店主日記

  • くつろぎ 2024年10月26日

     鍋料理が恋しい季節になってきた。先週の水曜日の定休日に、たくさんの野菜を買って、大きな鍋にたくさんの鍋料理を作った。食べ終わったら、冷えるのを待って冷蔵庫に保管する。そして次の晩、温め直して再び、鍋料理を頬張る。野菜が減ると、又加えていく。これで一週間の晩御飯は大丈夫。

     

    波 食べ終わった昨夜、リビングのソファーの前に座布団を置いた。その上に座ってソファーは背もたれ代り。これが私のくつろぎスタイルだ。テレビの音をBGMに聞いて、新聞を読みながら焼酎のお湯割りをちびりちびりといく。なんて安らかな瞬間なんだろう。でもひとりでは静かすぎるから、下手な歌を口ずさみたくなる。

     

     ♪♪君のその小さな手には♪♪・・・。だれもが哀しみのひとつやふたつは心に抱えている。僕もそうなんだよ。でも君には耐えられそうにもない大きな哀しみがある。だから、せめて笑顔が救うのなら、君を救えるのなら、僕は道化師になって、ピエロになって、そしたら君の笑顔が見れるだろうか。そう歌っているように思う。そしていつの間にか優しさに感動して、声が詰まってきて、涙がこぼれてきた。

  • 道化師のソネット 2024年10月24日

     もうずいぶん、車のステレオのCDの入れ替えをしていない。休みの度に、同じ音楽を聴いている。でも一番気に入っているCDだから。昨日の定休日もそうだった。180キロの走行距離に、何回、かぐや姫が歌う赤ちょうちんが巡って来たのだろう。

     

    東の原

     

     三瓶山の東の原の駐車場に車を停めた。エンジンを切った。スマホを取り出した。検索履歴に残った道化師のソネットに指を触れた。いつだったか、見知らぬ人だけれど、時々メール交換をする人が歌心りえさんが歌う、この歌を教えてくれた。以来その歌唱力に惚れこんで毎日何度か聴くようになった。

     

     「君のその小さな手には 持ちきれないほどの哀しみを せめて笑顔が救うのなら 僕はピエロになれるよ」と歌詞は歌う。「せめて」とは、最小限を望む言葉だ。笑顔が救う訳じゃないけれど、笑顔なんて何の力もないけれど、だけどせめてそれが哀しみから救うのならと歌っている。頑張れじゃあ辛いんだよね。だからこれが本当の、相手を思いやる心なのだろうと思う。作詞したさだまさしさんは素晴らしい人だね。

  • 更新作業 2024年10月20日

    サラダ 5年に一度の宅地建物取引業の免許更新のための作業を終えた。書類を書き、事務所内外の写真も写してプリントを終えた。5年に一度じゃあこの作業も慣れぬ。5回目になるのにまだ慣れぬ。ふうっとため息をついた。そして思いは、開業当時に遡って行った。

     

     娘のバスケットボールの練習を見ている時、突然倒れたこと。気が付いたら救急車の中だったこと。救急隊員の一人がふたりに見えたこと。4階の病室から宍道湖の夕日を眺めたこと。退院した後、数か月間、苦しみ、悩んだこと。夜中に起きて勉強したこと。広島の会場で通信教育の試験を受けたこと。コンビニでアルバイトしたこと。なにもかもが苦しかったけど、今になれば毎朝食べるサラダみたいだな。

  • もういちど会いたいな 2024年10月19日

     先日の朝、日本自閉症協会の島根県支部の松江分会、「あじさいの会」に行ってきた。数人の懐かしい顔ぶれがいた。招待された人に、島根県東部発達障害支援センター、ウイッシュのIさんがいた。そのセンター、出雲市にある。今度息子を見舞う日に、立寄ってみたいと思う。話を聞いてもらいたいと思う。そして良い解決方法を探ろうと思う。

     

     昨日のその足で、法務局に行った。登記されていない証明書を頂いた。市役所に行った。身分証明書と、住民票を取り寄せた。税務署に行った。納税証明書をもらった。何に使うのかって、宅地建物取引業の免許更新のためである。更新も5回目だ。我が社、誕生してから20年を超える。そして今朝気怠い目覚めだった。昨日、疲れ果てたせいだろうか。

     

     そして、疲れた日にはいつも思ってしまう。なぎさ、もういち度会いたいな、って。もういち度いっしょに暮らしたいな、って。そして、妻の笑顔がまぶたに浮かぶ。・・・ああ、会いたいな・・・。

  • 荒れる海 2024年10月17日

    荒海 昨日の定休日、よく寝た。というより、寝たふりをした。疲れているだろうに、だから夜明け前から意識があるのに布団の中。寝てるような、起きているような、妙な感覚がしばらく続いた。でも寝なきゃあ。でも意識がある。ああ、苦しいな、こんな感覚なんて。

     

     ひとり家にいてもつまんないから事務所に行った。かあちゃんの詩日記付けた。昼になったので出雲市に向かった。息子に会いたい。気になるから。病院に着いて面会をお願いした。まだ拘束されて身体が自由にならない状態だった。可哀そうだった。我が事よりも心が痛んだ。そして、荒海のように心が荒れた。息子が壊されていく。

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