店主日記
-
友達になっちゃったね
2025年09月18日
先ほど、焼香から帰ってきた。亡くなったのは、我が社に一番近い同業者の奥さん。私も何度かはお会いしてお話もさせていただいたことがある奥さんだ。上品なその姿は今でもはっきりと私の記憶に残っている。
今まで、何度も葬儀には参列して来た。お亡くなりになった方は、喪主のご両親の場合が多かった。人は、必ず亡くなっていく。人生を全うされた方々が天国に召されていく。寂しいことだが、これが生命の摂理なのだと思えていた。だから冷静だった。でも今回は違った。悲しかった。
なぜだろうと思った。同業者の奥さんだからだろうか、それとも私と同じ苗字の景山さんだからだろうか。いや違うと思った。ご挨拶のために喪主の方と交わすお悔やみの言葉が見つからなかった。「友達になっちゃったね」と、言ってしまった。私は、妻との思い出をかみしめていたのである。そして、妻との別れの辛さを思い出していたのである。
-
ベルト
2025年09月17日
長男が施設に入所して、長女が広島の大学に通うためにアパートを借りてひとり住まいしていたある日、高校生だった末娘がテニスの合宿で益田市に一泊することになった。我が社の休みと重なったので、めったにないこの日に夫婦二人で旅行に行くことにした。目的地は山口県の萩市。
新婚旅行以来のふたり旅、楽しかった。萩市内を散策した。柑橘系の黄色い果物があちらこちらの民家に植わっていて面白いなと思った。夕方、予約しておいたホテル近くに着いた。ちょうどそこに、松下村塾があった。後に、遺影になったこの写真はこの塾の前で私が写したものだ。この原画をトリミングして、事務所の壁に貼ってある。先日ある人がこの写真を見て言った。この洋服も、この鞄もまだ家に置いてあるんだね、と。その日の夕方帰宅して妻の箪笥を開けてみた。みんな懐かしい。見覚えのある洋服ばかり。中に、ベルトが数本並んでいた。ひとつを取り出した。メードインイタリと書いてあった。社長令嬢時代に買ったものだろうと思った。そして、ひょっとしてこれ、私のジーパンに似合うのかも、と思った。
今日は定休日、だけれど仕事がひとつある。洗いざらしのぶかぶかにな った妻とふたりで買ったジーパンを履いた。妻のベルトを取り出して身に付けた。妻が亡くなる前よりも10数キロ痩せた私、少し短いが何とかなる。嬉しかった。まだ俺たちふたりでひとりなんだ。
-
パソコンデスク
2025年09月14日
接客カウンターの接客側にふたつのパソコンデスクが向かい合わせに置いてある。写真の手前側の白いパソコンが私用で、向こうの黒いパソコンが妻用だった。だったという表現は私がひとりもの思う時には使わないが、現実がそうだから寂しいけど使うことにした。でももう少しでウインドウズ10は使えなくなるから黒いパソコンはなくなってしまう。また妻の思い出がひとつ、去って行く。額縁に入れたキャビネサイズの妻の写真がふたつある。仏教でも、位牌のない真宗大谷派だからその一枚は仏壇に置いてある。家に帰れば帰ったよと挨拶してリビングのテーブルの上に立てかける。そしてビールで乾杯だ。朝の出勤の時は仏壇に返しておく。じゃあ、行ってくるよと言って。
もう一枚は常に持ち歩くリュックの中。ドライブ中は助手席に置いておく。今の私の車はもともと妻の愛車。だが、ふたりでのドライブは私が運転手。今もその時のまま。仕事の時は事務所のパソコンデスクに置く。来客に違和感を与えぬよう、隠れた場所にそっと置いてある。疲れた時、困った時、どうしようと囁きかける。寂しい時、会いたいなって囁きかける。どうやら私は、妻無しでは生きていけないらしい、永久に。
-
ふと、感じたこと
2025年09月12日
高校を出て、良い大学を親におんぶしてもらって卒業し、社会に出て、背広を着て、ネクタイ締めて胸を張って腕を振って颯爽と街を歩いて来た人達。方や、中学校を卒業して苦学生になり、15歳から自分の食い扶持を探し、社会からも認められず血反吐を吐きながら地にはいつくばってそれでも負けるものかと懸命に生きてきた人間と、こんなにも考え方に違いがあるのだろうか。先日、ある人に「努力しているか」と問われた。一瞬、何のことかと理解に苦しんだ。が、少し考えてその本意を知った。つまり、言葉の意味の示す通りなのだと悟った。背広を着て、ネクタイ締めて胸を張って腕を振って颯爽と街を歩いてきた人たちの考え方なのだと思った。だが、その人たちがみんなそんな人ではないよと心の奥で願いながら。
少し間を置き、冷静になって答えた。僕はね、52歳の時、脳梗塞で倒れた。会社を首になった。 だけど懸命にこの不動産業を立ち上げた。ずぶの素人が、20数年、この店を守って来たんですよ。・・・もしあなたが同じことをしたのなら、2年間も持たなかっただろうね、と思いながらそう答えた。
私の考え方なのだが、努力とは、体力や心に余裕のある人が頑張ってみる。そんな状態を言うのではないか。私はいつも、体の動く限り、心に余裕のある限り、命の続く限り懸命なんだ。必死なんだ。負けてなるものかと、歯を食いしばっているんだ。
その晩、腹立ちが収まらなくて、眠れなくて、あくる日が定休日を良いことに、飲んだ。深夜の2時まで飲んだ。私よりも10も若いだろう小僧に、努力しているかと言われて腹が立って。酔いが回って、それでも冷静になろうとした。そしたら、もうひとりの私が言った。あんなこと、努力してるかなんて人が人に言えるものじゃあない。でも、いいじゃないか、ほっとけよ。あんな奴が、あんな若僧が言うことなんて気にするなよ。・・・そうだよな、俺もちっちゃな人間だったな。反省するよ。そう気付いたら眠くなってきて、昼まで眠り続けた。
-
良き友安定剤
2025年09月11日
8日、9日、10日と、雨が降ったりして涼しかった。夜も良く眠れた。昨日の夜は特に涼しかった。だからこの際だと思って、睡眠をむさぼろうと考えた。ちょうど定休日、夕方早くから買い物を済ませた。そう、今日はひとりたこ焼きパーティーをしよう。材料の準備を始めようと冷蔵庫を開けて気が付いた。タコ焼きソースがない。どうしよう、やめようか。今あるのは味付けのないたこ焼きの粉。どうしよう、味付けようか、そうだよ、味付ければいい。どんな味にする?と私、もうひとりの私が、俺に任せとき。
9時半にEテレで京都美人女性が指導する料理番組が終わった。さあて寝ようか。目覚まし時計を7時にセットした。安定剤(入院の時、眠剤と言う看護師さんもいたが説明書には精神を安定させるとある)を飲んだ。さあ、寝るぞ。
写真の花は、先日行った鳥取県の日南町にある「松本清張文学碑」のある一角で見つけた。おや、こんな所に咲いているとパシャリ。山野草を愛でる時はとても心安らかな私なのだが、日常に帰るとどうもいけない。根っからの小心者なのだろうと思う。安定剤、よく眠れた。朝、事務所まわりの掃き掃除を終わっても、いつもの気怠さは消えていた。




