店主日記

  • 孫が手をつないでくれた 2025年08月20日

     休みなのに早く目が覚めた。エアコンを消した。前後の部屋を網戸にして、陽の当たる部屋の遮光カーテンを閉めた。扇風機のみで軽い朝食を済ませて、娘達に叱られるだろう乱雑な、形だけの掃除機を終わった。そして出発。出雲市の息子を見舞わなければ。胴体だけで、手足の拘束はほどかれていた。それにしても、と思った。

     

     その後、いつもの三瓶山に向かうことにした。ひとりドライブ中の私は口をきくことはない。それが孤独が孤独を呼んでしまうことになる。いつもの道の駅「キララ多伎」を珍しくスルーした。大田市街地のコンビニに寄ってサンドイッチと冷たい缶コーヒーを仕入れた。レジ係の、30台?女性の対応がすごく爽やかだった。二品で両手を塞いで玄関ドアを出ようとした。向こうから入店しようとしていた若い男性がドアを手前に引いて、さっとした手の動きにあわせてどうぞと言ってくれた。爽やかだった。このコンビニのお陰で、久し振りに人の優しさに触れた気がした。

     

    律人と いつものコースで北の原の木陰に車を停めた。サンドイッチをほうばった。爽やかなレジ係の女性の顔が浮かんできた。ドアを引いてくれた男性の優しい顔が浮かんできた。そんな気持ちになる私は、生活の苦しさや、別れの辛さを味わった経験者だからかもしれない、そんな気がした。今日は良い人たちに出会った。そう思って飲む冷たい缶コーヒーは美味しかった。

     

     西の原に行き、東の原で散歩して、頓原町の国道54号線に合流した。歌姫と冠したCDのNO12の中原理恵さんが歌う「東京ららばい」を選んだ。ボリュームをいっぱいに上げた。その歌を何度も繰り返しながら、車は国道の下り坂を60キロのスピードで下っていった。大音量の車内の私の記憶は、何もかも浮かんでは来やしない。幸せな瞬間なのだろう。東京ララバイは、私に似合った歌だと思った。

     あ、そうそう。皆さんはこんな運転なさらないでくださいね。これは40年間無事故無違反表彰の、そしてプロドライバーだった私の特殊能力なんですよ。

     

     写真は、盆の13日、娘達と孫と4人で奥出雲町に行った。先祖の墓参を終えて、鬼の舌震に行った。駐車場から舌震に行く時、孫が手をつないで一緒に歩いてくれた。この日、手つなぎデビュー日なのだった。

  • 書けば心安らぐから 2025年08月18日

    宙瑠 10時予約のお客様の対応を終えて、チャイルドシートを返しにレンタル会社に向かった。担当女性から返却シートをもらった時、夏休みは終わったんだと思った。このまま事務所に帰るのは空しい気がして、少し車で走ることにした。大根島の海岸通りを走ることにした。もの思う時はドライブがいい。

     

     二人の娘と、孫が東京へと帰って行って、今年はどうしてこうも寂しいのだろうと思った。いつもとは違う気がした。娘達が、母に似てきたからだろうか。孫が成長して、その存在感が増したからだろうか。いや、それだけじゃない気がした。妻に会いたいと言う気持ちがいつも心の中を巡っていた。娘達がいて、寂しい気持ちではないのに、いつも妻に会いたいと思っていた。

     

     いつしか、私の心は奥深い森の中をさ迷っていた。木立が、空を覆っていた。所々に、陽の指す場所がぽっかりとあってそこだけが明るかった。その僅かな陽光を得て、朽ちかけた大木の根元があった。そしてその片隅から新しい二葉が育とうとしていた。それを見て、ああ、そうなんだと思った。死別しても、まだ愛は育ち続けているのじゃないか、そう思った。

