店主日記
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雨の朝
2025年09月26日
この頃、ある人に一週間に一度、1日2時間程度、仕事を手伝ってもらっている。私の孫と言っていいぐらいの年齢の女性だ。妻のだったパソコンデスクでパソコン操作をしてもらっている。向かいに座って話しかけると、ぱちりと大きな瞳を開いて明るく答えてくれる。怖気る気配もなく、頼もしいなと感じている。
昨夜寒くて夜中に目が覚めた。夏蒲団の上に毛布を掛けたら再び眠れた。そして夢を見た。カメラに電池入れて、ストロボ付けて、現場写真撮影。方眼紙に間取の製図。帰ったらそれはまずは置いといて契約書の作成。今日中に仕上げなきゃあ。そんな長い長い息苦しい夢を見た。
暗いうちに目覚めた。締め切ったガラス戸の向こうに強い雨音がした。夢の気怠さに起き上った。パンで朝食を摂っていると、雨は小降りになった。そして夜が明けた。こんな天気の日は妻が恋しくなる。会いたいなと思ってしまう。ひとりぼっちの寂しさに心が震える。
今、物件取材から帰ってきた。雨上がりに陽が射すと湿気が増す。締め切った部屋での写真撮影。間取の製図。事務所のバックヤードで濡れタオルで汗にまみれた体を拭いた。エアコンの冷たい風の心地良さ。孫たちの、子供たちの、空の上から見守ってくれてる妻のために、自身のためにも頑張らなくちゃあ、と心に誓う。
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彼岸の中日
2025年09月23日
今朝、いつものように出勤前の墓参に向かった。妻の墓石のある駐車場に早くも一台の車があった。水を汲んで、下を通る道路を見たら、次から次とこの公園墓地に車が入って来る。祝日だからだろうか。いやそれだけではなさそうだな。そんな気配を感じた。
妻の墓石に線香を灯す時、はっと気づいた。あ、今日は彼岸の中日。うっかりしていた。見渡せば花のない墓石は妻の墓石だけ。ごめんななぎさ、うっかりしてたよ。花も供えなかった俺を許してな。本当にごめん。でも今日は契約の準備とその実行の日だ。今日はもう来れない。花はないけど許してな、ごめん。ほんとうにごめんな。
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羽付き
2025年09月22日
この頃涼しくなった。事務所にも、エアコンは必要としなくなった。気持ちが良いので、事務所周辺を散歩してみた。裏の小さな林の中でツクツクボウシが一匹泣いていた。もう直ぐ、9月は終わってしまうと言うのにツクツクボーシ ツクツクボーシと鳴いていた。懸命に鳴いていた。
その木の下の藪状になった所に数個の小さな花が咲いていた。熟した物は身を付けて花びらを後ろにそり返していた。見ていたら、昔姉さんたちと付いた羽付きの羽を思い出した。ついでに昔よくした姉さんたちとの「ままごと」を思い出した。そう言えば、時々妻がこう言った。君はアスペルガーだからなと。そうかもしれないねと、私もそう思った。幼少のとき、男の子と遊ぶのは苦痛だった。小学生の時、フォークダンスを人と一緒にすることができなかった。現在でも、歌うのは好きだが人の前では歌えない。つまり、人との交わり方が下手なのだろう。
そんな私がこんなにもおしゃべりになった。不動産の仕事を堂々とするようになった。人って、変れるものなんだなあと思う。ただ、今でも男性との付き合いは苦手だ。どうしたら良いか何を言って良いか分からない時がある。こんなに歌うのが好きなのに今でも人前では歌えない。人間っておかしな生き物だね。それとも私だけ?
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オムライス
2025年09月20日
昨日は忙しかった。午前中、「あじさいの会」に出席した。この頃、息子のことが心配で、気が病むので、参加者は女性だけだがこの会に参加させてもらっている。今日は息子の今の状態を知ってほしくて話をさせてもらった。参加者が多くて嬉しかった。昼は心の知れ合った少人数で福祉センターのレストランで食事会をした。
帰ったら忙しかった。バタバタと飛び回るほどではないが、細かい仕事が次々とやって来た。遅くに来客もあったりして、片付け終わって事務所を出たら外は真っ暗だった。車に乗った瞬間、疲れがどっと溢れてきた。若くないなとこの頃思ったりしている。今日は晩ご飯を作る気力もないと感じた。
シャワーを終えて缶ビールを飲みながら、電子レンジの出来上がりを待った。チンと音がしたので食器の蓋をはぐった。コンビニサービスのプラスチック製のスプーンでオムライスをすくった。とろとろの卵が美味しそうだった。頬張ったとたん、スプーンの軽さに空しさが口に広がっていって、テーブルに立てかけた妻の写真に涙がこぼれた。

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友達になっちゃったね
2025年09月18日
先ほど、焼香から帰ってきた。亡くなったのは、我が社に一番近い同業者の奥さん。私も何度かはお会いしてお話もさせていただいたことがある奥さんだ。上品なその姿は今でもはっきりと私の記憶に残っている。
今まで、何度も葬儀には参列して来た。お亡くなりになった方は、喪主のご両親の場合が多かった。人は、必ず亡くなっていく。人生を全うされた方々が天国に召されていく。寂しいことだが、これが生命の摂理なのだと思えていた。だから冷静だった。でも今回は違った。悲しかった。
なぜだろうと思った。同業者の奥さんだからだろうか、それとも私と同じ苗字の景山さんだからだろうか。いや違うと思った。ご挨拶のために喪主の方と交わすお悔やみの言葉が見つからなかった。「友達になっちゃったね」と、言ってしまった。私は、妻との思い出をかみしめていたのである。そして、妻との別れの辛さを思い出していたのである。




