店主日記
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今日から4連休
2020年09月19日
巷は今日から4連休。私には無関係だけど、連休の人がうらやましいなんてことは思わない。コロナ禍の中でもあるのだし、連休を喜ぶ年齢でもない。そう思いながらいつものようにいつもの時間に墓参したら多くの人がいた。いつも私一人なのに、多くの人がいた。そうか、今日は彼岸の入りだ。
この頃の山陰中央新報の読者の投稿欄、「こだま」に国政のことに関する投稿が多くなってきた。安倍総理ご苦労さんもあれば、批判する人もある。国政に、多くの人が関心を示しだした証なのだろう。いいことだと思う。人任せだった国政が国民のもとに帰ってくる。
国勢調査の回答をパソコンでした。6項目目に配偶者の有無がある。離別か死別かを選択するようになっていた。どっちでもいいじゃないかと思うが死別にカーソルを合わせる。瞬間いろいろな思いが蘇る。せっかく心安らかだったのに。
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艶歌
2020年09月18日
先日の定休日に古本を片付けた。テレビの横に置いてある末娘の小さなステレオ装置も事務所に持って行こう。事務所でBGMとしてフォークソングを流そうと考えた。運んで、スイッチを入れた、CDの取り出しボタンを押した。一枚のCDが出てきた。何だろうと思う。末娘が好きな「嵐」かなと思った。ちょっと聴いてみよう。
なんとである。流れてくる曲は艶歌だ。テレサテンが歌っている。中条きよしが歌っている。西田佐知子が歌っている。前川清が歌っている。西島三重子が池上線を歌っている。こんな曲末娘が聞くわけないし・・・。そして思い当たることがあった。
私がボウリングに行っている1時間の間、妻はひとりの部屋でこの艶歌を聴いていたのではないか。艶歌になじまない私に遠慮して、この曲をひとり聴いていたのではないか。思えば、妻の性格は艶歌が似合うのかもしれない。私より、男前だとよく言われていた妻。車の中で、もっと自由に艶歌を聴かせてやりたかった。・・・昨日はいちにち中、このCDを聴いていた私なのである。
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やっと少しずつ
2020年09月17日
やっと少しずつ家にある不要なものを整理する気持ちになった。昨日の定休日は、読まなくなった本の整理をした。ホームセンターで、組み立てれば箱になる段ボールを買ってきた。とりあえず、文庫本だけでもと箱に詰めていった。私が持ち上げられる程度の重さをひとつの段ボール箱に収めた。6箱必要だった。それを車に積んで市役所の古紙回収場所に持って行った。
思えば、妻と二人してよく読んだものだ。私が買って読んだものはほとんど古本屋に持って行った。僅かなお金に替えて次読む本を買っていた。昨日処分したのは全部妻のものだ。妻が読んだ後私が読んでいた。同じ本を読む。そんなところにも、ふたりの相性の良さが表れている。今になってそう思う。・・・かあちゃん、これ処分するよ。いいね。それからかあちゃんが学生時代に読んだ哲学書や専門書、俺には読めないけど、これは思い出に置いとくね。かあちゃんの青春が詰まってるものな。
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あ、クモがいる
2020年09月14日

昨夜は寒いぐらいの気温だった。毛布の上に布団かけて寝た。それでちょうど良いぐらい。日暮れも早くなったけど、夜明けもずいぶん遅くなってきた。目覚めた時、カーテンからもれてくる光が弱い。まだ早いかなって思った時、時計を見る。もう6時になっている。
事務所の隣の弁当屋さんが昨日で閉店した。そして新しい店が入って来る。山本潤子が「会いたいな」で歌ってた。馴染みの店も少しずつ名前を変えて、人が増えて街は変わったと。そう言えば、私がここに来てから通りの店が何軒名前を変えたのだろう。少しずつ、街がきれいになっていく。
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三瓶山
2020年09月11日
昨日、あれから大田市の三瓶山に車で向かった。一週間に一度は車で、ある程度の時間を費やさないと心が折れそうになる。若い頃はそうでもなかったのだが、この頃心の辛抱ができなくなった年齢に達したのかもしれない。だけどお陰で今日はすっきりとした気分で仕事ができそうだ。
妻が他界して2年と4ヶ月が経った。この頃の店主日記には、妻を失った寂しさや切なさを書いてきた。女々しい奴と思われてもかまわない。そんな思いで書いてきた。少しでも、多くの人にその思いを伝えたい。そんな気持ちで書いてきた。なぜなら、配偶者のみならず、愛する家族を失って悲しんでる人たちがいるのだから。
悲しみを和らげるのは、励ましでも何でもない。そうだねって、悲しいねって、寂しいねってともに感じてくれる人がいてくれることである。書物やネットや何でもいい。悲しく、寂しさに耐えている人がいるのだなあって知ることである。そして人の悲しみも感じてみることだと思う。一瞬は、我が身と重なって悲しみが増すのかもしれない。だけど、なぜか分からないが、その後、心が安らぐ。
私が心安らぐのを確信したのは、私の新聞投稿に対する人の反応だ。山陰中央新報の「こだま」欄に、妻を失って悲しい、寂しいって何度か投稿した。それを読んだ人、数人が私に言った。また書いてねって。いずれの方も、配偶者を失った方だ。涙流しながら読んだわって。でもまた書いてねって言ってくれた。
三瓶山の麓の「東三瓶フラワーバレー」に行ってみた。雨が落ちそうな気配。だがまだ耐えている。コスモスが咲いてるのかもしれないと思ったからだ。まだまだシーズンは遠いようだ。西の原に着くころに雨は本降りになった。木陰で文庫本なんて雰囲気ではない。でも、楽しいな。




