ふと、感じたこと

2025年09月12日

文学碑 高校を出て、良い大学を親におんぶしてもらって卒業し、社会に出て、背広を着て、ネクタイ締めて胸を張って腕を振って颯爽と街を歩いて来た人達。方や、中学校を卒業して苦学生になり、15歳から自分の食い扶持を探し、社会からも認められず血反吐を吐きながら地にはいつくばってそれでも負けるものかと懸命に生きてきた人間と、こんなにも考え方に違いがあるのだろうか。

 

 先日、ある人に「努力しているか」と問われた。一瞬、何のことかと理解に苦しんだ。が、少し考えてその本意を知った。つまり、言葉の意味の示す通りなのだと悟った。背広を着て、ネクタイ締めて胸を張って腕を振って颯爽と街を歩いてきた人たちの考え方なのだと思った。だが、その人たちがみんなそんな人ではないよと心の奥で願いながら。

 

 少し間を置き、冷静になって答えた。僕はね、52歳の時、脳梗塞で倒れた。会社を首になった。 だけど懸命にこの不動産業を立ち上げた。ずぶの素人が、20数年、この店を守って来たんですよ。・・・もしあなたが同じことをしたのなら、2年間も持たなかっただろうね、と思いながらそう答えた。

 

 私の考え方なのだが、努力とは、体力や心に余裕のある人が頑張ってみる。そんな状態を言うのではないか。私はいつも、体の動く限り、心に余裕のある限り、命の続く限り懸命なんだ。必死なんだ。負けてなるものかと、歯を食いしばっているんだ。

 

 その晩、腹立ちが収まらなくて、眠れなくて、あくる日が定休日を良いことに、飲んだ。深夜の2時まで飲んだ。私よりも10も若いだろう小僧に、努力しているかと言われて腹が立って。酔いが回って、それでも冷静になろうとした。そしたら、もうひとりの私が言った。あんなこと、努力してるかなんて人が人に言えるものじゃあない。でも、いいじゃないか、ほっとけよ。あんな奴が、あんな若僧が言うことなんて気にするなよ。・・・そうだよな、俺もちっちゃな人間だったな。反省するよ。そう気付いたら眠くなってきて、昼まで眠り続けた。

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