店主日記

  • 中海の神秘 2023年11月04日

     障害のある人、高年齢の人はアパート入居が難しい。その二つを兼ねた人のアパート入居を可能にするために、朝から入院中の病院に面会に行った。そしてアパートオーナー宅を訪ねて行った。私の所へは、よくそんな仕事がやって来る。応えたい。そう思うのは、波乱な人生を送ってきた私だからだろうか。それとも、障害を持つ息子がいるからだろうか。

     

    中海

     

     その後、心の癒しにちょっとだけのドライブをした。道の駅「本庄」で缶コーヒーを買った。中海沿いを走った。今にも降りそうな空模様。偶然が偶然と重なるのだろう、中海は神秘的だった。海の向こうにべた踏み坂が浮いて見えた。こんな中海見たことない。店主日記にアップしよう。

  • ネコジャラシ 2023年11月03日

     ネコジャラシ

     

     夕方の5時過ぎたらもう薄暗い。昨夜は野菜たっぷりの焼そばを食べた。食べる時間は10分もかかりはしない。味気ないったらありゃしない。焼きそばは私が作るから旨い。ひとりテーブルの椅子に腰かけている、この空間が味気ない。

     

     そして食器洗って、歯を磨いて、布団を敷いといて、それからは炬燵で焼酎飲みながら夜長を過ごす。スポーツがあるとテレビに熱中できる。そうでない日は困る。いろいろなことを思ってしまう。思いは思いを誘ってまるでエンドレスの観覧車だ。

     

     昨日も、今日も昼間は暖かい。空気の流れを作るため、事務所の窓ガラスを少し開けた。その隙間から、後ろ片足亡くした小さな昆虫が入ってきた。つかまえて外へ放ってやったらどこかへ飛んでいった。だがやがて、またやってきた。そうか、君なのか。じゃあ久し振りに今晩一緒に飲もうや。え、女房酔わして・・・ん、なん、なんて?

  • 城崎での記憶 2023年11月02日

     夜は事務所の軒下にしまっておくのぼり旗立、その重石を今朝持ち上げた。その下に潜んでいたヤモリがびっくりしたのか自らの尻尾を切って逃げて行った。尻尾はまだ動いていた。そんな今朝突然、城崎温泉に泊まった旅館を思い出した。そして記憶は病で突然倒れた52歳の年末に繋がっていった。

     

    三保湾と大山

     

     若い頃、妻の父の招待で城崎の三木屋に泊まった。仲居さんに聞くと、この部屋は志賀直哉が泊まった事のある隣の部屋だと言った。じゃあと、その部屋を見せてもらった。この屋根の上に蜂が死んでいたんですねと仲居さんに言ってみた。ぽかんとした顔で返答に困っていた。

     

     志賀直哉の「城崎にて」を昔読んだ。遠い昔の記憶だから定かではないが、彼(誰だろう)は、脊椎カリエスで療養のためにここ三木屋にしばらく逗留した。この部屋からすぐ下の屋根に蜂の死骸があった。脊椎カリエスってどんな病なんだろう。完治するんだろうかとあの時思った。その記憶が、52歳から53歳までの私の療養生活に結び付く。そして人の命って。そう思ってしまう。

     

     写真は美保関港と大山。本文とは無関係だが、大山は、志賀直哉の暗夜行路、主人公時任謙作の終焉の地なのかもしれない。暗夜行路には、城崎の描写もある。義父に誘われた時、これを再度読み返してからの方がより楽しめると思った。夕食後、義弟と一緒に何か所かの外湯を回ったのは楽しかった。

  • 海を眺めていたい 2023年11月01日

     午前中、パソコンと格闘した。定休日には、良く仕事が入ってくる。この皮肉はいったい何なんだろう。そして何とか片付けて、昼ご飯も食べずにドライブに向かった。定休日のドライブ、新車からもう、10年経った車。妻の車だったのが今では我が愛車。海を見に行こうか。

     

     牡丹で有名な八束町を走った。べた踏み坂を超えて鳥取県の境港市に入った。境水道大橋を超えるとまた島根県。私の感覚では、美保関町に行くのにはこの道が一番早い。平日とあってすれ違う車の数も少ない。穏やかな天気。窓から入ってくる爽やかすぎる風。コスモスが海に似合っていた。。

    三保湾

     

     美保神社参拝用の無料駐車場に車を停めた。この駐車場から見る風景が気に入っている。スマホで「黄昏迄」を聴いた。そんなに遠くもない所に大山が霞んでいた。防波堤で、釣り人が糸を垂らしていた。穏やかな風景。ふたりで、船に乗って世界中を回れたらどんなに素敵なんだろう。

  • 黄昏迄 2023年10月29日

     さだまさしさんの、亡くした恋人、妻を歌った曲としては「黄昏迄」が人気があります。と、私の知らない人がメールで教えてくれた。昨夜も、何度も聴いて、そして今朝、youtubeで聴きながらこの店主日記を書いている。出雲の夕日にも似合う歌だと思うとも言ってくれた。宍道湖の夕日が水平線に沈み、いちばん空気の澄んでいるのが今時分だ。実に美しい。出雲大社の稲佐の浜に沈む夕日もまた格別だ。

     

     昨日の夕方、炬燵を出した。炬燵と言えば、毎年のように妻と喧嘩をしていた。喧嘩と言うより、言葉のじゃれ合いなのだろう。炬燵出そうよ、と出雲育ちの私。まだ12月にもなってないやん、と気の強い関西育ちの妻。もう寒いやんか、と私。あかん、と妻。炬燵好きの私と、炬燵嫌いな妻の、そんな会話が、今妻が目の前にいるように蘇ってきた。そして夜になって「黄昏迄」・・・思い出に浸れる歌は、心安らぐ。歌は、いちばんの友達なのかもしれない。

     

     おもしろいことに、私は昔、さだまさしに似てると言われた。その時は、いやいやとんでもないと、そう思っていた。そしてこの頃、そう言えば若い頃は似ていたかもしれない。そう思うようになった。眼鏡、こけた頬、長い額、鼻の形、いちばんは下がり気味の眉。

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