店主日記
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秋の雲
2024年10月14日
穏やかな朝を迎えた。出勤して朝のルーティーンを一応終えた。今日もジーパンとティーシャツで出勤してきた。この3連休、この格好での出勤である。どうも休みの日は、気持ちが緩むらしい。いや、緩めたいらしい。でも動きやすいな。そうだ、久し振りに玄関のガラス戸を外から掃除しよう。
我が社の玄関はほぼガラス戸で埋まっている。ガラス掃除終わって、机に座って外を眺めた。ガラス戸が透き通って外が良く見通せた。きれいになったものだと感心した。茶臼山の上に秋の雲が広がっていた。今日はどの雲の上にいるんだろう。そこからこちらがよく見えるかい。俺のこと、良く見えるかい。
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寂しい時は寂し気な曲を
2024年10月13日
ぐっすりと眠った。昨夜早く寝たのになぜか今朝目覚めた時、まだ眠り足りない気がしてまた眠った。9時間余りを眠ったことになる。長かった夏の暑さの疲れを、また、帯状疱疹に侵された疲れを取り戻そうとしているのだろうか。涼しくなったこの頃は、むさぼるように眠る私なのである。
今朝も日課の妻のお墓に行った。しばらくの妻との会話の後、墓石を後にした。駐車場に着くまでのわずかな間、妻の墓石が見え隠れした。妙に寂しかった。低気圧でもないのに、妙に寂しかった。妻との、楽しかったあの日々の暮らしが思い出された。もうあの暮らしは二度帰って来ないと思うと寂しかった。今日はどうしてだろう。時々こんな日がやって来る。今日のこの日記のテーマ、「寂しい時は寂し気な曲を」としてみた。私と同じように連れ合いを亡くされた方に、この日記を読んでもらいたい。きっと、気持ちが楽になると思うから。
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キンピラゴボウ
2024年10月12日
4日目の鍋料理に材料を継ぎ足して食べ終わった昨夜、車で片道1時間の出雲市行きの仕事で疲れたかなと思っていた。が、案外そうでもなかった。長かった夏の暑さの疲れがどうやら癒えたのかもしれない。バレーボールのテレビ観戦していたら案外早くに試合は終わった。はて、何しよう秋の夜長を。そうだ、キンピラゴボウ作ってみようか。でも作り方知らないよ。スマホで調べたら。めんどくさい、自己流でいいよ。
タワシでゴボウをこさげて洗った。斜めに細長い輪切りにした。それを縦に千切りした。水につけてアクを抜いた。よし、これでOK。それを油をひいたフライパンに入れた。味付けどうしよう、砂糖を少し入れてみた。味コショウを振った。酒も入れてみた。そして最後は醤油で仕上げた。
味見した。旨いと思った。味見のつもりが大半を食べてしまった。写真が残ったキンピラだ。そしてしばらくの後、我に帰った気がした。私はいったい何をしているのだろう、何を考えているのだろうこんな夜更けに・・・。そうなのかもしれないね・・・。きっと、寂しいからなんだよ、ひとり暮らしが。
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出雲今市
2024年10月11日
私の故郷では、出雲市に行くことを今市に行ってくる、そう言っていた。出雲市には今市町があって、そこが商業や文化の中心だったからだろう。そのうちに、出雲今市になり、出雲市と呼ぶようになっていった。そんな小さな歴史にも、それぞれの時代の暮らしぶりが想像できるからおもしろい。
早い昼食を済ませて、資料を持って出雲市に向かった。お客様は、私と同い年でひとり暮らしの女性だ。ひととおり仕事の話が片付くと雑談になっていった。そして孫の話。可愛くてしょうがないらしい。一時間ほど話し込んだ後、入院の息子を見舞った。すやすやと眠っていて安心した。
帰り、昔テレビ放映された日本まんが昔話に描かれそうな雲がいくつも浮かんでいた。なぜかその雲が、生後半年の孫を連れて北京に行く娘を出雲空港で見送ったのを思い出させた。ジェットエンジンをうならせて飛行機は羽田空港を目指して飛び立った。やがて、きらりと光って視界から消えた。知らぬうちに、両瞼は今にもこぼれそうなほどの涙を溜めていた。出雲、出る雲と書くんだなと、あらためてそう思った。
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海…日本海
2024年10月10日
妻の墓石の隣の隣に、時々出会う女性のご主人の墓石がある。彼女私よりふたつ年上らしい。その方、車には乗らなくなった。盆の日に、毎日は来れないだろうと、彼女が供えた墓石の花に2回ほど水を足してあげた。昨日出会った時、水を足してくれたのはあの人じゃないって娘が言うから、と。
鳥取市のあるギャラリーで、兵庫県の温泉町のある寒村を写した写真展があることを知った。遠いけど、鳥取なら行きたいなと思った。妻とのデートの場所だったから、と思った。墓参の後、向かった。淀江で山陰道を下りて国道9号線を走った。山陰道の完成で国道はめっきりと車が少なくなった。走り良くなった。やがて左手に日本海が見えてきた。
天気は良いが、海は荒れていた。風が運んだ海水のしぶきがフロントガラスを曇らせた。この道、君との兵庫県への里帰りによく走ったよなと、助手席の妻の遺影に話しかけた。そうだね、と返事が返ってきた。息子が助手席で、私とふたりの娘は後部座席だったね。あの時のホライゾン、かっこよかったね。あの車でよくキャンプに出かけたねと話しかけてきた。