  • 選ばれし者、それとも 2025年08月17日

    ひまわりの花 もう一日休めばいいのに、仕事に出てきてしまった。パソコンを眺めながら楽しかった盆を思い出していた。今朝も、昨日帰って行った長女からラインが届いた。「最高の夏休みでした。またすぐ帰るけん」と。そしてこう返しておいた「うん、すぐ帰っておいで」と。

     

     いつもそうだけど、娘達がいる時は特に強く思うことがある。今ここに、なぎさがいたらどんな顔をするのだろうか。今ここに、なぎさがいたら何を言うのだろうか。今ここに、なぎさがいたらどんなに孫を可愛がるのだろうか。はち切れそうな、その時の嬉しそうな顔が浮かんでくる。

     

     よく考える。ニーチェの本を持って歩いた若い頃と全く違った人生をよく考える。楽しかった妻との家庭生活。それも7年前に終わった。心に残る妻との思い出の生活。現実では無い心の中だけの思い出の生活。心の中の思い出が現実へと、そして未来へとつながっていく非現実的な世界。何かの為に、私は選ばれし者なのだろうか。それとも、見捨てられた者なのだろうか。

  • 楽しい盆休みが終わった。 2025年08月16日

     初日の10日、中国地方は大雨が降った。そのために岡山からやって来る伯備線の特急「やくも号」が止まった。ふたりの娘と孫、鳥取駅までなら間違えなく帰れるから、と言うことで鳥取駅へ迎えに行くことになった。松江に帰ったら夕方、今晩はコンビニ弁当にしようか。

     

    やくも 11日、12日、13日、14日、15日とあっという間に盆休みは終わった。14日、15日にお墓には行かないのと言う娘に、13日の夕方にお母さんは家に帰ってきたから、今お墓にはいないから行かないよ。だから帰る道を迷わぬよう。13日の夕方には部屋中の電気をこうこうと付けておいた。

     

     そして16日の午前中にみんなで墓参を終えた。その足でショッピングセンターで時間をつぶした。そして松江駅。私は入場券を買ってプラットホームで見送った。特急やくもは、あっという間にホームに滑り込んで、手を振る間もなくあっという間に娘達を連れ去った。いつ今度会えるか分からないのに、もう少し別れの余韻を残してくれてもいいじゃないか。ああ、またひとりぼっちになっちゃった。駅の地下駐車場を離れる時、いく粒かの涙が頬を伝って落ちた。

  • 終戦の日 2025年08月15日

     昨年だったか一昨年だったかは覚えていないが,Butter Yellow Kafeさんの黄色い建物が一畑薬師の参道に誕生した。娘たちの希望で午前中に行ってきた。入り口から入って正面の宍道湖の方向に大きな窓があって、眼下に杜の雄大な風景が広がっていた。右側方面には宍道湖の一部が山の上に浮いて見えるのもおもしろいと思った。

     写真はカフェと、階段を上る参道との中間あたりから樹間を通して撮影した。手前にある杜と、はるか向こうに見える中国山地の手前に宍道湖が手前の山々に浮いて見えた。

    参道より

     

     孫はプリンを食べた。娘はシフォンケーキを頼んでいた。私はモカコーヒーを頂いた。満席のテーブルには、それぞれの人々がそれぞれの身近なできごとなどで談笑していた。私のテーブルにも、娘二人と孫がひとり、誰の顔にも笑顔が浮かんでいた。ああ、幸せだなあと思った。ひとり暮らしの私にもこんな家族がいる。そう胸に刻んだ。

     

     今日は終戦の日、戦後80年の節目の年だ。政府主催の全国戦没者追悼式で、石破首相は13年ぶりに「反省」の文言を盛り込んだ。そして、「あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻み込まねばならないと」とした。そう、あの戦争で、日本人の310万人の犠牲があったらしい。現在を生きる私たちは、今の幸せを大切にしなければならない。今日のカフェの幸せで改めてそう思った。

最近の記事

カテゴリ

ページトップ