店主日記
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羽付き
2025年09月22日
この頃涼しくなった。事務所にも、エアコンは必要としなくなった。気持ちが良いので、事務所周辺を散歩してみた。裏の小さな林の中でツクツクボウシが一匹泣いていた。もう直ぐ、9月は終わってしまうと言うのにツクツクボーシ ツクツクボーシと鳴いていた。懸命に鳴いていた。
その木の下の藪状になった所に数個の小さな花が咲いていた。熟した物は身を付けて花びらを後ろにそり返していた。見ていたら、昔姉さんたちと付いた羽付きの羽を思い出した。ついでに昔よくした姉さんたちとの「ままごと」を思い出した。そう言えば、時々妻がこう言った。君はアスペルガーだからなと。そうかもしれないねと、私もそう思った。幼少のとき、男の子と遊ぶのは苦痛だった。小学生の時、フォークダンスを人と一緒にすることができなかった。現在でも、歌うのは好きだが人の前では歌えない。つまり、人との交わり方が下手なのだろう。
そんな私がこんなにもおしゃべりになった。不動産の仕事を堂々とするようになった。人って、変れるものなんだなあと思う。ただ、今でも男性との付き合いは苦手だ。どうしたら良いか何を言って良いか分からない時がある。こんなに歌うのが好きなのに今でも人前では歌えない。人間っておかしな生き物だね。それとも私だけ?
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オムライス
2025年09月20日
昨日は忙しかった。午前中、「あじさいの会」に出席した。この頃、息子のことが心配で、気が病むので、参加者は女性だけだがこの会に参加させてもらっている。今日は息子の今の状態を知ってほしくて話をさせてもらった。参加者が多くて嬉しかった。昼は心の知れ合った少人数で福祉センターのレストランで食事会をした。
帰ったら忙しかった。バタバタと飛び回るほどではないが、細かい仕事が次々とやって来た。遅くに来客もあったりして、片付け終わって事務所を出たら外は真っ暗だった。車に乗った瞬間、疲れがどっと溢れてきた。若くないなとこの頃思ったりしている。今日は晩ご飯を作る気力もないと感じた。
シャワーを終えて缶ビールを飲みながら、電子レンジの出来上がりを待った。チンと音がしたので食器の蓋をはぐった。コンビニサービスのプラスチック製のスプーンでオムライスをすくった。とろとろの卵が美味しそうだった。頬張ったとたん、スプーンの軽さに空しさが口に広がっていって、テーブルに立てかけた妻の写真に涙がこぼれた。

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友達になっちゃったね
2025年09月18日
先ほど、焼香から帰ってきた。亡くなったのは、我が社に一番近い同業者の奥さん。私も何度かはお会いしてお話もさせていただいたことがある奥さんだ。上品なその姿は今でもはっきりと私の記憶に残っている。
今まで、何度も葬儀には参列して来た。お亡くなりになった方は、喪主のご両親の場合が多かった。人は、必ず亡くなっていく。人生を全うされた方々が天国に召されていく。寂しいことだが、これが生命の摂理なのだと思えていた。だから冷静だった。でも今回は違った。悲しかった。
なぜだろうと思った。同業者の奥さんだからだろうか、それとも私と同じ苗字の景山さんだからだろうか。いや違うと思った。ご挨拶のために喪主の方と交わすお悔やみの言葉が見つからなかった。「友達になっちゃったね」と、言ってしまった。私は、妻との思い出をかみしめていたのである。そして、妻との別れの辛さを思い出していたのである。
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ベルト
2025年09月17日
長男が施設に入所して、長女が広島の大学に通うためにアパートを借りてひとり住まいしていたある日、高校生だった末娘がテニスの合宿で益田市に一泊することになった。我が社の休みと重なったので、めったにないこの日に夫婦二人で旅行に行くことにした。目的地は山口県の萩市。
新婚旅行以来のふたり旅、楽しかった。萩市内を散策した。柑橘系の黄色い果物があちらこちらの民家に植わっていて面白いなと思った。夕方、予約しておいたホテル近くに着いた。ちょうどそこに、松下村塾があった。後に、遺影になったこの写真はこの塾の前で私が写したものだ。この原画をトリミングして、事務所の壁に貼ってある。先日ある人がこの写真を見て言った。この洋服も、この鞄もまだ家に置いてあるんだね、と。その日の夕方帰宅して妻の箪笥を開けてみた。みんな懐かしい。見覚えのある洋服ばかり。中に、ベルトが数本並んでいた。ひとつを取り出した。メードインイタリと書いてあった。社長令嬢時代に買ったものだろうと思った。そして、ひょっとしてこれ、私のジーパンに似合うのかも、と思った。
今日は定休日、だけれど仕事がひとつある。洗いざらしのぶかぶかにな った妻とふたりで買ったジーパンを履いた。妻のベルトを取り出して身に付けた。妻が亡くなる前よりも10数キロ痩せた私、少し短いが何とかなる。嬉しかった。まだ俺たちふたりでひとりなんだ。
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パソコンデスク
2025年09月14日
接客カウンターの接客側にふたつのパソコンデスクが向かい合わせに置いてある。写真の手前側の白いパソコンが私用で、向こうの黒いパソコンが妻用だった。だったという表現は私がひとりもの思う時には使わないが、現実がそうだから寂しいけど使うことにした。でももう少しでウインドウズ10は使えなくなるから黒いパソコンはなくなってしまう。また妻の思い出がひとつ、去って行く。額縁に入れたキャビネサイズの妻の写真がふたつある。仏教でも、位牌のない真宗大谷派だからその一枚は仏壇に置いてある。家に帰れば帰ったよと挨拶してリビングのテーブルの上に立てかける。そしてビールで乾杯だ。朝の出勤の時は仏壇に返しておく。じゃあ、行ってくるよと言って。
もう一枚は常に持ち歩くリュックの中。ドライブ中は助手席に置いておく。今の私の車はもともと妻の愛車。だが、ふたりでのドライブは私が運転手。今もその時のまま。仕事の時は事務所のパソコンデスクに置く。来客に違和感を与えぬよう、隠れた場所にそっと置いてある。疲れた時、困った時、どうしようと囁きかける。寂しい時、会いたいなって囁きかける。どうやら私は、妻無しでは生きていけないらしい、永久に。




