店主日記
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三瓶フラワーバレー
2024年06月11日
月一度の火曜日の休みは心ワクワクする。三瓶山のフラワーバレーにポピーが咲いてると言うから向かった。たまには逆回りしようか。右手に宍道湖を眺めて、国道54号線に入った。掛合町のコンビニで缶コーヒーと菓子パンを仕入れた。三瓶フラワーバレーは閑散としていた。咲き誇っているところは駐車場から遠い。近場で一枚をパチリ。
西の原に着いた。いつものように、読書室に腰かけた。今日は、私の読書室を写真で紹介しよう。目の前には手入れされた草原が広がっていた。その草原を麓に持つ男三瓶、子三瓶が正面にやさしい姿を見せていた。なぜか、この風景が気に入っている。
菓子パンをかじりながら、妻の形見の茶色いブックカバーを付けた文庫本を読んでいた。足元を、何かが動くのが見えた。数匹のアリがせわしなさそうに歩き回っていた。彼らも、生きていくのに必死なんだ。そして、生き物を見ると妻を思ってしまう。命を考えてしまう。
先日の、アライグマを思い出した。人に飼われていなかったら、私に轢かれて命を落とすことも無かったろうに。野生のまま育っていたのなら、危険を回避する能力が身についていたのだろうに。人恋しくて、それゆえ私に殺されたのなら、と、つい考えてしまう。
事務所に帰って、この店主日記を仕上げている。今日は缶コーヒーを飲み過ぎたのかもしれない。胃が持たれる。朝、夕食にどんなご馳走作ろうかと思っていたが、久し振りにコンビニべ弁当にすることにした。それもたまにはいいだろう。今午後4時半。そろそろ帰ろうかな。
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ふと・・・
2024年06月07日
先日、金屋子神社を後にしたところでアライグマを車で轢いたと、この店主日記に書いた。その後、晩酌をするたびに彼の姿が脳裏に浮かぶようになってきた。そんな先日のこと、ふと思った。彼は、おそらく最近まで人に飼われていたのではないか。その思いに至る記憶が私にはあった。
私はゆっくりと車を走らせていた。道路の左側に小川が流れていた。その小川に近い所にアライグマはじいっとしていた。坂道を下って行く私と目と目があった。彼は、不思議そうに私を見つめていた。そおっと通り過ぎようとぼぼ真横に来た時、じっとしていた彼の体がゆらりと揺れた。そして、車体に姿は消えた。
まさか車の下には来ないだろう。そう信じていた。タヌキと思った彼ならば、車に近づくなんて考えられないからだ。野生動物なら、危険を予知する能力を十分に持ち合わせているからだ。しかし彼は違った。彼は、私に近づこうとしたのではないか。そして甘えようと。案外、飼い主と私の顔は似ていたのかもしれない。
写真は、先日行った稲田神社の社務所の庭だ。真ん中でぽっちゃりしたのがイナタヒメ。右側の凛々しいのがスサノオノミコト。左に置いてあるのが甕(カメ)。甕は、ヤマタノオロチを退治した時に酒を入れたものだろう。説明が見当たらない。だからこの説は間違っているかもしれない。いや、おそらく大丈夫だ。
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奥出雲・八重垣神社
2024年06月06日
駐車場に車を停めると、突然、石階段が風景を覆ってしまう。よし、と覚悟を決めた。神社までの半分ほど進んだ所で一休み。なんと衰えたことか。若い頃にはあんなに山歩きが好きだったのに。休みの度に、三脚持って山を歩いたのにこの様は何だろう。
八重垣神社は、伊賀武神社と同じ敷地内に建てられている。間借りのようなものだ。もともとは違った所にあったのだう。ここから車で1分の所に鏡の池があるのを見ても、あのあたりにあったのではと想像してみた。神社仏閣めぐりは、こんな所がおもしろいと思う。そんな気持ちでカメラを持って出雲大社を散策している時、妻との出会いがあった。もし、私にこんな趣味がなかったのなら、妻とは出会っていなかった。
