店主日記
-
孫が帰ってきた
2024年09月19日
7日の昼前に娘夫婦と孫が事務所に帰ってきて、娘たちが予約してくれていた「味皆美ふじな亭」で昼食を摂った。そして別れて、婿殿はそのままぶらりと列車旅。娘は孫を連れてドライブして夕方まで時間をつぶした。夕方の6時40分着の飛行機で、東京の末娘が出雲空港に帰って来る。長女と孫と、3人で6時に我が家を出発した。
山代町は夕方の気配が漂っていた。玉湯町の空で茜色が広がろうとしていた。自動点灯のヘッドライトが路上を照らしだした。国道9号線は混んでいて、車はのろのろと走った。宍道町に着いたらすっかり夕日に変わっていた。空港の駐車場に車を停めた。ロビーで待っていたら間もなく、到着の人混みの後ろの方から末娘が笑って歩いてきた。
-
嬉しい日
2024年09月15日
女性が、こんにちわと事務所にやって来た。いらっしゃいませと言ったら、「E子の娘です」と言う。松江工業高校で、高校生の息子のバレーボールの練習試合があってやって来たと言う。会場のこんな近くにいらっしゃったんですねと言う。めったに会う子でもなかったのに、顔など覚えるはずもなし。最後に会ったのは、5年前、姉を訪ねて兵庫県に行った時だ。そう、彼女私の姪っ子なのだ。
私の兄姉は3人いて、長男は7年前に亡くなった。次男は沖縄に住んでいる。そして姉は兵庫県だ。めったに会える近さじゃあない。それに、私の長男は重度の自閉症を持って生まれた。私自身、大病で会社を首になった。ずぶの素人の私が懸命に不動産業を立ち上げた。これから人生楽しくなると思った矢先、早くに妻を失った。そんな私は心忙しなく、兄姉とも疎遠になっていた。妻の死を知らせないほど、疎遠になっていた。
そんな中、兵庫県に住む私の姉の姪っ子がひょっこりと事務所を訪ねてきてくれた。30分ほど話した時だろうか、電話が鳴った。アパート案内が入ったのである。残念だけど、ごめんねと言って別れた。せっかく疎遠な私を訪ねてきてくれたのに申し訳なかった。だけど、嬉しかった。身内の人の心の温かさを感じた今日のひと時だった。
-
木次線
2024年09月14日
朝のテレビの気象予報士は、今日の最高気温は36℃だと言っていた。昼前になって、ネットで確認したら37℃になっていた。立秋の日から数えて何日が経つのだろう。夏バテと、残暑バテが重なってもう駄目。今年の気候が憎い。その苦しさを忘れたい。店主日記を書きたくなった。
三成駅に佇んだ時、なぜか向こうのホームからこちらに線路を渡って来る子供の頃の私の姿が見えていた。ああ、そうだ。修学旅行の帰りなんだ。小学校の時だっただろうか。それとも中学校の時だったかの記憶は定かではない。夜行列車で帰ってきた。客車の通路に、新聞紙を敷いてその上に寝て帰ってきた記憶を思い出していた。
三成駅はよく利用した。父が、役場の畜産課に働いた時があった。牛を市場に運ぶ時、ここの駅から列車を使った。牛がけがをせぬよう、貨車の内側に板を張り付けた。その手伝いをした。いや、しゃまだったのかもしれない。そのお礼だと言って、走る列車の機関車に乗せてもらった。風を切る坊主頭が気持ち良かった。母の実家の亀嵩へ行くのもここから乗った。向こうのホームを歩く母の姿が懐かしい。
あの頃は乗客も多かった。三成駅は賑わっていた。その賑わいもモータリゼーションの波に押されて、今では駅舎という駅舎もなく閑散としている。先日停車していたあの列車にも、ポツンとひとりの乗客だけを見た。客車横に、「次へつなごう、木次線」と、手書きがしてあった。日帰りでいい、たまには列車旅もいいのかも。
-
舌震の恋吊橋
2024年09月11日
今電話待ちを事務所でしている。外は相変わらず暑い。湿った空気が肌にまとわりつくような、そんな不快な暑さだ。定休日だから仕事をする気はない。外をぼんやり眺めていたら雨が降ってきた。そして晴れてきた。私が子供の頃の母は、この状態を狐の祝言だと言っていた。懐かしい。
そんな子供の頃、よくここ「鬼の舌震」で遊んだ。我が生家から、子供の足でここまで歩いて1時間弱。あの頃は、水面から1.5メートルの高さに吊橋があった。その吊橋から飛び込んで泳いでいた。あっという間に、唇の色が紫になって行った。太陽の光に焼けた岩肌で、体を温めた。懐かしい思い出のひとつだ。
今その吊橋はなくなって、それから何代目だろう。遥か高く、恋吊橋が出来上がった。その真ん中で下を見ると、泳いでいたダム湖も、流れてきた砂にうもれていた。昔の面影はなくなっていた。あの頃を思い出して懐かしんでいたら、人がひとりこの橋を渡ってきた。その一歩一歩に呼応して、わずかだが微妙に橋が揺れた。昔、妻を恋した時の心の揺れのように。
-
気持ちがほっこりと
2024年09月11日
昨日の月一の連休の初日、朝起きてどこに行こうか迷った。とりあえず車に乗って国道9号線を西に向かった。宍道まで行った時、奥出雲町に行こうと決めた。なんとなく寂しい時は、奥出雲町に向かってしまう。なぜか懐かしい故郷に向かってしまう。
久し振りに鬼の舌震に行ってみた。カメラを肩にぶら下げて土産店兼蕎麦屋さんの前を通りかかった時、そこのおかみさんが声をかけてくれた。話を聞いてくれそうな人柄に見えたからいろいろなことを話した。ついそこの堅田という村で生まれたんだよ。今ひとり暮らしだよ。妻は6年前に死んでしまったんだよ。来週、娘たちが帰って来るよなんて話したら、よく聞いてくれた。会話の飢えが満たされた気がした。
そんな人と会えて、心がほっこりした。そしたら何故か、三成駅に行きたくなった。三成駅は閑散としていた。が、列車が一台停車していた。ホームに立って眺めていたら運転手さんと目が合った。会釈をくれた。そんな会釈はローカル線ならではの光景だろう。また気持ちがほっこりとしてきた。
今日は定休日の二日目、来客の予定。だから出勤してきた。対応が終わったら、どこに行こうか、な。