店主日記
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八重桜二選
2022年04月18日 昨日の午後、再び三刀屋町に行く用事があった。もう緑の桜は咲いてるだろう。三刀屋河川敷公園の満車の駐車場を避け、川土手の草むらに駐車して歩く。空は雲ひとつない素晴らしい青空が広がっている。今、ウクライナは戦争だ。攻撃しても守っても、必ず犠牲者は出る。「こよなく晴れた青空を 哀しと思う切なさよ」歌、「長崎の鐘」の一節だ。こんな快晴の朝、広島と長崎に原爆は投下された。  
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生命の神秘
2022年04月17日孫の表情が日に日に成長していく。朝見る度に、あ、また違う。また成長したんだなとそう思う毎日だ。特に、成長甚だしいのは瞳だと思う。視線がだんだんしっかりしていく。どこを見てるのかがはっきりと分かってくる。そして、抱っこした時に目と目をを合わせてくれる。亡くなって行った妻。これから生きようとする孫。生命の神秘をつくづくと思う。  公園墓地の草むらの斜面に、ティッシュペーパーを四半分にちぎって散らばらせたように見えるものが無数にある。天気の良くなる日の朝に目にする光景だ。クモの巣に、夜露が絡まってできる現象なのだが主人のクモにとってはいい迷惑だろう。どんな小さなクモかは知らないが、彼らも懸命に生きてるだろうとそう思う。だのになぜ、ウクライナではいとも簡単に人の命を奪ってしまうのだろう。 
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あなたの干支よ
2022年04月15日スーパーマーケットの隣にあるATMに行ったら行列ができていた。そうか、今日は年金日なんだ。送金はあきらめてマーケットで弁当買って昼ご飯にしよう。それと豆腐を買って夜のおかずは麻婆豆腐にしようかな。 今度の23日は妻の4年目の命日だ。最後に聞いた妻のか細い声、「おとう・さ・ん」が聞こえてくる。早いものであれからもう4年が過ぎた。そう言えば4年前の今日はまだ元気で一緒に仕事してたんだ。そう思ったら事務机に座って私としゃべっている妻の顔が浮かんできた。ウルっとなった。視界が悪くなった。 そうしよう。23日は土曜日だけど、休暇取って鳥取に行こう。昨年もそうしたように。思い出の観音院でお茶を頂きながら庭園を観よう。飲み干した抹茶茶碗の底から現れた干支の寅の文字、ほら、あなたの干支よって言ったあの当時の、あの時はまだ妻でなかったなぎさを偲んでみよう。 
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採用された新聞投稿
2022年04月14日昨日の山陰中央新報の「こだま」欄に私の投稿が載った。娘が里帰り出産したこと、玉のような男の子だったこと。この子が愛おしいこと。新しい命の誕生で亡き妻の人生をも考えたこと。このことで人の命の尊さを訴えた。そして戦争は愚かなことことだと結んだ。 妻が亡くなってから、その悲しさと寂しさを表現した投稿が何度か載った。昨夜、そのすべてを何度も何度も読み返した。その時の、この切り抜きを投稿した時の私の気持ちが蘇ってきた。そしてまた、今ならではの新しい感情も沸いてきた。私は、どれほど深く妻を愛していたんだろう。そして、心の中にいる妻をこれからもずうっとずうっと愛し続けようと心に決めた。 私がこの事務所の開業した18年ほど前の話である。私の名刺を見たある高齢の女性だ。豊満と言う名前がいい。きっとあなたは成功するよと言ってくださった。それからもお付き合いが続いていたがここ何年かはお会いしていない。 その方が今日の昼前電話をくださった。新聞読んだよと。あなたもいろいろあったんだねとも言ってくださった。でも、おめでとうね。お孫さんが産まれておめでとうねと言ってくださった。今、95歳だそうである。懐かしく、そして嬉しかった。 
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散る桜も桜かな
2022年04月10日  橋の上に佇んで川の流れを見つめた。たゆとう流れに散った無数の桜の花びらが浮いている。老人がひとり、桜の木の下で日差しの温かさを楽しんでいる。散った花びらがその老人に舞う。一服の絵だ。川の流れは砂防堰堤を超えた瞬間姿を変えた。ミクロのさざ波が太陽の光を反射する。花びらはどこに行ったのだろう。ふと、良寛禅師の辞世の句が浮かぶ。「散る桜 残る桜も桜かな」 橋の上に佇んで川の流れを見つめた。たゆとう流れに散った無数の桜の花びらが浮いている。老人がひとり、桜の木の下で日差しの温かさを楽しんでいる。散った花びらがその老人に舞う。一服の絵だ。川の流れは砂防堰堤を超えた瞬間姿を変えた。ミクロのさざ波が太陽の光を反射する。花びらはどこに行ったのだろう。ふと、良寛禅師の辞世の句が浮かぶ。「散る桜 残る桜も桜かな」昨日の午後、三刀屋町に用事があった。緑の桜(御衣黄)はまだだろうかと気になった。三刀屋河川敷公園の駐車場に車を停める。カメラを肩に、公園を歩く。御衣黄はまだのようだ。でも、数種類の桜の花が私を楽しませてくれる。坂山橋を渡り、やがて三刀屋橋に佇む。あの人と、二人で歩いたらどんなにか楽しいだろうな。  