こんな趣味がなかったらよかったのに。妻との出会いがなかったら、こんな悲しく苦しく切ない思いをすることもなかったのに。時々そんなことも思って見た私なのに、今日はどうしたことだろう。昔の私に戻っている。歴史と、神話の世界に心を奪われている。これが本当の私なんだ。
ヤマタノオロチ退治の話は奥出雲町の鳥上の話だ。だとしたら、横田に稲田神社があるのは当然だろう。そこが最も、クシナダヒメ生誕の地にふさわしい。そして二人の新居の八重垣神社が佐白に存在するのももっともな話だ。スサノオノミコトもクシナダヒメもヤマタノオロチも、みんな架空の存在なのだろうが、神話と現実がごちゃ混ぜになって私を夢の中に誘ってくれる。ロマンチストだねって、妻が私に言ったのもうなずける気がした。
今日はこれで帰ることにする。コンビニで菓子パンと缶コーヒーを昼食にと仕入れた。車を走らせながら菓子パンをかじる。走馬灯のように、妻との暮らしの思い出が心の中を巡っていく。そして妻のいない寂しさに気付く。嗚咽が漏れる。でもその寂しさは瞬時にどこかへ飛んでいった。悲しい時は思いっきり泣こう。それは瞬間のこと。今日は、自分らしさを取り戻した気がした。本当の私を取り戻した気がした。なぎさ、もう大丈夫だ。長いトンネルをやっと抜け出た。心配かけたな。
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のろけそして稲田神社
2024年06月05日
5年に一度の更新がある宅地建物取引士のWeb動画視聴方法の研修を終えた。試験にもパスして、新しい免許の更新手続きを昨日終えた。定休日前に終わってほっとしている。そのテストである。一回しか動画の視聴していないのに、テストは高得点だった。そんな昨日、ふと、ずいぶん前に妻が私に言った言葉を思い出した。「君は頭いいんだよ。自信持ちなさい」。君と言う時は照れ隠しだ。そしてある日の記憶が蘇ってきた。
君は、社長の娘さんで何一つ苦労はない。学歴だって大学の修士課程まで納めている君が、夜間高校にやっと通った無学な、金も地位も名誉もない、歳だって、十も上だ。それに、どこの馬の骨とも分からない、こんな俺と一緒になって、本当にいいの?。本当にいいのかい。黙ってうなずいた妻を見て。いじらしいと、そう思った。
先週、アライグマ((目と目が合ったのは、ペットとして買われていたからだろう。だから人になついて。でも飼育が手に余って・・・ふと今そう思った)との事故で行けなかった稲田神社と八重垣神社に行くことにした。定休日に限って早く目が覚める。稲田神社は奥出雲町の横田にあり、稲田姫生誕の地だ。今社務所はお蕎麦屋さんが営業をしていて、県外客などで賑わっている。今日も、社務所横の駐車場は満車になっていた。
田舎の神社にしては立派な拝殿が正面に見えた。その後ろに独立した本殿がある。拝殿と、そして本殿に参拝した。お願い事は私はしない。礼儀を示すこと、そしてお礼だ。歴史と文化、立派なものを見せて頂いたというお礼の気持ちだ。
その後、歩いて近くにある、と言っても私には遠い。道なき草むらを進んでいった。あった。鳥居があった。そして稲田姫が産湯を使ったという産湯の池があった。この池がある狭い場所に、稲田神社はあったらしい。そっと手を合わせた。何十年前だったか、小学校の遠足で来た時のことを思い出していた。
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久し振りにステーキ
2024年06月02日
昨夕、直ぐ近所の友達を誘ってステーキを食べに行った。人が多くて小一時間待って懐かしいステーキハウスの店内に入った。妻と子供たちと何度この店に来たのだろう。店構えが当時と変わらなかった。テーブルの配置もそのままだった。なにもかも当時のままだった。なにもかも懐かしかった。ステーキの目がなかった末娘の顔が浮かんできた。
一緒に行った友達とは、酒をたしなむ習慣がない女性だ。自宅から彼女の車で向かって、帰りも一緒に帰るから思い切って酒が飲める。いつものように、びっくりする友達を横目に1リットル入りのビールの大ジョッキを注文した。ステーキも高くて旨そうなのを注文した。久し振りだ。この頃の私と言ったら肉と言えば豚の細切れ。6年余り振りのステーキの味はたまらなかった。追加注文のもみんな食べきった。こんな細い体でよく食べたなと、我ながら驚きの昨夕だ。