店主日記
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どんな正月だった
2021年01月05日
写真が我が社の応接コーナーなのである。開業にあたって、先輩の不動産業者の方から頂いた応接セット。とある、ホテルの喫茶コーナーで使われていたものらしい。今朝も早くに目が覚めたから、まだ暗いけど事務所にいる。コーヒー飲んで、新聞を読んでいる。この応接コーナーで。
ところでと、この正月の断捨離の余韻が心に漂っている。ふたりの人生の良き部分も悪しき部分も見た二日間。私の、意気地なさが見えてきた。だらしなさも見えてきた。怖気ない、妻の気概が際立った。それが真実だろう。北上夜曲、「僕は生きるぞ生きるんだ 君の面影胸に秘め」・・・強く、そう思った。
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てな訳で
2021年01月03日
てな訳でドライブ三昧の正月と思っていたが年末から積雪。どうして過ごそうかと元旦は朝からお屠蘇していたら尾道の娘が電話で言う。「お父さん、飲み過ぎないでね」
2日からは断捨離の続きをすることにした。ひとつひとつの品々を確かめながら進めていく。初めて見る青年期の妻の写真のアルバムの数々。結婚前にお洒落で履いていた靴の数々。そこには二度と実家には帰らないとの決意が見える。最後まで連れ添うという覚悟がうかがえる。
そして日記。結婚が確実になった頃から続いていた日記。一緒になってしばらくしてから途切れてしまった日記。夢とは程遠い現実を見たのだろう。お洒落な靴など履くことのない現実を見たのだろう。それは、今までの社長令嬢の華やかさとはあまりにもかけ離れた現実だったのだろう。
そして数々のアクシデント。多すぎたアクシデント。・・・でもと思う。その積み重ねから不動産業を二人して歩むようになった15年間。向かいあった机でお互いの顔を見ながら仕事した。喧嘩しながら仕事した。定休日ごとのドライブ小旅行。何もかも楽しかった。二人の心は繋がっていた。お・と・う・さ・ん、と言った最後の言葉・・・断捨離は、人生を振り返ることなのかもしれない。そこから、これから一人で生きていく強さを見つけ出すことなのかもしれない。
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元旦
2021年01月01日
子供の頃、屋根の雪下ろしをした経験からしたらただの積雪。だけど松江では30センチの積雪は大雪。昨日も今朝も、その大雪の中を墓参した。妻の墓地の駐車場には侵入不能。入り口に除雪車の除雪の塊が。遠くから歩いても、墓参はしたい。新雪の中を歩く。
墓参から帰ってブリの刺身をつまみにお屠蘇を頂いた。炬燵に入ってテレビでニューイヤー駅伝を観戦していたらついうとうと。目が覚めたらゴール直前。倉庫からタコ焼き器を持ってこようと郵便受を見たら年賀状が届いていた。僅かな数だが、申し訳なく思う。もう3年続けて私からは賀状の挨拶していないのに。まだ、おめでとうとは言えないのである。だから返信もしない。くださった方に、申し訳なく思う。
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仕事納め
2020年12月29日
今日が私にとっては仕事納めの日だ。昨日で事務所の年末の掃除は終わった。不用品の廃棄から、何日を要しただろう。さっぱりした事務所の籐製の椅子に腰かけてインスタントコーヒーでくつろぐ。今年はどんな年だったのだろう。私にとって成長はあったのだろうか。
正直なところ、新型コロナウイルスに侵された。私自身が感染したわけではないが、しんどかった。毎日、微熱が続くような心への負担があった。ボディーブローでじわじわと責められるような息苦しさがあった。でも、それを朝日が救ってくれた。早くに出勤して、茶臼山から昇って来る事務所から見る朝日は、それは素晴らしいものがあった。神々しくも感じた。やがて風景を明るくするその力強さは私に勇気をくれた。そして毎日違う風景の演出をカメラで写すその行為は楽しかった。
上の写真は今朝写したのもの、下の写真は昨日写したもの。毎日違うその風景を表現してみた。
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朝
2020年12月25日
空が白みかけた時、家を出る。行き交う車もまだ少ない。5分で事務所に到着する。開業準備を始めてると、朝日が昇り始める。民家の瓦屋根の向こうから明るさが増していく。この瞬間がいい。生きていこうと思うエネルギーがみなぎってくる。この朝日に、手を合わせた昔の人の心がこの年齢になって分かってきた。
今朝の新聞の副見出しに、国会答弁誤り会見で陳謝とある。もちろん安倍前首相のことだ。衆院議員辞職の可能性を記者に問われ、初心に立ち返り、全力を尽くすことで職責を果たしたいと答えている。
私のような町の小さな不動産屋でも、確認不足で顧客に迷惑を与えぬよう努力する。例えば、この一戸建てを貸したいからと依頼を受けた場合、彼が真の持ち主かどうかを調査する。そうでなかった場合、なぜ彼が依頼してくるのかとその整合性を確かめる。
当時の安倍首相はその確認を誤った。と言うより、確認をしようとする姿勢すら見せなかった。当然の結果、国民を欺くことになった。実は彼、補填の事実を知っていた。私はそう思う。だから118回もの嘘を重ねてきた。ひとつの嘘は、その人の言葉をみんな嘘にする。
でも不思議である。あれだけの不誠実を重ねても平然としていられるあの厚顔な部分が。