店主日記
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春眠暁を覚えず
2025年05月24日
昨夕、帰り道のコンビニで数種類の缶ビールを買って帰った。発泡酒は冷蔵庫に置いてあるけれど、今日のこの日は良いビールを飲もうと思った。シャワーを終え、仏壇の遺影を食卓に置いた。ふたりのコップにビールを注いだ。祥月命日に落ち着かなかったから月命日の今日乾杯しようね。向き合って話そ。そう言って乾杯した。
ふたりの出会いの日のこと。何通の手紙が行き来したのだろう、文通時代のこと。鳥取駅の改札口で待ち合わせたこと。観音院で抹茶を頂いたこと。お父さんに挨拶に行って最初は断られたこと。結婚式のこと。子供たちと遊んだキャンプ場。プールや海。喧嘩しながらした仕事。新婚旅行以来初めて行ったふたりだけの萩旅行。それぞれの懐かしさが走馬灯のように流れていった。
安心したのだろうか、昨夜はよく寝た。今朝も7時半に目覚まし時計が鳴った。時計の頭のスイッチをポンと押す。5分後に再び鳴り出す。またポンと押す。何回繰り返したのだろう、よく眠った。時間が無くなって、サラダとミルクだけの朝ごはん。春眠と言うには時期が遅すぎるかなと、そんなことを思った心安らかな朝だった。
写真は広瀬町布部交流館に展示してあったもの。
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月命日
2025年05月23日
先月の今日の朝、公園墓地で妻の墓石のすぐ近くにご主人の墓石を持つ女性と出会った。お久し振りですねとの挨拶から、今日は妻の命日でねって話してみた。「祥月命日ですか?」との質問。え、祥月って何ですって言って恥ずかしくなった。恐らく私が言おうとしている年1回の命日のことだろう。そう、私は本当に無知なのである。
この頃、妻のことを深く強く思ってしまう。どうしてだろうと先日から考えていた。そして今日その理由が分かった気がした。あの日、命日の気分にとっぷりと浸りたかったのにそれができなかった。あくる日の朝からの入院のことが気になっていた。妻と落ち着いて向き合えていなかった。だから今日の月命日の夜、命日の気分にとっぷりと浸ろうと思う。先日、仕事の賞品で頂いたQUOカードを使って美味しい酒を買って帰ろうと思っている。な、なぎさ、ふたりで乾杯だよ。
写真は、松江生協病院の4階の私の病室から日の出前の風景を写したものだ。歳を重ねる度に気持ちは繊細になって?・・・1週間の入院中、眠れなくて、夜明けが待ち遠しくて、朝焼けに染まろうとしているのが嬉しくて。ついついスマホでパシャリ。
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花の命
2025年05月22日
アマリリスの花が咲きそろった。3鉢のうちの2鉢の花が咲きそろった。深紅の艶やかさにひかれて立ち止まる人もいる。咲いたねって、声をかけてくれる人もいる。咲く花を見て、微笑む人はいても怒る人はいないのかもしれない。花は、そんな力を秘めているのかもしれない。
昨日の墓地の墓石のまわりに、小さな花が咲きそろった花園を見つけた。昨日来の大雨のせいかその花たちの姿は今日はなかった。いちどは閉じて、天気が回復すればまた花園は復活するのかもしれない。花の命は短くて、苦しきことのみ多いのかもしれない。人の命もかくの如しとはよく言ったものだと思う。
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定休日に
2025年05月21日
定休日なので遅くまで寝た。新聞紙をくるんで出し、ビールの空き缶をリサイクルボックスに入れてきた。はたきをかけて掃除機も終えた。さあこれからが朝食だ。遅いので昼食を兼ねる。食器洗いながら今日のドライブはどこにしようかと、つい、妻に話しかける。返事がないのは分かっていながらつい話しかけてしまう。そして、いないんだと再確認すると急に寂しくなる。
どうして今朝はこんなにも寂しいんだろう。昨日、あんな店主日記書いたからだろうか。昨夜、焼酎のお湯割りを飲みながら、何度も何度もスマホで読み返した。読み返す度に涙がこぼれた。妻の笑顔が浮かんできた。その余韻があるらしい。「あんたロマンチストやなあ」と、そう言った妻の声が聞こえてきた。昨日なかったのに、墓石のまわりに小さな花園ができていた。
道の駅、安来市の「あらえっさ」でキャベツとトマトとキュウリを買った。境港市から「ベタ踏み坂」を下って中海を半周するコース、道の駅「本庄」に止まった。ビールのお供にとソラマメを買った。ドライブをしながら、道の駅の売店で掘り出し物を探す僅かな贅沢が心の栄養ドリンクでもあるらしい。
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アマリリスが咲いた。
2025年05月20日
アマリリスの花が咲いたよ。今年もあのアマリリスが咲いたよ。俺たちの半生を、俺たちの事務所の歴史のすべてを知っているあのアマリリスの花が咲いたよ。今年もあの深紅の花を咲かせたよ。嬉しい。嬉しい気持ちが胸いっぱいに広がって来る。心がほんわかとしてくる。
先に天国に逝ってしまった君は、花園とやらの中で楽しく暮らしているのだろうか。君よりもっと先に逝った君のお父さんやお母さんと一緒に暮らしているのだろうか。ひょっとしたらおじいちゃんもおばあちゃんも、そのまたお父さんもお母さんも一緒に暮らしているのだろうか。そしてたまに外出してくるよと言って、あの大空を吹きわたって私のことや子供たちのことを心配しているのだろうか。
そんな暮らししていたらいいな。俺は毎日毎日君のことを想い続けている。朝は台所で涙し、昼は事務所でなぎさって何度も何度も呼びかけて、夜は洗濯干しながら君に囁きかける。地上の苦労は任せとき。息子のことも任せとき。アマリリスもきっと、励ましてくれるから。