店主日記
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昨夜夢を見た。
2024年11月19日
昨夜夢を見た。家族の夢を見た。子供たちはまだ小さくて、妻がいた。家族全員がみんなそろっていた。ところが、何をしている時の夢なのか分からなかった。それぞれが何かをしていて、それぞれが違った動きをしていた。それを私が眺めていたような記憶がある。
でも、どうしてだろう。私の家族だと言うことはしっかりと理解できるのに、それぞれの顔かたちがはっきりとしない。顔の輪郭さへも分からない。どうしていつもそうなのだろう、ほんのたまにしか夢に登場しないのにいつもそう。いつも顔がはっきりと分からない。妻の顔をもう一度見たいのに。会いたいなあと思うのにいつも顔がぼやけてる。
写真は私が写した紅葉の写真だ。一眼レフって、なんでこうもすごいのだろう。なんで解像力がこんなにもあるのだろうもう、十数年前に買ったキャノン製のEOS Kiissx4なのに。
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K女子の写真展最終日
2024年11月17日
今朝6時半に起きた。朝食も摂らずに出勤して来た。事務所近くにある1棟に2店舗ある貸店舗の周辺の掃除のためである。店舗が開店すると駐車場に車が来て掃除しにくくなるから、朝早くの作業だ。草もかなりの量があった。隣がコンビニとあって、コーヒーの空き缶などが散らばっていた。2時間かけて奇麗にした。駐車場もかなり広い。だから疲れた。今日は30分早く仕事終わろ。
今、Sayaさんが歌う「秋桜」を聴いている。この曲を聴くと、しんみりしてしまう。この歌の中の母の気持ちを、私の妻にも経験させてやりたかった。娘にも、これを歌う娘の気持ちにさせてやりたかった。ふたりとも、きっとこの歌の気持ちになっただろうな。あいつら、気は強かったけれど、優しいところがあったからな。
おいしいカレーを食べて、カフェエルプラスさんを後にした。車で走り出した瞬間、しまったなと思った。聞くことを忘れた。このあたりはカメムシをなんて言うんですかって。恐らく、ハットウジと言うんだろうと思う。三次市でも、岡山県真庭市の勝山町でもハットウジとそう言うんだから。私の育った田舎もハットウジと言ってたからこだわりがある。
車は鳥取県に入った。道の駅「にちなん日野川の郷」で一服した。イチョウ見物のシャトルバスを待つ人々で賑わっていた。そして車は緑水湖を右に見た。湖岸に公園があって、東屋の上のもみじが赤く紅葉していて美しかった。米子市を通って帰ってきたのは4時半。彼女を実家まで送って行った。実家がある人って、いいなとそう思った。
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ああ、あったかだなあ
2024年11月15日
昨夜も眠りが浅かった。途中何かで目が覚めて、そしたら息子の顔が浮かんできて、その姿を思い出したら眠れなくなって・・・。そして朝目覚まし時計が鳴って、でも気怠くて起きれなくて、結局ぎりぎりまで布団から出られなくて、やっとのことで仕事に間に合って、でも、眼が暖房の中でしょぼしょぼしている。
朝のうちに通帳の調整をした。事務所の通帳からいくらかの金額を引き出した。それを同じ山陰合同銀行の自家用通帳にいくらか入れた。この通帳から家庭の生活費が引き落とされる。そして島根銀行に行って家賃を納めた。その足で郵便局。郵便局の通帳からは私の生命保険料と、末娘の生命保険料が引き落とされる。ややこしいかもしれないが、妻の代のやり方を引き継いでいる。個人事業主だからこんなやり方が通用すると思うとおもしろいね。
さて、これで今月の支払いは片付いた。月末の22日には「あじさいの会」がある。これには今月も出席の予定だ。息子のことを報告しておきたい。26日には、息子の入院先の病院に行く。入院延長の話し合いがある。27日は私の定期通院の日。だから支払いだけは早めに片付けておいた。
KAFEエルプラスさんから頂いた名刺を見ている。ローカルな暮らしを楽しもう!とうたってあって、中国山地の山の恵みや里山で収穫された旬の食材を使った料理&スイーツ。とある。そう言えば前菜に出されたスープや食材に、どこか里山の味がして、私には懐かしく頂けたなと、同じ中国山地の山育ちの私はそう思った。そして部屋の片隅に置かれた暖炉の灯は、子供の頃の教室に燃える薪ストーブのような、目にもそんな暖かみがあって心も温かくなってきた。
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真庭市勝山町
2024年11月14日
車は県境を通り越して広島県に入った。昼食時間が近づいてきた。あ、そうだ。昨年、この近くに素敵なカフェを見つけたんだよ。そこへ行こう。鳥取県に向かう道をそれて福山方面に方向を変えた。どこだったかなあ、左手にあったんだけど。しばらく走ると見つけた。CAFEエルプラスさんを。庄原市東城町川鳥34-4にそこはあった。(2023年10月19日の日記参照)
写真はカフェエルプラスさんの外観。カレーを頂いた。まず前菜が出てきてそしてスパイスの良く効いたカレーは美味しかった。撮影はK女子。
昨日は岡山県真庭市の勝山町にひとり向かった。好きな暖簾の町並みなのに、歩いていても心浮かない。息子、宗一郎の顔がちらついていた。気持ちが、息子から離れていかない。楽しいはずの町歩きも気持ちが沈んだ。宗、今どうしている。そうだよな、身体拘束中だよな。すまんな、俺だけこんな所に来て。
帰り、四十曲峠を越えた。九十九折の下り坂を過ぎると道は平たんになった。運転に余裕が出来た。そして、息子のこの6年半を考えてみた。俺は、本当にどうすることもできなかったんだろうか。やはり、どうしようもなかった。市役所の、県庁の障害者福祉課にも相談に行った。だけど、時期を待つことしかないと悟った。宗、俺の力が無くてすまんな。ごめんな。悔しくて、悔しくて涙が視界を遮った。
昨夜も眠りが浅かった。出勤して、居ても立ても居られなくて市役所の障害者福祉課に行った。県庁の障害者福祉課に行った。事実を知ってもらおうと、事実を淡々と話してきた。ひょっとしたら何かが変わるかもしれない、そう思った。宗、このくらいしかできない、今の俺じゃあ。本当にすまんな。こんな人生を与えてしまって。ごめんな。
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悔しいな
2024年11月12日
月一の2連休の初日の今日、出雲市に入院中の息子に会いに行った。両手足と、胴とを固定されていた。拘束されていた。もう、病気は治ったけれど、その入院によって強いストレスを感じたのだろう、自傷行為をするようになったらしい。だから拘束されている。胸が痛い。もう1ヶ月余りもこの状態だ。胸が痛い。張り裂けそうなほど痛い。
車で走りながら、6年半前に入院しなければならなかっら理由を思い出していた。山本潤子のCDの歌声は、妻の声に似ている。その歌声を聴きながら車で三瓶山を走った。入所していた施設に原因があった。その時、病気でもないのに入院を承諾した病院も責任があった。悔しい。私には現実をどうすることもできない。ただただ悔しい。憎い。息子が入院したその日の前日に、どうして妻は病に倒れなければいけなかっただろう。どうして入院のその日に、妻は息を引き取らなきゃあならなかったのだろう。
金屋子神社を後にして、道の駅「酒蔵奥出雲交流館」に行った。そこでどぶろくを買った。そしてまた道の駅「奥出雲おろちループ」に行った。紅葉時期とあって、駐車場の車の数は多かった。一部の木々の葉は、赤く染まっていた。もう少ししたらもっと奇麗だろうと思った。これから広島県に入ってみようと思う。
写真はk女子