはどうも長距離はなじめないが、だが頑張っている姿には心が奪われる。峠を越える時、雪の風景が視界に広がる。ああ、懐かしい。懐かしいなあ。
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寂しい、けど
2025年01月01日
あんなに賑やかだったのに、元旦早々、娘達を出雲空港に送って行った。3人とも、昼の飛行機で羽田へ帰って行った。轟音をあげて飛び立って行くジェット機を駐車場から見送った。律、また会おうな。娘達も元気で暮らせ。なぎさだって見守ってくれてるから。強がってみてもやっぱり寂しい。だけど、もう負けない。この寂しさに負けない。そう心に誓って好きなドライブをすることにした。いつものように三瓶山の北の原に向かって車は走る。山ひだにうっすらと雪を残して、今日の三瓶山は堂々として見えた。君はいい顔してるな。俺も見習うわ。寂しいけど。寂しくたって。
なぎさ、今日は君の誕生日だよ。ワイン買って帰るから今日はお祝いだ。ふたりで乾杯しような。
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かげちゃんのなぎちゃん
2024年12月31日

大晦日の夜、テレビの紅白歌合戦を見ながらくつろぐ時、明日北京に帰って行く長女が今度いつ帰ったらいいって言う。そうだな、盆に帰ればいいさ、と言ったものの、訂正した。俺はさ、長生きしそうだから、長生きするだろうからいつでもいいよ、今度帰るのは。・・・そう言った瞬間、新年からが本当の俺の人生だよ、そう思った。まだまだ、まだまだ俺の人生を生きなければ。これからが本当の俺の人生だよ、と。
そんな心模様の中、娘が我が子に言った。なあ律、なぎちゃんはなん?。そしたら孫が答えた。「なぎちゃんは景ちゃんのなぎちゃん」。そう聞こえた瞬間、嬉しくって声が震えた。律は泣かせること言うんだから。そう、おじいちゃんと言わせない。景ちゃんと言わせている。
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大しめ縄は日本最大級
2024年12月30日
遅い朝食の後、出雲大社に向かって出発した。途中、フロントガラスを雨が打つ。でもあっちの空は明るいよの末娘の言葉に勇気をもらって走り続けた。これなら長時間歩いても大丈夫かなと、空模様を眺めて道に駅「大社ご縁広場」駐車場に車を停めた。さあ歩こ。
長女と孫は風呂に向かった。私はタマネギと鶏肉を切った。今夜は親子丼が食べたいと言う娘達のリクエストにこたえるために。よく作ったな、そう思い出した。妻がいても、週一回の夕食作りは私の役目だった。私がそのように申し出た。だから楽しい夕食作りの時間だった。良い味に作れますように、そう楽しみながら願う時間だった。

良く歩いた。神門通りの右側を4人で歩いた。孫は走ったりしたから母も走って追いかけたりもしていた。そして鳥居から拝殿までの300メートルの距離も歩いた。参拝して本殿を左回りに回って、そして神楽殿に到達した。日本最大級の大しめ縄をしばし眺めた。大きいね、と孫。この大しめ縄、長さ13.6メートル、重さ5.2トン、胴回り8メートルはあるらしい。
神楽殿を後にして帰路についた。行きの逆の歩道を歩いた。何匹かの石兎が孫を楽しませた。と、参門をくぐる頃、雨が降り出した。足早に車に向かった。・・・野菜と、鶏肉を切り整えた。遅い昼食だったからゆっくりでいいよね、7時半頃食べれれば。後は火を通して、そして私の腕の振るいどころ。卵を入れてからの・・・。思い出すなあ、なぎさ、明日は大晦日だよ。




