店主日記

  • 夏バテじゃないんだよ 2021年08月31日

     朝一番で、のぼり旗を立てるパラソルスタンドを買いにホームセンターに行った。広い店内を歩いていると、ウエストポーチがずれてくる。お尻でひっかかってへんてこだ。おかしいな、ベルト緩めたわけでもないのに。あ、そうか。胴回りがひき締まってきたんだ。

     

     パソコン見ながらでも、資料を見ながらでも運動はできる。取り立てて、激しく動くわけではない。スローモーションのようにスクワット運動をする。その他、スローな動きが多い。この方が、運動量としては大きいことをこの頃知った。運動は、新型コロナウイルスの感染、重症化、死亡リスクの大幅な低下につながるらしい。有酸素運動、無酸素運動の組み合わせがいいと聞く。

     

     今日で8月は終わる。アブラゼミに替わってミンミンゼミが泣いている。幼い頃行った母の生家を思い出す。美しい鳴き声。透き通った羽を持って神々しく見えたあのミンミンゼミの大合唱。ひとり大きな柿の木陰で聞いていた。

  • 好きだよ 2021年08月29日

    駕籠石

     昼食用のサンドイッチを作っていた。パンに玉子載せて、その上に載せるキュウリをきざんでいる時、急に寂しくなってきた。朝の台所は、私を寂しくさせるそんな場所なのだ。リビングで、新聞読んでいる私がいる。台所に立つ、妻がいる。台所に立つと、その場面が蘇ってくるからだろう。

     

     想いは伝えるべきなのに私はそれを怠っていた。この頃、つくづくそう感じるのである。年を重ねても、恋人時代のように好きだよって言葉に表さなきゃあいけないんだ。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。だから日課の墓参時に、好きだよって言っている。なんどもなんども好きだよって言っている。今では、遅いかもしれないけど。

     

     写真は、カフェ駕籠石庵の客席風景

  • 秋の蚊や 2021年08月28日

     「秋の蚊や ふらふらと来てちくりかな」作者は誰だろうと思ってネットで調べるけれど分からない。事務所に一匹の蚊が入ってきた。腕にとまってちくりと刺そうとする寸前、ぴしゃり。仕留めたと思ったが目の前を飛んでいる。彼も、生きるのに必死だ。それにしても、蒸し暑いけどめっきり秋らしくなってきた。日暮れが早くなった。早朝のそよ風が涼しい。赤とんぼが群れている。

     

     昼にはまだ早いけど、スーパーマーケットに弁当を買いに行った。秋の味覚、舞茸弁当だ。明日の朝の食パンもサンドイッチパンも牛乳も、ついでに焼酎も買った。普段はおにぎり作ったり、サンドイッチ作ったりして持って出勤するのでマーケット弁当は週に一回だけ。でも、レジ係の中年、いや失礼可愛い女性と仲良くなった。

     

     朝あんなに爽やかに晴れていたのに昼になったら降ってきた。女心と秋の空。いや違うよ、男心と秋の空だよって、どこかからか聞こえてきた。秋は、なんとなく物悲しい。枯れ葉が散るからだろうか。半分白くなった頭髪が一本、パソコンのキーの上に落ちてきた。ふわりふわりと。

  • どうしよう 2021年08月25日

     来月になって、天気が良くなったら「瑞穂ハンザケ自然館」に行ってみようと思っている。今日は、朝のうちに通帳の調節をして、月末の支払いが滞りなく支払えるようにしておいた。そして今事務所。両窓を開け、扇風機で蒸し暑さを我慢している。

     

     今日明日の二日間、「いきいきプラザ島根」で「強度行動障害支援者養成研修」が開催される。二日目の明日、その会場で強度行動障害を持つ子の親の気持ちを話すことになっている。なので、今事務所でどう話そうかと考えている。何を話してもいいですよって、担当者は言うけれど、さあて、何をどう話そうか。

     

    屏風

     

     もしもだよ、これが得意分野のことだったり、専門的な話だったら。例えば、ドライブの楽しさとか、楽しみ方だとか。人生って何だろうかとか、どう生きたらって話しだったら何時間でも話すのにな。ボウリングの話でもいいんだよ。

    写真は、カフェ駕籠石庵の座敷に立ててある屏風

  • 茶臼山 2021年08月22日

     茶臼山

     

     標高171.4メートルほどのこの独立峰を茶臼山と呼ぶ。古代出雲では、出雲地方でいちばん神聖な地とされ、神名樋野(かんなびぬ)と呼ばれていた。それが中世以降、茶臼山と呼ばれるようになった。我が家はその麓にあって、リビングから見るその山は今でも神々しい。

     

     どんよりと曇り空が広がっている。私の事務所の、私のパソコンデスクからはその茶臼山の頂がちょっぴり見える。そこを眺める時、心安らぐひと時である。今朝は、その頂き付近だけが明るい。手を振った。かあちゃん、今私が見えてるかい。

     

     先日、南杏子の「いのちの停車場」を読み終えた。先ほど、東野圭吾の「祈りの幕が下りる時」を読み終えた。ふたつとも、命について考えさせる内容だ。そして人生とはと、自分の生き様と照らし合わせて考えることができるものだった。そしてふと気付いた。この頃、私の読書感は変わってきたのかもしれない。

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