店主日記
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道化師
2024年09月28日
先日、以前何度か交換をしたことのある、ある人からメールを頂いた。そして、ある歌を教えてくれた。「歌心りえ」さんが歌う「道化師のソネット」だ。この頃毎朝、日記「かあちゃんの詩」を書き終えてからこの歌をYoutubeで聴いている。そして元気をもらっている。疲れたこの頃には持って来いの歌手と歌だと思っている。
そのある人というのは、松江市からかなりの遠距離の方らしい。もちろん名前も、年齢も、性別も知らない。私には、知る必要もないと思うことがほんの時々ある。写真の花、園芸種なのか、山野草なのかは分からない。先日一人で行った鬼の舌震の遊歩道の脇にひっそりと下向きで咲いていた。美しいなと思った。だけど、名を知ろうとは思わなかった。来年のこの頃、また来た時にそっと姿を見せてくれたらいい。
とは言ったものの、調べてみた。この花の名はシュウカイドウ。夏から初秋に咲くらしい。原産地は中国で、日本に入って来たのは江戸時代の初期だとか。帰化植物だったからだろうか日本の花とは雰囲気が違うと思っていた。ずいぶん以前から鬼の舌震で見かけたから、あの土産店のおばちゃんが植えたのかもしれない。
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稲佐の浜
2024年09月26日
妻との出会いの場所、出雲大社にほど近い所に稲佐の浜がある。この海岸に旧暦の10月、全国の神々が上陸してくる。その瞬間から始まって、空想はどんどん広がっていく。そして、私自身の気持ちが刻々と姿を変える雲のように移ろっていく。やがて、ぼんやりと、生きていく道が見えてくる。
一昨日の夕方突然、息子が転院することになった。健康保険証をもって、出雲市の総合病院に駆け付けた。検査やら、何やかにやを終えて家に帰ったのは夜の9時を過ぎていた。どうしても眠れず、結局深夜の2時まで飲み続けた。
昨日は朝から元の病院で退院届などの手続きを終えた。総合病院の面会時間まで間があった。稲佐の浜に向かった。海を見ながら、思いは巡っていった。どうしてこうも、私には変化が多すぎるのだろう。心がゆれすぎるのだろうと思った。そして結論は前夜と同じだった。深く思い悩み、苦悩の末、やがて解決していく。その繰り返しが私の、一生だろうな。そう悟った。
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またふたりっきりになっちゃった
2024年09月22日
なぎさ、またふたりっきりになっちゃったよ。さっき、9時半に娘親子は車に乗って帰ってしまったよ。長女が運転する赤い車で帰ってしまったよ。今晩から、また俺となぎさの二人っきりだよ。あんなに賑やかで楽しかった数日は終わってしまったよ。また寂しくなったよ。なあ、どうしよう。寂しくってしょうがない。なぎさ、どうしよう。寂しくってしょうがないこの気持ちをどうしよう。
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砂の器・亀嵩駅
2024年09月21日
今日は末娘が松江にいる最後の日だね。長女の提案で奥出雲町にあるサイクリングターミナルの中の仁多米食道に行こうと言うことになった。いつものように事務所を開け、昼前になってみんなで車に乗って出発した。末娘と今日でまたしばらく会えないかと思うと、いやそんなこと考えずに今日いちにち楽しもう。
仁多米食道の鉄板焼肉定食を注文した。味付けも良かった。ご飯が美味しかった。さすがは仁多米食道と言うほどお米が美味い。ご飯はお替り自由ということなのでひとり分だけお替りした。お父さん盛り過ぎだよ。このぐらい、4人いればどうにでもなるさ。
仁多米食道を後にして鬼の舌震に行ってみた。恋吊橋(9月11日のこの日記に登場)渡ろうよ。「こわ~い」と言って孫は渡ろうとしない。母に抱っこされても怖いらしい。真ん中あたりまで行って引き返した。遊歩道には、栗が落ちていた。子供の頃の栗拾いを思い出して少し拾った。
次どこへ行く。砂の器の駅に行こうか。待合室のテレビに砂の器の映画が映されていた。波打ち付ける砂浜を、ハンセン病の父とふたり歩く子供の姿が映し出された。悲しい音楽が聞こえていた。そしてたどり着いたのが亀嵩。良くしてくれた駐在所のお巡りさん。ストーリーが頭の中を駆け巡って行った。
夜のとばりが降りようとする夕方遅く、末娘を出雲空港まで送って行った。搭乗口に入っていく末娘に手を振った。視線から消えるまで手を振った。手を振れば振るほどに寂しさの気持ちが強くなる。会えば寂しい別れが必ずやって来る。だから、帰って来なきゃあいいのに。そう思ってみても、久しく会わなきゃあやはり会いたいと思ってしまう。
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大山
2024年09月19日
その晩、明日どこへ行きたい。という話になった。うーん、みるくの里。だれが言い出すともなくそんな結論になった。東京には米が無くて、ここひと月、米食べてないよ。そうなんだとちょっぴり哀れになった。じゃあちょうど、婿殿の郷から頂いた新米があるからこれ持って帰るか。じゃあ明日9時出発。まず郵便局だよ。新米は我が家が少し頂いて、後は娘のアパートに郵便小包にすることにした。
みるくの里は高原とあって涼しかった。そよ風が優しく頬を撫でていって、草原をはしゃぐ孫の髪をなびかせた。この娘二人と妻と、いつだったか4人でここに来たことがあった。3人の記念写真を私が写した。それぞれに笑った顔の写真が今仏壇の横の木箱に納めてある。タイムスリップしたように、あの時の光景が私の心に鮮やかな映像となって浮かんできた。