店主日記
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悔しいな
2024年11月12日
月一の2連休の初日の今日、出雲市に入院中の息子に会いに行った。両手足と、胴とを固定されていた。拘束されていた。もう、病気は治ったけれど、その入院によって強いストレスを感じたのだろう、自傷行為をするようになったらしい。だから拘束されている。胸が痛い。もう1ヶ月余りもこの状態だ。胸が痛い。張り裂けそうなほど痛い。

車で走りながら、6年半前に入院しなければならなかっら理由を思い出していた。山本潤子のCDの歌声は、妻の声に似ている。その歌声を聴きながら車で三瓶山を走った。入所していた施設に原因があった。その時、病気でもないのに入院を承諾した病院も責任があった。悔しい。私には現実をどうすることもできない。ただただ悔しい。憎い。息子が入院したその日の前日に、どうして妻は病に倒れなければいけなかっただろう。どうして入院のその日に、妻は息を引き取らなきゃあならなかったのだろう。
金屋子神社を後にして、道の駅「酒蔵奥出雲交流館」に行った。そこでどぶろくを買った。そしてまた道の駅「奥出雲おろちループ」に行った。紅葉時期とあって、駐車場の車の数は多かった。一部の木々の葉は、赤く染まっていた。もう少ししたらもっと奇麗だろうと思った。これから広島県に入ってみようと思う。
写真はk女子
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母性
2024年11月11日
先日の立冬の夜、炬燵を出した。妻が逝ってしまってから6年半。味気ないひとり暮らしになって5年半。ひとり炬燵板の上のコップに焼酎のお湯割りを酌むのは味気ない。これから先、何年こんな暮らしが続くのだろう。これから先、何年ひとりで生きていくのだろう。女やもめに花が咲くって言うけれど、男やもめの心にはウジがわく。私の自閉症というしょう害を持つ長男は35歳になる。先日、県立の出雲中央病院に転院した時があった。慣れない病院の個室、不安らしい。私が会いに行っても嬉しがらない。妻はもうこの世にいないのを、知ってか知らぬか分からぬが、妻が来るのを待っているらしい。もういい大人なのに、やっぱり母性が欲しいらしい。男は強くなれないね。
男って、いつになっても母性というものが必要らしい。女性と話していると心が和む。車の助手席に、どこか波長の合う女性がいると心安らぐ。だから私は、ほんの時々ドライブに女性を誘う。目的もなく走り回って、お昼になったら一緒に昼食を、夕方になったら住まいに送って行く。ただそれだけ、それだけで心安らぐ。

先日も一緒にドライブをした。朝の自宅に迎えに行って、どこか行きたい所あるって聞く。いや、特にないって返事が返ってくる。じゃあ、当もなく走り回るよ、と言って走り出す。今日は広島県をかすめて、鳥取県をかすめて帰ってこようか。そう言って八雲町から広瀬町に抜けた。布部ダムで一時停車。間もなく金屋子神社に着いた。
上の写真は布部ダムに架かる吊橋。下の写真は金屋子神社の参道に置いてあるケラ。広瀬町の金屋子神社は、全国にある1200社の金屋子神社の総本山らしい。ケラとは、たたら製鉄の製鉄炉から取り出された鉄のかたまり。写真はドライブ相手、K女子が写したもの。K女子の写真は今後この日記に数回続く。
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観音院
2024年11月07日
鳥取駅が高架化されて間がない頃だった。私と妻は知り合った。妻は兵庫県の但馬地方に住んでいた。当時こんな言葉があったかどうか、いわゆる遠距離恋愛だった。もちろん携帯電話もない時代だったからしばらくは文通が続いた。そしてたまには会おうと言うことになり、ふたりの住んでいる中間の鳥取駅で待ち合わせすることにした。
鳥取駅の改札口は、ホームから階段を降り切った所にあった。そこで人々の中に混じって階段を下って来る彼女を見つけるのが楽しみだった。改札を抜けて来る彼女に言う最初の言葉はいつも「やあ、久し振り」。そう言っていた。数か月に一度しか会うことがなかったから自然とそんな言葉になったんだろう。
ある日、駅に早く着いたので、観光案内所を覗いた。そこのパンフレットに、「観音院」を見つけた。庭園に興味があるわけではない。観賞するほどの能力があるわけではない。だけど、なぜか興味がわいた。そして改札を抜けてくる彼女を誘ってみた。どう、行ってみない。

観音院の縁側で頂いた抹茶の茶碗の底には、干支の文字が刻んであった。私は何気なく茶碗をお盆に返した。その時、彼女が笑顔なのに気が付いた。そして、私の茶碗、あなたの干支よ。あなたの茶碗は、私の干支よ。そう言った。そんな話したこともないのにどうして私の干支を。不思議な気がした。だがこうも思った。こんな偶然、ふたりは結ばれる運命なのかもしれない。彼女もそう思ったのかもしれない。(2020年10月2日の日記参照)
その2ヶ月後再会した。賀露港に行くことにした。冬になっていた。晴れているが風が強かった。高さの低い防波堤に打ち付ける波は、空高く舞い上がってそのひと粒ひと粒が陽光を弾いてきらきらと光って美しかった。それを正面に眺めながらハンドルに持たれて言った。ねえ、一緒に暮らさない。そのひと言が私の2ヶ月間の決意だった。彼女は、正面を見据えながら、そして黙ってこくりとう頷いた。今月になった3日の日、無性に観音院に行きたくなった。妻との思い出に浸りたかった。抹茶を頂きたかった。そんな気持ちで昨日行ってきた。観音院の借景の山は色づきがかっていた。ツワブキの花が美しかった。抹茶茶碗に、妻の干支の子の文字を見たら嬉しいな、と淡い期待を持った。そしたらどうだ、子の字が見えた。あの時と一緒だ。嬉しかった。松江を出発するのと、帰りの気持ちは全く別のものになっていた。やっぱり妻はまだ生きている。私の心の中に生きている。そして永遠に生き続けるだろう。
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あ、妻の字だ
2024年11月05日
我が社には大学ノートに妻が作った出納帳がある。今朝、車の給油したのと、店舗の管理料の収入があったので記録した。その時、何気なく裏表紙の裏を見てみた。あ、妻の字だ。そう思った。だけど、2019年=R1、もう妻はいやしない。私たちって、字まで似ていたのだろうか。
この頃、昼間が短くなって時々暖房が欲しくなったきた。暗くなった部屋に帰った時、なんとなく寂しさを感じてしまう。俺って、ひとりなんだな、ひとりぼっちなんだなと、そう思ってしまう。電話すれば、ラインすれば子供たちに会えるのに、だけどひとりぼっちだと思ってしまう。年々、寂しいという思いは増していく。妻が書いたノートの表紙の、出納帳の字を見ただけで寂しくなってしまう。だから明日、鳥取の観音院に行こう。妻とふたりして。
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エノコログサ
2024年11月04日
二日間、止み間もなく雨が降り続いた。昨日の朝、遅く目覚めたら晴れていた。朝のリビングのテーブルに陽射しが届いて暖かかった。でも午前中は、雲が多かった。その雲も、夕方近くにはなくなって、爽快な青空が広がった。耕作を放棄された畑一面にエノコログサが広がって、逆光を浴びてキラキラと輝いていた。エノコログサは、犬っころ草が転じてエノコログサとなったらしい。猫じゃらしと言った方がピンと来る人が多いのかもしれない。文化の日の昨日そんなしょうもない光景に感動した私だった。振り替え休日の今日も、青空が広がっている。そんな爽やかな朝、ジーパンで出勤してきた。土日祝日は普段着にしようかな。




