店主日記

  • 運動不足解消 2024年11月24日

     事務所周辺に散乱した、と言うより降り積もった落ち葉を掃除している。最初は30分間連続で動いたが後は続かない。5分しては10分の休憩。通りがかりの年配の女性、紅葉もいいけど、大変だねと声をかけてくださった。そうですねと答えて、でも体力作りですと粋がってみた。そうか、そう考えればいいんだと笑顔。人間っていいな。あ、雨が降りそう。まだ降らないで、まだ片付いていないから。

     

    往来

     

     勝山町を歩くと、間もなき町はずれという所に写真のようなこんな風景に出会える。一番左の石柱に、出雲街道とある。この道を通って、京、大阪から荷物が運ばれて、反対に出雲から鰻などが運ばれた道なのだろう。そして右の石柱に、左雲伯往来とある。雲は出雲であり、伯は伯耆のことだ。つまり、米子や松江に行ける道なんだよということになる。その昔、私の先祖もこの道を往来したかもしれない。

     

     歩道を先にと掃いていたらまた違った年配の女性、毎日毎日、限がないね。そうですね、でもほおっておけないからと答えたら、良く姿見るからと。そう、ほおっておけないんだよね。この場所で私は生活を支えられているのだから。この場所はほおっておけないよね。・・・風も出てきた。雨雲も広がってきた。もう直ぐに、落ちてくるかもしれない。

  • あれあれ 2024年11月23日

    勝山3 昨日は「あじさいの会」(日本自閉症協会島根県支部松江分会)に参加した。特に重要な決め事などではないが、和気あいあいと自分の子の近況報告や雑談の場でもある。そんな会でも、そんな会だからこそ、自閉症という子供を持つ親にとって参考になったり、勇気が湧いたりするのだと思う。その後の食事会も、この頃息子のことで悩んでいる私にとっては気休めのひと時だった。

     

     そして夕方になった。あたりが薄暗くなったと感じた時、何気なく見た茶臼山の上空にカラスの一団を見た。寒くなると、鳥は群れる習性があるらしい。しばらく同じ所で輪を書くように回り続けていた。何かを確認し合う行事なのだろうか。そしてその後、少しずつその数を減らし、やがては見えなくなった。これも、初冬の風物詩でもあるらしい。

     

     写真は暖簾の町、勝山町の暖簾のある風景。AREAREA(アレアレア)。はて、何屋さんだったのだろう。

  • ああ、眠たい 2024年11月21日

     近くに街路樹として植わっているけやきの木の葉っぱが我が事務所界隈に散乱していた。一昨日の夜の風雨の悪戯らしい。事務所付近だけでもと、掃き清めた。その作業に30分余りを費やした。我が社名として頂いたけやきの名、愛おしくても腹は立たぬ。

     

     それが終わった10時、近所のコンビニに支払いに行った。我が社がオープンして間もなく、店員として勤務されたと記憶している年配?の女性、レジに立たれた。顔を見ると話しかけたくなる人だ。眠たくてしょうがないよ。にこっと笑顔が帰って来る。それにしても、どうして休みの日の昨朝、早くに目覚めただろう。今日はこんなに眠いのに。

     

    勝山2

            写真は勝山町のある風景。

  • グレープ 2024年11月20日

     休みだからゆっくり寝たかったのに、6時前に目が覚めた。もう少し寝ようと思うのだが眠れない。それでも8時まで耐えた。そして限界を感じて起きた。昨夜、息子に会いに行こうと決意したからだろうか。そうかもしれない。そのことを重荷に感じていたからかもしれない。

     

    勝山 公園墓地から、山陰道の側道を少しかすめて国道9号線に出た。玉造温泉入り口の交差点を過ぎると宍道湖が視界に飛び込んでくる。湖面は静かで、いち面に朝の光を浴びていた。鴨たちが、気持ちよさそうに等間隔で浮かんでいた。あの鳥たちにも、悩みのひとつやふたつあるのだろうか。そう思うのは、私のひがみなのかもしれないと思った。

     

     病院に着いた。まだ息子は身体拘束されていた。そんな息子を見るのは辛い。心が苦しい。だが、拘束をとく練習を少しずつだがしているとか。それを聞いて、ちょっぴり心安らいだ。眠っている息子を起こさずに少し見守ったが、やがて病院を後にした。26日に再びやって来るからなと言って。

     

     いつものコースで三瓶山に行くことにした。9号線から見る日本海も波静かだった。大田市から北の原に向かった。49日が終わって、緊張の糸が切れたようにこの道を走りながら涙を流した。妻のことを想いながら涙がいっぱい流れて来た。以降、泣かなかった私が涙もろい男になってしまった。このことも、もう思い出に変わろうとしている。

     

     三瓶山は通り過ぎただけで頓原から国道54号線に出た。いつもより強く、今日は妻の思い出に浸ってしまっていた。ちょうど、音楽はグレープが歌う「精霊流し」に変った。妻を想う時、グレープが歌う声はよく似合う。「無縁坂」、「縁切寺」の3曲を繰り返し繰り返し聴いた。

     

     写真は本文とは無関係だが、先日行った私の好きな町、岡山県真庭市の勝山町の一角を切り取ったものだ。雛祭りの3月3日前の一週間、この町のいたるところに雛人形が飾られる。3月3日生まれの私と、何か縁がありそうで。

  • 昨夜夢を見た。 2024年11月19日

     昨夜夢を見た。家族の夢を見た。子供たちはまだ小さくて、妻がいた。家族全員がみんなそろっていた。ところが、何をしている時の夢なのか分からなかった。それぞれが何かをしていて、それぞれが違った動きをしていた。それを私が眺めていたような記憶がある。

     

     でも、どうしてだろう。私の家族だと言うことはしっかりと理解できるのに、それぞれの顔かたちがはっきりとしない。顔の輪郭さへも分からない。どうしていつもそうなのだろう、ほんのたまにしか夢に登場しないのにいつもそう。いつも顔がはっきりと分からない。妻の顔をもう一度見たいのに。会いたいなあと思うのにいつも顔がぼやけてる。

     

    紅葉

     写真は私が写した紅葉の写真だ。一眼レフって、なんでこうもすごいのだろう。なんで解像力がこんなにもあるのだろうもう、十数年前に買ったキャノン製のEOS Kiissx4なのに。

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